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中国ドキュメンタリー『1937 南京記憶』というものが何話かにわけて流れていましたが、
南京大虐殺についてということですが、


日本軍兵士の証言がひとつもないというのは、どういうことでしょうか?

もしも、本当にしていたとするなら、いくら日本が言論統制をしていたとしても、どこかから漏れてきてしまいます。


ましてや、言論統制などないのですが、それでもその証言は出てこないわけです。


中国側の意見ばかり、出ていて偏ったものに映りました。


ニコニコ生放送にて流れていたものですが、その中にはコメント群からも中国語の方のコメントも多く寄せられてきていましたが、呆れたようなコメントも結構ありました。

支持するようなコメントは、少なかったです。


その中には、中国人はゆっくりと嘘を吐くのだということを中国語で書いている人もいました。


やはり、南京大虐殺というのは作り話だったのでしょうか?

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A 回答 (16件中1~10件)

はい、様々な証拠や状況証拠が挙がっています。

今度検証されるそうですが、でも日本が舐めてかかると捏造が勝利する可能性もあります。外国の裁判では証拠などあまり役に立ちませんからね。
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テレビはマッチポンプ



犯人が放火して消防士が消す。
放火犯と消防隊員をテレビは一人でやっています。

だから楽しいのです。視聴率が上がって
デレクターの給料が上がり
デレクターの家族は収入が増えて喜びます。

新聞は嘘書いて不安を煽る。
南京大虐殺があった。

新聞は嘘書いて不安を収める。
南京大虐殺はなかった。

テレビは視聴率が上がる。=デレクターは出世できる。

テレビは二回儲かります。
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最近、中国の歴史教科書が変わりつつあるのだという。

経済発展を遂げてようやく、中国共産党の主導してきた「反帝国主義闘争の歴史」が世界標準ではないことに気づいたというわけだ。しかし、全く変わっていない記述がある。捏造資料にもとづいた反日史観である。

「731部隊の人間細菌実験」「南京の百人斬り」など、日本ではすでに間違いであると証明されている写真がたくさん使われているのである。

甚だしくは「東史郎」を写真とともに紹介し、英雄扱いしていることだ。「東史郎は当時南京大虐殺に参加した日本の老兵である。彼は、歴史の真実を世に知らしめるため、侵略戦争時期の日記を発表した」と説明しているが、彼は、その日記をめぐって元上官から名誉毀損で提訴され、2000年、日本の最高裁で敗訴している人物だ。

中国の歴史教科書は、その歴史観を変えても日本に対する記述だけは変わることがない。それは、唯一、中国共産党の正統性の根拠となる歴史だからである。

抗日戦争に関する限り、捏造された歴史は全く変わっていないのである。
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戦場の証言は一杯あるのですがどこまでが真実でどこまでがウソか分かりにくいため、なんとも言えない部分が多い状況なのです。

世界に訴えるため中国人がウソの写真を使ったと疑われるものも多数ありますが、米国人やドイツ人の報道、報告や著書も多く残されており、作り話とまで言うのは無理と思われます。ただしどちらかに肩入れしていると疑われるため百%信用出来ません。

ただ、中国軍も日本軍も軍隊のレベルはそれぞれに低かったのです。
日本軍の失敗は万国公法(軍法会議、裁判)に則って正々堂々と捕虜を扱わず、「捕囚の辱めを受けず」を敵兵にも当てはめて勝手に殺してしまったことです。また新聞では日本刀で捕虜を何人切ったというような記事を載せて戦意を煽ったりしました。
中国軍では大将が先に逃げ出し、兵数などのデータをきちんと残さなかったようですし、一部の正規兵は民間人に化けて逃げたりしたようです。日本軍は民間人に化けた兵士を捜し出しては正規兵ではないと判断して殺したようです。
混乱した状況の中で具体的な数値がないままに30万人殺されたなどと中国に言われるまでになりました。不正確な話しが多いと言うのが実体です。学者が調べても正確な死者数もはっきりしていません。広島市の原爆投下による死者数のように精度の良い議論は出来ません。ただし「全部ウソ」と言い切るのは無理かも知れません。
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オーストラリア人記者のハロルド・ティンパリー。

その正体は、日中戦争勃発後の39年に中国国民党宣伝機関の英国支部で責任者だったことが、台北市にある国民党の党史館に残る史料で明らかになった。

ティンパリーはいつの時点で国民党のエージェントになったのか。
 米コーネル大図書館の史料からは、ティンパリーが日中戦争初期の段階から、宣伝工作に関与していた実態が浮かぶ。

