絹だって、みんな深く考えないで着物にして着ているかもしれないけど、あれは、繭をつくった蚕が、繭のなかでまだ羽もはやさずにいるうちに、糸を採るんだからね。世間では、見た目のきれいな蝶を好むっていうけれど、よく観察してみれば、羽がはえたらおしまいだってことが、わかるでしょうよ。
(『虫めづる姫君 堤中納言物語』蜂飼耳訳 光文社古典新訳文庫65ページ)

*** *** *** *** ***

世の中の多くの人が「けがらはしい」「まちがひだ」「わるいこと」としてゐるものにこそ真実があるのではないでせうか。物語のなかで虫めづる姫君の述べるかずかずの理屈はどれも正当な主張に思はれます。

先日も下記の回答番号41のコメント後半でそのことを記載しました。運営側から削除を受ける投稿にこそ真の価値があるのではありませんか。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/9083393.html?pg=1&is …

質問者からの補足コメント

  • うれしい

    知らないことはすばらしい。知らないからこそ出せる意見がある。

    これは私の投稿テーマのひとつなのですが、今回はあほなさんの回答にそれを感じましたので、回答番号20をベストアンサーにします。あほなさんの投稿はいつも自然体です。むづかしげな表現やネットの受売り情報で自分を実際より大きく見せようとしたりせず、背伸びがなく肩の力が抜けてゐて、気持ちよく読めます。だれしも読める本の量など限りがあります。邪念のない子供がはつとする言葉を出すことがあるのと同様、読んでゐない人の意見もきはめて貴重です。

    認識を深めることが人の使命であり、その最大化が社会全体の幸福なのだ、とするやうな見解にはとうてい承服しかねます。認識を深めることも、認識を深めないことも、ともにすばらしいことだと思ひます。いろいろな人がゐるからこそ、そこから学ぶことができます。みなさま御回答ありがたうございました。

      補足日時:2015/10/28 16:57

A 回答 (26件中1~10件)

ソクラテスの苦労のほとんどは彼の嫁さんに起因するものなんじゃないかと私なんかは思うけれど、有名な無知の知なんかは正にプラポチさんの言う豚の自覚だと思うんですよ。


こんな事言っちゃ知識人に煙たがれるかもしれないが、人間の血筋って言うのは知能でなく徳だと思うんですよ。何処もかしこも人間は他の動物より知能が高い、その点が人間のアイデンティティだと言う風潮があるが、正直言って、別に高い知能、求めてないよね。そりゃ生きるのには有利だったかもしれないが、人間が本当に求めている事はそこじゃないと思うんですよ。
虫愛でる姫にしたって、女官達に、お前らの着物は虫の命でできてるんだぞ、なんて言って煙たがられるけれど、彼女自身が求めていたのはそういう事に気がつく友人だったんじゃないないかななんて勝手に想像しています。虫に対する感謝じゃないんだと思う。そういう事に想いを馳せる心の潤いと言うか。
贅沢な貴族らしい言い分かもしれないが、そういう気持ちが虫愛でる姫にはあったんじゃないかと思うんですよ。

でもやっぱり、人の事を家畜だとか寄生虫だとか、そういう縛られたライン上の発想で語ること自体が、それが一本調子の上昇志向に対するアンチテーゼであっても、臭い球を投げてる事には変わらないんじゃないかと思う。十分な示唆は与えてくれるのだけど、欲しい球はそれじゃないみたいな。。
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この回答へのお礼

別の面からの視点をありがたうございます。

>ソクラテスの苦労のほとんどは彼の嫁さんに起因する

「彼の嫁さん」につきましては、古典作品からは読み取ることができず、私ではコメントできません。すみません。

>有名な無知の知なんかは正にプラポチさんの言う豚の自覚だと思うんですよ。

なるほど、さうですね。

>彼女自身が求めていたのはそういう事に気がつく友人だったんじゃないないかななんて勝手に想像しています。

侍女からは疎まれてゐましたが、虫好きの男の子たちとは仲がよかつたやうです。「身近に雑用係として置く男の子たちの呼び名も、一般的なものではつまらないと考え、虫にちなんだ名をつける。けらお、ひきまろ、いなかたち、いなごまろ、あまびこ。」(69ページ)

