①、彼は息子が誘拐された。
②、彼の息子が誘拐された。
③、彼は息子を誘拐された。

以上三つの文章の違いはなんでしょうか?間違っている文章がありますか?

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A 回答 (9件)

このまま話を終えるのは、ある意味で無責任と言えますので、すこし説明を加えます。

日本人の多くの人びとが文法を学んだのは、中学校や高校において教えられた「学校文法」でしょう。辞書などもその文法を中心にしています。
 「主語、述語」の関係が成り立って、文が成立するというのが(主語の省略はあり得るとしても)学校文法だけでなく、近代以後のいくつもの文法がそうでした。
 具体的に言えば、「彼は」が主題を表すなどとは言いませんでした。そして主語は「彼が」以外に「彼は」「彼も」「彼こそ」「彼まで」のような形を取りうると考えられています。したがって
 「彼は息子が誘拐された」のような文では、主語が二つ連続して出て来ることになり、文になっていない(非文)という言い方がされたと思います。
 しかし、ある時期から(その時期については「国語学史」的知識に乏しいわたしにははっきり言うことは出来ません)「象は鼻が長い」という文章が話題となり、「象は」「鼻が」という主語が二つ続いた例を、ある時期には「象は」は「総主語」、「鼻が」は「主語」と本気で考えた学者もあったのです。
 その後、「象は鼻が長い」という本を書いた三上章らの影響で、「主題」という概念があらわれて、「象は」のような部分を「主語」と区別する考えが出てきました。
 そういう考えの上に立てば、「彼は息子が誘拐された」は決して「非文」ではなく、成立しうる文と言うことになります。しかし、このような考えは、今も学校で教えられている「学校文法」(橋本文法が基本)では採られていないようです。
 その点をご理解いただくようにお願いします。
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丁寧に説明して頂き、ありがとうございます

お礼日時:2015/10/04 15:35

#7さんありがとうございました。


質問者さんにも感謝いたします。
見解の相違のようですので、これ以上、私見を述べるのはやめておきます。
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この回答へのお礼

丁寧に説明して頂き、ありがとうございます。

お礼日時:2015/10/04 15:31

No.6 hakobuluさんへの回答


「彼は」主題の提示。
「息子が誘拐された」主題についての叙述。
叙述の内容は
① ヲ格の受け身(能動文のヲ格補語が主格補語になる受け身=「ヲ」で受ける目的格を主語にしてできる受身)
 能動文 (誰かが)息子を誘拐した。
 受身文  息子が(誰かに)誘拐された。
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この回答へのお礼

丁寧に説明して頂き、ありがとうございます

お礼日時:2015/10/04 15:31

#4です。


#5さんのご回答を拝見しての感想を述べさせていただきます。
それに先立ち、まず、横レスを仕掛けてしまったことに対して質問者さんにお詫び申し上げます。
ただ、ご質問に対する理解に直結する疑問点と思いましたので、あえて実行させていただいた次第です。
ご理解とご容赦のほどお願いできますれば幸いです。
そして応じていただいた#5さんに深く感謝申し上げます。

「『は』は題目をあげる記号で、そのあとには、それに関連したことはどんなことを述べてもいいのである」は、やはり乱暴な断定だと思いますね。
どのような文脈で使われていたのかは不明なので何とも言えませんが、「関連したこと」とは何を指すのか、といった辺りが懸案事項になりそうです。
「奇抜」というのは、おそらく「僕はうなぎだ」のような表現を指すような気もしますが、これなどは別に不自然とも思いません。

以下、要点のみ述べます。
#5さんは、
・(私は誰かに私の)足を踏まれた。←誰かが私の足を踏んだ。
・(私は誰かに私の)財布を盗まれた。←誰かが私の財布を盗んだ。
という構造をお示しになっておられます。
同様に、今回のご質問文は、
・(彼は誰かに彼の)息子を誘拐された。←誰かが彼の息子を誘拐した。
という構造になるでしょう。
ここで#5さんに2点お伺いできればと思います。
まず、1つ目。
①、彼は息子が誘拐された。
という表現が自然だというお立場であるならば、
・私は足が踏まれた。
・私は財布が盗まれた。
という表現も【自然な日本語】だとおっしゃるのでしょうか。
#4でも申し上げたように、『極めて特殊な意図であれば別ですが、これはほぼあり得ない』というのがわたしの立場です。
つまり、この文が正しいとするならば、どう考えても無理な想定にならざるを得ず、「を」と「が」の取り違えによる間違いだ、と判断するのが妥当ではないか、というのが私見の骨子です。
次に2つ目の質問ですが、仮に自然だとした場合、①と③の違いはどのように説明なさいますか。特に ① の場合のシチュエーションをお示しいただければ助かります。
#4で「極めて特殊な意図であれば別」と申し上げたように文法的に間違いだと言っているわけではありません。実際「特殊な場合」もお示ししました。
しかし、その特殊な例を挙げて、だから①の場合も自然で間違いのない日本語表現だ、と回答する意味があるだろうか、と思うわけです。
2つ目の質問は、この点を確認させていただくためのものです。
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この回答へのお礼