 国民政府が37年11月に漢口(湖北省)に移転する前、ティンパリーは、中国・国民政府のトップである蒋介石夫妻の私的顧問だった同じオーストラリア人ジャーナリストのウィリアム・ヘンリー・ドナルドから宣伝工作に参加するよう勧誘された。
 いったんは断ったが、国民政府側に宣伝工作の監督や調整への関与を自ら働きかけ、国民政府の元財政部長、宋子文から月額1000ドルを受け取ることで合意した。
国際宣伝処長だった曽虚白は、自伝で次のように記している。
 「われわれは漢口で秘密裏にティンパリーと長時間協議し国際宣伝処の初期の海外宣伝計画を決定した」
 「目下の国際宣伝では中国人は絶対に顔を出すべきでなく、国際友人を探して代弁者になってもらわなければならないと決めた」

「手始めに、金を使ってティンパリーに依頼し、南京大虐殺の目撃記録として本を書いてもらい発行することを決めた」

 国際宣伝処は同書を反日世論工作のための「宣伝本」として位置づけ、中国語版『外人目睹中之日軍暴行』を出した。他にもニューヨーク、日本、コペンハーゲン、パリでもそれぞれの言語で出版された。英米版は12万冊出版されたという。

ティンパリー自身は当時、上海にいた。執筆材料としたのは、南京にとどまっていた匿名の欧米人や南京安全区国際委員会の報告で、それらをまとめ、「編著」の形をとった。後に分担執筆者の一人と判明した米国人、マイナー・ベイツは国民政府の「顧問」でもあった。

同書は、南京大虐殺をいち早く世界に広めた本だといわれ、連合国による戦争裁判にも影響を与えたと指摘されている。
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最初にお断りしますが、私は安保法制賛成であり、愚かな日本人ではありません。



回答:いわゆる南京事件は、昭和12年12月13日に当時の中国の首都だった南京が陥落してから以後約2か月にわたって非戦闘員に対する大規模な殺戮行為があったというものですが、当時の状況証拠からみて、私は南京事件は起きていたと判断します。但し、日本軍が殺戮した正確な人数はわからない、というのが正しいと思います。また、総崩れとなった中国軍の略奪行為などもあったと思いますが、たいした数字にはならないと思います。
 戦後生まれで、当時の状況証拠を見てこのように判断できない日本人は愚かなバカ者だと思います。

判断根拠は、以下のとおりです。
1.戦争体験は被害者や犠牲者の証言しか残らない。
 8月に放送された戦後70年特集でもわかるように、戦争を知らない我々に語られる戦争体験は被害者や犠牲者の視点ばかりでうんざりしますが、その記憶内容はだいたい正しいと思います。ここから類推すると、東京裁判までに中国側が言っている殺戮内容は正しいものが多いと判断できます。共産党政権になって以後の中国側の話は、怪しいと思います。
2.南京陥落に関わった最前線の指導者たちは、軍規もへったくれもない最低野郎
 彼らは、昭和天皇の指示を無視して独断で南京攻略しており、後付けで日本からの指示を取り付けるなど、こんな軍隊指導者たちの言っていることは信用できない。また、当時、軍がやったことは組織的に隠ぺいされるのが常識であり、南京陥落後の敗残兵掃討や一般市民に紛れ込んだ兵の捜索などで、非戦闘員に対する残虐な殺戮行為があったことは、容易に想像できる。
3.虐殺したという日本兵の証言がないのは当然
 あなたの疑問も、まさにここにあると思います。しかし、想像してみてください、普通の日本人のあなたが徴兵されて南京事件に関わったとしたら、あなたはこの記憶をどうしますか?
 もう亡くなった叔父は、陸軍の軍曹として中国で戦争してきた人ですが、私が中学の時に何か雑談している時に、無邪気に「人を殺したの?」と聞いたことがあります。その時その場が凍り付いたようになって、叔父が悲しそうな顔をして「そりゃあ、戦争じゃけん。」と言ったきり、それ以上何も言わなかったことを鮮明に覚えています。これ以後、叔父が死ぬまで、叔父から中国での戦争体験を聞くことはありませんでした。
 話は変わりますが、アフリカから黒人を奴隷船に乗せて運んだ際に、死んだ黒人の数が何人になるのか正確な数は分からないそうです。「侵略の世界史」によると1500万人の黒人奴隷が新大陸に到達し、到達できずに死んだのは7500万人にもなるそうですが、他の研究ではもっと少ない数字もあります。なぜ、推計だけで正確な数字がないのか、それは被害者側はカウントできないし加害者はカウントしないからです。でも、こういう国家的な大規模な犯罪は、数字よりもその内容が問題だと思います。
4.蛇足
 先の大戦における非戦闘員への殺戮行為は、戦負国だけではなく戦勝国もやっていることであり、暗黙の国際ルールとして謝罪する必要は全くないと思いますが、無差別爆撃により大量殺戮するよりも生身の人間が生身の非戦闘員を殺戮する方が殺した側の罪の意識は大きくなると思いますし、犠牲者側の心の傷や憎しみも生身の兵隊から殺された記憶の方が大きくなると思います。
以上です。
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わたしは、城内の日常の証言を書いてみたいと思います。