お礼日時:2015/10/25 11:23

実践力でも思想芸術でも、糸(働く意図)を採れるようになるのに


下地となる「悩みや不安、危機感、苦労」が幼虫を成長させ変態する。

それなくして大きな芋虫になれても『信念』の成す術は持てないでしょうね。
変態は金や地位や名誉や賞賛なとそれら全てを犠牲にしても信念を貫いて成す!
そういう意味なのかもしれない。

姫君はいくら年季を積もうと誰からも賞賛、どころかスルーされても!
自分に与えられた性分で職務で社会の基盤として努力を重ねて満足なんです。

諸外国で労働は義務、償い、罰として捉えられていたりする。
でも日本人は労働によって「社会貢献する権利」として捉えているところがあります。
神話の中の神様も働くのは生きがいだってことですからね。

その他仏教でも不労所得が徳のあることのようになってますが、
努力したい人は如何なく努力できる。全体がそういう世の中であればいいのだけれど、

努力したくてもお金も時間も体の自由もない。という人の方が圧倒的に多いので
単に努力したからといっても、それだけいい条件に恵まれていただけのことで
人間として尊敬するほどのことでもない。

自分を偽らず、隠さずとも誰にも名を知られることもなく
成長する人は変態ですが、尊敬できます。
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この回答へのお礼

回答番号11のコメントが削除になつてゐます。高度な内容の投稿をなさるかたがたは削除されると怒るのですが、私のくだらない文章が削除されることはQ&Aの質の向上に寄与します。

miko-desiさんの御投稿のなかで「哲学変態論」がいちばん印象に残つてゐます。この命名者はTefu_Tefuさんだつたでせうか。

>下地となる「悩みや不安、危機感、苦労」が幼虫を成長させ変態する。

はい、さういふものだと思ひます。

>姫君はいくら年季を積もうと誰からも賞賛、どころかスルーされても!

私は好き勝手やつてゐるこの姫君が大好きです。

>諸外国で労働は......

労働に対する見方はそれぞれですね。私は人間関係を考へる場だと思つてゐます。利害関係がからんできて、きれいごとなど通用しなくなります。Q&Aサイトのやうな利害関係のない場でさかんに、誹謗中傷だとか傷ついただのと言はれてゐるのが正直よくわかりません。すくなくともトラック運転手の世界でそんなことを気にしてゐたらまつたく仕事になりません。回答番号23のamaguappaさんの御意見は妥当なものに思へます。

>その他仏教でも不労所得が徳のあることのようになってますが

どんな善意の行為であつても、それを喜ぶ人もゐれば、迷惑する人もゐます。それが世の中です。きれいごとの一面だけが取り上げられ強調されるのが常です。世間の多くの人が否定することにもつと目を向けたいと私は思ひます。回答番号15でcyototuさんが「戸塚ヨットスクール」について取り上げてくださいましたが、非難する人が多いなかで、心から感謝する人たちもゐます。

>自分を偽らず、隠さずとも誰にも名を知られることもなく成長する人は変態ですが、尊敬できます。

おつしやるとほりです。まさしくこれに該当する「オモテなし」の方を私は尊敬してゐます。別の質問にも、わかりやすくて中身のあるすばらしい回答を寄せていただいたばかりです。御回答ありがたうございました。

お礼日時:2015/10/28 16:23

#22の子供の名に関連して:



また、光は人に悪さをすることもあり、邪視といって大変恐れられていました。悪鬼に睨まれると、病を負い、場合によっては死んでしまうからです。西洋でのジョークに

「神様でもウエイトレスは殺せない。なぜなら、ウエイトレスと目を合わせることが出来ないからだ」

というのがあります。(以下、私の尊敬してやまない南方熊楠神から教わりました。(参照1))

