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戦前に食べていた麦ごはんについて質問です。

私の母は戦前生まれなのですが、農村生まれのためか大人になるまでは、麦ごはんをずっと食べていたそうです。
母の中の麦ごはんの思い出は、
「とにかく臭い」
「農村生まれなのに、弁当に麦ごはんが入っているのが恥ずかしく、弁当を隠しながら食べるか、白米の部分だけを食べていた」
というものです。

私は昔の事が好きで色々興味を持っており、どれほどのものか試してみたくなり
「麦飯」を購入してみました。
始めての人は、説明書きに「麦1割、白米9割」で食べて下さい、とありましたが、
いきなり「麦3割、白米7割」に挑戦してみました。
母が言っていたのと同じく、先に白米を洗い、次に大麦を洗い投入して炊き上げました。

かなりの臭さと不味さを覚悟していたのですが、
「あれ?確かに独特の臭いは少しあるけど、思っていたより全然臭くない…。
食べてみても、結構おいしいじゃないか。」
という感想でした。
麦は上に浮くので、麦の部分だけでも食べてみたのですが(いわゆる麦飯状態)、食感は噛みにくく飲み込むのに時間は少しかかりますが、別に不味くはないという感想です。
正直、拍子抜けしてしまいました。

そこで、麦ごはんについてよくご存知の方や、昔から麦ごはんを食べていた方に質問です。

1、昔の麦ごはんと現在購入できる麦ごはん(麦飯)は、そもそも品種とか色々な物が違うのでしょうか?
ちなみに、私が購入したのは六条大麦の麦飯です。

2、母のように、麦ごはんが弁当に入っていて恥ずかしかったという思い出はありますか?
そういえば、母だけでなく、大正4年生まれの祖母もやはり恥ずかしかったと言っていた記憶があります。

3、現在でも健康の為に麦ごはんを食べている方もおられると思いますが、どのような感想をお持ちですか?
やはり、臭いとか不味いとか多少は思いながら食べていますか?
だとしたら、私の感性がちょっとおかしいのかな…、とも思います。

4、戦前は、白米のみを食べていた人や軍人(陸軍)は、ビタミンB1不足のため、脚気患者が多く出たと本で読みました。
しかし、大麦の栄養価を調べると、食物繊維は確かに多く含まれているのですが、ビタミン類はほとんど含まれていないように思え、むしろ、玄米の方が多いと思うのです。
本当に、戦前の人の一部では麦ごはんを食べなかった事で脚気になっていたのでしょうか?
現代人は、麦ごはんなど基本的には食べませんが、なぜ脚気にならないのかも不思議です。
副食が多いからでしょうか?
脚気などは昔々の病気のように思うのですが…。

以上、長々と申し訳ありません。
お分かりになる質問だけでも結構ですので、ご教示頂ければ幸いです。

A 回答 (7件)

わかるところだけ。



1、基本的には現在と同じ六条大麦の押し麦が使われていたはずです。ただし、農家の自家製だとただの押し麦ではなくただの麦(を割ったもの)だった可能性がありますし、精麦自体も中途半端だった可能性はありますね。だからまずかったんじゃないかと。

2、うちの母親の話では、やはり弁当箱の蓋で隠して食べたとのこと。白米を食べられないこと=貧乏という考え方が強かったようです。ましてや農家であれば小作、貧農というイメージだったんでしょうね。

3、好きではありません。においが気になったことはありませんが、どうしてもパサパサ感があります。

4、脚気の原因はビタミンB1の欠乏と言われます。一般的な精白米と押し麦を比較すると約3倍大麦のほうの含有量が多いのは間違いないですね。確かに玄米でもビタミンB1は補えると思いますが、炊き方にひと手間かかってしまうこと、握り飯が作りにくいことなど、軍用食としてはあんまり向いていなかったではないでしょうか。
 なお、明治期には年間数千から1万人程度がなくなっていたという資料があります。また日露戦役で麦飯を採用した海軍では脚気による死者がほぼゼロ、採用しなかった陸軍では数千人の死者を出したという事実によって、脚気には麦飯が有効であることは証明されています。
 ということから、脚気は国民病の一つだった、日露戦役で麦飯を採用した海軍は被害を防げたというのは事実としてありますね。麦飯を食べないのが原因なのか、麦飯が一番有効な対策であったのかは議論の分かれるところかなと思います。
 現代で麦飯を食べないでも脚気になりにくいのは、当時と比べて副食の量が桁違いに多いからでしょう。兵隊の一日あたりの定量が米と麦で850g程度に対し野菜は100gちょっとですので、どう考えてもビタミン不足になるのは当然のように思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
皆様のご回答を拝読して、麦ごはんひとつとってみても奥が深い事に驚きました。
とても勉強になりました。

お礼日時:2015/08/24 22:01

私は好きです。


 子供の頃、麦ご飯が楽しみで、外で遊んでいる兄弟を呼びに行くとき『今日は麦ご飯だよ~』と大声で呼んだら、顔を真っ赤にした母が、「それは止めてくれ」と・・・
 白米は換金作物でしたから、農家でもなかなか白米のご飯は食べれませんでした。日本は長く、白米信仰が強く、「江戸わずらい」--いわゆる脚気で多くの人が命を落としています。和宮も脚気で亡くなっていますね。
 森鴎外への批判は良く知られています。
森鴎外 - Wikipedia( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E9%B4%8E … )

 玄米に比較したら大麦は栄養価は落ちる面もありますが、玄米は調理が大変難しくて手軽に食べるわけには行きません。
 麦飯の健康効果は
麦飯 - Wikipedia( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%A6%E9%A3%AF … )
脚気 - Wikipedia( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%9A%E6%B0%97 )

