No.1ベストアンサー
- 回答日時:
「二元論ではない日本的思考が必要」そうした発言がネットにどのような形で書かれているのかを知りません。
その種の発言では「二元論ではない日本的思考」というのがどのような思考であるのかを明示しているか、内容を判然とさせることが出来るようなものでしたでしょうか。内容を判然と出来ない言の場合、その言に基づいて機械を作ったり、その言に基づいて他人にもやり方を指示して同じ化学反応を起こさせてものを合成や分解させることがほぼ出来ません。
二元論であるかどうかには関係がなくて、教育訓練、指示監視、成果確認がきちんと行えること、事物や現象を記録し分析鑑定をする作業を客観的に出来ることが、科学やシステムの形成、発展には不可欠です。 それ以外にも必要な要素はたくさんあるでしょうが、事物や現象を言葉や数式、データで明確に示して、論理的に検討可能なようにすることが出来ないと、多くの産業は崩壊し、科学もなくなってしまうでしょう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%85%83 …
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E4%BD%93 …
私や私たちの日常は、「解らないので、放っておく」の連続で構成されているともいえるでしょう。世界のトップ級の科学者でも、自分の専門外のことはわからないまま放っているのだと思います。でも「すべてのことが、誰からも、解らないから、放っておかれた」状態だと、スマホも作れないし、自動車も作れない、送電もされない、ガソリンも来ない、米や魚も肉も都会には運搬されないという状態になるでしょう。 ある種の事柄に対しきちんと状態を調べものの物質や構造などの状態、力学的関係、化学的状態、電磁気の状態、時間タイミングの妥当性、各種の関係のあり方を調べ、扱う機械装置、システム、人間、社会組織などの関係をつぶさに明らかにしていく《専門家》がそれそれの要所にいて、それらの検討の結果を基にして、方程式やシステム設計、連携システムの実行、処理、製造、運搬、操作、説明などの業務を担う《近代的訓練を身につけた人々》がいて、現代の社会が成り立っているのだと思います。
感性・感覚・違和感・しっくり感は重要な起点ですが、それをそのママにせずに、起点として理性と論理で分解あるいは統合し、整合性を確認していくことで、前に進むことが出来るという信念は、科学や産業、大きな社会を作れる大きな要因だと思います。 曖昧なまま、起点を起点とせず、基点に留まっていては、科学は進歩発展しないと思います。
このPDFには、別の視点で、近代科学の考え方を高校生向けに説明している文章があります。
http://www.nhk.or.jp/kokokoza/radio/r2_syakai/ar …
「自然には神の意志などといった精神や目的はなく、単なる物体の運動よって機械的に引き起こされているにすぎない」という考え方を【機械論的自然観】といいます。 自然が神の仕業でなく、単なる物体の機械的な運動にすぎないのであれば、人間の力で自然の法則を解明し、自然の力を利用しようというのが近代科学の考え方です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
人間の理性力で法則を解明し、自然を利用しよう:これがベースなのでしょう
No.7
- 回答日時:
ここに解答できる知識を持ち得ないものですが、、、
我、おもう故に、我在り
は、主観が交わる事がない、に、関わらず、、、本能が壊れた存在である(岸田シュウ)我々に、結論とも思えるような?ロジックを与えてくれる?訳ですが、、、
しかし、我々は、、、
我、おもうだけでは、我を、思えない。
と、思うんですね。
他者との関わりの中で、我を知る。
或いは、我と、言うのは、他が、在るから存在している。
だけれども、、、
独 生 独 死 独 去 独 来
之は、現実?事実でしかなくて、、、
主観としての実感『 いま、ここ 』は、交わる事はない。
