§ 1 ヒトの定義から入ります。
その昔 土地を囲ってここはおれのものだと宣言したと想定してみた場合 人間ということに関して前提とするべき公理に ふたつあると考えます。
(α) 主戦論を採るヒト:奪い合い・競争としての社会交通
(ω) 非戦論を採るヒト:ユヅリアヒ。奴隷の状態にさえ甘んじる。
したがって競争し奪い合う交通人は 社会というヤシロ
の神棚(お二階)に祀っておく。(国ゆづり)
§ 2 ここから《権力》が生じますが これにもふたつの型があると見ます。
(あ) 第一次の権力関係:
ユヅリアヒの人間どうしにおいて――ということは ごく
ふつうに自然本性としてのヒトどうしの間においても――
まなざしを相手に上からそそぐ者とそしてこれを受ける者
とに分かれる場合。
この場合には そのまなざしの上下関係が 互いにみと
めあっている自生的な性格のものと
そして一方が《アース(接地)役》を務めるかたちとなるよ
うにそれが必ずしもよいことだとは思われない人為的・人
工的な性格のものとがある。
(い) 第二次の権力関係:
第一次の《自生的な性格のもの》からにせよ《人工的な性
格のもの》からにせよ そのまなざしの上下関係を社会制度
として固定させようとして出来たもの。
身分関係。さらには その身分の世襲制。
特には 社会を《市民スサノヲ圏と公民アマテラス圏》との
二階建ての構造として固定する国家における身分制度としての
社会力学的な交通関係としての構造。
(その中で一階と二階とのあいだで流動性が保証されて
いる社会のあり方も 現実的ではある)。
§ 3 階級ということ
(α)の主戦論を採るヒトが築く(い)の第二次の権力関係は 明らかに社会階級の関係として二階建てを成り立たせている。ヒトが品(クラス)ないし課税対象物として分けられ扱われる。
(ω)の非戦論を採るヒトが築く同じく(い)の第二次の権力関係は そのような階級関係を包み込んだ二階建てに成ると捉えられる。どういうことか?
言いかえると 非戦論によって服従の関係をえらんだそのことが すでにヒトの品による区分を飲んだかたちとなっている。
ぎゃくに言えば そこで身分制が強固にかたちづくられそれを保守する社会的な圧力が加えられたとしても もともとそのような社会力学は織り込み済みである。
ゆえに――そうとうきびしいことだけれど―― そのお二階のえらいさんよ 気の済むまでご自由におやりなさい そのあと どこかでその二階へのアマアガリについて反省し人間にお成りなさいと心のどこかで言っている。
(α)の主戦論派にもとづく階級関係においては その新しい階級と古いのとのあいだで回転(レヲ゛リューション)が演じられる。
§ 4 世界史的存在としての《一人ひとりとしてのわたし》
経済行為の形式ないしその社会的な制度として 資本主義は――あらゆるモノ・コトを商品として巻き込み その商品をつうじて交通するというよそよそしい形でではありながら 世界中のすべての人びとをやはり巻き込み一面ではその一様な形式による互いの交通を遠慮なく普遍的に行なわせるゆえに―― ヒトを世界史的な存在とすることとなった。
この資本主義――第一次の勤勉と第二次のガリ勉とから成る――の世界史的な展開の中で 階級の回転が行き着くところまで行き着き(つまり もはやいくら革命をやっても堂々巡りであると分かったところまで行き着き)
社会の神だなに祀られたお二階さんの王様ごっこがやはり行き着くところまで行き着くなら(――つまり もはや人民よユヅルことはこれ以上してくれるな われもユヅル側になってみたいわいと言い始めたなら――) (α)主戦論および(ω)非戦論それぞれの形式に別れつつ自己形成してきたホモ・サピエンスは その潜在能力を全部出し切ったと言える地点に来るのではないか?
