①、彼は息子が誘拐された。
②、彼の息子が誘拐された。
③、彼は息子を誘拐された。

以上三つの文章の違いはなんでしょうか?間違っている文章がありますか?

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A 回答 (9件)

このまま話を終えるのは、ある意味で無責任と言えますので、すこし説明を加えます。

日本人の多くの人びとが文法を学んだのは、中学校や高校において教えられた「学校文法」でしょう。辞書などもその文法を中心にしています。
 「主語、述語」の関係が成り立って、文が成立するというのが(主語の省略はあり得るとしても)学校文法だけでなく、近代以後のいくつもの文法がそうでした。
 具体的に言えば、「彼は」が主題を表すなどとは言いませんでした。そして主語は「彼が」以外に「彼は」「彼も」「彼こそ」「彼まで」のような形を取りうると考えられています。したがって
 「彼は息子が誘拐された」のような文では、主語が二つ連続して出て来ることになり、文になっていない(非文)という言い方がされたと思います。
 しかし、ある時期から(その時期については「国語学史」的知識に乏しいわたしにははっきり言うことは出来ません)「象は鼻が長い」という文章が話題となり、「象は」「鼻が」という主語が二つ続いた例を、ある時期には「象は」は「総主語」、「鼻が」は「主語」と本気で考えた学者もあったのです。
 その後、「象は鼻が長い」という本を書いた三上章らの影響で、「主題」という概念があらわれて、「象は」のような部分を「主語」と区別する考えが出てきました。
 そういう考えの上に立てば、「彼は息子が誘拐された」は決して「非文」ではなく、成立しうる文と言うことになります。しかし、このような考えは、今も学校で教えられている「学校文法」(橋本文法が基本)では採られていないようです。
 その点をご理解いただくようにお願いします。
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この回答へのお礼

丁寧に説明して頂き、ありがとうございます

お礼日時:2015/10/04 15:35

#7さんありがとうございました。


質問者さんにも感謝いたします。
見解の相違のようですので、これ以上、私見を述べるのはやめておきます。
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この回答へのお礼

丁寧に説明して頂き、ありがとうございます。

お礼日時:2015/10/04 15:31

No.6 hakobuluさんへの回答


「彼は」主題の提示。
「息子が誘拐された」主題についての叙述。
叙述の内容は
① ヲ格の受け身(能動文のヲ格補語が主格補語になる受け身=「ヲ」で受ける目的格を主語にしてできる受身)
 能動文 (誰かが)息子を誘拐した。
 受身文  息子が(誰かに)誘拐された。
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この回答へのお礼

丁寧に説明して頂き、ありがとうございます

お礼日時:2015/10/04 15:31

#4です。


#5さんのご回答を拝見しての感想を述べさせていただきます。
それに先立ち、まず、横レスを仕掛けてしまったことに対して質問者さんにお詫び申し上げます。
ただ、ご質問に対する理解に直結する疑問点と思いましたので、あえて実行させていただいた次第です。
ご理解とご容赦のほどお願いできますれば幸いです。
そして応じていただいた#5さんに深く感謝申し上げます。

「『は』は題目をあげる記号で、そのあとには、それに関連したことはどんなことを述べてもいいのである」は、やはり乱暴な断定だと思いますね。
どのような文脈で使われていたのかは不明なので何とも言えませんが、「関連したこと」とは何を指すのか、といった辺りが懸案事項になりそうです。
「奇抜」というのは、おそらく「僕はうなぎだ」のような表現を指すような気もしますが、これなどは別に不自然とも思いません。

