プロが教えるわが家の防犯対策術!

いろんなソフトに 『シナ』といれても、一発で『支那』に変換しません。

これは左巻きの政治勢力による圧力でしょうか?



( シナ支那 が 差別用語であるはずがないのに不思議です。
  東シナ海とか、南シナ海とか、chinaと綴るのにと思います )

A 回答 (10件)

こんにちは。



最初に、ご質問の【しな】→【支那】という語の変換ですが、

Wikipediaには、以下のように書かれていますが、
「Microsoft Windowsに使用されているMicrosoft IMEや、ATOKなどの日本語入力システムでは、出荷時に「支那」という単語が辞書登録されておらず、初期状態では「しな」を「支那」に漢字変換出来ない。」

こんな変な誤解されそうな書き方はいけないと思います。
MS-IME は、そもそもの登録単語数が少ないようです。特に、固有名詞が弱いようです。ソフトウェア開発に中国企業が関わっているのは間違いないのですが、その影響というほど、顕著に感じることはありません。なお、私は、ATOKは知りません。

さて、ここのカテゴリにはふさわしくない内容もあるような気がしますが、私自身で、今後の自分の書き込み等に矛盾のない自分自身の答えを持つために考えてみました。(むろん、将来的のものを約束するものではありません。)私個人は古典だけの問題でしたが、今回、改めて調べてみました。しかしながら、やはり結論的なものまでには至りませんでした。

ただ、シナという単語は、なくしてしまってはいけないということは言えます。私は、中国の仏教史などを読んでいると、そのような単語(漢字が違うことがあります)はみかけます。時には、インドでは、チーナと読みが書かれていることもあります。おそらく、Chinaの同根の単語だと思われます。チーナもしくは、シナのの語源は、秦(BC3世紀頃)が、国家統一をした以降だと言われますが、その後、漢民族が支配してきた東アジア地域の呼称とも言えます。だから、歴史的な範囲に対しては、シナ(チーナ)という名称自体は、違和感を持ちません。

そこで、私自身のシナの定義としては、中国大陸を統一した秦(BC3世紀)から愛新覚羅・清王朝(~1911年)までの王朝を指す、としたら良いかと考えました。それで矛盾なく語れるかというと、今度は、歴史問題が横たわっていますから、こちらに、差別的な意図がなくても、やはりきちんとした注釈をしないといけないようです。口頭では、注釈を省かれたりしますから、文章としての発言に集約されます。

むろん、日本の国家として、「中華人民共和国(PRC)」や「中華民国(ROC)」に対して「中国」という呼称は、必ずしも適切とは言いがたいと思います。韓国も同様に、「中国」と呼んでいます。慣例的に、現在は「中国」という呼称が根付いてしまいましたが、台湾の「中華民国」も、その歴史の過程には、人々の複雑な気持ちが存在するようです。この10数年で大幅に国民の意識-アイデンティティが変わったこともあり、あながち台湾のことを安易に「中華民国」とも言って良いわけでもないことを知りました。台湾は「台湾」であるということも言えます。

資料としては、『中華民国の呼称に関する件(局長通達)昭和二十一年六月六日』
があるようですが、厳密にこれでお達しで間に合ったのかはどうかは、その後の経緯をみないと分かりませんが、この一つだけで決まったものではなさそうです。しかし、これは、本来、中華民国(ROC)に対してのもので、この時点では、中華人民共和国(PRC)は、国としては存在していません。また、それ以前のものが、どこまで通用したのかは不明です。

http://q.hatena.ne.jp/1243476056

中華人民共和国(PRC)は、同じように適用されているようですが、ただ、今の人たちが「支那」と呼ぶ時に、その言葉を聞く側(中国人・日本人を問わずに)が「差別」を連想させることがあり、その分だけ、こうした言葉は慎重に取り扱わないといけなくなってしまった、ということでしょう。

中国(PRC)メディアが、「シナ」という呼び名は「近代の日本の侵略者が中国に対して言った蔑称」と注釈をいれているようですが、事実無根で、このような文言はかえって信用をなくすものだと思います。相手側も、反日感情を作り上げていく口実だとは思います。日本側が、この言葉による差別を認めるような風潮自体は、中国側の巧みな誘導によって招かれたものであるわけですから、日本側の、正しい歴史認識が必要だと思います。

