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最近、若者の恋愛離れ、結婚離れが進んでいるといいますよね。

恋愛もするのも結婚をするのも本人の自由だとは思うのですが、
どうして若者を中心に恋愛、結婚に興味が向かなくなってしまっているのでしょうか?

ネット等、楽しめる娯楽があるから?仕事が忙しいから?好みの異性がいないから?
考えられる原因をあなたなりに教えてください!

よろしくお願いします。

A 回答 (7件)

まず結婚と育児に対する世間の風が毎年冷たくなっていることですね。


少子化の原因もそうですが、少しぐずっただけでにらむ人の多いこと多いこと。
あんたらも小さいころはぐずったけど周りの大人に寛容に見てもらっておいてて、自分が大人になったらこれっっぽっちも許さないなんてろくでなしで人でなしだと言いたいよね。
だから少子化も進むし経済も小さくなるし年金も生活も苦しくなる一方だよ。

次にやっぱり少子化で小さいころに同年代とコミュニケーションをとる機会が格段に減ったこと。
過保護で外に出さない遊ばせない、大人と接点を持たせないのもあるけどね。
核家族化により上の世代の家族と過ごすこともなくなった。
子どもは経験と失敗から成長するので、コミュニケーションの経験が少なければやはり育たない。
大人になって取り戻そうとしても一番成長する期間を幼いころに終えてしまってるのでなかなか取り戻せないし一定レベル以上にならない。
これを保育や教育では「臨界期」と呼びます。
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理由はたくさんあるでしょうけど、昔より娯楽が圧倒的に多いし、スマホで誰とでも繋がれるから、恋愛に割く時間が少ないのでしょうね。

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これは現代の社会問題かもしれませんね、少子化・都市一極集中、ブラック企業蔓延・過疎化と高齢化の一体亢進、等々の根本に隠れている何か、という遠因があっての事では無いか、と心配しています。


時代が違いすぎるでしょうが、私達の青年時代に先輩が勧めてくりた事、それは女性問題は失敗が一番、それが一人前になる近道(!)であり、出会いとは出会い頭の事だ、取り敢えず付き合ってしまえ、という乱暴なものでした。
実際は様々な障壁があって、そんな思い切った行動は取れない時代にですよ。
自分が歳を重ねて、色々な事情で難渋している男女の仲を取り持つ(仲人も含めて)様になり、その数60を越しました。
そこから感じ取れる事について、少し提案をしてみたいと思い、キーを叩いています。
現代には溢れかえる情報の波、至る所に待ち構える奸計、何にも勝るネットという機能によって、早く・安く・自由に飛び交う様々なドラマ、若い男女に処理しかねるトラブル、そういうネガティブな情報公害が少々の危険は栄養、等という乱暴な意見等出る幕も無く消し去ったのでしょう。
しかし、人を愛するという事は何にも勝る純粋な感情です、そうして苦しみをも与えてくれます、テクニックとは異なる何かを要求される舞台です。
これ一本という名案は有りません、我が昭和世代からお薦めするのは古今の恋愛名作に親しむ事、これは間違いなく色々な事を教えてくれます、勿論ハウツー指導書ではない文学的なものが良いでしょう、何種かを読み比べてみると何かが判ると思います。
人は愚かです、しかし考える葦です、古くさい話を持ち出してご免なさい、試しにでいいから古典に目を向けてみて下さい。
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セクハラやストーキングという概念が世間に広がったからではないでしょうか?


異性へのアプローチをしくじり不快感や恐怖感といったマイナスな感情を抱かれたら、たちまち犯罪者扱いで社会的な信用を失います。
不器用な人は怖くて異性と関われません。
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いろいろと理由はあると思いますが…最近思ったのは「親子の仲」です。



良すぎるんじゃないかと。
親子仲…特に親ですね…が、親密すぎるんじゃないかと思います。
特に母親と息子ね。

私の子供時代でも、親は子を可愛がりました。
それは当たり前のことなんですけど…ただ、私らは親から「放任」されていたところがあるんですね。
自主性というか、勝手に遊んできなさい…だけど他所様に迷惑かけたら殴りますよ!暗くなって帰ってきたら家に入れないですよ!という具合で。
個々の自主性が大事にされていて、それは「子供でも出来るでしょ?それくらいのことは」という「スーダラ精神」が未だ生きていたからです。

現在と昔を同一には比較できないのですけど…そういった関係性の中で「親子関係」が構築されてきた。
友達と親とを比較して、時に友達の方に加担したり、貫き通そうとしたところがありました。
つまり「自分たちの社会」というものが、重かったんですよね。
そんな環境だったから…どこか他人との間の境目が「緩かった」ところがあるんです。
「いじめ」に関しても同じで、だからこそ大人になってから、子供時代のことを許し許された…もっと言えば「仲間」だと言い切れる下地ができていたんだと思います。

現在はどうでしょうか?。
何らかのトラブルが起きたとして、逃げこむ先として存在するのは「家族」しかないんじゃないか?。
他人を真に信用するということをマスターできないままに育ってしまったから、還るべき場所といえば血族しか無い…そういう環境だからこそ、尚更に親は子供を囲うようになってしまったんじゃないかと思うのです。

恋愛なんてある意味「賭け」ですし、結果について満点だったということなんて、ほんの僅かでしかありません。
殆どは泣くか、怒るか、諦めるか、詰るか、恨むか…です。
恋愛は理不尽の塊です…しかしそれでも、人は人しか愛せません。
だから「他人を根拠なく信じられること」を経過してこないと、恋愛そのものが「聖域」になってしまい、したがって現実味を消失していきます。
理想像ばかりを追いかけてしまうようになるのです。

理想だから、満足なんてありえないのです。
どんなに親密に関係性を持とうとも、そこに恋愛の「転結」なんてありません。
あるのは「理想と違った」という形での「結論」であり「説明書とは違っていたから失敗したんだ」という、誤った理解です。

親が子供を囲い、間違わないように、躓かないように、と大事にしてきたからこそ、子供は社会というものを見失い、恋愛にかぎらず迷走を続けているというわけです。
…まあ、それでもそうなる理由はわからないでもないのですけどね。
この国は色々と、誤ったことをしてきましたね。
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ざっくり言えば、あらゆる意味で情報過多。



理想の彼氏、彼女像もどんどん上がるし
安定した結婚の為に見たいな情報で譲れない線もいっぱい出てくるし
逆にコレはNGと言うのもどんどん積みあがるし
その理想になるためのハードルもどんどん上がるし
こんな人は危険。が多すぎて誰も信じられなくなるし
あんまりハードルあげすぎるとやる気なくなるし
やる気なくなっても、他にもいろいろあるからそんなに困らないし

にもかかわらず、結婚がすばらしいものと言う情報だけは少ない。
まあ、もっともコレも厄介で女性にとって結婚したくなる情報は
男性にとっては遠慮したくなるような情報だし
逆に男性にとって結婚したくなる情報は女性にとってふざけるなといいたくなる
ような情報でしょうけどね。

そして残念ながら人間そのものが割りとネガティブ情報が大好きで離れられないからね。
だからテレビのニュースは視聴率の為に犯罪ニュースが多くなるわけで。
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一人でいる時間を大切にしている・彼氏彼女がいなくても充実している人が多いとかかな?


人と向き合えない、向き合うことが面倒というのもあるかもですね。
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