丁寧に説明して頂き、ありがとうございます

お礼日時:2015/10/04 15:31

①、彼は息子が誘拐された。


という文について「不自然な文だ」という反論をいただきました。
 この文はここでの質問者が書いた文ですし、それを「わたしは不自然だとは感じませんでした。「彼は」という主題化された書き出しの後に来る、「叙述は何であってもかまいません。」と書いたのはわたしですが、わたしが言ったことはそれほど信じてもらえないかも知れないという危惧はあったので、金田一春彦の「『は』は題目をあげる記号で、そのあとには、それに関連したことはどんなことを述べてもいいのである」を拝借して書いたものです。それだけでは不足かも知れないので、金田一の言う「『は』はずいぶん奇抜なもの二つを結びつけるという例文まで挙げましたが、納得はしてもらえなかったようです。
 ①のような言い方は、「不自然というか、間違いと判断するのが適切ではないかと思う」とおっしゃいます。そして「①のような文で着目すべきはむしろ『動作の主格を特定する』という用法の格助詞「が」の方でしょう」ともおっしゃいます。「主題文」の中に「が」が出て来るのはふつうにあることです。
 「象鼻文」の例を挙げながら、「象に関して述べてみれば、長いんですよね、鼻が。」というように倒置法まで用いて「が」という主格を強調している意味が分かりません。日本語文法では「主格補語」として「補語」の地位に追いやられた「主格」にどれほどの意味があるのかが、分かりません。
 例えば「昨日は、火事がありました」というありふれた文において、「が」にどれだけの意味があるのでしょう。
また、話は別ですが、あるいは「彼は」の「は」が対比の「は」であると受け取られてのでしょうか。

「彼は息子が誘拐された。娘が誘拐されたわけではない」
「彼は息子が誘拐された。隣の家では娘が誘拐された」

というような話に発展するところを見ると、その可能性があり得ます。しかし、大野晋が分類した「対比」の「は」は読めばすぐ分かるような種類のものです。「は」が出てきた時、用心していなければならない性質のものではありません。

 ③、彼は息子を誘拐された。
という間接受身の場合は、「誘拐された」という動作の対象である息子が目的語として単純に示されているだけで、特に強調的に指定されているわけではないため自然な文になる。
 とありますが、これは「主題文」と「受け身文」とを連動させたもので、ちょうど「彼は(誰かに)足を踏まれた」「彼は(誰かに)財布を盗まれた」と同形になり、確かにおっしゃるとおり「間接受身形」のひとつです。前回、No.2の方への参考に引用したように、「所有の受身」に入れられるものかも知れません。(子供が所有の対象になると考えるには少々抵抗がありますけれど)この文に問題がないことはお互いに合致しているわけです。
 (この点では、No.2の方にお詫びしなければなりません。「『息子』を誘拐されたことにより、『彼』が被害を受けたことを表します。」とあったのを「被害の受身」と呼ぶ自動詞の受身だと勘違いして、考え方が違うと言ってしまいました。この点については下記に改めて説明いたします。)

      《受身形のまとめ》
◆「直接受身形」直接対応する能動文がある。
① ヲ格の受け身(能動文のヲ格補語が主格補語になる受け身=「ヲ」で受ける目的格を主語にしてできる受身)
  ・その生徒は先生にほめられた。←先生がその生徒<を>ほめた。
② ニ格の受け身(能動文のニ格補語が主格補語になる受け身=。「相手の受け身」ともいう)
  ・彼は婚約指輪を突き返された←彼女は彼<に>婚約指輪を突き返した。
◆「間接受身形」
① ノ格の受け身(「所有の受け身」ともいう)
  ・(私は誰かに私の)足を踏まれた。←誰かが私の足を踏んだ。
  ・(私は誰かに私の)財布を盗まれた。←誰かが私の財布を盗んだ。
動作、行為を受けた人を主格補語にして、その人の所有するもの(体の一部・持ち物)にその動作、行為が及んだことを表す。受け身文の(私は誰かに私の)の部分は普通、表現されない。
 英語だったら、必ず言う「わたしの足」「わたしの財布」を、日本語では絶対に言わない。
② 第三者の受け身(迷惑の受け身・被害の受け身)
 日本語によく見られる「自動詞」の受身です。
  ・雨に降られた。←雨が降った。  ・人に畑を歩かれた。←人がわたしの畑を歩いた。
    受身の文で表現されて初めて迷惑を被った人が表されるので「迷惑の受け身」「被害の受け身」ともいわれる。 
なお、要約的にいう「被害の受身」「迷惑の受身」は実際には「幸運の受身」をも含んでいます。
 例 暑い夜に、涼しい風に吹かれた。
  また直接受け身形でも「実質的に」被害を受けることがあります。例 あいつに殴られた。しかし、これを言い始めると混乱の元になりますので普通は言いません。
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この回答へのお礼

丁寧に説明して頂き、ありがとうございます

お礼日時:2015/10/04 15:32

#1ですが、少し補足させていただきます。



①、彼は息子が誘拐された。
これが自然な構文であるとのご見解が御両人より示されておりますが、異論を唱えます
#3さんの『 この「は」は主題を表す(または「取り立て」の)係助詞と呼ばれるもので、 彼について言えばという意味を表し、その叙述は何であってもかまいません。』とおっしゃる内容についても違和感を生じます。
以下、順に述べていきます。