しかも 階級支配体制やお二階さんごっこ体制といったそれぞれの思想に真っ向から対立する民主制というかたちをすでにわれわれじんるいは採っている。
このふるいニンゲンは ほろびる。と思われます。
にんげんの前史を終えて後史――どんな?――に入ると見てよいのか?
そう見るのが ふさわしいのかどうか?
よろしくご教授ください。
われらが《あたらしいひと》とは どういう存在か?
No.14ベストアンサー
- 回答日時:
お礼ありがとうございます。
東南アジアの貧困層の中に、優秀な企業家が多く存在していて
成功者もいて、彼らがもしかしたら世界を変えるのではないか
という結論の本を読んだことがあります。
私は、「あ、それしかない」と思いました。
日本においても、それは全く同じで、日本の中の「超貧困層」
のみが、社会を変える存在になりうると思うのです。
恵まれた環境で生きる人々には、現在が「悪い」という発想す
ら生まれないだろうと思うからです。
私の言う「超貧困層」とは、必ずしも立場ではなく、要するに
侘しい思いをしている人ということです。あるいは、社会の理
不尽を許せない人です。
ひょっとしたら、高級官僚の中にそういう人がいるかもしれま
せんし、ニートでも満足している人もいるでしょう。
最も、そういう思いが強い人たちが、私は社会の「しんがり」
と捉えています。
差別社会である日本が、変わりうるとしたら、一階に住む「侘し
き人」が賢くなり、自由になり、幸せになると、こういうことに
なると思います。
面白いのは、理想的な考えの「オヤジ」がかなりケツのほうにい
るということです。
ブラジュさんの考えとけっこう同じ部分があると思いますが、ど
んなもんでしょうか?
ご回答をありがとうございます。
《社会や組織や生活環境の情況のほうが〈まづしい〉ときこれを
あたかもミラーニューロン現象のごとくみづからの身と心とで受け留め
ちょうど言わばあたかも〈貧困人間〉と成ってのように 改革してゆく人たち》
これが 社会のシンガリ人間であると。
☆☆(人間としての《 S-A 連関》のかたち) ~~~~~~~~~~
S:スサノヲ=《わたくし》と A:アマテラス=《おほやけ》との連関のあり方は 次のふたつの形態があり得ます。
《 ふつうに自然本性としての S‐A 》連関のかたち=《現実の人間》:
あやまちうるスサノヲ人間語を基礎としてその土壌の中から――
あたかもその泥の中から―― アマテラス普遍語を磨き上げ そこ
に花を咲かせる人間のすがた。
《 A〔の単独主導〕‐S〔の従属〕 》連関のかたち=《〔オモテ向き〕真の人間》:
簡単に言えば 理性ないしコギトがすべての意志行為を引っ張る
かたちのアマテラス科学語かつアマテラス人格語にもとづく人間の
すがた。この人間は 《あやまたない》と言われるようになる。
つまり無謬性・不可侵の神話を帯びる。
だけれども このかたちは 頭でっかちであり あたかも逆立ち
している。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ このあいだ SEALDsの言い分を聞いていたら アマテラス普遍語での話が成っていないと思いました。
アマアガリした公民からも 精神的・人格的なアマクダリをする人も出て来るのでしょう。
こんな受け留め方でよろしいでしょうか。
No.16
- 回答日時:
お礼ありがとうございます。
人類は、前史を終えて、「ヒューマニズム」あふれる
後史へ入るべきと思いますが、私は、人間の「心」が
今のままでは、それは、よくて形だけのものとなるだ
ろうと思います。
現代文明は、人々に「快適さ」「便利さ」を与え続け
「バーチャルなもの」を娯楽として、与えています。
これらは、人間が新しい社会を作るという「創造性」
を、弱らせるものであると思います。
何故なら、発明の母たる「必要性」を感じなくさせる
からです。
日本の社会は、確かに「民主的」な感覚は進んでいる
と思いますが、上の理由によって、「創造力」などの
「生命力」が弱ってしまっているので、「豚がいい」
などの複雑な思考に陥り、結局「前史」を卒業できな
いでしょう。
私は、人間の「心」というものを指導してゆける哲学
そして信仰というものが必要であると思っています。
ブラジュさんは同様に、「人間の自然本性に対する信
仰」ということに結論を持っておられると思います。
ご質問の内容から、はみ出してしまいましたが、「人
間の自然本性」というのは、簡単に言うとどんなもの
なのでしょうか?
