プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

意見文(1000字)を書いています。
タイトルは、「忍耐力を伸ばすことが教育の役割」です。
具体例や体験なども加えて意見文を書きます。

指導者に5回目ほど添削をしてもらっていますが、
未だに書き終わりません。
タイトル通りに書けなくて、主張が「忍耐力の必要性」についてになってしまいます。

「忍耐力を伸ばすことが教育の役割」について
説明と具体例を教えてください。
参考にしたいです。

A 回答 (4件)

こんにちは。



まず、ご質問で、いくつか前提が抜けているようです。
ご質問者さんは、何のお仕事ですか・先生ですか。先生のインターンですか。
「教育の役割」というなら、教育される側は誰なのですか。小学生、中学生……。
また、学校教育なのかスポーツ教育など、いずれにしても全体論にはなりえないはずです。

命題の「忍耐力を伸ばすことが教育の役割」は、ひとつの結論なのでしょうが、それを、何度も添削されるというのは、ひとつの強制力があるようです。語の使い方からすると、「忍耐力を伸ばす」=「教育の役割」とするわけですが、「忍耐力を伸ばすことが、教育の役割」ではない、もっと大事なものがあるという結びはないのでしょうか。

ご質問者さんが、「忍耐力の必要性」と結びに持ってこようとするのは、ある意味で、一般的な考え方だと思うのです。北朝鮮のように、都市部以外の人間は、食料も乏しく生活も楽ではありませんから、「忍耐力を伸ばす」というプロパガンダも必要かもしれませんが、日本の一般の教育論では、それが「教育の役割」としては異様な考え方にも感じます。忍耐力とは、辛いこと苦しいこと、嫌なことから逃れようとする気持ちを抑えることだからです。

もし、日本の学校教育の関係者なら、そもそも、「教育の役割とは何か」という論点から入っていかなければ、話が成り立ちません。

学校教育の役割とは、
 知識を継承すること。
 子供が仕事を選び、どう社会に参加していくかを見つける手助けをすること。
 努力することの大切さ、素晴らしさを教えること。

ここに話を絡めていかなければ、少なくとも、学校教育法に基づく教育ではありません。

>説明と具体例を教えてください。
「忍耐力を伸ばすことが、教育の役割」だということを導き出す論理が特殊なのです。そんな考え方が、少なくとも「教育の役割」だと結び付けられないのです。

もう少し、考えてみてください。
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教育が必要とされるものは、



教育がないと会得できない能力と言うカテゴリにあります。

肉体的な成長はある程度遺伝的な保障があるのですが、

教育が必要とされているものは、この保障がありません。

何もしなければ、全く身につかないことになるわけです。


しかも、一定の年齢までに会得しないと、一生身につかないという

(脳の成長に由来する)ものが沢山あります。

平衡感覚などもその一つです。


大人が誰でも身につけている一定の能力。

これらは、教育により獲得しているものが大半です。

しかし、教育には時間がかかりますし、受けての忍耐が必要です。

また、学んだことが間違っている場合もあり、

後に訂正されることもあります。

この場合は、再度教育を受けなおす必要がありますが、

ある程度大人に成った後は、自ら率先して会得しないといけません。

子供時代に受ける教育と言うのは、

教えている側ですら、合っているのか自信が無いものが多く、

後に自ら学習し、自ら訂正することを前提としているのが本当のところです。


そのため、

自分たちが教えていることが例え間違っていても、

これを我慢して会得するくらい忍耐がつけば、

将来的に自分で訂正することも苦ではないはず。

と考え、教えている内容よりも、忍耐を延ばしている。

と捉えなおすことが正しいと成ります。


しかし、

結果のみを教えてしまい、

忍耐を延ばすための工夫をしない教え方もあります。

これをやりますと、

子供は大人に求める要求が多くなります。

結果として、間違っているかもしれない知識を詰め込んだ挙句、

忍耐力が伸びていないため、自らを訂正できない大人を作り出してしまいます。


この忍耐力も教育によってのみ身につく能力です。

私の父は絵を学生に教えていた人なので、

忍耐力をつけさせるため、細密描写という絵の手法を私に指導しました。

小学校3年くらいのときです。

そのあと、地図を書き写すための面白さを教わりました。

地図を如何にして正確に書き写すか?

という趣味を教え込んだんです。

(自分で書き写した地図を元に、現地視察に行くのがとても面白かったです。)

この様に、大人がどの様にして子供に忍耐をつけさせるかは、

大人の工夫と忍耐による部分が大きいと思います。


上手に教育をされていますと、

普通の方が目もくらむような作業でも、苦に感じなくなります。

私はプログラムソフトの開発を趣味に(仕事でも有りますが)しています。

趣味の作品として人に見せられるものは、

大体において2万行くらいになります。

これは、ライトノベル1冊分の文章量に匹敵します。

楽しいと感じても、苦しいと感じることはありません。

忍耐力と言うものが、こうした部分に寄与しているからです。



また、忍耐は他の人の振る舞いを許容する場合にも使います。


子供っぽい人に対して、腹を立てずに、やり方を変えながら接する。

大変な忍耐力が必要です。

しかし、よくよく考えれば、

いずれは本物の子供に対して、教育をする大人に成るわけですから、

これらは自慢ができることじゃないわけです。



特技がなかったり、無趣味であったり、

仕事が長続きしない人は忍耐力が足りないと言われます。


この忍耐力は、体調にも影響されますが、

そもそも子供時代に教育されていない場合が多いでしょう。


例えばぼっちを続ける人。

コミュニケーション能力が低いと言い訳をしています。

しかし本当は?

その原因が「自分に何らかの特技が無いため」だと、

うすうす気がついているのではないでしょうか?