まず、自動詞の場合は直接受身になりますが、「誘拐する」という他動詞の場合、2通りのパターンがあります。
・平叙文における目的語が受身文でも目的語となる場合⇒間接受身。
・平叙文における目的語が受身文で主語となる場合⇒直接受身。
よって、「誰かが彼の息子を誘拐した」という平叙文の場合、
①⇒直接受身(息子=主語、彼=主題)
②⇒直接受身(彼の息子=主語)
③⇒間接受身(息子=目的語、彼=主語)
となる。
#1でもお示ししたとおり、② が最も適切な表現である点は明白だと思います。
③は、「彼は、息子を誘拐されるという可哀想な状況にある。」という自然なニュアンスになります。

問題は ① ですね。
これは、不自然というか、間違いと判断するのが適切ではないかと思います。
お二人が、それぞれ参照例として挙げているのは正しい文ですが、例文 ① は、それとは意図が異なるので一緒にしてしまうのはどうでしょうか。
#3さんがおっしゃるように、「は」は主題提示という用法の係助詞です。
しかし、この ① で着目すべきは、むしろ「動作の主格を特定する」という用法の格助詞「が」のほうでしょう。
それぞれ検証してみます。
1.
『象は鼻が長い。』⇒「象に関して述べてみれば」と象を主題提示してから、「鼻が長い」と言っている文。
これは、「象に関して述べてみれば、長いんですよね、鼻が。」という意味の文です。
「長い」という状態の主格が鼻であることを特定することによって、象の特徴を描写する目的があるので自然な文になります。
2.
『源太君は、おじいさんが昨日なくなったんです』⇒「源太郎君に関して述べてみれば」と源太郎君を主題提示してから、「おじいさんが昨日なくなったんです」と言っている文。
これは、「源太郎君に関して述べてみれば、昨日なくなったんです、おじいさんが。」という意味の文ですが、実は、「源太郎君が、今日学校を休んでいるのはそのためです」のような理由を言いたい場面で使っているので自然な表現になるのです。
ですから、理由を表わす「のです(んです)」を外して、「源太君は、おじいさんが昨日なくなった」とすれば不自然になってしまうでしょう。
「源太君は、おじいさんが昨日なくなった。花子さんは、おばあさんが一昨日なくなった」
「源太君は、おじいさんが昨日なくなった。おばあさんはまだ生きている」
のような極めて特殊な意図であれば別ですが、これはほぼあり得ないと考えるのが妥当だと思います。
3.
お二人の例文を検証させていただきましたが、本題の、
①、彼は息子が誘拐された。
について検証します。
『彼は息子が誘拐された。』⇒「彼に関して述べてみれば」と彼を主題提示してから、「息子が誘拐された」と言っている文。
これは、「彼に関して述べてみれば、誘拐されたんですよね、息子が。」という意味の文です。
しかし、この文は上記1、2とは異なり、「誘拐された」という受身動作の主格(主語)が息子であることを特定することによって、何を意図しているのかという点が曖昧なため不自然な文になっています。
つまり、たとえば、
「彼は息子が誘拐された。娘が誘拐されたわけではない」
「彼は息子が誘拐された。隣の家では娘が誘拐された」
といったシチュエーション以外では使えない表現でしょう。

「(主格の)特定」とは、動作・状態などの主格を極めて強調的に指定する、という用法です。
それなりの意図(目的)が無いのに「強調的に指定する」と不自然になる、ということ。
そのため、
①、彼は息子が誘拐された。
という直接受身文は不自然(間違い)になってしまうわけです。
③、彼は息子を誘拐された。
という間接受身の場合は、「誘拐された」という動作の対象である息子が目的語として単純に示されているだけで、特に強調的に指定されているわけではないため自然な文になる。
要するに、
『象は鼻が長い。』
『源太君は、おじいさんが昨日なくなったんです』
といった文と
『①、彼は息子が誘拐された。』
を同列に扱うべきではない、というのが異論の骨子です。
#2さんの例文を拝借すれば、
「私は誰かに財布を盗まれた」
という文は自然ですが、
「私は誰かに財布が盗まれた」
とすれば不自然になってしまいますよね。
これと同じ理屈です。
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この回答へのお礼

丁寧に説明して頂き、ありがとうございます

お礼日時:2015/10/04 15:35

No.2の方の回答に、全面的に賛同したかったのですが、一部同意出来ない点があるのでその点を補足します。


 まず、
①、彼は息子が誘拐された。
③、彼は息子を誘拐された。
 この「は」は主題を表す(または「取り立て」の)係助詞と呼ばれるもので、 彼について言えばという意味を表し、その叙述は何であってもかまいません。
 金田一春彦の言葉を借りれば、(日本語新版下-岩波新書)「は」はずいぶん奇抜なものを二つを結びつける。
 春<は>眠くなる
 あしたの国語<は>『徒然草』を持参せよ
 源太君<は>、おじいさんが昨日なくなったんです
 これ<は>一雨降るな
このように、「息子が誘拐された」「息子を誘拐された」が続いても不思議ではありません。
 
 しかし、賛同しがたいのは、①、③における受け身形の差を「直接受身形」と「間接受け身形」に区別されたことです。どちらも、能動文は「(誰かが)息子を誘拐した」ではありませんか。念のため、
 http://www.nihongokyoshi.co.jp/manbow/manbow.php …
のサイトから、「直接受身形」と「間接受け身形」の説明を引用しておきます。