以下、要点のみ述べます。
#5さんは、
・(私は誰かに私の)足を踏まれた。←誰かが私の足を踏んだ。
・(私は誰かに私の)財布を盗まれた。←誰かが私の財布を盗んだ。
という構造をお示しになっておられます。
同様に、今回のご質問文は、
・(彼は誰かに彼の)息子を誘拐された。←誰かが彼の息子を誘拐した。
という構造になるでしょう。
ここで#5さんに2点お伺いできればと思います。
まず、1つ目。
①、彼は息子が誘拐された。
という表現が自然だというお立場であるならば、
・私は足が踏まれた。
・私は財布が盗まれた。
という表現も【自然な日本語】だとおっしゃるのでしょうか。
#4でも申し上げたように、『極めて特殊な意図であれば別ですが、これはほぼあり得ない』というのがわたしの立場です。
つまり、この文が正しいとするならば、どう考えても無理な想定にならざるを得ず、「を」と「が」の取り違えによる間違いだ、と判断するのが妥当ではないか、というのが私見の骨子です。
次に2つ目の質問ですが、仮に自然だとした場合、①と③の違いはどのように説明なさいますか。特に ① の場合のシチュエーションをお示しいただければ助かります。
#4で「極めて特殊な意図であれば別」と申し上げたように文法的に間違いだと言っているわけではありません。実際「特殊な場合」もお示ししました。
しかし、その特殊な例を挙げて、だから①の場合も自然で間違いのない日本語表現だ、と回答する意味があるだろうか、と思うわけです。
2つ目の質問は、この点を確認させていただくためのものです。
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この回答へのお礼

丁寧に説明して頂き、ありがとうございます

お礼日時:2015/10/04 15:31

①、彼は息子が誘拐された。


という文について「不自然な文だ」という反論をいただきました。
 この文はここでの質問者が書いた文ですし、それを「わたしは不自然だとは感じませんでした。「彼は」という主題化された書き出しの後に来る、「叙述は何であってもかまいません。」と書いたのはわたしですが、わたしが言ったことはそれほど信じてもらえないかも知れないという危惧はあったので、金田一春彦の「『は』は題目をあげる記号で、そのあとには、それに関連したことはどんなことを述べてもいいのである」を拝借して書いたものです。それだけでは不足かも知れないので、金田一の言う「『は』はずいぶん奇抜なもの二つを結びつけるという例文まで挙げましたが、納得はしてもらえなかったようです。
 ①のような言い方は、「不自然というか、間違いと判断するのが適切ではないかと思う」とおっしゃいます。そして「①のような文で着目すべきはむしろ『動作の主格を特定する』という用法の格助詞「が」の方でしょう」ともおっしゃいます。「主題文」の中に「が」が出て来るのはふつうにあることです。
 「象鼻文」の例を挙げながら、「象に関して述べてみれば、長いんですよね、鼻が。」というように倒置法まで用いて「が」という主格を強調している意味が分かりません。日本語文法では「主格補語」として「補語」の地位に追いやられた「主格」にどれほどの意味があるのかが、分かりません。
 例えば「昨日は、火事がありました」というありふれた文において、「が」にどれだけの意味があるのでしょう。
また、話は別ですが、あるいは「彼は」の「は」が対比の「は」であると受け取られてのでしょうか。

「彼は息子が誘拐された。娘が誘拐されたわけではない」
「彼は息子が誘拐された。隣の家では娘が誘拐された」

というような話に発展するところを見ると、その可能性があり得ます。しかし、大野晋が分類した「対比」の「は」は読めばすぐ分かるような種類のものです。「は」が出てきた時、用心していなければならない性質のものではありません。

 ③、彼は息子を誘拐された。
という間接受身の場合は、「誘拐された」という動作の対象である息子が目的語として単純に示されているだけで、特に強調的に指定されているわけではないため自然な文になる。
 とありますが、これは「主題文」と「受け身文」とを連動させたもので、ちょうど「彼は(誰かに)足を踏まれた」「彼は(誰かに)財布を盗まれた」と同形になり、確かにおっしゃるとおり「間接受身形」のひとつです。前回、No.2の方への参考に引用したように、「所有の受身」に入れられるものかも知れません。(子供が所有の対象になると考えるには少々抵抗がありますけれど)この文に問題がないことはお互いに合致しているわけです。
 (この点では、No.2の方にお詫びしなければなりません。「『息子』を誘拐されたことにより、『彼』が被害を受けたことを表します。」とあったのを「被害の受身」と呼ぶ自動詞の受身だと勘違いして、考え方が違うと言ってしまいました。この点については下記に改めて説明いたします。)