ご回答をありがとうございます。
自然本性は 身(感性の原野)と心(思考の緑野)でありさらに非思考の庭を想定する《存在》論です。
1. ひとの存在: 身と心 / 身体と精神 / 感性と理性
2. 自然本性: 身と心それぞれの能力と性質を言う。
3. 感性: 身の五感が知覚すること。
4. 悟性: 知覚を イメージないし言葉にして認識する。知覚は 世界事実に接して起こるゆえ 悟性は 世界の事実認識である。
5. 理性: 悟性の成した事実認識ないしその情報を整理しつつ そこからさらにあらたな意味を捉えようとする。この場合しばしば 感性を括弧に入れておいての論理的なつながりになりうる。
6. 判断: 理性のおこなった推論とその結果について 取捨選択する。その判断基準は 一般に主観的な《よいかわるいか》である。
7. 知解: 感性の得た感覚を認識して知識ないし情報として捉えたあと理性がこれに意味づけをしさらにあらたな意味連関をみちびきだす。
この意味としての概念をすでに――感性から一たん離れたかたちの――観念としこの観念を 想像力にまかせて用いつつ 或る種の推論をみちびく場合もある。こうして 選択肢をととのえ判断過程へと送る。
ここまでが 〔理性のおこなう〕知解という作業である。
8. 意志: 判断能力とその行為を言う。選択肢の中から 一般によいものをえらぶのであるが 良し悪しの評価と判断は やはり主観的なものである。(学習過程を経つつ くせ・ならわしとして培うようになる)。
8-1. 自由意志は 周知のように 必ずしも善と思うものをえらぶとは限らない。おのれの心にさからって負の善(つまり悪)をえらぶことも 少なくない。
9. 記憶: ただしこれら知解および意志に或る種の仕方で先行する自然本性の能力として 記憶がある。おぼえるというよりは 存在にかんするすべての(能力および性質の)あり方の秩序作用である。自己組織化のハタラキである。
9-1. 記憶は 取捨選択した判断やその実行としての意志行為の実績を整序しつつ記憶し その記憶の中にとうとぶべき意味内容のたくわえを持つ。これは 知恵だと考えられる。
10. 知性または境地: 《記憶・知解・意志》の三つの行為能力の全体を言う。そしてプラス α としてのヒラメキ。
No.15
- 回答日時:
間があいてしまいまして、申し訳ありません。
人は言葉遣いに個性があり、特にブラジュさん
は個性が強いので、分からない部分があります
が、多分私の考えをうまくまとめてくださった
と思います。
これまでの人類の歴史をまとめて「前史」とし
これを終えて、「後史」を始める以外にないと
思います。
なぜなら、現在の文明は少なくとも、資源の面
と環境破壊の面で、持続可能ではなく、人々は
日に日に欲望の虜になっていて、とどまること
を知らない状況であることは誰が見てもそうで
あり、もはや、理想を持つことをあきらめてい
るということを思わせる「文化」が、あちこち
に見られる状態にまでなってしまっていると思
うからです。
例えば、子供たちが見るアニメやドラマで、正
義の味方がとても弱いケースがあります。
それから、人類が他の天体に移住できるという
詭弁。また、人類が生産活動を一切やめた場合
地球はすぐに元通りになるという詭弁、等々。
ブラジュさんが、ずっと訴えてこられた「信仰」
の問題は最も重大な問題だと思いますが、今の
私には理解しきれない問題ですので、少し猶予
を願いたいと思います。
ともかく、人間の「後史」は、「ヒューマニズム」
の思想に満ちた、「人道的競争」の社会になるべ
きだと思います。
これは、自然に成るものではなく、強い意志がな
ければ不可能でしょう。
ご回答をありがとうございます。
★ ~~~~~~~~~~~~~~~~
ともかく、人間の「後史」は、「ヒューマニズム」
の思想に満ちた、「人道的競争」の社会になるべ
きだと思います。
~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ ええ。かなり多くの人が――特には確かに貧困であった時代には――このことを思い考え 願い望み そして考えて来たというふうにも見られるかも分かりません。失敗があったりあるいは いろいろ物議をかもすものも多かったのだと思います。