この邪視という光の魔力を避けるために、多くの国の人達がいろいろと工夫 してきました。例えば日本では、人名に穢物の名前を付けて、小神輩が児童の美を羨んで送り出す邪視の光を避けるため、押坂部史毛糞、倉臣小屎、阿部朝臣男屎、卜部乙屎麿、下野屎子、等々と、名付けました。それと同じ考えに基づいた習慣が、パンジャブの民族にもあるそうです。

また、アイルランドでは、貪欲、憎悪、嫉妬等の邪念をもって、人畜、物件を見れば、見られる者に害ありと信じる輩多く、その邪念による光の射出すを避けるべ く、古寺観の前に女人陰を露わせる像を立てたことがあったそうです。あたかも落雷のさい避雷針よく電力を導散して、災禍なからしむに同じ、とあります。

『日本書紀』にも、

「一神あり、、、その鼻の長さ七咫、背の長さ七尺、 云々、また口尻明かり照り、眼は八咫鏡のごとく、照り輝けること、云々、時に八十万の神あり。みな目勝ちて相問うこと得ず。天鈿女すなわちその胸乳を露にかきいでて、裳帶を臍の下に抑れて、あざ笑いて向き立つ」

とあり、この神の邪視を避け得たと云います。


(参照1)『奧斯汀(オースチン)じゃがたら芋:光とはなんですか?』http://ameblo.jp/texas-no-kumagusu/entry-1145423 …
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この回答へのお礼

昨日はさつさと寝てしまひました。先ほど仕事から帰つて一杯のんだところです。飲酒投稿は規約違反ではないはずです。回答番号24の『種の起源』の該当箇所を少し探してみたのですが、わかりませんでした。今回の御回答も楽しいお話です。かたくるしいだけの内容は不特定多数参加のサイトには似合ひません。

>小神輩が児童の美を羨んで送り出す邪視の光を避けるため、押坂部史毛糞、倉臣小屎、阿部朝臣男屎、卜部乙屎麿、下野屎子、等々と、名付けました。

子供がかはいいからこそ、こんな名前をつけるといふのは、考へ方の多面性を感じさせます。価値観もいろいろです。

邪視につきましては、南方熊楠『十二支考 猴に関する伝説』ですか。先日電子書籍で購入したので読んでみました。

御回答ありがたうございました。

お礼日時:2015/10/27 19:56

>みんなの大事にする真実は一つだけの真実ではない、とばっさりなぎ倒す姫君は、ウェブ時代のアンチテーゼでありましょう。



なんか、グローバル化と多様性の大テーマに話が向っていますね。ネットは皆を結び付けてしまう。世界中の人々が以前より強く結びつく。これって、創造性の大敵だ。結びつく集団の大きさが大きくなればなるほど、その集団内のゆらぎが相対的に小さくなり、ほとんどの個体が平均値の周りに集約して行ってしまう。これって数学で証明される定理なんで、うちだけは例外だってなわけには行かない。

今まで無かった新しい構造は、ゆらぎの大きいところで、平均値から離れたところから生み出されるんで、だから、生産的な創造的な営みは適度に孤立した、だけど、ゆるく外界と繋がった集団から生まれて来る。完全に孤立した集団では、構造を作り出すのに必ず必要な無駄を捨てる場所がなくなってしまい、その無駄の蓄積で系の構造がグチャグチャになった無構造な熱死状態になってしまう。だから、閉じた系は必ず死滅する。北朝鮮が死滅することは自然の法則の必然なんだって言うことは確実にわかっている。

適度の孤立化と外界とのゆるい結合、これが創造性の必要条件だ。北朝鮮型も、グローバル化も創造的営みを潰してしまうんだ。だから、グローバル化は多様性の敵で、系の均一化、統一化をもたらす。これって進化じゃなくって退化だ。だから人類史で多様な文化を否定して間欠的に文化の統一化をもたらして来たなになに文明、かにかに文明って、みな人類史における退化の期間のことだ。

しばらく小さな尾張という一地方で孤立して小集団の身内同士で死闘を繰り返していた信長がいきなり全国を統一してしまったり、ベルリンやロンドンやパリという大都会でなく、コペンハーゲンと言う、世界の中心から外れた一地方から量子力学が出現して世界の認識を一変させてしまったなど、人類史を見ると、適度に孤立した集団が活躍した事例がごまんとある。(参照1)

