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終戦の日にテレビの影響で、毎年、平和について考えさせられるのですが、Wikipediaで調べと、平和とは「戦争や内戦で社会が乱れていない状態」とでます。これでは、冷戦期のアメリカとソ連の軍拡競争でいつ戦争が発生するか、ドキドキハラハラの状態も平和ということになってしまいます。
 現在も平和の定義の主流は「戦争や内戦で社会が乱れていない状態」なのでしょうか。
 
 ちなみに、私が今まで一番納得した定義は、平和とは「紛争や問題、もめごとが起こった時に、納得のいく解決ができるシステムを持つ社会」です。人が生活していれば、必ず不満や争いが出てくるという前提のもと、よりよい解決システム(例えば裁判制度もその一つの方法)を作っていく。とても現実的で納得してしまいました。
 けど、私の考えって、もしかしてすごく少数派かも・・・と思い質問させていただきました。
 
 皆様の平和とは「○○」ぜひお教えください。

A 回答 (17件中1~10件)

>「紛争や問題、もめごとが起こった時に、納得のいく解決ができるシステムを持つ社会」


私も概ねコレですね。
更に言うならば、そのシステムを維持するため泣き寝入りさせられるもののない社会です。
お前さえ我慢すれば八方丸く収まる、そんな圧力の生じない社会。
集団が出した結論に多くのものが同意する中で反対するものが現れたときどうするか。
そこで、少数派の排除が起こるようなら論外です。
棲み分けなり何らかの補償があっても良いと思います。一見すると国が分裂してるようにも見えますが、納得行く解決策のひとつではないでしょうか。
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この回答へのお礼

両者納得がいく解決ができているかどうか、そこが大切ですよね。日本の裁判制度もおそらくそこを考え、三審制や和解、裁判員制などいろいろ試行錯誤しているのだろうと思います。
国際社会は未だ十分なシステムはないようですが、いろいろな国があり、よりよいシステムを作っていくには課題が多そうです。

お礼日時:2015/09/01 17:37

「平和」、和が平らであること、と漢字を見てみると、「和」はその一字だけで仲の良い状態やお互いを尊重する関係性などを表している漢字ですが、


平和は、その和が平らであることと書きます。
つまり天秤の両側にいる人々、価値観それらが平らであるからこその平和であると見えます。

平和はただ和が存在するだけでは成立せず、それぞれが感じる和が同じ高さに見えないと成立しないのでしょうか。
つまり比べられる人や国などの客観的な経済や政情、幸福感などが偏っているとお互いの間には平和は成立しないのでしょうかね。

まぁ穿った見方かもしれませんが、こんなことを考えるとき漢字って面白いと思います。
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この回答へのお礼

漢字から分析するという考え方はなかったので、とても面白いと思いました。天秤が釣り合っているイメージなんですね。
確かに、自分たちは不利益を被っていると思っている場合、平和が成り立っているとは感じられないなと思いました。

お礼日時:2015/09/01 16:59

現実は、そんなに単純じゃないですね。

 

これまでの考え方では国が持たなくなります。
世界で起こってきたことを振り返らねばなりません。


■国同士:
平和を乱す国は軍事力を使ってごり押しで国境を変えますし、裁判に出ないわけで、ここで必ず戦争が起きます。
したがって、世界では、これをさせない方法を講じることにより戦争を防いでいます。各国で経済制裁・軍事同盟などです。

■内乱:
内乱には原因があります。その原因の主たるものは、異民族・宗教です。ひとつの国を異なる民族・文化・思想で構成することは内乱の原因となります。当然、意識して自国の国民を他国に流す活動をする国があり移民者が移民者を呼びこみ乗っ取りも始まります。国家はこういったことを防ぐ義務があるとおもいます。

日本人は現実に目を向けなければなりません。
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この回答へのお礼

■国同士:
経済制裁、軍事同盟に加えて、核による抑止、信頼醸成の試み、国連、ASEANなどの地域機構なども戦争抑止の方法の一つですかね。
■内乱:
日本にもいろいろな宗教が存在しますが、内乱が起きていない現状を考えると、内乱の主原因は異民族や宗教よりも、政治権力闘争が先にあって、政治的に利益を得るため、民族や宗教というカテゴリーでグループを作り、内乱へ激化していくという見方もできますが。何か大きな団体を作るときに、宗教や民族というくくりで作ると作りやすいのは事実だと思います。

お礼日時:2015/09/01 16:52

学習は、経験からと予測からします。

予測するには、法則を知り悟る訳ですね。内戦やテロは、する人達の特徴を理解それば、予測が可能では、無いでしょうか。必然性を備えていますから、実行前対応可能なように思います。
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平和とは、人災や天災にも対応が出来ている状態だと思いますね。

中々全ての対応は、経験が無いと難しいです。そこに学習があり対応が出来てきます。生きて行くことが修行で、対応を作ると平和に変わります。ルールだけでは不十分な訳です。
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この回答へのお礼

それぞれの国がそれぞれ自国の利益になるように対応しているのが、今の国際社会だと思うんですが、なかなか上手くいかないことも多いようで、内戦やテロなど発生して、我々人類はまだまだ学習が足りないということですかね。

お礼日時:2015/08/23 17:49

回答No.11の続きですが、東アジアでは現在、目立った戦争や内戦は起きていないので(ローカルには政権を巡っての内紛はあるかも知れませんが)「戦争や内戦で社会が乱れていない状態」であり、彼らにとっては平和が実現されていると思います。

