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8月6日の広島に投下した原爆が爆発しなくて、3日後の長崎の原爆も投下したものの爆発しなかったならば、終戦はどのくらい長引いたでしょうか?やはりB29による空爆は一掃激しくなり、本土決戦に発展していったでしょうか?

A 回答 (7件)

すでに他の回答者様がお答えされていることと重複しますが、


少し補足してみます。


現在公開中の映画「日本のいちばん長い日」にも描かれているように、
当時の日本は終戦工作にあたっていました。
原爆が爆発せずに失敗であった場合でも、基本的にはソ連の参戦で
降伏が多少ずれる程度であったと思われます。



もし、天皇陛下の意思を無視して一部の徹底抗戦派が
権力を掌握していたとすると、かなり状況はかわります。
ダウンフォール作戦の九州方面(オリンピック作戦)が1945年11月1日、
関東方面(コロネット作戦)が1946年3月とされていますが、
多少早まっても、ソ連の侵攻で満州と朝鮮は絶望的でした。
一方で、占守島(千島列島のはしっこ。よく「硫黄島は住民が
いないから、沖縄は日本で唯一地上戦だ」と言われますが、
ここも日本で住民がいて地上戦があったところです)
などは実質ソ連の侵攻を撃退寸前まで退けていましたから、
揚陸作戦が必須の北海道を、水上戦力が貧弱なソ連が
短期に攻略することは疑問です。
この頃の日本軍は、装備に問題は(大いに)ありますが、
数だけみれば根こそぎ動員でかなりの戦力を有し、
壊滅していたとされる連合艦隊は、(アルゼンチンなどの)
終戦間際に参戦した諸国より優勢です。
連合軍と戦うには完全に質・量ともに劣りますが、
数ヶ月しか持たないような戦力差ではありません。
徹底抗戦していれば、沖縄のような地上戦が展開されたかもしれません。



また、原子爆弾の作成は理論上簡単で、日本の原爆研究はウランの抽出・
精製で挫折していましたから、原子爆弾が不発であった場合には
これ幸いと再利用していたかもしれません。
余談ですが、東條が当初原爆の使用を検討していたのがサイパン。
しかし、日本が原爆の再生に成功しても、大勢は変わりません。



原爆自体は、7月の実験成功で急遽実線投入されていることからも、
アメリカには余裕が無いので、推測ですが実戦で爆発しなければ
改善のために運用は中止されていると考えます。
また、3発目はプルトニュウムがあったそうですが、それ以後は核物質の
精製をまたねばならないので、それ以後に何発も続けて運用することは
できませんでした。



歴史にIFはありませんが、原爆が爆発しなかった可能性のひとつとして、
原爆の輸送に使われたインディアナポリスの撃沈があります。
輸送後の撃沈でしたが、もし輸送中ならば戦後の原爆開発における影響など
歴史が変わっていたかもしれません。
ちなみに、インディアナポリスの乗員は、救助の遅れで疲労とサメの餌食
などによって多くの犠牲者をだしてしまい、艦長は(アメリカの艦船では
ほぼ唯一)戦没で軍法会議にかけられ、有罪になり(後に名誉回復)
自殺してしまうという因果があったそうです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。いずれにしても本土決戦がなくてよかったです、もし、本土決戦でも沖縄のように民間人の多くが爆撃ではなく、兵士に殺されていたら今の日米関係はなかったと思います、憎悪感だけが残っていたでしょうね。

お礼日時:2015/08/16 08:43

米国は沖縄に続いて九州・関東にも上陸する作戦を用意していました。

日本の軍部は徹底抗戦を唱えていましたし、戦争に嫌気をさしていた国民もそれに反抗する気力はなかったでしょう。
日本本土においても沖縄戦と同様な状況がなかったとは言い切れません。
ソ連軍は本格的に侵入してきたでしょうし、戦後は分断統治された可能性さえあります。
それでも一月と持たなかったでしょう。それだけ物量の差があったのです。
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この回答へのお礼

ありがつございます。とは言え何か本土決戦を唱えた一部軍人の気持ちを私は分かるような気がします。妙な日本人のDNAが存在しているような、

お礼日時:2015/08/16 08:37

変わらないでしょう。


ポツダム宣言の受諾は既定です。

既にソ連が侵攻しています、そのまま戦争を継続すれば日本側が原爆を再利用したり、ソ連に渡る可能性がありますからアメリカとしてはその前に日本を占領しなければなりませんから講和条件を早く出した可能性も有り得ます。
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この回答へのお礼

何かアメリカも原爆投下のタイミングは焦っていましたね。焦るついでに爆発しなければ良かったのに、、

お礼日時:2015/08/14 16:19

B29の空爆は激しくなったと思います。


本土決戦はアメリカにも被害が出ますからもっと先の事です。
焦土作戦が先です。

7月以降は日本の防空能力もほとんど無かったので、B29も
爆弾(焼夷弾)を満載で、低空爆撃できますので被害が大きくなって
いったでしょう。
東京大空襲の例でもわかるように、通常爆弾でも原爆と同等以上の被害を出すことも可能なのです。

原爆がもし爆発していなかったら日本が降伏を受け入れるのが数日延びたかもしれません。降伏を受け入れた一番大きな理由は国民の惨状で、2番目が燃料不足だったはずです。原爆の威力が絶大で、防ぎようがなことも大きな理由だったと思います。
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この回答へのお礼

焼夷弾空襲は害獣を駆除するように人間を焼き殺しましたね。もうこれ以上はと陛下も決断してくれたのだと思います。

お礼日時:2015/08/14 16:18

終戦がどのくらい長引いたかはわかりません。

条件が複雑すぎます。

 ただし、九州上陸作戦は1945年冬、関東上陸作戦は1946年春をめどに準備が行われていました。仮にこれが行われたとして、その前段階で海上の徹底封鎖、生物化学兵器の全面使用、農地への毒物散布等も予定されていたそうですから、そんなに長引くことはなかったでしょうね。
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この回答へのお礼

1945年の7,8月は日本はフラフラでしたね。

お礼日時:2015/08/14 16:16

>やはりB29による空爆は一掃激しくなり、本土決戦に発展していったでしょうか?


その可能性は大きいでしょう。
被爆者には申し訳ないですが、原爆投下のおかげで多くの国民が無駄死にしないで済んだ可能性が有ります。
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この回答へのお礼

私は不発であったら良かったのにと思います。あの兵器は地獄です。

お礼日時:2015/08/14 16:14

爆発に成功するまで落とし続けたでしょう。


米国にとっては戦況の成り行きなどより、被爆による人体実験のデータ収集が主目的であったためです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。意地になって実験したでしょうか。

お礼日時:2015/08/14 16:13

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