      《受身形のまとめ》
◆「直接受身形」直接対応する能動文がある。
① ヲ格の受け身(能動文のヲ格補語が主格補語になる受け身=「ヲ」で受ける目的格を主語にしてできる受身)
  ・その生徒は先生にほめられた。←先生がその生徒<を>ほめた。
② ニ格の受け身(能動文のニ格補語が主格補語になる受け身=。「相手の受け身」ともいう)
  ・彼は婚約指輪を突き返された←彼女は彼<に>婚約指輪を突き返した。
◆「間接受身形」
① ノ格の受け身(「所有の受け身」ともいう)
  ・(私は誰かに私の)足を踏まれた。←誰かが私の足を踏んだ。
  ・(私は誰かに私の)財布を盗まれた。←誰かが私の財布を盗んだ。
動作、行為を受けた人を主格補語にして、その人の所有するもの(体の一部・持ち物)にその動作、行為が及んだことを表す。受け身文の(私は誰かに私の)の部分は普通、表現されない。
 英語だったら、必ず言う「わたしの足」「わたしの財布」を、日本語では絶対に言わない。
② 第三者の受け身(迷惑の受け身・被害の受け身)
 日本語によく見られる「自動詞」の受身です。
  ・雨に降られた。←雨が降った。  ・人に畑を歩かれた。←人がわたしの畑を歩いた。
    受身の文で表現されて初めて迷惑を被った人が表されるので「迷惑の受け身」「被害の受け身」ともいわれる。 
なお、要約的にいう「被害の受身」「迷惑の受身」は実際には「幸運の受身」をも含んでいます。
 例 暑い夜に、涼しい風に吹かれた。
  また直接受け身形でも「実質的に」被害を受けることがあります。例 あいつに殴られた。しかし、これを言い始めると混乱の元になりますので普通は言いません。
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この回答へのお礼

丁寧に説明して頂き、ありがとうございます

お礼日時:2015/10/04 15:32

#1ですが、少し補足させていただきます。



①、彼は息子が誘拐された。
これが自然な構文であるとのご見解が御両人より示されておりますが、異論を唱えます
#3さんの『 この「は」は主題を表す(または「取り立て」の)係助詞と呼ばれるもので、 彼について言えばという意味を表し、その叙述は何であってもかまいません。』とおっしゃる内容についても違和感を生じます。
以下、順に述べていきます。

まず、自動詞の場合は直接受身になりますが、「誘拐する」という他動詞の場合、2通りのパターンがあります。
・平叙文における目的語が受身文でも目的語となる場合⇒間接受身。
・平叙文における目的語が受身文で主語となる場合⇒直接受身。
よって、「誰かが彼の息子を誘拐した」という平叙文の場合、
①⇒直接受身(息子=主語、彼=主題)
②⇒直接受身(彼の息子=主語)
③⇒間接受身(息子=目的語、彼=主語)
となる。
#1でもお示ししたとおり、② が最も適切な表現である点は明白だと思います。
③は、「彼は、息子を誘拐されるという可哀想な状況にある。」という自然なニュアンスになります。