ここまで書いても、私自身は、どう書くかというと、慣例に従うというか、日和見でいく、つまり現中国に対しては、一般的な用語としては「中国」とするしかないのかとは思います。しかし、差別的とか、Political Correctness(差別禁止用語)というような議論を飛び越えて、「シナ」という用語が必要になるときはあります。まさしく、現中国体制とは関係のない、歴史の中に存在するものがあります。

以下は別件だと思います。

>NHKやフジテレビを見ていますと左巻きは何を企んで来るか分からない恐怖を感じるのです。
左巻きとは「インターネット上でネット右翼達が、自分達が“左翼”だとみなした相手」と、Wikipediaにはあるのですが、フジ・サンケイグループや産経新聞は、昔から、どういう傾向かは知っていて書いてほしいものです。また、こういうメディアについては、ネットなどで騒がれている表面的なレベルとは違う、50~100年単位を目処にした、奥底深い趣向を読み取らなくては、本当のことは分かりません。

例えば、日本のメディアや有識者たちが、「支那(シナ)」という言葉を、中国人への蔑称だと思い込ませようとしているのではないでしょうか。もともと、中国人も日本人もそんな風には思っていなかったはずなのです。中華民国が、清王朝を倒したことによって、連綿と続く「シナ」の否定ではなかったのでは、と私は推察するのです。中華民国側は、1930年に日本側に「支那という言葉の意味は大変不明確で現在の中国とはなんら関係ない」ということで、支那の使用をやめるように通告してきたわけです。

以下は、参考にはなるけれども、同じようには思いません。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …

>民族性を知り、残虐性を秘めていることを認識して、
「支那」の呼称と、その国の民族性というのは、まったく別なステージでしょうが、「残虐」という話には、有名な呂后・則天武后・西太后という人たちの処刑の歴史を始め、太平洋戦争前に、日本人が大陸に住んでいる時の事件などは、その時代を知らない人でも、噂ぐらいは聞いたことがあるかもしれません。また、近代から現代において、文化大革命や天安門事件で、自国の人間が一体、どれほどの人が殺されたのでしょうか。驚くようなことばかりです。

ただ、それらは、中国の一般・個人にまでには、適用することはできないと思うのです。それは、広大な地域の違いによる中国人の多様性があるというしかありません。

中国は、人材を含めて、有形無形の知的財産は計り知れないものを保有しているように思います。ただ、在日中国人の社会性や文化の違いによる言動に、私たちは、隣人として戸惑うことも多いのですが、いろんな特質を持った人々を、単に、残虐性という言葉だけでは片付けられないのです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

大変な見識でとても勉強になりました。
記載頂きましたこの内容をワードに転記して
再度、自分なりに検証しております。

 ただ、文中「フジ・サンケイグループや産経新聞は、昔から、どういう傾向かは知っていて書いてほしいものです」の意味合いがわかりません。
お手すきにもお教えください。

お礼日時:2015/10/06 11:48

>本当に残虐だから、その差異性を深く認識し警戒することは、リスク管理としては当然に要求されるべきことだと思います。

 

逆に知りたいのですが、そうであったとしてもそれと支那と呼称する事に何の関連性があるのでしょうか。
私の理解が間違っているのかも知れませんが、残虐性や民族性、或いは歴史的な事件を引き合いに出して警鐘の意味を込めてあえて支那と呼ぶのでは無く、侮蔑、差別的な意味を込めて「支那」と呼びたいから後から理屈をつけたとしか思えません。

>媚中風という力が働いているのではないかという恐怖感があるのです。

媚中なんて売国奴です。
日本は神国ですから当然臣民は神に選ばれた民です。
他国とは格が違います。
ですから、支那人、アメ公、露助と堂々と呼ぼうでありませんか。

これはちょっと誇張した表現ですが、ある意味セクハラみたいなものなのかも知れません。
そんな意味も意図も全く無くても、相手によってはそう受け取ってしまう。
「支那」に差別や侮蔑の意味は無いと声高に主張したとしても、日本人ですら差別用語と思っている人も少なくない。
と、言うことは当の支那人・・・じゃなかった中国人がそう感じていたとしても不思議は無い。
その気は無くとも相手がそう受け取ったなら、それはそういうことになってしまうのです。