しかし、その『 いま、ここ 』も、五感が受けた情報が、脳へ、と、伝達されるのに、も、時間は、在り、綿密に『 いま、ここ 』が、、、実感できている訳ではないけど、我にとっての『 いま、ここ 』は、間違いなく存在している。(と、認識している自分はいる訳で、、、)
ブッタとは、開いたヒトという意味で、ソレはツマリ、、、『 いま、ここ 』から、解放され、 我 から解放される?された存在となり? 涅槃 にて仏となる。が、原始仏教で、在り、、、ブッタ(開いたヒト)と、真になり、生態系の弱肉強食の連鎖?輪廻より、解き放たれる?或いは死の恐怖から解放される事を目的とした集団が、始まりだった訳です。
その開かれた状態が、どの様なモノなのか?僕には解らず、ソレを語るのは、間違ってるのかもしれないけど、、、
ブッタを目指し 我 から解放される?入滅を、受け入れ、涅槃にて、仏となる。は、『 いま、ここ 』の、接点として、存在している 我 の、或いは否定と、も、言えるのかな?否定ではなくて、放棄?なのか、、、
近代科学に、デカルトが、どの様に影響を与えたのか?は、解りませんが、、、(ここの解答を参考にさせていただきます。)
和 を 持 っ て 尊 し
と、する我々の、考え方は、、、曖昧を許容する?と、言うか、事例を踏襲させる為に、明確な線引きを引かず、一所(現場、現地)の元で、その限られた範囲で、賢明に、掘り下げ追求する。を、良しとし、その一所の集合体の大きな和 、、、 大 和 な、訳で、、、その欠陥として、帰納法的な思考が、入り辛い。
ソレは、科学的姿勢、発見に?むしろ?進み辛い?向いていない様にも、感じます。
と、僕の中にも、刺さっている魚の小骨を取るためにも、ここの解答参考にします。
ありがとうございます。
示唆にとんだお答えですね
昨日、河合隼雄の『中空構造日本の深層』という本がアマゾンから届きました。今日から読み始めますが、日本人は古代より『古事記』に出てくる神々が3人出てくる。がしかし中央の神は、存在するがどういうわけか、活動をしない。2元論の対立軸ではなく、中央に無為の神を置く独特の構造を無意識につくったようだ。という趣旨の本だそうです。
参考まで。
仏教については、鎌倉時代に大地を相手の百姓、武士に『禅』や『浄土真宗』が根付き、今日、科学的発展を遂げた日本人の心に一神教では作り得ない不思議な精神構造が存在しているのではないか、そう言う偉い学者もいるようです。
こんな大それた質問をしてしまい、いろいろ考えはじめました。多くの人達の意見に触発されて、勉学を励むことにしましたが、頭脳が働かない人間です。身の程しらずにあきれていますが、序序にゆきます。
No.6
- 回答日時:
お礼ありがとうございます。
>>上のlupan344さんの言う『質問自体が糞』
私は、そのような事は書いていませんが、別の人と間違えていませんか?(該当の回答はもう削除されているようです)
No.4
- 回答日時:
デカルトの2元論と言えば、心身2元論が有名ですが、そこへ至る過程には、真・偽2元論が存在するので、一般的な2元論として批判されるのは、真・偽、善・悪、○・×などの二律背反な分類に傾倒している事に対する批判なんでしょう。
古典力学(相対性理論も含む)を応用している範囲の近代科学においては、2元論でも適当な誤差を許容した精度の範囲で成り立つわけですが、あいまいにしか評価出来ない部分も存在するわけです。
これに対しては、2元論的分類では対応不可能では無いかという問いが、質問文に書かれている批判の主題だと思われます。
現代の日本人の思考体系が、昔と同等かどうかはわかりませんが、基本的には和を尊ぶという感性はありますから、あいまいさに対する許容性はあると言えるでしょう。
それを科学的にどう扱うかは、量子力学のように確率的に状態を決めるか、別の評価手法を確立するかでしょう。
ありがとうございます。知的にはお粗末なので、馬鹿な質問をしたと思っています。上のlupan344さんの言う『質問自体が糞』ですので失礼しました。まあネット的なお答えですね。