運営側のやっている、この創造的営みをぶっ潰そうと言う行為は、集団が大きくなり過ぎてゆらぎが相対的に小さくなってしまった起こった必然的な結果でもあるんだね。平均値から大きくゆらいでいる姫君に役割を演じさせることが出来るのか出来ないのかは、姫君の属する集団の大きさに掛かっているようだ。

人間の凄さは、脳味噌の中で外界との繋がりをちょん切ったり太い糸や細い糸で結んだりして、集団の大きさや、その外への繋がりを物理的な繋がりとは無関係に制御できることだ。トラック野郎の周りにはそんな脳味噌の機能を駆使して、姫君に負けず劣らずゆらぎに身を委ねている連中が多そうだから、運営側が出して来る雑音やエントロピーの壁を乗り越えて、大集団では見つけることの出来ない色んな新しい世界を見ることができそうだね。

(参照1)『絶対的適応性 ん?』 http://ameblo.jp/texas-no-kumagusu/entry-1150448 …
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この回答へのお礼

刺激的な回答を何度も寄せてくださり、ありがたうございます。

>世界中の人々が以前より強く結びつく。

私もつねづね怖ろしいことだと感じてゐます。ジョージ・オーウェル『1984年』を読むまでもなく、画一化は破滅への道です。アニメ「ワンピース」でも、世界政府が樹立されたのちの血なまぐさい闘争の数数が描かれてゐます。生物進化の歴史においても、多様化こそが生存の道に思へます。

>結びつく集団の大きさが大きくなればなるほど、その集団内のゆらぎが相対的に小さくなり、ほとんどの個体が平均値の周りに集約して行ってしまう。

詳細は存じませんが、経験的にはわかります。大きな組織になると自由がききません。

>適度の孤立化と外界とのゆるい結合、これが創造性の必要条件だ。

お話をうかがつて、納得いたしました。

>人間の凄さは、脳味噌の中で外界との繋がりをちょん切ったり太い糸や細い糸で結んだりして、集団の大きさや、その外への繋がりを物理的な繋がりとは無関係に制御できることだ。

まさしくおつしやるとほりです。私は消費派ですので、ほかの人たちにこの役割をどんどん果していただきたいと思つてゐます。

リンク先のブログも拝見しました。ダーウィンの該当箇所はあとで探します。(もう眠くなりました。)信長や日本の大学のお話、興味深く拝見いたしました。

お礼日時:2015/10/26 22:58

お返事拝読しました。

重ねての回答にお付き合いいただき感謝します。
一点だけ思うところが残りました。
現実にぷらぽちさんの御歳であらせられれば、どこか寂しげという女性との父親代わり以上恋仲未満、けなるくやるせない人間模様も、あったりなかったりするかと存じます。

自殺をする前や、失踪をする前の人間が、含むところも重々しくもなくさっぱりと穏やかな明るいあどけない様子をしてちょっと考え事の風情でいることがあるのは、平安も平成も変わらないありきたりのようですが、虫めづる姫君のごとき逸材は、やはり滅多にいるものではないと思います。多角的にものを見ましょうという姿勢には、色気も景色もないのでしょう。
たぶんこの運営側にかぎったことでなく、ウェブのやりとりでは、前者の変形として、うそぶいた深入りしないお行儀の良いご挨拶ごかしの作法によって、感じの良い景色を損なわないようにという配慮が蔓延しております。みんなの大事にする真実は一つだけの真実ではない、とばっさりなぎ倒す姫君は、ウェブ時代のアンチテーゼでありましょう。
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この回答へのお礼

>重ねての回答にお付き合いいただき感謝します。

こちらのほうこそ感謝してをります。回答番号18を拝見して、自分が国語のテストの解答のやうな読み方しかしてゐないことに気づかされました。物語のなかに存在する人間が見えてゐませんでした。以前ねこひこさんが、男は女に手玉にとられる、そんな生き物だと書いてゐました。私もさうおもひます。