外務省のサイトに以下のQ&Aがあります。(厳密には中華民国だけど)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/ …
Question
 戦前に、中国の呼称を「支那」から「中華民国」に変更した経緯を示す記録はありますか。

Answer
外務省記録「各国国名及地名称呼関係雑件」のなかに、1930年(昭和5年)10月に、浜口雄幸内閣が中国の呼称を常則として「中華民国」とするとの閣議決定を行った際の記録が残されています。
 この閣議決定が行われるまで、日本政府は、条約や国書を除いて中国を「支那」と呼称するとの閣議決定(1913年6月)に基づき、中国の呼称として通例「支那」を使用していました。しかし、中国は侮蔑的なニュアンスの強い「支那」という呼称を好まず、「中華民国」を用いるよう求めていました。たとえば、中国国民政府文書局長であった楊煕績は、1930年5月に日本と中国との間で結ばれた関税協定において、日本が条文中に「支那」という字句を使用した事を批判し、「今後日本側カ重ネテ斯ノ如キ無礼ノ字句ヲ使用スルトキハ我方ハ之ヲ返附スルト共ニ厳シク詰責シ以テ国家ヲ辱シメサルコトヲ期スヘシ」と論じていました。
 こうした中国官民の感情に配慮して、外務省は1930年10月27日に中国の呼称変更を閣議に請議し、同月30日に閣議決定となりました。

現在日本には留学生、旅行者、不法滞在者を含め中国人が数多く住んでいます。
うちの近所のコンビニや餃子の王将の店員もそうですし、私の会社のパートさんもそうです。
あなたが本気で支那に差別的意味は無いと思っているのであれば、彼らに向かって「お前は支那人か」と問う事が出来るはずです。
出来ないのであればやはりあなたは「支那」は差別的な呼称と認めているのです。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

大変に勉強になりました。
ただ、戦前の外務省の文書に、戦後の今
どれほどの拘束性があるのでしょうか。
極めて疑問に思います。
 また最後の例は、問題を狭小化していると思います。
シナはシナで全く問題はないと思います。

お礼日時:2015/10/06 11:35

#6です。



>日本には、シナでの極刑の仕方(屠城や胴斬・・・・・)は、文化として存在しないのだという主張に、私は与します。 
動画サイトには、中央アジアの人たちに対する、漢族の過酷極まりない処置を見るとき、回答者さまの冷静と思える対応は、正論であるだけに、えてして現実を変える力を持ち得ないのではないかと思います。
 その民族性を知り、残虐性を秘めていることを認識して、かの民族と交流し、交際し、外交してゆくことの必要性が強調されるべきと思うのです。
本当に残虐だから、その差異性を深く認識し警戒することは、リスク管理としては当然に要求されるべきことだと思います。 

おっしゃりたいことはよくわかりました。また、そうした懸念も理解できるような気はします。
ただ、残虐性を言うのであれば、これは、人間自体が残虐を属性とする生き物だからです。
その過程、形態に民族的な差異は、ある程度あるかもしれませんが大差はないでしょう。
日本でも、ご存知かとは思いますが、女子高生をドラム缶に入れコンクリート詰めにして殺害した若者もいますし、その他、古来より猟奇事件は数知れず報告されています。
遡れば信長なども、結構な残虐性を発揮していました。(屠城や胴斬に近い行為が記録されている)
http://matome.naver.jp/odai/2136311113063345901
世界的には、ヒトラーの意を汲んだ多くのナチス党員の残虐さもご存知のはずです。
そうした中、彼らの残虐性と我らの残虐性に差異を設けようとするのは、物事の本質から目を逸らし、論理的な判断の目を曇らせる、危険な試みと言えるでしょう。
議論をする気はありませんが、文脈から推察するかぎり、極めて論理的な思考が可能な方であるという印象を受けましたので、その方向で、あえて私見を述べさせていただいた次第。
    • good
    • 3
この回答へのお礼

