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とある古文単語帳を見ていると、おもしろしと言う単語が歌論においては良い意味ではなく、こけおどしだということだと書いてありました。これは本当でしょうか?具体的な例文がなかったので、出典等もあれば教えてください

A 回答 (10件)

後鳥羽院の歌論書のことばです。



「西行はおもしろくしかもこころに殊にふかくあはれなる、ありがたく、出来しがたきうたもともに相兼てみゆ。」
(久松潜一編『中世歌論集』岩波文庫「後鳥羽院御口伝」222ページ)

これまた誉め言葉です。
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この回答へのお礼

数々の出典等載せていただきありがとうございます!
とても参考になりました

お礼日時:2015/09/21 00:23

#3です。



お示しした URL では開けないかもしれませんね。
http://harp.lib.hiroshima-u.ac.jp/hju/detail/390 …
にアクセスしてから、欄内にある
kokugokokubun20Satoh.pdf
をクリックしてください。
pdfファイルが表示されますので、それをまたクリック。
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阿仏尼の歌論書からです。


『夜の鶴』森本元子訳注 講談社学術文庫

「順が詩に、「雨の中に月を恋ふ」といふ題、「楊貴妃帰りて唐帝の思ひ」など作りたる風情も思ひいでられて、やさしう、おもしろくこそさぶらへ。上手ならでは、いかでか思ひよらむとぞおぼえ候。」
([3] 186ページ)
「上手の仕事は、難なく、わざとおもしろくきこえ候ふを、まねぶとても、なほ及びがたくこそおぼえ候へ。」
([5] 191ページ)
「いにしへの歌のやさしく、いかなる世にもふりがたく、おもしろくやさしき心ことばをこそ、今の世にも、上手とおぼゆる人々は、このみよみあはれ候ふめれば、むかし今、かはるべきにもあらず。」
([8] 200ページ)
「後拾遺、また、歌よみ多くつどひたるころなれば、おもしろき歌も多げに候ふ」
([14] 212ページ)

阿仏尼は「おもしろし」を「上手」の作として絶賛します。やはり「とある古文単語帳」の作者が何を根拠にしてどんな考へを持つてゐるのかが判らなければ答へやうがありません。
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定家の父、藤原俊成の歌論書『古来風體抄』からも引用しておきます。

『後拾遺和歌集』について批評する場面です。

「げにまことに、おもしろく、ちかく物に心得たるさまのうたどもにて、おかしくはみゆるを、撰者のこのむすぢにや、ひとへにおかしき風體なりけむ。」
(久松潜一編『中世歌論集』岩波文庫「古来風體抄」25ページ)

やはり良い意味で使用されてゐます。御質問に「とある古文単語帳」と記載されてゐますが、これでは何のことかわかりません。きちんと出典を示してください。どの本の何ページですか。
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まだまだ続くplapotiです。

鴨長明の歌論書から用例を挙げておきます。引用は以下の書物です。
鴨長明『無名抄』久保田淳 角川ソフィア文庫

「心にはおもしろくすすましく覚ゆとも、かならず所嫌ひして、やうやうしと人に言はれむと思はるべきぞ」
([13] 27,28ページ)
「祐盛法師、その会衆にて、寒夜千鳥といふ題に、「千鳥も着けり鶴の毛衣」といふ歌を詠みたりければ、人々、「めづらし」など言ふほどに、素覚といひし人、たびたびこれを詠じて、「おもしろく侍り。ただし、寸法や合はず侍らん」と言ひ出でたりけるに、」
([14] 28,29ページ)
「霧の絶え間より秋の山をながむれば、見ゆるところはほのかなれど、おくゆかしく、いかばかりもみぢわたりておもしろからむと、限りなく推し量らるる面影は、ほとほと定かに見むにもすぐれたるべし。」
([71] 103ページ)
「聞きよからぬ言葉をおもしろく続けなせる、わざとも秀句となる。......秀句ならねど、ただ言葉づかひをおもしろく続けつれば、また見どころあり。」
([72] 108,109ページ)

