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小豆島内海町(現小豆島町)の海岸線が昭和初期までは現在の海岸線より、もっと上の方にあったのか質問です。
亡くなった私の祖母に聞いた話ですが、現在、小豆島の周りには国道436号線が通っていますが、昭和初期だったか大正ぐらいまでは現在の海岸線ではなく、現在の海岸線は埋め立てて現在の形になったらしく、具体的には内海町(現小豆島町)の西村清水のあたりから安田のあたりまでは少なくとも埋め立てられていて、現在のスーパーおおくらからマルヨシセンターまでの少し下のあたりまでは、昔は海岸線が広がっていて、内浜塩田といって、大昔は塩田での製塩業が盛んだったと聞いたことがある、と言うのです。
小豆島の古地図は見た事はありますが、住宅地図ではないので真偽のほどは断定できませんでした。
(私個人としては、現在の海岸線と変わらないように見えました。)
そこで以下が質問内容になります。

1、祖母の言うとおり、昭和初期ぐらいまでは片城のスーパーおおくら〜安田のマルヨシセンターの少し下あたりまで海岸線が広がっていて、その後、埋め立てられて現在の形になったのでしょうか?

2、1の話が本当であるとして、内浜塩田というのは、どのあたりにあったのでしょうか?
(文久2年生まれの遠い祖先が内浜塩田で若い頃、働いていたと聞いたことがあるので知りたくなりました)

難しい質問だと思います。
郷土史家の方や小豆島在住の方、小豆島出身の方しかわからないかも知れませんが、ご存知の方がおられましたら、ご教示のほどよろしくお願い致します。

A 回答 (1件)

内海方面は詳しくないのですが、


『町長の「八日目の蝉」記』の下記ページに載っている写真はどのあたりでしょう。
http://www.town.shodoshima.lg.jp/oshirase/youkam …

草壁付近から田浦方面の眺望…?
写真の出典『小豆島・豊島今昔写真帖 : 保存版』は2010年刊なので、収蔵している図書館で確認してみてください。国立国会図書館・香川県立図書館・東京都立中央図書館にあるそうです。小豆島町立図書館は未確認。

小豆島の塩田は各所にあったようなので断定はできません。土庄町の渕崎あたりにも昭和30年代にはまだ残っていました。流下式塩田の枝条架が見えるあたりで潮干狩りをした記憶があります。

映画館は土渕海峡の永代橋のたもと・渕崎側に「えんれいかく」と、前島側に「小豆島東映(?)」がありました。内海方面や戦前のことは知らない。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
それにしても、色々なサイトで古地図を閲覧できるでんですね。驚きました。
塩田でも入浜式とか流下式とか色々種類があることを知り勉強になりました。

お礼日時:2015/08/09 19:23

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