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かなり以前の映画ですが、いくつか箇条書きにして質問させて下さい。

①物語ラストの攻防の夜に、鳴門屋の姉弟が的屋に出向きます。
この時にオヤジ(柄本明)が、2人と座頭市の潜伏先を、それとなく聞き出しています。その直後、爺さんがわざとらしく皿を割りますが、この動作か、皿の割れる音が、何かの合図だったのでしょうか?
また、少し後にオヤジが店の外に出て行った際、皿の破片が窓にひっかけられていますが、これが仲間の黒子に示すサインなのだとはわかりますが、店内での爺さんの動作と、皿を割る音が気になって…

②少年時代のおせい(清太郎)が、売春?のような行為をしている描写がありますが、あんなに昔の日本で、“少年に興味を持った”成人男性というのは実在していたのでしょうか?
また、おせいは成人してからも同様の行為をしていたようですが、流石に男だと気づかれてしまうのではないでしょうか?

③結局のところ銀蔵は、市に斬られたのでしょうか?

以上3点、宜しくお願い致します。

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A 回答 (1件)

誰も回答しないので。


1.合図の可能性はあるけど、あまりに簡単に姉弟が按摩の居場所を話したことに、爺さんが驚いて皿を落とした様にも感じますた。
 また皿の破片を窓に掛けるのが何かの合図なら、その合図を見落とさない様に監視する人間も必要なわけで、それなら爺さんなり店主が急な買い物などを口実に連絡に行った方が確実な気がします。

2.これは超大昔、仏教が伝わって坊主は女人禁制!の時代から(もっと前からあったかも)ありました。
 Wikiで「男娼」とか「衆道」を検索すると、詳しいです。

3.ま、あの時点で他に銀三を殺せそうな人間と言えば、他には芸人姉弟くらいしか残っていませんが、夜の間に殺した様だし、やっぱ按摩さんでしょうなぁ。
 わざわざ死体を堰の様なところに座らせた様な恰好にする意味がよく分からないですけど。
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    • 1
この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2015/09/30 08:47

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Qやっぱり解らない・座頭市(たけし)は見えていたの?

過去ログも拝見したのですが
もう少し知りたかったので質問します。

映画も見に行き、DVDも買いました。
そして昨日見たのですが

やっぱりどうしても解らない。
私は見えていないと思うのですが
友人や私の主人は見えていたんだと言い張ります。

では、どうして、くちなの親分は
見えているのを知っていた
と、言うと思いますか?
それに対し、どうして座頭市は
見えているような事をいうと思いますか?

私の考えは、くちなの親分は
めくら=瞼が開かない
と、考えてしまったのではないでしょうか
それで、思わず(はったりで?)
見えているのは知っていた
と、言ってしまうんではないかと、、、
早い話が、座頭市にビビっちゃったのではないかと。
だからこそのラストの
『目が開いてるからって見えてるとはかぎんないのに』となるんだと思っていました。

流れ的に、あの場面で
見えない目をカッと見開く迫力は
すさまじいものを感じました。
一番好きなシーンでもあるんですが

友人や主人に否定され、DVDを見るたびに
不快な思いをします。

過去ログも拝見したのですが
もう少し知りたかったので質問します。

映画も見に行き、DVDも買いました。
そして昨日見たのですが

やっぱりどうしても解らない。
私は見えていないと思うのですが
友人や私の主人は見えていたんだと言い張ります。

では、どうして、くちなの親分は
見えているのを知っていた
と、言うと思いますか?
それに対し、どうして座頭市は
見えているような事をいうと思いますか?

私の考えは、くちなの親分は
めくら=瞼が開かない
と、考えてしまったのではないでし...続きを読む

Aベストアンサー

こんにちは。

私も映画館で見ましてDVDも持っています。結論から言えば見えていたと思います。

目を閉じたまま超人的な強さを見せる市が、目が見えていても不注意で石に躓く。だからこそ最後のセリフが、オチとしても教訓としても、生きるのではないでしょうか。『目明き』の人が自分では見えている心算でも、それは真実を正しく捉えてるコトとは違う、そう言いたかったと解釈しました。

決して『瞼を開いていても視覚障害者の可能性がある』と言いたかったのではないと思います。

では何故バレてしまったのか。これは分かりませんが、幾つかの仮説は立てられます。例えば、暗い外から明るい店内に入るときに市が眩しそうな顔をした、などです。初対面で変だと思ったからこそ、わざと躓いて仕込み杖を確かめたのですから、やはり親分は本当に目が見えることを知っていたのでしょう。

まとまりの無い文章でスミマセン。以上が私の解釈です。他にも、北野監督がバイクで大怪我をしたことからくる健常者・障害者観も影響してる気もします。
まあ映画の解釈はそれを見た人の数だけあって当然ですから、どちらの解釈が正しいのかは無意味かも知れません。

最後に蛇足ですが『くちな』ではなく『くちなわ』です。口縄説、朽ち縄説がありますが蛇のことです。一味の刺青にありましたね。

こんにちは。

私も映画館で見ましてDVDも持っています。結論から言えば見えていたと思います。

目を閉じたまま超人的な強さを見せる市が、目が見えていても不注意で石に躓く。だからこそ最後のセリフが、オチとしても教訓としても、生きるのではないでしょうか。『目明き』の人が自分では見えている心算でも、それは真実を正しく捉えてるコトとは違う、そう言いたかったと解釈しました。

決して『瞼を開いていても視覚障害者の可能性がある』と言いたかったのではないと思います。

では何故バレて...続きを読む


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