ありがとうございます。
参考にさせていただきます。
(人間自体が残虐を属性とする)との指摘がありましたが、
その点は、首肯できません。

 日本人のみは、和の精神を尊んできているからです。
また、そう信じて、未来を歩んでゆく必要を強く思います。
それでないと、朝鮮人やシナ人やロシア人と
同様になるのではないかと思います

お礼日時:2015/10/06 11:30

カナ漢字変換はよく使われる順に候補が出てくるみたいですねー。



それはともかく、私が若いころ(戦後です)にはシナという言葉はよく使われていました。戦争から帰った父は中国人のことをシナ人と言っていましたし(卑下するときはチャンコロ人と呼んでいました)、「支那の街」という歌は真空管ラジオを通してよく聴きました。支那ソバもありましたね。いまは日常会話の中でシナというのは滅多に聞かなくなりましたね。これも時代の流れでしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがごうございます。
シナというとバッシングされます。 これもマスコミの影響でしょうね。
遠因は、東京裁判史観にあると考えています。 
ご回答いただき、ありがとうございました。

お礼日時:2015/09/09 20:12

#3です。



>暴支膺懲という言葉が使われだしましたのは、済南事件や通州事件、特に済南事件の後に、『残虐なシナを懲らしめよう』という趣旨で使用されたものと理解しております。
こういう大量殺戮は許せないという世論が沸騰したときに、『残虐なシナを懲らしめよう』というタームで使用され始めたもので、そこには差別する云々の色合いは全くないと思うのです。
私も、この事件を調べると、カっと身の内が熱くなります。それは差別の心ではなく、なぜこんな酷いことをという、許せない怒りの気持ちからです。

なるほど。
おっしゃりたいことはよくわかりました。
一般人の被害は、たしかに許されるべきではありませんね。
ただ、当時の背景も考慮に入れる必要があるように思います。
済南のある山東省は、第一次大戦後、ドイツの権益を継承する形で「ヴェルサイユ条約」や「21カ条の要求」などにより日本が支配下におさめていた地域。
「五四運動」などに顕著なように、こうした植民地支配に対して中国が強い反発を抱いていたのは確かだと思います。
済南事件も、こうした歴史的背景の中で起きた事件であったことには、留意する必要があるでしょう。
逆の立場に置き換えてみれば、容易に想像がつくはずです。
ただ、この事件の是非を、いくらここで論じても詮無いことであって、それは、様々な立場や思想などの違いによって見解は分かれるでしょう。
今回、焦点を当てるべきは、「支那」という表現に差別的・侮蔑的意図を感じる人々の気持ちを想像し、理解することができるか否か、という点ではないかと思います。

『残虐なシナを懲らしめよう』というタームで使用され始めたもので、そこには差別する云々の色合いは全くないと思うのです。

とおっしゃっておられるわけですが、「残虐なシナ」という認識自体がすでに差別と言えるでしょう。
ここで大事なのは、「本当に残虐だったのだから差別ではない」という論理は意味を為さない、という点です。
なぜなら、残虐な行為は、日本もあちこちでやっていたわけですから、では、日本人も現代において差別的な表現をされても甘受すべきなのか、という話になってしまうからです。
残虐性自体はたしかに批難されるべきですし、きちんとした責任を取る必要があります。
しかし、現在の彼らは残虐な行為をした当事者ではないはずです。むろん、今の日本人も同様でしょう。
様々な立場によって、「残虐」が意味する内容は異なります。
大事なのは、個人のレベルにおいて、どちらも「残虐」の体験をしている、という点ではないでしょうか。
当時の記憶につながるような、お互いが嫌がる表現は避けるようにするのが人類の知恵ではないかな、という気はしますね。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

たしかに、回答者さまの仰ることは説得的です。
ただ、複数の論者が言うように、この殺戮の仕方で南京事件が行われたと捏造され、この時の写真を細菌部隊の証拠だと捏造されている。 日本には、シナでの極刑の仕方(屠城や胴斬・・・・・)は、文化として存在しないのだという主張に、私は与します。 
動画サイトには、中央アジアの人たちに対する、漢族の過酷極まりない処置を見るとき、回答者さまの冷静と思える対応は、正論であるだけに、えてして現実を変える力を持ち得ないのではないかと思います。
 その民族性を知り、残虐性を秘めていることを認識して、かの民族と交流し、交際し、外交してゆくことの必要性が強調されるべきと思うのです。
本当に残虐だから、その差異性を深く認識し警戒することは、リスク管理としては当然に要求されるべきことだと思います。 