今回寄せていただいた内容につきましては、次の回答番号24でcyototuさんが詳しく解説してくださつてゐます。私も同感です。

>うそぶいた深入りしないお行儀の良いご挨拶ごかしの作法によって、感じの良い景色を損なわないようにという配慮が蔓延しております。

それによつて、実社会でうまくやつてゆけない人間を大量生産してゐるやうに見えます。利用規約を読むと、気に入らないものを強制排除するといふ姿勢が顕著です。対話の姿勢がありません。議論を禁止するといふ項目につきましても、結局は、ごくふつうに議論のできる人がほとんどゐないといふことの結末にすぎないと感じます。

お礼日時:2015/10/26 21:55

子どもに虫の名前ですか。

とことん遊びが好きなのか、達観しているのか、何処か寂しいのか、只の虫好きなのか。
よく観察してみれば、羽が生えたらおしまいだってことが、わかるでしょうよのくだり、幼虫の間は誰に見向きもされず、のんびりと我侭に暮らしていけたのに、美しい成虫に変われば世間のよしなしごと、とりわけ色恋沙汰に巻き込まれる、そんな意味かと思いました。ゲジ眉もマロ眉もどっちもどっちだと思いますが、どうだったのでしょう。この姫は恋をすることがあったのでしょうか?
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この回答へのお礼

またまた御回答ありがたうございます。

>とことん遊びが好きなのか、達観しているのか、何処か寂しいのか、只の虫好きなのか。

いろいろな読み方ができると思ひます。回答番号19でcyototuさんが男は「理屈ばっかオモテに出てきちゃって」と指摘なさるとほり、私などは書くときも読むときも文章の構成が優先してしまひます。amaguappaさんの回答を拝見してずいぶん違ひが出るものだと感心します。「例の」なんて表現があると、私は前の記述しか見えません。与謝野晶子も私と同じ解釈で訳してゐるやうには読めるのですけれど。(違つてゐたらすみません。)

私は解説書はほとんど読みませんし、ネットで調べるのも不得意です。そもそもそんなことをしてゐたら、もとの本を読む時間がなくなります。ですから偉い人たちの学説などは知りません。いつも自分の好き勝手なことばかり書いてゐます。あほなさんが回答番号20に書いてくださつた見方が正しいのかもしれません。ひとそれぞれ読み方があります。

>とりわけ色恋沙汰に巻き込まれる

あほなさんは見る目がありますね。物語の後半はそのやうな内容です。「上達部の御曹司である右馬佐」がおもしろがつて、姫君にちよつかいを出します。ある程度進展するのですが、そこで物語は終了します。なにごとも自分で結論をださなければならないやうです。「ここまで読んできたみなさんが、続きの物語を考えてくださいますように。」(81ページ)

お礼日時:2015/10/25 22:13

> いろいろな解釈ができさうですが、雑念がない、といつた心なのでせうか。

見たまんま。

ふむふむ、やはりあなたは源氏物語向きではないのでしょう。猪突先生のいうとおりの性差と見ます。
このシーンは中将の語りですが、女性(夕顔)が控えめで心の内を隠すから自分は放ったらかしてしまったのだという内容に続きます。心を見せてくれていたら、側に置いたのにという言い分でした。
もし、この女の心には雑念がないといったり、不満だろうに隠して控えめだといったりしたら、これを言う人は信用がなりません。いきあたりばったりのでまかせ野郎です。
つまり中将は、今では女が心を隠していたと知っていますから、うらもなきと表現するのです。女は、明るかったんです。明るいが立ち入れない作り事めいた雰囲気なので、物語の中にいるみたいだったと表現するのです。
靡けこの山の人麻呂のほうは、山の姿の影と形へ、ウラもカタも収斂するのでしょう。焦点を絞るように妹に言葉を絡め掛け、妹には主語の風格も高く、先に釣り糸のように山に絡げた言葉で最後の最後に山を縛る。そんな感じが面白いなと思います。
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この回答へのお礼