   (以下引用)
 ……………………………………………………………………………………
受け身文の種類には以下のものがある。
(1)直接受け身(直接対象の受け身)〜直接対応する能動文がある受け身文〜
「その生徒は先生にほめられた」という受け身文は「先生はその生徒をほめた」という能動文に対応している。このように直接対応する能動文がある受け身文のことを「直接受け身」という。能動文のどの格を受け身文の主格にするかによって以下の二種類がある。

① ヲ格の受け身(能動文のヲ格補語が主格補語になる受け身)
  ・その生徒は先生にほめられた。←先生がその生徒をほめた。
② ニ格の受け身(能動文のニ格補語が主格補語になる受け身。「相手の受け身」ともいう)
  ・彼は婚約指輪を突き返された←彼女は彼に婚約指輪を突き返した。

(2)間接受け身(間接対象の受け身)〜直接対応する能動文がない受け身文〜
「彼は、妻に先立たれた」という受け身文には対応する能動文がない。(「妻は、彼を先立った」とは言えない)このように直接対応する能動文がない受け身文のことを「間接受け身」という。間接受け身にも以下の二種類がある。
① ノ格の受け身(「所有の受け身」ともいう)
  ・(私は誰かに私の)足を踏まれた。←誰かが私の足を踏んだ。
  ・(私は誰かに私の)財布を盗まれた。←誰かが私の財布を盗んだ。
動作、行為を受けた人を主格補語にして、その人の所有するもの(体の一部・持ち物)にその動作、行為が及んだことを表す。受け身文の(私は誰かに私の)の部分は普通、表現されない。
② 第三者の受け身(迷惑の受け身・被害の受け身)

  ・(私は)隣人に塀を作られた。←隣人が塀を作った。
    受け身の文で表現されて初めて迷惑を被った人が表されるので「迷惑の受け身」「被害の受け身」ともいわれる。 ……………………………………………………………………………………
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丁寧に説明して頂き、ありがとうございます

お礼日時:2015/10/04 15:35

どれも間違ってはいません。



①は②の「彼の息子が誘拐された。」の文の「彼」を取り立てたものです。

「象の鼻が長い。」を「象は鼻が長い。」に変えるのと同じです。

②は「(誰かが)彼の息子を誘拐した。」を受身にしたもので、直接受身と呼ばれます。

③は間接受身と呼ばれるもので、「息子」を誘拐されたことにより、「彼」が被害を受けたことを表します。

「誰かが私の財布を踏んだ」の受身が「私は誰かに財布を盗まれた」(間接受身)となるのと同じです。

なお、このケースでは「私の財布が誰かに盗まれた」(直接受身)という受身文は、日本語としては不自然です。

「彼の息子が誘拐された」は、日本語として、不自然ではありません。
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この回答へのお礼

丁寧に説明して頂き、ありがとうございます

お礼日時:2015/10/04 15:36

①、彼は息子が誘拐された。

⇒このような表現は基本的にしません。「彼女は娘が誘拐され、彼は息子が誘拐された。」という極めて特殊な場面以外では使わない。

②、彼の息子が誘拐された。⇒これが最も自然な日本語表現です。「彼の息子が(誰かに)誘拐された。」という意味。

③、彼は息子を誘拐された。⇒「彼は、息子を誘拐されるという可哀想な状況にある。」というニュアンス。
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お礼日時:2015/10/04 15:36

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「ストラ」は「田んぼ」と同じです。

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「アントニオ猪木」と同じです。次に続くものがあるので、「オ」は高いままです。
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が3文型だって書いてありました。
これってつまりall enployeesが目的語ってことですよね。
じゃあ、このto all employeesは上のto usとどこが違うんですか?
おんなじ形なのに、一方はtoに導かれてる副詞になって、もう一方は目的語とされる
のはなぜなんですか?
すこし言い換えると、to all employeesのtoが落ちたwas given all employeesの形ならまだ分かります。(この形も可能ですよね?)
でもtoがくっついたら副詞句のto usとの差異を帳尻合わせて説明できないんです。

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② 適應性強
③ 人緣佳
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常用漢字に直せるものは直しておきます。
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② 適應性強 → 適応性強
③ 人緣佳  → 人縁佳
④ 有實力  → 有実力
⑤ 頗樂於助人→ 頗楽於助人
⑥ 反應靈活 → 反応霊活
⑦ 易得罪人 → 易得罪人
⑧ 招是非  → 招是非
⑨ 勞心不安 → 労心不安
⑩ 中規中矩 → 中規中矩
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なぜでしょうか?
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アメリカに38年半住んでいる者です。 私なりに書かせてくださいね。

このQuite a few people have been invited to celebrate the couple's anniversary.に招待されている、と言う訳で日本語として十分通じるものでしょう。 

しかし、この訳を今度は英語になおすと、Quite a few people are invited to celebrate the couple's anniversary.となりがちですよね。

ここに「日本での英語教育が一方通行の訳し方を教えている」と言うことがおきているのです。

つまり、英文から和訳に、日本語文から英訳に、と一方通行をさせるだけなのです。 残念ながらこのカテでもよくみてしまうのですが、日本語文を英訳したときに英語単語を並べ文章を作っているのですがその文章を今度日本語訳に刷るととんでもない文章になってしまうという英文が作られているのですね。 つまり、使われていない、使うことをはばかれるような英文さえも作っているわけです。

これは一途にこの一方通行的訳仕方をしていることも影響しているのです。 

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これを念頭に入れていただき読んでください。

Quite a few people have been invited to celebrate the couple's anniversary.



