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幼少期から成長するに従い、性的衝動と破壊的衝動は分離されていくという一説があり、でも虐待とか悲惨な幼少期を過ごした人は性的衝動と破壊的衝動が分離されないまま、サディストになったり暴力が性的興奮につながる説があります。


この説について何か具体的で体系的なお話していただける方いますか?

A 回答 (1件)

人間はアプリオリに性的衝動と破壊衝動を抱えて生まれてくると考えられます。


フロイトは当初、前者しかないと考えましたが、後年、後者の存在に気づき、それがタナトス。
性的衝動のエネルギー源がリビドーと呼ばれるもので、エスの段階においては愛の形を取る。
自らの存在を保存しようとする傾向を持ちます。
これに対応する破壊衝動は、全てを破壊して物質本来の姿(=原始レベル)に立ち戻ることで安定を目指すもので、エスの段階では、その名のとおり破壊の形を取ります。
自我の段階においては、友愛⇔攻撃性、超自我では、慈愛⇔知力、という対応関係を持ちます。

人は、いわゆる「衝動」を抱えて生まれてくるわけですが、(わかりやすくするために簡潔に言うと)リビドーとタナトスを抱えた状態で人は生まれてくる。
衝動は物理的原理により常にはけ口を求めますが、そこに親などによる抑圧が掛かるのが常です。
抑圧が効果的に働くと昇華が行なわれることで超自我的発育につながりますが、過剰すぎると、いわゆる変態的発達(厳密には「後退」)に繋がる可能性が増えます。
しかも、その抑圧が暴力的に為される場合、幼児は、自らの性的衝動が破壊衝動によって受け止められたと認識せざるを得ず、そのことは記憶領域に格納される。
しかも、幼児は、本来、親を一方的に信頼するしかないため、親を否定するということを当初、知り得ません。
つまり、そのようにして記憶された体験内容は、すべて愛の証である、と認識さざるを得ない。

また、質問者さんも体験なさっていると思いますが、たとえば、ある思い出シーンが何らかの音楽とセットになって記憶されることが、よくあるように、脳は「セットで記憶」します。
暴力と愛が同時期に記憶され、しかも、愛をもらえるはずの人から受けた暴力なので、無意識的には肯定せざるを得ず、且つ、暴力によって愛が生起されるという、記憶にとっては極めて論理的な反応が発生するわけです。
当時の自分に執着すればマゾヒズムとなり、当時の(愛すべき)親の立場を代替する感覚が強ければサディズムとなる。

若干の個人的見解も交えて申し上げると、およそ、こういった経緯になるかと思われます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

{当時の自分に執着すればマゾヒズムとなり、当時の(愛すべき)親の立場を代替する感覚が強ければサディズムとなる。

ここら辺がとても核心を突いているように思えます。

お礼日時:2015/10/08 20:14

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