ロシア革命にしても 労働者と農民の人間的な生活を求めて突っ走りましたし どこやらでは《幸福を科学し 人間を革命する》とすら言っています。後者の二者は いまなおおカネを持っているようで《がんばって》います。
★ これは、自然に成るものではなく、強い意志がなければ不可能でしょう。
☆ ほんとうに むつかしいようですねぇ。
《人為や作為と そして自然》という要素をふくんだ総合的な《自然史過程》というものは いったいどういう内容なのだろうと考えたことがありますが。
アニメは知らなかったのですが・いまも知りませんが ここでやり取りをしていて ナルトとかいうものについてあらましを読んだとき 人がいちど死んでまたよみがえって来るという話が 何となく不自然に感じたことを覚えています。
あっ。あと 資本主義にしても 第一次のふつうの勤勉志向とそして第二次にこの勤勉を自己目的とするガリ勉主義とがあるとは捉えたことがあります。
勤勉は 互いに生活をゆたかにして行こうとし ふつうに産業を興すと思います。
ガリ勉主義は 利潤として得たものをさらに増殖させるというそのお金(資本)の自己増殖の路線を あたかもその運動じたいに取り憑かれたかのように 突っ走る。
人格が 物象化し マネーの自己運動という物象が 誰の誰べえという具体的な人間と成って 人格化するのだとかと言われています。(マルクス)。
そして あと政治との絡み。また まだチカラを振るうシュウキョウの問題。でしょうか。
なお わたしは 生産的な議論をすすめようとして 極論を提出することがあります。
あるいは いつもそうなのかも分かりません。
No.13
- 回答日時:
お礼ありがとうございます。
「分からんわい」
ブラジュさんが分からない質問をしてもねえ‥‥
どうしましょうか。
新たに「しんがり」という言葉が出てきました。
とても重要な気がします。どんな感じなのでしょ
うか?
また、「KYとは~」のやりとりは後で読んでみよ
うと思います。
ご回答をありがとうございます。
ううーん。やっぱし現状を――そして欲張るなら 過去からの歴史的なあゆみに沿って――分析し把握することから 始めるのがよい。のでしょうか。
そのひとつの例になりますかどうか:
【Q:観念の運河を《クウキ》なるゴンドラはきょうもゆく】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8166149.html
いま・ここなるわたしを個人としても社会における位置づけとしても把握し了解するという作業からです。
《しんがり》の視点は だってあなたが 一人が百歩よりは百人が一歩すすむことだと言ったぢゃないですか。
最先端をゆくと同時に しんがりの位置にわが身を置くことは大事だと思っています。
昔風に言えば もう流行りませんが 地べたから物申すというようなところでしょうか。
そういう姿勢は ごろつき親分がいちゃもんをつけるのに格好の材料であるようです。
あと もうひとつの課題は 人びとの神についての観念を質すことだと思っています。鋭意努力して来ています。
これは 《個人としてのわたしの自己了解》になるかと。信仰――非思考の庭――は わが《固有のとき》における我れのことでしょうから。
日本人は 排他的な一神教についての免疫は出来ているかと思うのですが それにしてもほとんどは《あたまの中の想像の産物》として神を捉えているようです。
ブディストもクリスチャンも無神論者もみながです。
《キリスト教をとか仏教をとか つまりオシへを 信じる》と言っています。そもそも神は 幽霊程度にしか――中には《理念》としてもありましょうが――あつかっていません。
道にころがる石ころの取り除きから 始めるとなりましょうかね。
No.12
- 回答日時:
今の、わがまま、無気力な日本の社会において、
ブラジュさんの「超長期の展望」へ向かうための
とっかかりというか、突破口は具体的にどのよう
な事だとお考えですか?