説得力のある御回答をありがたうございます。

>猪突先生のいうとおりの性差と見ます。

拝見して、自分でもさう思ひます。回答番号18に「辞書的な意味をあてがって済ませ」との御指摘がありましたが、ここはその意味に読めてしまひます。少し前の箇所に、父親がゐない女性だと書いてあります。子供が親を慕ふ、そんな心ではないのか、「例のとおり穏やかなものなんですが」といふ表現は、そのことを指してゐると私には思へます。

いつまでたつても、女性のほうに振り向かされるだけですね。今後も御指導くださいませ。

お礼日時:2015/10/25 15:45

#18との関連で:



雨合羽お姉は、相変わらずあたしの知らない世界を見せてくれるので、いとをかし、だね。

ウラをみるっちゅうのは、縮退を解くってえのに相通じるところはあるようだ。

でも、源氏物語はやっぱ女の読むもんで男が読むもんじゃないってえことが、雨合羽お姉えの出した例でも改めて確信した。あんなもの、脂ぎった血気盛んな高校男児に読ませて虐めるなんざ可哀想でしょうがない。高校男児には、巴御前が馬上で敵将とむんずと取っ組み合い、その男の首をねじ切ったってな、血湧き肉踊る話を読ませていれば、男どものなかに、一生古文を楽しむ奴の数が増えるはずだっちゅうのがあたしの持論だ。

でも如何せん、国文学の学生は圧倒的に女のようだ。あたしがアメリカに渡ったとき、高校時代に買わされた古語辞典を処分してしまったんで、後に日本の友人から改めて新しい古語辞典をアメリカに送ってもらったことがある。そして驚いたんだが、その買ってもらった古文の用例に載っているのは、源氏物語を筆頭に、女流作品のオンパレードだった。んで、20人ほどいる執筆者の一覧を覗いてみたら、圧倒的に女性ばかり。これじゃあ、日本の古典を古文で読む男の数が増える訳ないと思った。

大分昔、モスクワ近郊で行われた物理の国際会議にでたとき、英語の通訳を教育しているロシアの大学の女性教授と話す機会があった。その教授曰く、言葉に関する感性は女性の方が圧倒的に優れている。そして私が教えている学生の8割ぐらいは女性だ、って言ってた。雨合羽お姉や巫女弟子お姉の文章を見ていると、この教授の言ってることが当っていると思える。

その点、男どもの書く文章はうらもなきものから、カタがみえみえで、理屈ばっかオモテに出てきちゃって、言葉遊びが足りなくて面白くないね。どうせオモテで勝負するなら、巴御前ぐらいの派手な動きで、首をかっ切ったり、面や胴をばっしばっしと打ち込んでもらいたいもんだ。

まっ、男で言葉を自家薬籠中の物にしてみせたのに、あたしが憧れてやまない南方熊楠神やハインリッヒ・シュリーマンみたいな例外がいないではないが、これはガウス分布の右端にいる人たちで、ゆらぎのなせる技だ。女のガウス分布のピークは始めっから男よりずっと右にズレているんで、ゆらぎの助けなんか要らないんだ。

んで、女のが上を言ってるはずなのに、俳句にゃ妙に男が出しゃばっている。何でだろうって考えたんだが、アメリカで盆栽習ってて気がついたんだね。俳句が盆栽で、和歌が華道だってこと。俳句は短過ぎて言葉に色を付けることができない。でも、和歌なら色を付ける糊しろが十分残っている。男は赤、青、緑の3原色だが、女は赤1、赤2、青、緑の4原色なんだそうだ。こんな実験もあった。クリスマスの頃に夜を飾るイルミネーションの催しを女の十人と男十人にバラバラに見に行かせ、見飽きたら適当に戻って来いってなことやった。そしたら男は早いので5分ぐらいで戻って来て、遅くとも30分ぐらいで皆戻って来た。ところが女手は早いのでも30分近く戻って来ない。皆戻って来るのに1時間ぐらい掛かった。これじゃ、束になっても男は女に和歌では敵わないはずだ。与謝野晶子や俵万智なんて逸材が一向に男には出て来ないもんね。でも、白黒の俳句だったら何とかなりそうなんで、男も出番があって、良かった良かったてなところなんだろう。