今、宇宙の話では、インフレーションから相転移で熱が発生してビックバーンがおこって、素粒子がつくられたということで、インフレーションの時の重力波をとらえようとしてるそうですが、庶民にはあまりに遠い話で訳がわかりません。天才達の知への欲求が進めている研究なのでしょう。日本はすばらしい文化を持っています。こうした素粒子物理学、と言っていいのかな、宇宙物理学などの研究を戦前から戦中でもし続けることが可能な土壌があります。湯川博士、南部博士は、こうした人達ですね。多様な人の存在を許せる民族のようです。国によってはこうした風土がありません。
日本には、2元論とは違う、この対立の間にファジーではありますが、何かがあり、両論を生かし温存してゆく民族的文化があるように思います。
日本人はヒーローを好みません。アメリカでは空母に、宇宙基地に、大統領の名前をつけますが、日本には無い文化です。祭礼の時の御神輿を担ぐ人達は、司令塔はいません。誰が進める訳ではなく進んでゆきます。
対立軸が2元ではなくて、もう一つ何かが存在して、外来文化も取り入れて融合してゆく。『そう堅いことは言わず、まあ上がって一杯飲んで言ってよ』などという曖昧さもあり、外国人との言い争いになると、かなり弱腰になります。しかし、チェリノブイリ、スリーマイル島、福島第一の事故、人間には使いこなせない技術にも手を出して困っています。原発のゴミ処理もできません。東日本大震災も、現代科学では想定外。宇宙よりも情報が少ない地球内部。
一説に周期的な過去の情報ですと、氷河期に入り始めている、ということですが、70億人の人間活動で、温暖化らしい影響が甚大な被害をだしています。
科学技術も人間の幸福のためですよね。個の幸福ということであれば、一神教(非科学的)では望めないのではないか。対象物を客観的にとらえて、研究して、自然科学的に征服して、成果を上げて乗り越える幸福論に限界はないか。ここに、古代から培ってきた、無意識の日本的な2元論の中間に位置するファジーな世界観で臨んではどうか? すみません。馬鹿な思考、馬鹿なお話です。
No.3
- 回答日時:
デカルト式思考で近代科学が発展してきた、と言います。
↑
心身二元論のコトでしょうか。
これによれば、肉体は精神の入れ物に過ぎない、という
ことになりますから、肉体を調査研究するのは、物質を
調査研究するのと同じ、ということになります。
だから、外科手術などが発達し、医学、生物学などの
発展に寄与したことになります。
ついでに言えば、臓器移植などにも抵抗が少なく
なるわけです。
”その思考方法には限界があり、二元論ではない日本的思考が必要”
↑
日本は神道の影響により、万物に魂が宿る、と考えます
から、一元論と親和性を持ちます。
遺骨や遺髪などに、日本人は強いこだわりをもっています。
近年、内臓にも記憶物質が発見されたりして、心身一元論
の方が正しいのでは、という考えが強くなっています。
肉体と精神は切り離せないのでは、ということです。
ありがとうございます。科学的なものが、あらゆる分野で日進月歩で進んでゆきます。素人や庶民の私には、とうてい無理な世界です。結果論で医療、電化製品などでその利便性を享受するくらうです。一見、発展進歩する人類の科学技術という図式が見えるのですが、あくまでも幸福になることが前提ではないかと思うのですが、経済効果ということで、人間の幸福とはかけ離れたところで、テクノロジーが動いているような気がします。神道の影響についてのお話、初めて接します。なるほどと考えました。無意識に日本人に存在してることの一つでしょう。無意識の存在としては、仏教もあります。平安時代までは、仏教は貴族社会のものでしたが、鎌倉時代になると、禅や浄土真宗などが、武士階級に降りてきます。武士は屯田兵みたいな存在もいたそうで、平時は農作業をしていたりしたそうです。一般民衆に、法然を開祖にして、親鸞が浄土真宗をひろめました。大地を耕す農民に仏教が広まりました。その影響は計り知れない庶民文化として根付き、私たちがに無意識の存在としてのこっているようです。仏教用語で『無分別』という言葉があるそうです。