問題は ① ですね。
これは、不自然というか、間違いと判断するのが適切ではないかと思います。
お二人が、それぞれ参照例として挙げているのは正しい文ですが、例文 ① は、それとは意図が異なるので一緒にしてしまうのはどうでしょうか。
#3さんがおっしゃるように、「は」は主題提示という用法の係助詞です。
しかし、この ① で着目すべきは、むしろ「動作の主格を特定する」という用法の格助詞「が」のほうでしょう。
それぞれ検証してみます。
1.
『象は鼻が長い。』⇒「象に関して述べてみれば」と象を主題提示してから、「鼻が長い」と言っている文。
これは、「象に関して述べてみれば、長いんですよね、鼻が。」という意味の文です。
「長い」という状態の主格が鼻であることを特定することによって、象の特徴を描写する目的があるので自然な文になります。
2.
『源太君は、おじいさんが昨日なくなったんです』⇒「源太郎君に関して述べてみれば」と源太郎君を主題提示してから、「おじいさんが昨日なくなったんです」と言っている文。
これは、「源太郎君に関して述べてみれば、昨日なくなったんです、おじいさんが。」という意味の文ですが、実は、「源太郎君が、今日学校を休んでいるのはそのためです」のような理由を言いたい場面で使っているので自然な表現になるのです。
ですから、理由を表わす「のです(んです)」を外して、「源太君は、おじいさんが昨日なくなった」とすれば不自然になってしまうでしょう。
「源太君は、おじいさんが昨日なくなった。花子さんは、おばあさんが一昨日なくなった」
「源太君は、おじいさんが昨日なくなった。おばあさんはまだ生きている」
のような極めて特殊な意図であれば別ですが、これはほぼあり得ないと考えるのが妥当だと思います。
3.
お二人の例文を検証させていただきましたが、本題の、
①、彼は息子が誘拐された。
について検証します。
『彼は息子が誘拐された。』⇒「彼に関して述べてみれば」と彼を主題提示してから、「息子が誘拐された」と言っている文。
これは、「彼に関して述べてみれば、誘拐されたんですよね、息子が。」という意味の文です。
しかし、この文は上記1、2とは異なり、「誘拐された」という受身動作の主格(主語)が息子であることを特定することによって、何を意図しているのかという点が曖昧なため不自然な文になっています。
つまり、たとえば、
「彼は息子が誘拐された。娘が誘拐されたわけではない」
「彼は息子が誘拐された。隣の家では娘が誘拐された」
といったシチュエーション以外では使えない表現でしょう。

「(主格の)特定」とは、動作・状態などの主格を極めて強調的に指定する、という用法です。
それなりの意図(目的)が無いのに「強調的に指定する」と不自然になる、ということ。
そのため、
①、彼は息子が誘拐された。
という直接受身文は不自然(間違い)になってしまうわけです。
③、彼は息子を誘拐された。
という間接受身の場合は、「誘拐された」という動作の対象である息子が目的語として単純に示されているだけで、特に強調的に指定されているわけではないため自然な文になる。
要するに、
『象は鼻が長い。』
『源太君は、おじいさんが昨日なくなったんです』
といった文と
『①、彼は息子が誘拐された。』
を同列に扱うべきではない、というのが異論の骨子です。
#2さんの例文を拝借すれば、
「私は誰かに財布を盗まれた」
という文は自然ですが、
「私は誰かに財布が盗まれた」
とすれば不自然になってしまいますよね。
これと同じ理屈です。
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この回答へのお礼

丁寧に説明して頂き、ありがとうございます

お礼日時:2015/10/04 15:35

No.2の方の回答に、全面的に賛同したかったのですが、一部同意出来ない点があるのでその点を補足します。


 まず、
①、彼は息子が誘拐された。
③、彼は息子を誘拐された。
 この「は」は主題を表す(または「取り立て」の)係助詞と呼ばれるもので、 彼について言えばという意味を表し、その叙述は何であってもかまいません。
 金田一春彦の言葉を借りれば、(日本語新版下-岩波新書)「は」はずいぶん奇抜なものを二つを結びつける。
 春<は>眠くなる
 あしたの国語<は>『徒然草』を持参せよ
 源太君<は>、おじいさんが昨日なくなったんです
 これ<は>一雨降るな
このように、「息子が誘拐された」「息子を誘拐された」が続いても不思議ではありません。
 