ただ彼らの社会はまだ貧しくてインフラの整備も未開発なので、日本の感覚と比べると幸せ度は低いかも知れません。それと平和度とは次元の違う話です。
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この回答へのお礼

つまり、戦争や内戦が表面上なければ平和であり、暮らしている人が安心して暮らせているかどうかは幸福度で測る。ということは、平和かどうかよりも、幸福度が高いかどうかの方が重要ということですね。そういう考え方もあるんですね。勉強になりました。

お礼日時:2015/08/23 17:54

平和のとらえ方は、人によっても国民性によってもみな違いますから、仮に平和を定義しても必ず異論が出ると思いますよ。


もし「紛争や問題、もめごとが起こった時に、納得のいく解決ができるシステムを持つ社会」を平和とするのなら、紛争やもめごとがあることを想定しており、戦争や内乱で荒廃しても「納得のいく解決ができるシステム」があれば平和だということになり、ある意味では「戦争や内戦で社会が乱れていない状態」より後退していますね。
「戦争や内戦で社会が乱れていない状態」は妥当な定義のように思えますが、「戦争や内戦で社会が乱れていない」程度はどこまでを指すのか、その基準によってまた議論が百出すると思います。結局、定義は自分の心の中にあって、自分が何とか満足しうる範囲が平和とすればいいのでは?
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この回答へのお礼

「戦争や内戦で社会が乱れていない状態」とすると、東アジアでは現在、戦争や内戦が起きていないので、平和が実現されていると言えると思うんですが、竹島や尖閣諸島などの国境・領土問題での解決方法が見いだせない状況や、中国とフィリピンの南沙諸島の領有権問題でもアメリカの軍事力で圧力をかけて抑止しないと止められない状況で、日本もアメリカと共に軍事行動していかないとという話が出ていることを考えると、「平和が実現されている」というのはどうしても違和感があるんですよね。国際社会や東アジア、人類がこれらの問題を不満の少ない形で解決する方法、しかもその場の一回だけのものではなく、解決システムとして持てたら、解決の筋道も見えて、今より平和を感じれるのではと私は思っていたのですが。
 平和という言葉はよく使われていますが(特に終戦の日前後)、平和についての共通認識となると、人それぞれの価値観の違いもあり、難しいんですね。。。

お礼日時:2015/08/21 15:42

某アニメの台詞ですが、「平和とは誰かから与えられるものではなく自分自身の力で得るもの」だと思います

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この回答へのお礼

その通りだと思います。自分で平和な状況を作っていかないと。ただ、私の考えている平和と多数の方が考えている平和と違うかもしれなくて。。。

お礼日時:2015/08/18 20:03

始めまして。



ん~~~~少し難しく考えすぎかも・・・・

平和って、「平たく和む」、いわゆるみんな「ケンカしないで仲良くね」って事ですが、

無理! あなたでも世界中の人と仲良く問題無く生きる事は「無理」って思いますよね?

小学生でもケンカして刃物で刺す時代です・・・・(悲しい時代ですが)

全くトラブルの無い世の中を作るのは・・・・・無理と思いますね。

但し、人間は賢くなっています(昔に比べれば)

最小限の問題、最小限の犠牲、最大限の努力が出来るようになってきました。

平和○○とは、その時代で人類や、生物が「最小限の被害で済ます知力を使う事」

私はこんなイメージで「平和になれば良いな」と思っています。
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この回答へのお礼

そういう考え方もありますね。そうすると、歴史を振り返って、イラクはアメリカのいうことを聞かないで攻撃されるよりは、アメリカの言うとおりに中東の親米国家となり、アメリカの利益を生み出すよう行動していた方が被害は少なく、平和的対応だったということに。大国はいいかもしれないけど、小国の立場に立つと、喧嘩してもかなわないから、不条理なことに従わなければいけない、というのはある程度までは諦められるとしても、どうしても納得ができないときがあると思うんですよね。その時にどうするか。知力が試されるということですかね。

お礼日時:2015/08/18 19:39

>各国は国家間紛争のときに裁判所に訴えることができて、判決には強制力があり



はい。それがあるんです(苦笑)。
国際司法裁判所(ICJ)と言いまして、国連の重要な機関のひとつです。
先にも書きましたが、国連はそれを目指しているのですよ。
でも、実際には万能ではなく、例えば日韓の領土問題の場合、日本はICJに委ねようとしてるんだけれど韓国はそれに同意しないので、裁判自体が出来ないという状況になっています。

しかも、強制力という意味では安保理が非常に大きな役割を果たしているので、
大国の思惑に逆らうような事はできないという問題もあります。
現状の強制力って結局のところ武力ですからね。
日本の裁判にしたって、個人じゃ警察にも裁判所にも勝てないから効力を発揮できるのであって、じゃあ国家にとっての警察って何?という話になります。
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この回答へのお礼

おっしゃる通り、国際司法裁判所は両国が同意しないと開けないので、裁判することにメリットがないと感じれば、裁判しないことを選択できる。しかも、判決を強制することができる組織が存在しないので、例え判決が出たとしても、判決には従わないということもできてしまう。それに対して安保理がどう動くかは、ケースバイケースですかね。
その辺が、国家より上の組織が存在しない現在の国際社会の限界であり、課題ですかね。

お礼日時:2015/08/17 18:23

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