>先に白米を洗い、次に大麦を洗い投入して炊き上げました。
 麦だけ先に炊いてから加える方が一般的でしょう。

>現代人は、麦ごはんなど基本的には食べませんが、なぜ脚気にならないのかも不思議です。
 学校給食では、ご飯にビタミンB1などを強化した学校給食用強化米を混ぜて炊かれています。だから学校給食である限り栄養が原因で病気になる事はまずありません。

>脚気などは昔々の病気のように思うのですが…。
 つい最近・・・明治時代の末までは一般的な病気で日本人の死亡原因の上位にありました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
皆様のご回答を拝読して、麦ごはんひとつとってみても奥が深い事に驚きました。
とても勉強になりました。

お礼日時:2015/08/28 18:42

「貧乏人は麦を食え」発言。


by 池田勇人、1950年当時大蔵大臣。(1960~1964年に総理大臣)
http://showa.mainichi.jp/news/1950/12/post-e58e. …

正確には、「所得の少ない人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような経済の原則に沿ったほうへ持っていきたい」という国会答弁。

日本人は大昔から米を食べてきたとされていますが、歴史上、米を100%自給できるようになったのは1964年のことです。それまでは相当量の大麦と外米(臭いといわれた)や、キビ、アワ、ヒエ、コウリャンなどの雑穀が多く食べられていました。

戦前から白米だけを食べていたのは、都市部の勤め人(給与所得者)などある程度以上の生活水準の人だけではないでしょうか。

麦や雑穀は貧乏人の食うものというのは、何も戦前の昔話ではないということです。今や雑穀は米より相当割高ですけど。


麦飯が「くさい」というのは、炊き立ての「白米の香り」との比較の問題ではないかと思います。麦特有のにおいはありますが、決して「悪臭」などではありません。

大麦の品種としては、東日本に多い「六条オオムギ」(小粒・寒冷地向き)、西日本に多い「ハダカムギ」(大粒・温暖地向き)、「二条オオムギ」(ビール大麦)などがあります。
「六条オオムギ」と「ハダカムギ」を食べ比べたことはないので、味や香り、食感などの違いは知りません。


白米食でビタミンB1が不足して脚気になるのは、昔から江戸詰めの武士の病として知られていました。文化文政時代には町人にも広まったそうです。1人1日5合もの白米を食べたと言います。多量の白米に少量の副菜では、栄養が偏るのも当然です。
ビタミンB1は、麦がなければ蕎麦でも補えます。蕎麦は寒冷地や痩せた土地でもよく育ちますから。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
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お礼日時:2015/08/28 18:42

実家が疎開先で借家暮らしでしたので、


小学生の頃は麦入りでした。
朝は茶粥で残り物は茶粥に投入でした。
現在のだと受け入れられやすく作っていると思いますので、
その分栄養価も低いと思います。
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皆様のご回答を拝読して、麦ごはんひとつとってみても奥が深い事に驚きました。
とても勉強になりました。

お礼日時:2015/08/24 22:01

麦ごはんの弁当が恥ずかしいなどと云うのは農村で豊かであったことが原因です。


戦中戦後では、ほとんどの人は麦ごはんがあるだけで大変ごちそうでした。
普通は芋やひえ、あわごはんでした。
最近、売られていているものは、混合比率が違うことと、健康志向を考慮し、改良を重ねたものです。
「おしん」や「ホタルの墓」での食べ物は本当のことです。
食べるものがなかったのです。(経験者)
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ご回答ありがとうございます。
皆様のご回答を拝読して、麦ごはんひとつとってみても奥が深い事に驚きました。
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お礼日時:2015/08/24 22:00

1回だけなら食べられますよ、1月3食続けてごらん、嫌になるから

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
皆様のご回答を拝読して、麦ごはんひとつとってみても奥が深い事に驚きました。
とても勉強になりました。

お礼日時:2015/08/24 22:00

戦前とか終戦直後は、ろくな肥料もないような状態だったので


単位面積当たりの米の収穫量がとても少なかったし、国策で
兄弟の人数が5~8人が当たり前の時代でした。
なので、裕福な所以外は安価な大麦を混ぜ「嵩増やし」が一般的で
現在=健康志向とは事情がかなり異なっていました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%A6%E9%A3%AF

我が家は、3世代8人家族だったので昭和50年頃まで「麦ご飯」を
食べていました。親戚から米を分けてもらっても足らず
「嵩増やし」で安価な大麦を2割ほど入れていましたね。

1.当時は押し麦と言われていた記憶です。
 白米だけよりパサパサ、モサモサしていて黒い筋が
 気になりましたが、比べなければまずいと思わなかった。
 食べ比べれば、当然白米だけのほうがおいしかったですね。

2.遠足や運動会の時は、白米でしたね。麦ご飯=貧乏の象徴
 というイメージが強かったから。

3.現在のような健康志向の時代でも、雑穀や五穀米
 大麦も不味いと売れませんから当時とは品質も栄養価も
 かなり違うと思います。

4.ビタミンB群は、元々食べ物に含まれる量がごく微量で
 現在なら副食で摂取している量のほうが多いと思う。
(カップめんなどはカルシウムとビタミンB類は必須に近い)
 また、精米機によっては5~7,8分づきが選べて、精白米に
 比べれば胚芽が残せるので。田舎だとコイン精米機も多いです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
皆様のご回答を拝読して、麦ごはんひとつとってみても奥が深い事に驚きました。
とても勉強になりました。

お礼日時:2015/08/24 22:00

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