(手記)

占領後最初の6週間の一時期を城内で過ごした元海軍第12航空隊の3等航空兵曹、原田要さん(98)はこう振り返った。

陥落後、城内の飛行場に降り立った原田さんの印象に残るのは、日本兵を相手に露店で商売を始めるなど日常の生活を営む住民らの姿だった。
この証言には重要なポイントがある。陥落後間もない城内では、すでに住民による露店が立っていたという点だ。

南京攻略戦で城内に残った住民らは一時、非武装中立地帯の「安全区」に逃げ込んだが、日がたつにつれ安全区から出てきて平穏さを取り戻している。

中国が喧伝する「南京大虐殺30万人説」が事実ならば、当時は城内で日本軍による住民への虐殺や暴行、強姦が繰り広げられていたはず。そんな阿鼻叫喚の現場で、和やかに敵兵相手に商売をすることがあり得るだろうか。

「敵兵は1人もおらず、城内はガランとして人影がなかった。100メートルほど行くと、1人の老婆が紙で作った手製の日の丸でわれわれを歓迎してくれた」(12年12月14日に入城し、すぐに城外で宿営した元陸軍第6師団歩兵第13連隊の伍長、古沢智氏)

「入城して2~3日後、住民の姿をみかけるようになり、時計の修理のため時計屋を訪れた」「3回ほどサイドカーで城内をくまなく見て回ったが、遺体や虐殺の痕跡は目にしなかった」(12月16日に入城した元陸軍第16師団の獣医少尉、稲垣清氏)

 「12月14日ごろには(城内に)散髪屋や立ち食いそば屋など、早くも住民が商売を始めていた」(安全区で掃討・警備を担当した元陸軍第9師団歩兵第7連隊の伍長、喜多留治氏)

日本兵を悩ませた「便衣兵」
 平穏を取り戻した城内でも、日本兵にとって掃討すべき〝脅威〟があった。民間人に偽装し、隠れ戦闘員として日本兵らを襲った中国の「便衣兵」だ。

 休暇で南京城の北を流れる長江(揚子江)の河畔に行ったとき、日本陸軍の兵士らがトラックに乗せてきた中国人の男10人ほどを銃剣で突いたりした。川の中に逃げ込んで撃たれたり、泣きながら命ごいしたりする男もいた。

 原田さんは言う。「虐殺と言われれば虐殺かもしれない。でも便衣兵はゲリラだ。日本兵がやられる可能性もあった」

出征先で仲間と歩いていて、怪しい中国人の男を呼び止めた。男は便衣兵だった。走りながら腋の下から銃口を向け、仲間が撃たれて負傷した-。

「ギャクサツヲ禁ズ」
軍には厳しい規律があったという数々の証言もある。
「十月五日 大隊長注意 リャクダツ、ザンサツ禁ズ」
「上官も厳しかったし、軍紀も厳しかった。自分勝手は許されなかった」。
「連隊注意 一、現在地付近ハ住民居存有ルニ付キギャクサツヲ禁ズ…」と記されている。
 
中国は、世界に向けてねつ造南京大虐殺を発信(特にアメリカです。教科書に乗せている州もあります。30万人)していますが、今では、ねつ造が定説に安っています。
日本は、政府・一般を挙げてねつ造だと世界へ発信しなくてはなりません(重要です)
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やはり、南京大虐殺というのは作り話だったのでしょうか?



