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人生の豊かさは、精神の豊かさで決まる。
精神の豊かさは、どれほど多くアウフヘーベンしたか、どれほど深くアウフヘーベンしたかによって決まるのではないでしょうか。
人生においてそー滅多にアウフヘーベン出来るものではないと思うが、どのようなとき人はアウフヘーベンしたと感じるのでしょうか。

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A 回答 (5件)

理想を持ちよりよく生きたい。


そう望んだ実在概念にとって
最大の賛辞は「自己満足」という評価を
自分で与えるに至ることなんですね。
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おじさんです。


「人生の豊かさは、精神の豊かさで決まる」
→その通りでしょうね。
「人生においてそー滅多にアウフヘーベン出来るものではないと思うが」
→そうでもないと思います。
普通の人が普通に暮らす毎日がアウフヘーベンでしょうね。
「逢うは別れの始め」
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止揚と昇華を同一視あるい混同しているようですね。


昇華とは、炭酸ガスなどが、個体から液体を経ずに、直接、ガス体に転化することを言う物理学用語で、心理学では、性欲などの、社会に受け入れられない、欲球や葛藤を、受け入れられる、芸術やスポ-ツなどの執着、向上に転化する亊でしょう。
止揚は、ヘ-ゲルの弁証法に於ける、変化の在り方、で個人や心の、昇華、ではありません。
止揚と訳されている、アウフファ-ベンには、保持する、否定する、別のものになる、より高次になる。という、4っの意味をふくんでいる。と言われます。
マルクスが、科学的弁証法とか科学的社会人主義、などと、何でも科学的を付ける、科学信奉家だったのにべ、
ヘ-ゲルは、物理科学関わる論文は書かない方がいい。と学生たちに話していたとかの、科学、数学嫌いだったようで? 数学から、取り入れたのではないでしょうが。
テ-ゼ×アンチ・テ-ゼ=ジン・テ-ゼ×止揚 と置くと。数学と一致する。
縦m×横m=面積×m^2 つまり面積、m^2 とは、mが保持されているが、面積は長さが否定された、別のものであり。寄り高次の単位に変化している。という亊になります。
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この回答へのお礼

>テ-ゼ×アンチ・テ-ゼ=ジン・テ-ゼ×止揚

これはなかなかおもしろい。
ここで、×は外積と見ます。
テ-ゼとアンチ・テ-ゼを外積すると、ジン・テ-ゼとなる。
つまり次元が増えるってことでなかなかおもしろい。

お礼日時:2015/07/23 00:23

一言で云えば、関心のある事を突き詰めた時。



メビウスの環を一周するようなもの。
表を走っていたはずなのに、気が付いたら裏に居て、それでも走り続けたら表に居た。

そこで、表裏一体を知る。
でも、でも、その"豊かさ"となると、環の厚みがものを云う。

知る、は客観。解る、は実感。
・・・・・と、した場合のこの回答は"客観"です。
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この回答へのお礼

>一言で云えば、関心のある事を突き詰めた時。

つまり真理の探求ですね。
同感です。

お礼日時:2015/07/22 01:40

自分の最高の信念を相手と交換出来たとき。


そして、その後に憎しみでなく、敬愛の念が残った時
ではないでしょうか?
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この回答へのお礼

>自分の最高の信念を相手と交換出来たとき。

ふむふむ、
素晴らしいね。

お礼日時:2015/07/22 01:38

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Q"弁証法的アウフヘーベン"

↑ってどういう意味ですか?
簡単に教えてください。
私は哲学のことはまったく知りませんが
読んでる文献に出てきたのですが
どのようなたとえを指しているのか
まったくわかりません。
ちなみに、質問しているカテゴリが
あってるのかもわかりません。
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

弁証法を図式(シェーマ)的に言いいますと、一方の「存在」(sein)に対して、他方にそれの矛盾である「無」(nichts)が対立して、この「存在」と「無」が合成されたものとして「生成」(werden)が成立するという形になります。

違う言葉で説明いたしますと、ある「概念」(1)に「矛盾するもの」(2)を明確に提示することで、(1)は否定されますが、また(2)にも否定される矛盾が見つかると、結果的にその二つを乗り越えつつ総合するような「新たな概念」(3)が現れます。

また違う言葉で言いますと、弁証法とは、「テーゼ」(These)、「アンチテーゼ」(Antithese)、「ジンテーゼ」(Synthese)という段階の進展であり、ある命題に対して反命題が対立した場合、そのどちらかを捨て去って選択するということではなく、それぞれの短所を上手く捨てつつ、二つの命題の総合的なものが成立するということです。

この総合に到達することが「止揚する」(aufheben)と呼ばれます。この「アウフ・ヘーベン」は、「拾い上げる」という意味ですが、ヘーゲルの場合(その後の哲学上の議論でも)は、まさにこの過程の運動のすべての意味が込められていまして、「否定して、保持して、高める」という意味になります。

しかし、その総合的なものも「テーゼ」となったからには、またそれに対する「アンチテーゼ」が立てられ、そして「総合」が生まれ、またその「テーゼ」、「アンチテーゼ」・・・・・・・・・・と続くことになるのです。

これが、ヘーゲル歴史観であり、歴史は常に繰り返すものであるということになります。ヘーゲルは歴史も精神の発展史と見なしていたので、ヘーゲルは頭でしか考えていない、という批判がなされました。そうして現れたのが、マルクスの唯物史観でした。

このような説明でいかがでしょうか。

弁証法を図式(シェーマ)的に言いいますと、一方の「存在」(sein)に対して、他方にそれの矛盾である「無」(nichts)が対立して、この「存在」と「無」が合成されたものとして「生成」(werden)が成立するという形になります。

違う言葉で説明いたしますと、ある「概念」(1)に「矛盾するもの」(2)を明確に提示することで、(1)は否定されますが、また(2)にも否定される矛盾が見つかると、結果的にその二つを乗り越えつつ総合するような「新たな概念」(3)が現れます。

また違う言葉で言いますと、弁証法とは、「...続きを読む


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