痛いところを突いて来ましたね。
まづはご回答をありがとうございます。
基本は――基礎のあゆみは―― 大きく自然史過程です。その流れにまかせます。
その中で人為的なおこないをしないわけではない。
極端なことを言えば 権力を回避せよという方針ではないとまでは言えるかも知れません。
ですが どうですかねぇ。どうなんでしょう。
分からんわい。
もし《しんがり》の問題とすれば いま遅れ気味の状態にある《KY ニート 引き籠もり》などの場合を解き放つことが ひとつ課題として持たれるとは考えます。
【Q:KY とは 草の根民主制への第一歩ではないか。】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/7775052.html
( a ) KY とは 草の根民主制への第一歩ではないか。
( b ) ニートや引きこもりは 未来社会への陰画だろうか。
といったところなんですが 《具体的な第一歩》について よかったら 質問してみてくださいよ。
No.11
- 回答日時:
いつの間にか「インタムライズム」なんて言葉も
つくっていたんですね。
私の考えていた思想社会に近い気がします(偉そう
ですが)。
長期の展望とおっしゃるように、その実現のため
にはいくつもの段階を踏まねばならないのでしょ
うが、私は次の二点がとても重要だと考えます。
ひとつは、民衆が自立&自律すること。
一人一人の人間が、社会の構成員であって、それ
ぞれ役目があり、責任があり、自由があるという
ことを、よくよく理解をするーーこのように言っ
たらいいでしょうか。
そして、一人が百歩前進することよりも、百人が
一歩前進することを目指す、的な視点が大事で、
少数の人の独断を避けるために、多くの人が、ま
た立場の弱い人こそ、そうなるべきと思います。
二つ目は、国内もさることながら、海外との「民
間交流」です。
折角、海外旅行しても、観光名所を巡り、おいし
いものを食べるだけの、小学生の遠足みたいなこ
とばかりでは、もったいなく、交流つまり友達を
作るということです。
そういうことが、文化として定着したらしめたも
のだと思います。
ご回答をありがとうございます。
★ ~~~~~~~~~~~~~~~~
いつの間にか「インタムライズム」なんて言葉も
つくっていたんですね。
私の考えていた思想社会に近い気がします(偉そう
ですが)。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ それはよかった。
造語は フライイングでしたか。
★ ひとつは、民衆が自立&自律すること。
★ 二つ目は、国内もさることながら、海外との「民間交流」です。
☆ 《自律》は むつかしいでしょうね。とは思いましたが おっしゃるとおりでしょうね。
★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
そして、一人が百歩前進することよりも、百人が
一歩前進することを目指す、的な視点が大事で、
少数の人の独断を避けるために、多くの人が、ま
た立場の弱い人こそ、そうなるべきと思います。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ なるほど そうなんですね。
《しんがりであること》を心がけるようにという方針ではいましたが。
ガミガミではないと思いますが いつもプンプンしてはいました。
南京市と名古屋とが 高校生・大学生あたりから若い人たちが大量に互いに留学しあったりそのほか何でも交流をするようになれば しめたものであるかも分かりません。
ただし 共産党政府がチャチャを入れて来るでしょうね。まだまだ先のことでしょうか。
No.10
- 回答日時:
お礼ありがとうございます。
松下幸之助氏と手塚治虫氏は深い「ヒューマニズム」の思想
を持っているという点で、尊敬しています。
彼らの言葉には、共感するとか納得するというだけでなく、