いつたいこれらの言葉のどこに「こけおどし」を感じるのでせうか。性格がゆがんでゐるのではないでせうか。さういへば、紫式部もそんな感じの人です。

「和泉式部といふ人こそ、おもしろう書きかはしける。されど、和泉はけしからぬかたこそあれ。」
(『紫式部日記』池田亀鑑・秋山虔校注 岩波文庫 72ページ)

初めは和泉式部のことを「おもしろう」と誉めてゐますが、このあと「けしからぬ」理由を次から次へと書き連ねます。まさに誹謗中傷です。運営に通報して削除してもらふべきです。
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回答番号3の方の足元にも及ばないplapotiでございます。

「こけおどしだ」とこきおろす人は、子規の文章と混同してゐるのではないでせうか。

「貫之は下手な歌よみにて『古今集』はくだらぬ集に有之候。」
(正岡子規『歌よみに与ふる書』岩波文庫 8ページ)

子規の記述は全面否定ですが、定家の場合は、貫之の立場を認めたうへで自分はかうだ、と主張してゐるだけです。どうして定家の論旨が「こけおどしだ」と読めるのか私にはわかりません。なぜ「おもしろし」といふ言葉を素直に解釈しないのでせう。回答番号4にも記しましたが、何か個人的な感情がからんでゐるとしか思へません。
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またまたplapotiです。

定家は『新勅撰和歌集』に貫之の歌を14首入れました。八代集においてかなりの歌がすでに入集したあとですから、この数字は大きいと思ひます。

あづさゆみはるのやま辺にいるときはかざしにのみぞはなはちりける
(『新勅撰和歌集』巻第二春歌下75 久曾神昇・樋口芳麻呂校訂 岩波文庫 22ページ)

紀貫之は『土佐日記』で女になりすまして記述しました。もしかすると「こけおどしだ」と非難する人はQ&Aサイトで、なりすましの規約違反にうんざりしてゐるのではないでせうか。ちなみに定家にも女になりすまして詠んだ和歌がたくさんあります。
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佐藤茂樹氏の下記論文『定家の「おもしろし」の考察』」もご参考になるかもしれません。


17ページの、
【「おもしろし」と評された歌は、確かに、「趣向のすぐれた」歌であり、新しく、巧みで、珍しい表現を有しているが、それは単に奇を衒ったようなものではなく、又、単なる詞上の問題だけでもない。】
といった記述などが興味深いと思いました。
file:///C:/Users/user/Downloads/kokugokokubun20Satoh.pdf
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この回答へのお礼

ありがとうございます。やはり褒め言葉として受け取ったほうが無難な感じがしますね…

お礼日時:2015/09/21 00:25

回答番号1のアホ、plapotiです。

先日『正徹物語』のkindle版を買つたので、「おもしろ」で検索してみました。2箇所ヒットしました。

「か様に行雲廻雪の体とて、雪の風にふかれ行きたる体、花に霞のたなびきたる体は、なにとなくおもしろくえんなる物なり」
([18] 位置番号661)
「夕日影の残れる山陰に、ひぐらしの鳴きたる程、おもしろき者はなきなり。」
([188] 位置番号2598)

正徹の歌論書では「おもしろし」は明らかに良い意味で使用されてゐます。「こけおどしだ」とみなす人は、定家の口ぶりに乗せられただけだと思ひます。
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御質問を拝見してアホの私でもすぐに浮かんでくるのは、定家のこの言葉です。


「むかしつらゆき、歌の心たくみに、たけをよびがたく、ことばつよくすがたおもしろきさまをこのみて、餘情妖艷の躰をよまず。」
(久松潜一編『中世歌論集』岩波文庫「近代秀歌」160ページ)

藤原定家は紀貫之を批判してはゐますが、「こけおどしだ」とまでは言へないと思ひます。少しあとのところで「こころはふるきをしたひ、こころはあたらしきをもとめ」(162ページ)と述べてゐるやうに文学の伝統を重視した定家は決して過去の歌人をないがしろにしてゐるわけではありません。「こけおどし」だとする解釈はゆきすぎに思へます。他の優秀な回答者のかたがたの御意見をうかがひたいと存じます。
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