ご回答ありがとうございました

お礼日時:2015/09/09 20:09

>・・・NHKやフジテレビを見ていますと左巻きは何を企んで来るか分からない恐怖を感じるのです。



未だに日教組がどうだとか共産がこうだとか言ってるけど、過大評価だよ。
右巻きなら安心なのか?
NHKやテレビ朝日が某政党に呼び出し食らった件はどうなの?

そもそも「ひがししなかい」と入力して変換すると「東シナ海」となるし、今どき「支那」なんて「支那そば」とか「支那竹」くらいしか使い道は無い・・・否、どっちももう殆ど使わないか。

差別用語では無いはずとか、一発で変換出来ないとか回りくどく万人に正当性を納得させられないんだから、正直に侮蔑の意味を込めて彼の国をそう呼びたいって宣言しようよ。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
まず、NHKに関連しての件ですが、NHK出身のOBの方々と仕事をする機会が多くあります。
私が印象深く思っていますのは、NHK会長の姿勢がよくマスコミにも取り上げられていますが、NHKの組織の局長以下の社員の方には、共産党や新左翼系の思想を持った方が実に多くおられます。
大変に印象深いです。

 さて、回答者さまからは、侮蔑という思いを抱いているのではないかとの指摘を頂きました。
自分なりに自省しますに、そういう思いもあるのだろうと思います。
ただ、私が申し上げたいのは、済南事件や通州事件など、北支で起こった出来事が、ものの見事に
歴史から消去されようとしている。 
別の方の御礼にも記載いたしましたが、「鬼畜米英、暴支膺懲」というスローガンの、
ひどい中国をこらしめよう(暴支膺懲)というスローガンと、それが言われた、悲惨な経過さえもが、
歴史から消去されようとしている。

そういう大きな力が、それを左巻きというより、媚中風という力が働いているのではないかという
恐怖感があるのです。

ご回答を頂き、ありがとうございました。
また、お気づきがありましたら、叱咤なさってください。 ありがとうございます

お礼日時:2015/09/09 10:58

〈左巻きの政治勢力による圧力〉というのは、冗談ですよね。


 当方のMacintoshでもiPhoneでもフツーに変換できます。
 当方は使いませんが、「支那」自体は、本来は差別用語ではないようです。現実にはそういう扱いを受けていますが……。
 そもそも、一部の言葉を除けば、ほとんどの差別用語は変換できるようです。


「支那」という言葉自体には差別的な意味合いはないようです。
 Wikipediaを見てもそのことが伺えます。〈「支那」使用論〉のあたりをご覧ください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%AF%E9%82%A3

 当方が読んだことがあるのは、呉智英氏の著作とや高島俊男氏の著作です。
■呉智英氏 〈支那〉の項をご覧ください。長いの省略。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%89%E6%99%BA …

■高島俊男氏〈主張等〉の項をご覧ください。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B3%B6 …
==============引用開始
「支那」という用語が使えなくなった経緯について調査し、『本が好き、悪口言うのはもっと好き』収録の「『支那』は悪い言葉だろうか」にまとめ(詳細は「支那」参照)、チャイナを表す用語として使用するのは問題ないとしている[要出典]。
==============引用終了

 ただし、Wikipediaの記述はどこまで信用できるか不明です。当方が読んだ限りだと↑の記述はかなり信頼できそうですが……。
 興味がおありでしたら、『本が好き、悪口言うのはもっと好き』の原本を一読されることをおすすめします。
●「中国」と「支那」は別の概念であること
●「支那」の呼称が消えたのは、中華民国政府の要請によること
 etc.……が丁寧に解説されています。