「感激」させるものがあります。
時代は益々軽薄になってます。若い世代は仕方がないといえる
でしょうが、ジジイまでが同調している姿は、開いた口がふさ
がらないという感じですね。
私の胸の「湯沸かし器」もグラグラと音を立て始めましたよ。
まぁまぁまぁ。たいへんですね。
ご回答をありがとうございます。
《あたらしいひと》を問い求めていますが その住む社会のかたちとしては――例によって《長期の展望》として―― №8のわいわいえいとさんへのお礼欄に書きましたように
○ インタナショナルなインタムライズム
を考えています。
あと 《非戦論》ですが これは いま現在のようにすでに国家が〔疑似的にでもひとつの〕民族国家として成り立っているときには 攻めて来たときにこの《くにゆづり》をするという選択は ちょっと考えものであるかも知れないと思います。
攻撃と言っても サイバー攻撃などで原発ではなくてもどこか要所を大きく故障させてしまって主導権を奪うといったことが起きるかも知れません。
ゆづる・ゆづらないとは関係なく こちらの首根っこを押さえつけて言うことを聞かせるというシワザに出て来られたらとも考えられるかも分かりません。
中国ですが 取り越し苦労であればよいのですが。
手塚治虫について わたしの年代にしてはめづらしく意外とわたしは知らないんです。その点 申し訳ないです。
いえ 中立です。読んでいないんです。いわゆる漫画に一般に距離を置いていたようです。
No.9
- 回答日時:
削除されるのを覚悟で書いちゃいます。
哲学カテに入り込んで4か月になります。
ブラジュさんを中心とした歴史を、少ししてから
知ることになりましたが、ご自分で仰る通り、か
なりの「瞬間湯沸かし器」ですね。
しかし、私が知る限りでは、ブラジュさんの問題
提起は、「一流」だと思います。議論も喧嘩も上
手です。たまに熱湯が出るようですが、それもご
愛敬。基本的には紳士的な態度だと思います。
ただ、日本人的とは‥‥言えないですね。
私は、お相手する力がありませんが、力があれば
徹底的に議論ができる相手であると喜んだでしょ
う。喧嘩はするでしょうけど。
ブラジュさんをよく思わない人って、結局言い負
かされて恨んでいるんじゃないでしょうか?ある
いはその力量に嫉妬しているんじゃないでしょう
か?
私にはそう思えます。だから、馬鹿々々しくて仕
方がないんです。
遊びたいなら、遊べばいいじゃないですか。誰も
否定なんかしないし。
但し、どんな分野でも、「本格派」がいなくなっ
たら惰弱にしかならないというのは、変わらない
と思いますね。
前置きが長くなりましたが、「あたらしいひと」
とは、「人間が大事」という「新しい哲学」を持
った人ということになると思います。
ご回答をありがとうございます。
★ 「人間が大事」という「新しい哲学」
☆ どこかで聞いたようにも思って検索したら 松下幸之助も言っていたようです。
たぶん にゃんぽこりんさんは もっと理論的な内容を思ってのことかと思いますが 触れてみておきます。
▼ (神藏 孝之:「人間大事」の考え方) ~~~~~~
http://www.chosakai.or.jp/essay/201008/index.html
松下幸之助氏の哲学を一言で言うならば、それは「人間大事」である。
人間は、「万物の王者」であり、「偉大な存在」である。
しかし、人間は、「偉大な存在」であるがゆえに、「巨大な責任」を背負い、その自覚や自制も必要となる。
そして、「偉大な存在」である人間は、「無限の能力」を持っている―。
松下幸之助氏独自の人間観であり、物事を捉え、考える際には、常にこの考え方が出発点に据えられている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 引用しなかったところで具体的に次の二点が提案されていると思われます。
1.たとえば高度経済成長のあと日本は《米国の行き過ぎた市場原理主義を取り入れた》ようだ。