Quite a few people are invited to celebrate the couple's anniversary.

の違いはと言うともちろん現在完了形の「形」をしているか現在形かと言う事ですね。

そして、Quite a few people were invited to celebrate the couple's anniversary.

と言う形にも表現できますね。

この三つともよく似ているとは思いませんか? 時勢とか形を除いてです。

そうです、Quite a few people, BE invited, to celebrate the couple's anniversary.の三つが共通しているところですね。

と言うことは、are, were, have beenの表現のフィーリングをつかめば意味が分かるということになりますね。 (別に小学生に話している、ということではなく、基本の基本を知ってもらいたいのです。 この基本を忘れて自己解釈を作り出すようになると英語を使えないと言われても仕方ないからなのです)

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わっている、と言うフィーリングを出したいときに使う表現なのです。 
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それを私たちはと言うWeを主語としてではなく、何人招待されたのか、を言いたいと感じたので作者はQuite a few peopleと言う主語を持ってきたのです。 誰がどのパーティーにと言うフィーリングは念頭にはないわけです。

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ここまではいいですね。

ですから、この人は、have been invitedと言う表現を使うことでその手続きは完了した、といっているわけですね。

では、Quite a few people were invited to celebrate the couple's anniversary.ではどうなのか、ですね。 この「過去形」と言う形で出せるフィーリングは「した・された」と言うだけのことなのです。 受動態になっていますから「された」ですね。 つまり、招待された、わけです。

Quite a few people are invited to celebrate the couple's anniversary.ではと言うと、現在形ですね、ですから、今のところ、今現在、今、と言うフィーリングを出したいときに使うわけです。 つまり、招待されています、と言うことになるわけです。

何人招待した?ときかれれば10 were invitedとなり、何人招待されている?ときかれれば、10 are invitedとなるわけです。 結果として何人招待されている、10 have been invitedとなるわけです。

現在完了という表現をして完了したことを言いたいときに使える表現ですが、完了した動作はinviteと言う行為に過ぎないのです。 この理解がないと「現在完了は完了、継続、経験」という二文字の感じ表現をして知識があるといっても???となるわけです。 そして、ちょっと待って、経験ってそのことをやったから経験なんですよ、終わっていなかったら経験になりませんようね、じゃ、完了とどう違うの?と疑問に持っても自然だとしかいえないわけです。 文法学者さんが出来ることは「したことがある」と訳すときと「したことを完了した」と訳すときがあるから、とくらいしか説明できないでしょう。

I have invited 100 peopleという文章を見て、これが完了なのか経験なのか、文法学者さんは区別がつかない、と言うことでもあります。 文章の遣われた状況などを考慮にしたうえに感じ取れるフィーリングを元にこの文章を理解しなくてはならないのですね。 だからこそ、多読したり、もっと多くの文章に接したり、DVDなどで実際に使われる状況を体で受けたりすればいいわけです。 学校文法はこれらをまったく無視して専門用語を並び立てて説明しようとしているわけです。 そうすると、フィーリングを感じていないなといわれても仕方ない解釈をしたり、フィーリングを状況にあわせた英文を作れない、と言うことになってしまうわけです。

さいごです。 「かなりの数の人々が、その夫婦の結婚記念のお祝いに招待されている」と言いたいときに、実際にはare, wereでもhave beenでもほとんど問題なく返事として使うことは出来ます。 そして一応その質問ー回答と言う動作は終わるでしょう。 もちろん、詳細を聞くためにare they or were they?と突っ込む人もいないことはないでしょう。 しかし、実際にはこの三つとも、上に書いた三つの要点をつかんでいることから、時制は大きな問題ではない、とされる質問でもあるわけです。 ですから、何人招待した・しているんだ、と言われて、quite a few (people).と言うだけでBE動詞がどのよう内「活用」されているのかはまったく関係なく、ちゃんとフィーリングは伝わるのですね。

文法は必要です。 なぜなら文法はちゃんとフィーリングや状況を含んだ知識だからなのです。 学校文法は専門用語の持つ威厳しかないイメージでやっと生き残っているだけなのです。 すでに学校文法が崩れかけている理由が英語を言葉としてみ始めてきた人が多くなったということでもあります。

これでいかがでしょうか? 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。 

アメリカに38年半住んでいる者です。 私なりに書かせてくださいね。

このQuite a few people have been invited to celebrate the couple's anniversary.に招待されている、と言う訳で日本語として十分通じるものでしょう。 

しかし、この訳を今度は英語になおすと、Quite a few people are invited to celebrate the couple's anniversary.となりがちですよね。

ここに「日本での英語教育が一方通行の訳し方を教えている」と言うことがおきているのです。

つまり、英文から和訳に、日本語文から英...続きを読む

Q「てあげてください」についてお聞きしたいのです。 ① 彼を許してあげてください。 ② 彼の話を聞い

「てあげてください」についてお聞きしたいのです。

① 彼を許してあげてください。
② 彼の話を聞いてあげてください。

上記の例文のように、「てあげて」の対象[①彼&②彼(の話)]が明白にしている場合、「てあげ」は下記③④のように省略してもOKですか?
省略してOKなら、どちらがよく使われますか?ニュアンスなど何か違いがありますか?

