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日本語の初心者です。どうぞよろしくお願いします。

句末の「動詞+て」は、大抵の場合、「動詞+てください」などの略だと思っています。
例えば、「見せて」、「頑張って」、「教えて」は皆そうでしょう。
ですが、下記の句の場合はそうではないと思うんです。

「皆様の健康増進の一助となることを願って。」

この「願って」は、「願っています」/「願っております」の略なのでしょうか。
また、このような言い方は普通でしょうか。

どうか教えてください。

A 回答 (5件)

「皆様の健康増進の一助となることを願って。

」の「願って」は、「います/おります」の略で問題ないです。
そして、その言い方は普通ですが主に書き言葉(文章)に使われる表現です。話し言葉(口語・会話)に対しては普段はあまり使われず、普通ではないでしょう。

口語上の句末の「動詞+て」は、主に「動詞+てください」などの要求・命令の表現の略と考えて大丈夫です。
主に「動作動詞+てください」の形だと略されますね。
ちなみに、あなたが例に出した「見せる」「頑張る」「教える」は全て動作動詞です。他には「読む」(読んで)、「する」(して)、「行く」(行って)、「分かる/理解する」(分かって/理解して)など、動作動詞はたくさんあります。

願う/望む…などの願望・思考動詞が、文章の句末で「動詞+て」で使われる場合には「動詞+ています/おります」が略されることが多く、「願ってください」など「ください」の略ではなくなります。
「ください」の要求・命令ではなく、「います」の丁寧語の略になります。
そしてその略は、
「〔主語が〕〔物/人に〕〔何かを〕〔することを〕〔願って/望んで〕(います)」という形で使われます。
今回は「〔主語が〕〔皆様に〕〔一助を〕〔与えることを〕〔願って〕」、と解釈できるので、語尾の略は「います/おります」であると考えることができます。

思考・願望動詞が「いる/います」を文章上で省略できる一方、動作動詞は「いる/います」の省略ができません。
なぜなら動作動詞の「いる/います」は現在進行形を意味しますから、その現在進行形を意味する「いる/います」が欠けては違和感のある文になるからです。
なぜ願望動詞の「いる/います」の語尾が略できるのか?
文を部分的に略すと言葉に含みを持たせたり余韻を残せたりして、印象的になります。願望はある意味、その人の考えの方針です。つまり大切な願望を敢えて最後まで言わないことで印象に残したい、と頻繁に略が使われた結果、違和感が薄れるようになったのではないでしょうか?
そういった印象に残したい時に使われるので詩や広告などの書き言葉によく使われます。


なお、文章上と口語上の両方で「動作動詞+て」のほとんどが「動詞+てください」と考えていいです。「動作動詞+て」は命令形に近いですね。しかし「見せろ」「教えろ」よりは「見せて」「教えて」の方が意味が弱いです。言い方が柔らかくなります。

つまり、文章上では
「願望動詞+て」→「〜いる/います/おります」〈語尾の略〉
「動作動詞+て」→「〜ください/くれ」〈弱い命令の語尾の略〉
と解釈してください。
ちなみに会話(口語)では口調によって意味合いが変わるので難しいと思いますが、頑張ってください。
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この回答へのお礼

詳しいご回答を頂き、誠にありがとうございました。

お礼日時:2016/10/31 07:58

NO3


訂正します、助動詞ではなく 助詞です。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2016/10/31 07:57

「皆様の健康増進の一助となることを願って。



この「て」は、【1 ある動作・作用から、次の動作・作用へと推移・連続する意を表す。「学校に行っ―勉強する」「着替えをすませ―寝る」】という用法の格助詞です。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/148945/m1u/ …
上記辞書の例文の場合、
「学校に行って勉強する」⇒「勉強する。学校に行って。」
「着替えをすませて寝る」⇒「寝る。着替えをすませて。」
のように言い換えることができます。
これを「倒置法」と言いますが、語勢を強めたり、語調をととのえたりするために用いる方法です。
ご質問のケースも、たとえば、
「それでは、乾杯いたしましょう。皆様の健康増進の一助となることを願って。」
のような倒置法の文章が想定可能です。
元々は、
「皆様の健康増進の一助となることを願って、それでは、乾杯いたしましょう。」
という文ですが、「皆様の健康増進の一助となることを願って」という部分を強調的に語勢を強めて言いたい場合、このような表現方法をとります。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2016/10/31 07:56

句末に限る必要ありません


「て」助動詞、確定の順接/動作や作用の継続/並立/補助の関係/を示す。
お示しの場合は、願いつつ、願ながら、願を込めて、(乾杯、この話を終えます、他)、継続/並立/補助となります。
実際におおくの日本語表現を聞いたうえで、たまに文法の本を開くと、整理できます、注 文法から先に・・はダメです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2016/10/31 07:57

会話や口語で、発声の末に「………(動詞)て。

」としている場合、
多くは(依頼、督促、管掌、命令)の意味で、「………(動詞)て(ね)。」………(動詞)て(よ)。」「………(動詞)て(ください)。」「………(動詞)て(ちょうだい)。」「………(動詞)て(くれ)。」の類の後半省略だと思います。

で、「て」は(接続助詞)という場合もあって、その後に別の動詞を使用する句が続くケースも多いです。その場合、日本語では(言わなくてもわかるだろう!)というときには、その動詞を使う文章そのものを省略することも結構あります。
例:「皆様の健康増進の一助となることを願って、皆様に楽しんでいただけるパフォーマンスを私たちのグループで今から始めます。Let's Go!」⇒「皆様の健康増進の一助となることを願って!」⇒「皆様の健康を願って!」 このようなケースでは、「願って」は「願っています」/「願っております」の省略ではなくて、「願って、(………)」の(………)の長い一文が省略されているのだと思います。 
「皆様のご健勝を祈念して」で終われば、(乾杯!)が続くと予想出来ます。これを「皆様のご健勝を祈念して(います)」の(います)の省略と考えるのは違うと思います。(乾杯!)を述べるための、前置きのような枕ことばが「皆様のご健勝を祈念して」の句だと思います。

また、「みんなは私を切り捨てて」で終われば、(自分たちだけで………してしまった)などが続いていているのだろうが、(………)の具体的内容はドウデモよくて、「みんなは私を切り捨てて」で自分の感情(詠嘆、苦しみ、哀しみ、恨み)などを表現しているのだと思います。 自分になされた行為などを表現する句の末尾が「て」で終わった場合には、そうした感情の高ぶりを表現するものが多いと思います。「て」の後に何かが省略されていると考えるよりも、それ(「………て」)で完全な文と考えておくのがイイと思います。例:「私をバカにして」「騙しやがって」
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2016/10/31 07:58

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