――これは しかしながら じゅうぶん咀嚼して外からもいい思想を採り入れるべき。
▼ 古来、日本人は、外来のものを上手に取り入れて使うことがとても得意だったはずだ。
☆ だから:
▼ 「リストラ」や「成果主義」など、欧米の合理主義から生まれた概念
☆ についても そうすべきである。どうして鵜呑みになってしまったのか。
2. そのことは さらに具体的に一点として:
▼ 短期志向で近視眼的な物の見方が世の中に溢れている。
☆ という問題になる。
ものごとを長い目で見ることが 《人間大事》につながる。
派遣や非正規雇用といった慣行は あまり日本人にはなじまないように感じられます。
でかいことは言えませんが。
なお褒めてくれてありがとう。うれしいですね。投稿者が少なくなっている事情からしても。
No.8
- 回答日時:
質問の意図のなんとなくの印象は、
今のピラミッド型の社会の、その底辺の広く頂点の高い処を、もう少し狭め低くして、出来れば台形型のようにならないか、と云う事かと受け止めました。
全体としてはそうした方向に向かう気風は感じますが、如何せん地球規模での難題(人口とか、食糧とか)が幾つか有るようでその"逆風"の力をかわせるか、軽減できるか、と思うととても心配になります。
また、紛争中の国々やその関係国には"損して(今)得取れ(将来)"の政策が不可欠と思います。
譲り合い、と云うよりも有利な立場の譲る精神、が先立つものと思いますが。
★ 譲り合い、と云うよりも有利な立場の譲る精神、が先立つものと思いますが。
☆ おお。これが出来たら 言うこと無し。でしょうね。
わいわいえいとさん 暫らく振りだなぁ。ご回答をありがとうございます。
ちなみにOKヱーヴの哲学カテは 死にかかっていますよ。
ええっとですね。
超長期の展望を述べます。それが 考え方としては基本になります。
すなわち 《台形》の上層には 《底辺》の市民たちが――主権を持って――雇った法律や経済やもろもろの顧問だとか事務係りだとかのシンクタンクの人びとが配置されている――のみとなります。
《司令塔》は すでに各地の市民たちのムラヲサ(市町村長)が連携して主導します。
あるいは 日本だけではなく ムラムラは インタナショナルにインタムライズムをかたちづくります。
名古屋はいま姉妹都市として ロサンゼルス・メキシコ市・南京・シドニー・トリノと友好関係にありますが そのほかそれぞれのムラも互いにそうしたつながりを持っているし持つようになります。
つまり そのような ムラムラの連合が 最高の行政府を形成します。(国連は ユネスコなどは 糞くらえです)。
ムラの議会には 連携しているほかの国のムラムラから 議員も互いに選出します。
経済・文化等々の交流を自由に最大限に繰り広げて行きます。
★ 地球規模での難題(人口とか、食糧とか)が幾つか有るようでその"逆風"の力をかわせるか、軽減できるか
☆ つまりこれらの課題は ムラムラの一人の市民がそれぞれ考えて決めます。
国際的なインタムライズムというかたちで意志決定します。
つまり 《逆風》はたいてい これまで権力と握って来た上層部のお偉方からの趣味の追求や横槍によって起きているのではないか。
ムラの一市民どうしなら 互いにユヅリアヒをおこなうことはそれほどむつかしくないのではないか。
当面の問題は 気ちがい韓国と覇権に血迷った中国共産党政府だと思います。
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《豚がいい》説は なかなか扱いづらいものがあると思います。
話し合いを避けてはいないようなのですが 都合のわるい話題になると 自分は豚だ・阿呆だと言って煙幕を張り あとは核心には触れないようにさせる。
それでいて なおも話し合う姿勢にはあるんだよと言い続けます。
豚で阿呆なるわれを うまく扱えないあんたがバカなんだよと たぶん言い続けているんでしょう。