③ 彼を許してください。
④ 彼の話を聞いてください。

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

① 彼を許してあげてください。
② 彼を許してください。
③ 彼を許してやってください。
❺ 彼の話を聞いてあげてください。
❻ 彼の話を聞いてください。
❼ 彼の話を聞いてやってください。

a 「あげて」「やって」を省略して、②や❻のようにしてもOKですか?
b 省略してOKなら、どちらがよく使われますか?
c ニュアンスなど何か違いがありますか?

a:OKの意味にもよりますが、OKだと思います。cを参照してください。
b:使用される状況は、ここ20年間くらいならば、
 ①≫③>②  ❺≫❼>❻ だろうと思います。
 https://oshiete.goo.ne.jp/qa/6893890.html
 なお、「対象[①彼&②彼(の話)]が明白に」というか、「行為を促すネライが行為者のため」ではなくて、「行為を促すネライが行為の対象者の利益のため」の使用状況です。
 これが、「先生の話をしっかり聞いてください」「訴人の話も、被告人の話も聞いてください」のように、行為を促す理由が《行為者の利益、役割責任の実行、正義のため》という場合には、②≫③>①、❻≫❼>❺になると思います。
c:つぎのような感じを与えます。
《あげてください 》
⇒ 省略されている主語で表されるサービスの主体が、サービスの客体である他人のためにする行為を、発話者の側から丁重に要望・懇願している。
《○○てください》
⇒ 何かの行為(○○する)を相手に要望・懇願している。
《やってください》
⇒ その気がなくとも義務や責任や役割、立場などをわきまえて誠実に行ってくださいという感じです。「相談に乗って」「勉強をみて」「私の話を聞いて」「彼の話を聞いて」 積極的に・主体的に・誠実に・誠意をもってというような、行為をするときの姿勢やスタンスを重視して要望している感じがします。 
❺は、彼の話を聞くなら上の空でも、形だけでもという感じの場合を含みます。❼は、彼の話を聞くときには「ちゃんと聞いてね」という感じの場合が多いかもしれません。 ❼は、そう言われた側にとっては押しつけがましい、上から目線で言われたという感じがおきるかもしれません。 ❻は、❺も❼も含んでいますから、発話時の声の調子や二人の人間関係で、どうにでも受け取れる言葉になります。 「とりあえず聞いてね」というネライがあれば、❺のように「~~てあげてください」という言い方をする人が多くなると思います。

① 彼を許してあげてください。
② 彼を許してください。
③ 彼を許してやってください。
❺ 彼の話を聞いてあげてください。
❻ 彼の話を聞いてください。
❼ 彼の話を聞いてやってください。

a 「あげて」「やって」を省略して、②や❻のようにしてもOKですか?
b 省略してOKなら、どちらがよく使われますか?
c ニュアンスなど何か違いがありますか?

a:OKの意味にもよりますが、OKだと思います。cを参照してください。
b:使用される状況は、ここ20年間くらいならば、
 ①≫③>②  ❺≫❼>❻ だろうと思います。
 https://o...続きを読む

Q受け身文のbecomeとgetの違い

状態を表す受け身を動作(変化)を表す受け身に変えるには
「become/get+過去分詞」となってますが、それぞれの
使い分けがイマイチ分かりません。

I became interested in America.アメリカに興味を持った
I got accustomed to their custom.私は彼らの習慣に慣れた

この場合何故「became」「got」を使うのか、2文共get、それかbecameではいけないのか・・・。
某ラジオ講座ではどちらの意味も「~になる」になってるので違いが分かりません。

Aベストアンサー

(1)、(2)は、例文として挙げられたものでしょうか。もし、そうであれば、説明と一致していないことになります。

(1) I became interested in America.
(2) I got accustomed to their custom.

まず、be動詞を使った受身には、「動作受動態」と「状態受動態」の二つがあります。前者は、「ある状態から別の状態への変化」を表すのに対して、後者は、「結果として生じた状態」を表します。
従って、オーソドックスな学校英語の説明では、例えば、(3)は、二通りに解釈できるので、あいまいになることを指摘します。つまり、挙式を境に、unmarriedからmarriedへとmarital statusが変化したことを問題にするのか、既にmarried lifeの状態にあることを問題にするのか2通りの読みがあります。

(3) We were married.

そこで、「動作受動態」の読みであることを明確にするために、getやbecomeを使って、(4)のように表現すると説明するわけです。

(4) We [got/became] married.