↓のどの南京虐殺なのか不明です。

1:1913年に張勲軍が南京に乱入し、城内の民間人に対して虐殺、強姦、略奪を行った事件

2:1927年に国民党の国民軍が騙し討ちのような形態で南京に入り込み、城内で虐殺、強姦、略奪を行った事件。

3:1937年に南京に陣取った国民党軍が、日本軍が来るからと城内で虐殺、強姦、略奪を行った事件。

4:3は国民党ではなく日本軍がやったと中国が言っている案件

5:1949年に中共軍が南京を制圧し、資本家らを襲い虐殺、強姦、略奪を行った事件。


質問の主旨が4についてなら、そうだと思います。


↑の動画(2:20)では当時の中国が主張する虐殺被害者は2万人でしたが、それすら国際連盟は無視しています。



このような質問は過去にもありましたが、「肯定派」が虐殺の証拠を出した事はありません。

誤解している方が多いようですが、
「否定派」の資料を否定しても、虐殺があったことにはなりません。

これらのことは、裁判や議論では【告発側の立証責任】(告発側が被告の有罪や事実である証拠を出す義務がある)として常識となっています。

このようになっているのは、無実の証明は不可能とされているからです。
(何も無かったなら、起らなかったという証拠自体も発生せず、「何もなかった」という記録をする必要もない)
これは【悪魔の証明】とも言われています。


そもそも訴えられたという理由だけで、被告が苦労して潔白の証明をしなければならないとしたら、原告は被告を疲労させる目的で訴訟を乱発させることができます。
そして被告は無実を証明できても、現状を維持できるだけで、何の利益も得られません。
(賠償金を求めるには、自分がその為の訴訟を起こさなければなりません)



以上から、被告は無実の証明をする義務はなく、原告の証拠を否定できさえすれば無罪とされています。
そして、極論すれば、すべての裁判における無罪とは
「証拠不十分」(=やったかやっていないかわからない)→「推定無罪」にすぎません。
《しかし、原告の目的(勝利条件)は「被告を有罪にすること」なので、原告の負けに変わりはありません》



以上から、「肯定派」の目的が「虐殺があった」ことを認めさせることなら、「虐殺があった」証明をする必要があります。
「否定派」の資料を否定しても「虐殺があったかなかったかわからない」という状態になるだけで、虐殺の証明にはなりません。

これらの事を理解していないと、彼らの屁理屈に振り回されるだけです。
「南京大虐殺というのは作り話だったのでしょ」の回答画像10
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「徹 底した史料の読解によって、南京事件の真実を明らかにします」


「否定派の解釈の誤りと、捏造のすべてを明るみにだします」

http://www.nextftp.com/tarari/index.htm

これで充分でしょう。
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確実に捏造です。


捏造であるという根拠

その1
当時の南京の人口は20万人、30万人がそもそもいない。

その2
当時も各国の新聞記者はいた。それほどの大虐殺なら
世界のトップニュースなのでヨーロッパでも
アメリカでも記事になっているはずだが
なにも報道がない。
当時南京にいたという現存する新外国人記者に聞いても
そのような情報は得たことがないという証言がある。

その3
証拠写真は影の方向や持ち物などからすべて偽造・合成写真と
いうことが判明している。
またこれらの写真の出処がすべて不明である。

その4
当時南京にた軍人、記者、写真家ら日本人生存者48人にインタビューしたところ
虐殺を見た、聞いたという人は一人もいない。

その5
南京陥落時、恐れから南京を
脱出した中国人も多かった、しかし、舞い戻って日本の兵隊と商売をした
中国人がいた。この人は上記を数十年前に証言している。
虐殺が行われているとしたらそんな南京に戻るはずもないし、
まして商売などできようもない。

その6
陥落の日(12月3日)から2ヶ月で虐殺されたと記念館にはあるが
すると毎日5000人が殺されたことになる。
その遺体はどうしたのだろう?
毎日5000人の遺体の処分ができようはずもない。

その7
死体の腐臭はすさまじい、ナチスでは焼却炉を用意して
処理したが南京には当時もその後も毎日5000人を処理できる
焼却炉はない。

まだ探せばあるが、上記7つで南京大虐殺が架空の出来事だという
論拠には十分であろう。

中国政府では終戦当時犠牲者の数は
320万人といった。(これも虚偽の疑いは大いにある)
数年後570万人といっている。
それが共産党政権になったときには2168万人という発表があった。
そして終戦50年目、江沢民のときには3500万人になっている。
この不思議を日本人のキャスターが精華大学の教授に問い詰めたことがあった。
精華大学といえば、日本の東大京大に匹敵する大学である。
そこの教授がこう回答した。
「犠牲者の数は中国人民の日本人に対する感情に比例する」と。
このインタビューは文芸春秋で文章に起こしてある。

要するに、中国という国にとって
犠牲者の数や事件は政治的に利用するためのものであり
事実や歴史を大事にするという考えはないのである。
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