分別のある人ということは、社会マナーも守り、生活では、目標を立てて、計画をして努力するという意味で立派な人としています。しかし、この分別で、言い換えれば、対象物を科学的に客観的に観察して戦略を立てて、科学的に自然などを征服して勝利して幸福感を得る。ここに幸福への限界があるのではないか、という疑念から自然のままで、それを征服ということはある意味不遜なこと。自然界に生まれた人間、表面的な分別はやめて『無分別』で自然に生きようという考え方でしょうか。日本人の無意識な部分に多く存在しているのではないでしょうか。2元論の対立軸以外にこの二つを融合させて、西洋的なものをうまく取り入れて、尚、日本的なものも捨てずに併存している、曖昧さと間違えられがちなこうした日本人的な要素があるのではないでしょうか。アジアの中では、ノーベル賞受賞者が多く存在します。色々な分野の研究を許す土壌があります。貧乏であった戦前から、江戸時代からこうした、人達を許容できる文化があったようです。つたない知識しかなく、うまく説明できません。こんな大きな問題を質問した馬鹿な奴とお笑いください。自分でもどんなお答えが欲しかったのか解らなく、無知な部分をお許しください
No.2
- 回答日時:
>デカルト式思考で近代科学が発展してきた
んなことあるもんか。誰がそんなこと言ってたんだ。そいつは自分で科学的発見をしたことのない、言葉遊びの好きな理屈屋人間じゃないの?
先ず、何でデカルトかと言う歴史から考えてみましょう。
モンテーニュが、複雑な事象の分析では正反対な主張を説得力ある形で提示することが可能であるという事例をこれでもかこれでもかと『エセー』の中で出して見せた。そして、懐疑論は結局思考の停止をもたらすとの意味で、
「我何をか知る」
という言葉で、今まで哲学の方法論の王道とされて来た懐疑論の限界を示し、西洋哲学の足下を掬ってしまいました。実際、もし誰かが「私は何も知らない」と言ったらモンテーニュは、貴方が知っていると言う論旨を説得力ある形で展開してみせる。一方もし「私は何かを知っている」と言ったら、貴方が何も知らないと言う論旨を説得力ある形で展開してみることが出来る。だから結局、そのジレンマから抜け出す言述として、「私は何かを知っているのだろうか?」という、思考の停止された表現しかあり得ないだろう、というのです。
これに困って恐慌状態に陥ってしまった西洋の哲学界に救世主デカルトが現れたとされているのです。デカルトは、あらゆるものを疑っても疑い切れないものが一つだけあるじゃないか、それは私が疑っているという事であり、だから私は存在しているじゃないか、ってんで
「我思う故に我在り」
って言い出した。だから懐疑論は全否定でなく、生産的な方法だよねってなってことで、西洋人たちはこの恐慌状態から抜け出し、それを理性の発見だ、合理性の誕生だと賛美し、持て囃した。
でも一寸待った。これって子供だましの屁理屈だよね。思春期の連中の論理でもあるまいし、話しを思いっきり単純化してしまい、言葉の弄びだけで理性の発見などと言うこの宇宙の大真理が見つかったなどと、良く言うよってえのが私の感想です。
私は科学者ですが、自然界で単純系と呼ばれる極端に簡単な系の問題ならいざ知らず、デカルトの「我思う故に我在り」なんてレベルの理屈が何かの新発見に導いた例も、また私の個人的な経験もなありませんでした。それより、この世界の圧倒的大多数を占めている複雑系と呼ばれる系に正面から挑戦したモンテーニュの「我何をか知る」の言述の方がよっぽど生産的で、科学的な多くの新発見に導いてくれました。
自分で発見の経験もしたことがない連中が、外からああだあこうだと言い出すと、「デカルト式思考で近代科学が発展してきた」なんて、自分でも訳の判らないこと言い出すんじゃないかな。きっとこんなこと言い出す連中は論理の分析だけで発見がなされたり、物が解ってしまうとでも考えているようで、目から鱗の経験なんてしたことが無いんじゃないかな。
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