言い方を換えると、「動作受動態」と「状態受動態」とは、同じ「過去分詞」を使っていても、前者が「動詞的な性格が強い」のに対して、後者は「形容詞的な性格が強い」ということができます。従って、いわゆる「動作主(agent/initiator)を表すby」が結びつくのは、「動作受動態」ということになります。
(ここまでの説明を見ても、実は、学校英語の説明に2,3の重大な誤り、あるいは、見落としがあるのですが、それは、触れないことにします)

ところが、(1)や(2)のinterestedやaccustomedは、「形容詞的な性格が強い」か、あるいは、もっとはっきり言うと、形容詞です。それは、後にby以外の前置詞を使っていたり、強調語が、動詞と相性のよいmuchやvery muchというよりも、むしろ形容詞と仲の良いveryと結合することを挙げることができます(更に、決定的な証拠を挙げることもできますが、その前提的知識についての説明が長くなるので、省きます)。

(では、(1)や(2)は、受身ではないのかというと難しいところです。これは、「何を受身と考えるか」という定義が絡む問題です。大まかに言って、(1)のinterestedや(2)のaccustomedは、完全に形容詞化した表現と考える、つまり、受身文の一部の過去分詞が例外的に形容詞化したと考えることもできれば、逆に、「be+形容詞構文」の一種が受身文であり、(1)や(2)は、むしろ、この構文のプロトタイプへと変化したと見ることもできるわけです)

状態変化を伴う受身に話を限れば、本来、挙げられるべき例文は、(5)や(6)のようであるべきでした((6)では、盗んだ相手というのは、通例、見当がつかないので、by…の部分はつけようがないですね)。
この場合には、becameは、まったく使われないわけではありませんが、コーパスで調べると分かるように、出現頻度は、無視できるほどに少ないのです。英々辞書の記述を見ても、「動詞的性格の強い」過去分詞を伴う「受身」の用法をgetについては指摘していても、becomeについては挙げていません。歴史的には、ともかく、現在では、getにほぼ一本化していると考えてよいと思います。

getというのは、中核的意味として、「努力して、結果的に手に入れる」という意味があります。そこから転じて、「結果」の部分に重点が置かれると、今度は、主語に原因を表す表現が来る「因果関係」を意味する用法が出てくるわけです。

(5) He got run over by a truck.
(6) My bike got stolen.

(5)や(6)の特色としては、主語または主語の指示対象と関係する人物に「責任」があることを示唆します。つまり、トラックに跳ねられたのは、例えば、信号を無視したからだというように、”He”に過失があったことを示唆し、バイク(または、自転車)が盗まれたのは、キーを挿したままだったり、施錠を怠ったというように話し手に落ち度があったことを表します。

(4)でgotが選択できたのは、「結婚」は当人の責任において遂行される事柄だからです。

その意味で、「動作受動態」の読みを唯一的に決定するためにgetを使うと説明する方式も、事実には、反していることになります。

(ちなみに、(1)や(2)に現れる形容詞(あるいは、「形容詞的性格の強い過去分詞」と譲歩しても構いませんが)の場合は、becomeの方が用例としては多く存在します。このことから、(5)、(6)の場合のように後に「動詞的性格の強い過去分詞」を導くgetとの間で「棲み分け」が定着しつつあると考えられます。(2)のgotには、「努力」のニュアンスがあるかもしれませんが、おそらく、You have to get accustomed…のhave toのように、他の表現を使って、意図した意味を表す方が自然ではないかと思われます。その点で、come to beの意味で、「ある状態への変化」を中立的に(つまり、何らかの付加的意味を持たずに)表すbecomeの方が今後も優勢であり続けると考えられます)

(1)、(2)は、例文として挙げられたものでしょうか。もし、そうであれば、説明と一致していないことになります。

(1) I became interested in America.
(2) I got accustomed to their custom.

まず、be動詞を使った受身には、「動作受動態」と「状態受動態」の二つがあります。前者は、「ある状態から別の状態への変化」を表すのに対して、後者は、「結果として生じた状態」を表します。
従って、オーソドックスな学校英語の説明では、例えば、(3)は、二通りに解釈できるので、あいまいになることを指摘し...続きを読む

Q①は使用の違いを。②は語の違いを教えてください。

①-1)Not a star was to be seen in the sky.
①-2)Not a star couldn't be seen in the sky that night.
was to be と couldn't be では、①ー1)の方がよい文ですか?どちらも使えそうです。違いがわかりません。ニュアンスも含めて教えてください。

②-1)She kept the door closed because it was likely to rain.
②-2)She kept the door close because it was likely to rain.
辞書で調べたら a close box,a close hatchなど「閉まっている」でcloseが使えていました。②-2)の文は間違いですか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

そうですね、まあこういうものと思うしかないと言えばそうなんですが、何か理屈がほしいと言うことでしょうか?
どういう理論がいいのか分かりませんが、例えばこういうのでは?

close の基本義は
形容詞なら「近い」
動詞なら「閉じる」

「ドアを閉じる」なら close the door
「ドアが閉じられ(てい)る」なら、the door is closed. (SVC)
だから、SVOCにして、O が the door なら、C は closed。

The door is close. は「ドアが(何かに)近い」という意味になるのが普通。
例えば、The door is close to the bed.「ドアがベッドに近い」とか。
これを無理矢理他の意味にとろうとするのは、相当の無茶というか、ほぼ不可能。

だから、kept the door close の意味を何とかとろうとしたら、「ドアを(何かに)近づけておく」としか解釈できない。


close が「密閉された」という意味になるのは、名詞の前に置いて、close hatch のように、決まった言い方の時だけ。
The hatch is close. で、「ハッチが密閉されている」という意味にはならない。