 しかし、賛同しがたいのは、①、③における受け身形の差を「直接受身形」と「間接受け身形」に区別されたことです。どちらも、能動文は「(誰かが)息子を誘拐した」ではありませんか。念のため、
 http://www.nihongokyoshi.co.jp/manbow/manbow.php …
のサイトから、「直接受身形」と「間接受け身形」の説明を引用しておきます。

   (以下引用)
 ……………………………………………………………………………………
受け身文の種類には以下のものがある。
(1)直接受け身(直接対象の受け身)〜直接対応する能動文がある受け身文〜
「その生徒は先生にほめられた」という受け身文は「先生はその生徒をほめた」という能動文に対応している。このように直接対応する能動文がある受け身文のことを「直接受け身」という。能動文のどの格を受け身文の主格にするかによって以下の二種類がある。

① ヲ格の受け身(能動文のヲ格補語が主格補語になる受け身)
  ・その生徒は先生にほめられた。←先生がその生徒をほめた。
② ニ格の受け身(能動文のニ格補語が主格補語になる受け身。「相手の受け身」ともいう)
  ・彼は婚約指輪を突き返された←彼女は彼に婚約指輪を突き返した。

(2)間接受け身(間接対象の受け身)〜直接対応する能動文がない受け身文〜
「彼は、妻に先立たれた」という受け身文には対応する能動文がない。(「妻は、彼を先立った」とは言えない)このように直接対応する能動文がない受け身文のことを「間接受け身」という。間接受け身にも以下の二種類がある。
① ノ格の受け身(「所有の受け身」ともいう)
  ・(私は誰かに私の)足を踏まれた。←誰かが私の足を踏んだ。
  ・(私は誰かに私の)財布を盗まれた。←誰かが私の財布を盗んだ。
動作、行為を受けた人を主格補語にして、その人の所有するもの(体の一部・持ち物)にその動作、行為が及んだことを表す。受け身文の(私は誰かに私の)の部分は普通、表現されない。
② 第三者の受け身(迷惑の受け身・被害の受け身)

  ・(私は)隣人に塀を作られた。←隣人が塀を作った。
    受け身の文で表現されて初めて迷惑を被った人が表されるので「迷惑の受け身」「被害の受け身」ともいわれる。 ……………………………………………………………………………………
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丁寧に説明して頂き、ありがとうございます

お礼日時:2015/10/04 15:35

どれも間違ってはいません。



①は②の「彼の息子が誘拐された。」の文の「彼」を取り立てたものです。

「象の鼻が長い。」を「象は鼻が長い。」に変えるのと同じです。

②は「(誰かが)彼の息子を誘拐した。」を受身にしたもので、直接受身と呼ばれます。

③は間接受身と呼ばれるもので、「息子」を誘拐されたことにより、「彼」が被害を受けたことを表します。

「誰かが私の財布を踏んだ」の受身が「私は誰かに財布を盗まれた」(間接受身)となるのと同じです。

なお、このケースでは「私の財布が誰かに盗まれた」(直接受身)という受身文は、日本語としては不自然です。

「彼の息子が誘拐された」は、日本語として、不自然ではありません。
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この回答へのお礼

丁寧に説明して頂き、ありがとうございます

お礼日時:2015/10/04 15:36

①、彼は息子が誘拐された。

⇒このような表現は基本的にしません。「彼女は娘が誘拐され、彼は息子が誘拐された。」という極めて特殊な場面以外では使わない。

②、彼の息子が誘拐された。⇒これが最も自然な日本語表現です。「彼の息子が(誰かに)誘拐された。」という意味。

③、彼は息子を誘拐された。⇒「彼は、息子を誘拐されるという可哀想な状況にある。」というニュアンス。
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丁寧に説明して頂き、ありがとうございます

お礼日時:2015/10/04 15:36

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