『ボヘミアン・ラプソディ』はなぜ人々を魅了したのか >>

Ieyasu was shogun for only two years, since in 1605 he arranged for the title to be passed on to his son, Hidetada. He lived on for another eleven years, and in his ostensible retirement was as busy as ever, but he preferred to watch over the affairs of the nation and his house, rather than be concerned with details of routine administration. Hidetada, in turn, transferred the office of shogun to his son, Iemitsu, in his own lifetime. After his father’s death in 1632, Iemitsu ruled in his own right until he died in 1651, leaving the ten-year-old Ietsuna as his successor.

「家康が将軍だったのは1605年から秀忠に譲位するまでの2年間だけであった。隠居した後、11年間存命だったが、表向きの引退をして以降も相変わらず多忙を極めたが、幕府運営の些事に関わるよりも国家や幕府の行く末を見守ることを好んだ。同様に、秀忠も存命中に家光に譲位した。1632年に秀忠が死去した後、家光は自らが死ぬ1651年にまだ10歳にしかなっていない家綱に世襲させることを存命中に制定していた。」

見守るではなく、監視するでしょうか?

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (2件)

Ieyasu was shogun for only two years, since in 1605 he arranged for the title to be passed on to his son, Hidetada.


1605年に息子の秀忠に位を譲ったので、家康が将軍だったのは2年間だけだった。

After his father’s death in 1632, Iemitsu ruled in his own right until he died in 1651, leaving the ten-year-old Ietsuna as his successor.
1632年に秀忠が死去した後、1651年に10歳の家綱を後継者として残して死去するまで、家光は自ら政治を行った。

後は大体良いと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答有難うございました。

お礼日時:2015/10/24 13:11

「1605年に息子秀忠に職をゆずるよう手はずを整えたので、家康は2年だけの将軍だった。

彼はもう11年生き続け、表向きの隠居中もこれまで同様忙しかったが、決められた業務の詳細を気にするよりも国と幕府を監視することを好んだ。秀忠も同様に自分の存命中に、息子家光に将軍職をゆずった。1632年の秀忠の死去後、家光は後継者としての10歳の家綱をのこしたまま、自身が死ぬ1651年まで将軍職であり続けた(※)。」

>見守るではなく、監視するでしょうか?
ここでは「監視する」です。家康は常に駿府からにらみをきかせていたのですから。

※:ruled in his own right
直訳すると、「彼自身の権利で支配的だった」ですから、上記のように訳しました。事実、家綱は家光が死んで11歳で将軍となっています。つまりここでは家光がその前の二人の将軍のように生きている間にその職を譲らなかったということを述べています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答有難うございました。

お礼日時:2015/10/25 19:13

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!


人気Q&Aランキング