なぜならば、

「部活や趣味の社交の場を活用し、そこで一目置かれる作戦」

を、一度は夢想しているでしょうから。

友達を作る目的でしたら、本当に効果があります。

ですが、自分には無理と感じる人もいるでしょう。

この方々は、おそらく教育によって忍耐力を伸ばされていません。




人が人に自分を誇り、自分を肯定するためには、

誰かに特技を認めてもらい、それを尊重される必要があります。

ある人と無い人では確かに扱いが違います。

また、あるかないかでは、断然あるほうが良いです。



しかし、

忍耐力と言う根幹の力が弱いと、

勉強も、スポーツも、趣味も、仕事も、人付き合いも、

何もかもが身につきません。


そして忍耐力は、これらを攻略するまでの耐久力です。

特技を獲得するために多くの年月を要するものは、

依存と言う方法をとります。これは習慣を活用する攻略法です。


多芸に秀でている人は、

依存から習慣を作り、長期間の継続を為し、ジャンルをものにします。

忍耐力は、この習慣ができるまでの間、

(嫌だと思う葛藤や)そのストレスに耐久する道具としてつかいます。


我慢だけで成立するものはありませんから、

習慣を作るまでの間、忍耐力を活用するという意味があります。

これらは先ほど述べました、自らを訂正し進化するために用いられます。


一方で、

忍耐力が伸びていない人は、強制力を求めます。

自らを戒めることができなければ、他の力により強制されなければ継続

できないことになります。

これは大変不幸なことでして、

「必要だと思うからしなければいけない」と分かっていても出来ません。

それが故に、

誰かに命令されたり脅されたりすることが必要になってしまいます。

生きるために、常に抑圧されることを選び続けないといけなくなるのです。




ではご質問の内容に立ち返ってまとめてみましょう。


教育がテーマですから、

ある時期までに延ばしておかないと、一生身につかない能力である。

と言う事になります。

ここを言わないと、必要性だけの論議に成ります。


また、

大人が強制ばかりをしていると、本物の忍耐力が身につかず、

大人に成っても強制を求める子供を育成してしまいます。

つまり、忍耐力とは我慢力ではなく、自らを律する力であり、

自らのアイデアで苦を楽に変える工夫を行い、

ここに繋げることが前提なのです。

こういう一連の流れをセットで教えなければ成りません。

曰く、

「これを何とか楽しく続ける方法を見つけよう。

 それまでの我慢だ。」

ですので、

本物の忍耐を身につけさせるには、教育者の工夫が必要です。

教育者が勘違いをしている場合がもっとも危険であるわけです。


ここを言わないと、

教育の在り方について意見する内容になりません。


「忍耐力を伸ばすことが教育の役割」


忍耐力を誤解して学び、誤解して教える大人も居るでしょう。

この方々は必ず特技を持たないでしょう。

教育をされる方は、

自分が特技を身につけるまで、身につけたときの喜び、

面倒で嫌だと感じた最初の頃の気持ち。

これらを思い出して、実践して欲しいものですね。


故に、この命題は、

結果や知識のみを詰め込むのは教育ではないと主張している

ものであると思います。



以下は蛇足ですが、


自分の子供にやる気が無いとお悩みのご両親は、

本物の教育をしていないのが原因と言う事になります。

それは、遡って、大人と成ったご両親自らも、

本物の教育をされていないということを指すわけです。


教えてもらえなかったことは、教えれませんからね。

これもご本人に忍耐力があれば、自らを訂正し、進化できるはず

なのですが・・・

この道も絶たれているとなります。


こうした方の子供も同様になります。

そしてその子供も。

この途切れない連鎖を業と呼ぶのでしょう。



そしてこの連鎖を知る人が沢山いて、

学校機関の設立をとなえたということでしょう。


昔は親が結婚相手を選んでいました。

これは、当人同士の愛が問題なのではなく、

教育される子供の迷惑を考えていたからです。


本物の忍耐を身につけていない人は、

他の人の成果を盗もうとしますし、

それを仕方ないといいますし、

自分を可哀想と言って嘆きます(確かにそうなんですけど)。

つきあうと大変面倒くさいことになります。



生き辛いと悩む人が沢山います。

わたしは、親や学校は何をしていたんだ? と思います。

しかし、その親や学校の先生が生き辛いと悩んでいるみたいなので、

どうにもならない状態のようですね。



「忍耐力を伸ばすことが教育の役割」


いまさら何を当たり前のことを言っているのか?

と思いますが、

敢えてここが重要に成ってしまっている時代のようです。


なので是非、意見文の最後は、

何をいまさら当たり前のことを言っているのか?

しかし、そういう大人が増えている時代なのだろう。

と嘆く文章を入れてください。


以上、ご参考に成れば。
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>主張が「忍耐力の必要性」についてになってしまいます。



それなら、後一歩でしょう。
忍耐力がなぜ必要か、というところまでは分かっているわけですから、それをどのような方法で伸ばしていこうと考えているのか、といったことを書けば良いと思います。
1000字程度なら全文掲載した上で、どこに不備があるのか、みなさんの意見を聞くこともできる。
あと、「具体例」といっても、対象が不明なので回答が難しいと思います。
幼稚園なのか小学校なのか、あるいはそれ以外なのかを明記したほうがよろしいでしょう。
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忍耐力を伸ばす?、初めて聞くような気もします。


忍耐力って、具体的に何?。
忍耐力って、幅があるの?伸ばす、は比較して明確な差が確認できるものに対して使う言葉では、忍耐力の程度はなにが基準?、タイトル自体が矛盾しているようにも思います。
忍耐力をつける!、はよく聞きますが。
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