プロが教えるわが家の防犯対策術!

小さい頃の思い付きです(2回目)

前にも同じ質問をしたのですが、少し言葉が足りなかったようで、補足をしようとしたのですが、補足も収まりきらなかったのでもう一度質問をする事にしました

このような理論ってありませんか?
小さい頃の思い付きで、何の根拠もないのですが…

前回の質問では、運命論や、ダーウィンの進化論などの回答を頂いたのですが、少し違うのです

あの頃私が考えていたことは運命のような大きなものではなく、今私が文字を打っている時の動き、考えることが元々事細かく全て決まっている。

例えば元から細かく全ての動きがきっちり完成している、アニメのような感じというのでしょうか…

だから、もしも本当にそうだったとして、『それ』に抗おうとどんな行動をしても、その抗おうという行動自体が最初からするように決まっていて、『それ』にはどうしても抗うことはできない…という考えです。

「今私がこう思っていることも最初から決まっているんでしょ。って思っていることも最初から決まっているんでしょ。」
…ということを頭の中で無限ループしていました。

もしかして、ダーウィンの進化論がこれなのでしょうか?
でも、大まかに決まっているのではなく、きっちりと細かく、全てが…というか(-。-;

もしもこんな理論があったら読んでみたいです。
心当たりがあったら教えていただけると嬉しいです!

A 回答 (4件)

ご質問はダーウィンの進化論とは、(ラマルクの進化論とも)まるっきり関係ないです。

木村資生とか読んでみると良いかも。
 また、唯我論・観念論(要するに、世界の全ては自分が作り出した幻想だというアイデア)と無関係とまでは言えない気がしますが、これは肯定するにせよ否定するにせよ原理的に何の手がかりもないことが保証付きで、信じたからどうなるということもなく、つまりこれほど不毛な考え方もない、ってもんですから、敬遠するのが吉でございましょう。

 それはさておき、ベンジャミン・リベットという先生が、自由意志について実験的な研究をなさいまして、自分で「意識的に自由に選択した」と思っていることが、「選択した」と思った瞬間よりもちょっと前に既に決まっている、ということを発見なさった。その後、様々な実験によって確認されています。
 この事実は「無意識がおこなった選択を、意識はただ記録しているだけなんじゃ?意識ってのはその程度のものに過ぎないんじゃ?」と解釈できます。「意識こそが人の主体だ」という直感に反しているところが面白いばかりか、非常に重要で示唆的である。(たとえば犯罪に対して、ワザとやったのかどうかによって責任の軽重を判断するのは、この直感にこそ根拠があるわけで、それがひっくり返るとなると法学・倫理学の根本を揺るがす大変な話であるはずなんだけどなあ。)リベットによる一般向けの解説書は「マインド・タイム」(岩波書店)。

 「自由意志がある」(もうちょっと細かく言い直せば「判断は意識が自由に行っている」)という直感と、全てが予定されているという予定論とは相容れない。全知全能の唯一神、というものを強く想定する宗教では、その神の予定した通りに全てが進んで行くと考えるしかないわけです。じゃあなんでお祈りしてんの?と、仲良しのイスラム教徒に尋ねたらですね、「神の予定の中に私の成功が含まれていますように」と祈るんだとの答。いや、それもやっぱ意味ないじゃん(と思っても言っちゃいけません)。
 コーランにも旧約聖書にも、人の行動はなかなか神様の思い通りになってないらしいことが書かれている。たしかに、自由意思を否定しちゃったら、いちいち神様が命令を与えない限りみんなが無為に生きてしまいそうで、となると幾分か人の自由を認めざるを得ないようである。けれども、人と神がそれぞれ意志を持つという考え方は異端として激しく排除された。そのへんの中途半端さが教義の分かりにくさの原因のひとつであり、「まー、いーから信じろ」とねじ伏せる必要が出て来るんだろうな。
    • good
    • 0

「唯物」と「観念」の話でしょうか?



例えば、あなたの目の前にお友達がいます。
「唯物」で考えると、目の前に友達がいる。だから、目の前の友達は確かに存在している。
「観念」で考えると、目の前に友達がいる。しかし、その友達はあなたが脳内で想像している幻かもしれない。
そして、あなたが作り出している幻である以上、実在するかどうかはあなたには確認の手段がない
といった考え方です。

これはかなり昔から様々な人たちが議論している事です。
「我思う、ゆえに我あり」
解釈に議論はあるようですが、「唯物」「観念」の話題では必ず登場します。

あなたが仰りたいことは、
「自分で考えて行動しているつもりでも、目の前の世界の出来事はあなた自身がすでに作り上げているもので、
 あなたの行動自体が既にあなたの作り出したことでしかない」
という事でしょうか?

この話があなたの質問と合致するならば、私も以前はよく考えました。
「目の前で使っているパソコンも私が作り出した幻で、あなたの質問も私の幻。
その幻の質問への回答を書いて、ベストアンサーをもらう事も既に決まっている。
何分後でしょうか?もしかしたら明日でしょうか?
予想が外れたら、予想が外れることも既に決定済み。
自分が作り出した幻は結構ハラハラさせるじゃん、と一人でニヤリ!」

この考えの行きつく先は、「自分は何者なのか?意識だけの存在なのか」ということではないでしょうか?
それ故、「我思う、ゆえに我あり」という考えに戻ってしまいます。

「観念」で考えると私の人生は素晴らしい事になっているはずです。
しかし、私は自分の人生に不満たらたらです。
作り出す幻に遊び心がありすぎるのでしょうか?
それとも、思い通りに行かない事から自分が作り出した幻ではないと既に証明されているのでしょうか?
永遠のテーマかもしれませんね。
    • good
    • 1

決まっている生涯を全うして何が楽しいの!?・・



進化論では そういった事(精神面)は記す事が出来ない・・

人間って 肉体だけで無く 精神(心)があるのです・・


そして・・大まかにも 細かにも 決められて無いから 人が人を傷つける事もあるし和解する事も出来る

勿論 愛しあう事も 憎しむ事も・・・
    • good
    • 0

『ラプラスの悪魔』ですかね。

ある時点での全宇宙の物質の状態を寸分漏らさず知ることができたならその次の瞬間もわかり、それを繰り返せば宇宙の最後まで予想できるはず。また、逆方向にたどれば宇宙の開闢まで遡れるはずという考え方です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます!
ラプラスの悪魔、初めて聞きました
多分私の考えてることと少し違うんですけど、近いかもしれません…
これはつまり、宇宙の明日や明後日はもう既に決まっているということでしょうか。
もしそれと同じように、人の行動も既に決まっているのなら、多分これに物凄く近いです
調べてみたいと思います!
ありがとうございます

お礼日時:2015/08/25 20:01

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!