プロが教えるわが家の防犯対策術!

先日、身内にスポーツ選手の誰々に似ていると言われたときに
すごく嫌な気持ち(嫌悪感というのでしょうか)になりました。
その選手のことが嫌いなわけでもなく、むしろ自分が知らなかった
選手なので嫌いになりようがないにもかかわらず
誰々に「似ている」と言われただけで嫌になりました。
何度もいいますがその選手のことが嫌なわけではないです。

そして自分から他人に対して誰々に似ていると言うのも
言いにくいというか周囲の人間が言うほど似ているようにも思えないのです。
それはテレビに出てくる方たちも同じです。
ものまね芸人さんが声を真似たりするのは似ているなと思うのですが
ただ見た目が似ているとうことで出てくる一般の方などに対しては
そんなに似ているかなと思ってしまうのです。

このように「見た目が似ている」とゆうことに対して
嫌悪感を抱いてしまう私は、例えば心理学的には
どのような性格、考え方をするような人間なのでしょうか。

そうゆう系統を勉強した方じゃなくてもかまいません
皆さんから見て私のような人間はどのような人間だと思いますか?

A 回答 (2件)

好悪や愛好は、過去に経験・見聞したことを原因としてその感情が引きずるように比較的関係が薄いことに対しても敏感に発現してしまう状態で起きます。


質問者さんが、過去何かのことで「あなたは××さんと似ている」といわれたことがあり、そのときに非常に不愉快な気分になったり、イヤダと思ったりしたことがあると、それがトラウマのようになって、「似ている」という言葉そのものが不快感や嫌悪感を引き起こすのかもしれません。あるいは、質問者さんに直接は関係なくて、「斎藤さんは鈴木さんに似ている」という評言を聞いて、そのとき「似ている」という言葉はある人物の悪い面を発見してその評価を公言する行動であると「深く感情的に思い込んで」、人物の悪評・評言・酷評は聞きたくないものと心に刻み込んでしまい、その刻み傷がまだ残っているということも考えられます。
生きていれば良いことも悪いことも楽しいことも苦しいこともとても気分が良いことも耐えがたく嫌なことも誇らしいことも恥ずかしいこともたくさん経験し、その経験を重ねても、時間がしばらく経過すれば、心的・力動的エネルギーがなくなって、好悪や愛好を延々とひきずることはなくなるのが、まあ一般的です。 しかし一部の人は心的外傷経験などをいつまでもひきづり、トラウマになったりPTSDになったり、ヒステリーを起こしやすくなったりします。

「どのような性格、考え方をするような人間」と質問されると、私には回答が思いつかないのですが、「心的な影響をその場での理解や感情という範囲でとまらず、いつまでも傷を残して過剰な抗原抗体反応を長期間保持してしまう傾向をもつヒト」ということではないでしょうか。

ただ、そうした反応傾向を強く発現し社会生活上も支障を生じるような状態になっているヒトでも、それが短期間で治ってしまうこともあるようです。 心理療法など、深層心理というか、そういった傾向の治療をする人達の中には、過去の経験を意識の中で忘れていたのを思い出して自分でそれに気付くと、それをきっかけに症状の出現がなくなっていくということもあるようです。
過去に何かのときに聞いた「似ているね」という発言が、自分の現在の「『似ている』の嫌悪」の出発点だったとわかると、スッキリと理解できた感じになって、言葉での嫌悪感は薄れるかもしれません。
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わたしにもそのようなところがあります(笑)


わたしがわたし自身を自己判断してみると、自分の個性を大切にしたいからだと思っています。

わたしもあまり誰に似ているとか思わない方です。

もしかしたら、あなたも自分の個性を大切にしたい方なのかもしれないですね!
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