 ただ、当方が昔台湾の学生たちと話した感じでは、台湾の人たちは「支那」という呼称を忌み嫌っています。そんな言葉をあえて使う理由もないでしょう。

 さらにちなみに、紙媒体では「差別用語」としている資料を見ますが、「放送禁止用語」というのは実態のない言葉です。
 詳しくは下記をご参照ください。
【差別語、差別用語、放送禁止用語、放送禁止歌】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3288. …
    • good
    • 2
この回答へのお礼

ご回答を頂き大変にありがとうございます。

ご紹介の『本が好き、悪口言うのはもっと好き』には当たってみます。
なお、回答者さまのご回答の後段に、台湾の学生と話した感じとしてエピソードを頂いております。
もしこの台湾の学生が、いわゆる内省人であれば、もちろん台湾人と呼んでほしいと思われての反応かと受け止めました。
しかし、外省人であれば、なぜ嫌うのか。それも単純に嫌うのではなく、「忌み」嫌うのは、なぜなのだろうかと思います。
もし機会がございましたら、お教え頂ければ幸甚です。
申し訳ありません

お礼日時:2015/09/09 10:43

#2です。



「暴支膺懲」という聞き慣れない言葉に興味を惹かれて検索してみましたが、ウィキに載っていました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%B4%E6%94%AF …
【大本営が国民の戦闘精神を鼓舞するために利用したスローガン】だそうですね。
日中戦争が太平洋戦争に発展した後は、「鬼畜米英、暴支膺懲」というスローガンになったとのこと。ひとつ勉強になりました。

ところで質問者さんは、『日本の言動に差別的な要素があったかどうかも疑わしいのではないか』とおっしゃっておられますが、こうしたスローガンは差別的ではない、というご見解でしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

暴支膺懲という言葉が使われだしましたのは、済南事件や通州事件、特に済南事件の後に、『残虐なシナを懲らしめよう』という趣旨で使用されたものと理解しております。
こういう大量殺戮は許せないという世論が沸騰したときに、『残虐なシナを懲らしめよう』というタームで使用され始めたもので、そこには差別する云々の色合いは全くないと思うのです。
私も、この事件を調べると、カっと身の内が熱くなります。それは差別の心ではなく、なぜこんな酷いことをという、許せない怒りの気持ちからです。

 そもそも、「鬼畜米英、暴支膺懲」というスローガンから、
後者の部分が欠落して戦後に言われますのは、この両事件につながるものだからでしょう。
こういう世論操作が意図的になされていることの怖さを思うのです。

ご回答を感謝しています。 上記の私の見解に誤解がございましたら、
是非ともお教えください。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/09/09 10:25

一応、放送禁止用語に分類されているようですね。


もっとも、これは、放送局や新聞社などが自主規制しているものですから、法的な基準ではありません。
http://monoroch.net/kinshi/
先の大戦当時、中国のことを支那と呼んでいたわけですが、当時の日本軍の行動に対する批判を考慮して、マスコミ界が自主規制しているのでしょう。
「左巻きの政治勢力による圧力」も、ある程度は影響しているでしょうが、それだけではなさそう。
「支那」という言葉自体に差別的要素は全く無いわけですが、その言葉を使っていた時代の日本の言動に差別的な要素があったことは否めないため、どうしても連動してしまうのでしょうね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早々にご回答いただき感謝いたしております。
このことに関連して、済南事件や通州事件のあとに、激高する世論を背景に暴支膺懲 ボウシヨウチョウ
という言葉が言われた、その意味合いが分かりました。 
日本の言動に差別的な要素があったかどうかも疑わしいのではないかと思います。
ご回答は、勉強になりました。ありがとうございます

お礼日時:2015/09/08 18:40

>いろんなソフトに 『シナ』といれても、一発で『支那』に変換しません。



ソフト毎ではなくIM(インプットメソッド)の機能。
うちはちゃんと前回「支那」って変換していれば次回からは「支那」が第一候補になる。

>これは左巻きの政治勢力による圧力でしょうか?

短絡的だなぁ。
そんな権力持ってるわけないじゃん。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早々にご回答を頂き、ありがとうございます。
非常にバイアスのかかった報道をするNHKやフジテレビを見ていますと
左巻きは何を企んで来るか分からない恐怖を感じるのです。 すみませんでした

お礼日時:2015/09/08 17:24

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!