ちなみに、close door meeting という言い方もあるが、これは closed door meeting 「(ドアを封鎖した会議→)秘密会議」を、間違って書いたもの。
日本人が「うろおぼえ」「ふんいき」を「うるおぼえ」「ふいんき」と書いてしまうような誤り。

そうですね、まあこういうものと思うしかないと言えばそうなんですが、何か理屈がほしいと言うことでしょうか?
どういう理論がいいのか分かりませんが、例えばこういうのでは?

close の基本義は
形容詞なら「近い」
動詞なら「閉じる」

「ドアを閉じる」なら close the door
「ドアが閉じられ(てい)る」なら、the door is closed. (SVC)
だから、SVOCにして、O が the door なら、C は closed。

The door is close. は「ドアが(何かに)近い」という意味になるのが普通。
例えば、The door is close to...続きを読む

Q触るの違いと受け身表現

触る
손을 대다・만지다・건드리다
についてどのように違うのかと、受け身
触られるはどうなるのか、検索しましたが出てきませんので
ご教授よろしくお願いします。

Aベストアンサー

손을 대다(손대다)・만지다・건드리다について

ざっといいますと 손대다は手を触れる・만지다はいじるに近いです。

例えば美術館で「作品に手を触れないでください」という場合など
작품에 손대지 마세요 が適当だと思います。

이건 위험한 물건이니까 손대지 마세요 これは危険なものだから触らないでください。
これは 손대다に限る例でしょう。

余分ですが、대다には「時間に間に合う시간에 대다」という意味もあります。タッチするという意味では共通するところでは、と勝手に思っています。

一方 만지다は触れるだけでなく指でさすったりこすったりする動作です。
표면을 만져서 감촉을 확인했다 表面を触って感触を確かめた。


건드리다は触るというよりも、手や足で人を刺激したり押したり動かそうとしたりする動作です。
잘 자고 있는 아이를 남편은 자꾸 건드렸다 よく寝ている子供を夫は何度もつついた

人を刺激したりすることにも用います。
가만히 있는 사람을 왜 건드리려? おとなしくしている人に何故手を出すの。

(1)手での動作に限られるのは 손을 대다(손대다)・만지다
したがって손대다・만지다 は入れ替え可能な場合がある。

(2) 건드리다は手や足やからだの一部分を使う動作。相手に刺激を与えたり動かしたりする動作に用いる。気分を害することにも用いる。

(3)「~を」となるのは 만지다・건드리다 손대다は「~に」の形になる。


>受け身「触られる」はどうなるのか

손을 대다(손대다)・만지다・건드리다いずれも受身形はないということだと思います。

日本語は「れる・られる」をつけると受身形ができるので、辞書には受身の動詞は載っていません。
一方韓国語は受身形が固定されているので 안다 抱く 안기다 抱かれるという具合に単独で載っています。逆に言えば、載っていないということはないということだと考えられます。

動詞に「아 지다/어 지다」を付けて受身形を作る方式もすべての動詞に可能とは言えないようです。またその形が受身というより自動詞を作る場合もあります。この方式で「触られる」という受身形を作れるか私には
断定はできませんが。

これはネイティブあるいは専門として勉強された方の回答があればいいのですが、学習途上の私としては
(1)韓国語は日常会話では日本語に比べて受身表現が少ない。
(2)とくに日本語で「迷惑の受身」といわれるものについてはない。
ということを基本に考えています。

最近見た論文でも「彼女は手を触れられるのも好まない」という日本語の受身文は韓国語には訳せないという記述がありました。

以上ご参考になれば。

손을 대다(손대다)・만지다・건드리다について

ざっといいますと 손대다は手を触れる・만지다はいじるに近いです。

例えば美術館で「作品に手を触れないでください」という場合など
작품에 손대지 마세요 が適当だと思います。

이건 위험한 물건이니까 손대지 마세요 これは危険なものだから触らないでください。
これは 손대다に限る例でしょう。

余分ですが、대다には「時間に間に合う시간에 대다」という意味もあります。タッチするという意味では共通するところでは、と勝手に思っています。

一方...続きを読む

Q質問三つあります。 ①漢字検定7級って簡単ですか? 難しいですか? ②この大きい3番の問題あってます

質問三つあります。
①漢字検定7級って簡単ですか?
難しいですか?
②この大きい3番の問題あってますか??
③漢字を効率よく覚えられる方法を教えてください!
よろしくおねがいします!!

Aベストアンサー

質問者様の現在の年齢は不明ですが、
7級は小学生4年生、6級は小学生5年生、5級は小学生6年生相当だと言われているようです。

1)の質問に対して
→私の体感では、5級までは勉強次第で対応できると感じました。
 なので、問題集にある程度取り掛かれば大丈夫かと思います。

2)の質問に対して
→5と7は正解です。もう一度、別の読み方で考えてみましょう。

3)の質問に対して
→繰り返し繰り返し記憶に刷り込むことが大切です。
 まず、覚えられない漢字を書きだしていき、徹底的に暇があればその漢字を声 に出して自分を洗脳していくのがいいかと。
 聴覚・視覚など、人間の5感を使っていくと覚えやすいようですよ。


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