でも、万葉集なんかに男の秀逸な作品が一杯あるのは何でだろうね。あたしにゃ相変わらずの謎だ。
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この回答へのお礼

回答者どうしのやりとりは規約で禁止されてゐるやうですが、私の質問ページでは大歓迎です。質問内容を発展させてゆくためには必要な行為です。このサイトは他者排除の姿勢が強すぎて、Q&Aの目的を忘れてゐるやうに感じます。

>源氏物語はやっぱ女の読むもんで男が読むもんじゃない

ブログのほうで、男は大統領を決めるといつた重大なことに専念するものだ、といふ見解を拝見しました(笑)。

>男どもの書く文章はうらもなきものから、カタがみえみえで、理屈ばっかオモテに出てきちゃって

この御指摘はあたつてゐると思ひます。私も書きながらどうしても構成を考へて、流れを計画してしまひます。人工的な印象を与へます。「首をかっ切ったり、面や胴をばっしばっしと打ち込んでもらいたいもんだ。」といふやうな勢ひは必要です。「男は早いので5分ぐらいで戻って来て、遅くとも30分ぐらいで皆戻って来た。」私は5分タイプです。

興味深い回答をありがたうございました。

お礼日時:2015/10/25 11:03

5です。



>日本の伝統ではウラがないのは、心がない、になるのですね。まさにウラをかかれました。(無心とか、遠慮がないとか、そんな用法もあつたやうな記憶があるのですが思ひ出せません。)やはりオモテだけの人は、ヒトデナシです。

そう短絡してはいけません。商ひは厭きないみたいな話を真に受けて手短に結論を出すのはよくありません。
辞書的な意味をあてがって済ませいると、古文でウラと言えば、見えないものだという簡単なことを忘れてしまいます。このあたり、国文学業界の堅苦しい偏狭さが学校教育を浸食していると思います。
おかげで、源氏物語の帚木の次の箇所など、辞書首っ引きの下手な訳をつけると、中将の洞察と噛み合わず、語りの中将か夕顔のどちらかが情緒不安定のようなことになってしまいます。

「思ひ出でしままにまかりたりしかば、例のうらもなきものから、いともの思ひ顔にて、荒れたる家の露しげきをながめて虫の音にきほへるけしき、昔物語めきておぼえ侍りし。」

晶子さんも寂聴さんも苦労の跡の見られる現代語を付けておられるようです。
うらなき場合は、明るく薄く、かたちだけが立つのです。
影、翳、陰、隠れ、奥行き、深さ、xy平面に対するz軸の向うが、うらのうらたる所以ですから、うらのないものごとは、とにかく見えたとおりでわかりやすい。
よくおわかりのように、サイト運営側もうらなくやっていこうという態度でしょう。
ウラの反対語がオモテだというのは一面的で不完全です。黄泉の国に妻を迎えに行った話が西洋にも日本にもあります。エウリュディケーであれ、イザナミであれ、黄泉ではウラになっております。あそこで無いのはカタなのです。像、象、形を失っているのですね。カタは明るみ、表層の出来事です。まあ、大昔の人が心というものをどれだけ深い深い陽の射さない領域だと思って死者と結び付く隘路だと思っていたか、そしてそんなものにかたちがないことを大切にしていたかが伺い知れるではありませんか。
ここでひとつ、ウラもなくカタもなく自由になりましょう。言葉は力なり。山がさっぱりひとつ消えますよ。

「石見の海 角の浦廻を 浦なしと 人こそ見らめ 潟なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも 鯨魚取り海辺を指して 渡津の荒礒の上に か青なる玉藻沖つ藻 朝羽振る風こそ来寄せ 夕羽振る波こそ来寄せ 波の共か寄りかく寄る 玉藻なす寄り寝し妹を 露霜の置きてし来れば この道の八十隈ごとに 万たびかへり見すれど いや遠に里は離りぬ いや高に山も越え来ぬ 夏草の思ひ萎えて 偲ふらむ 妹が門見む 靡けこの山」
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この回答へのお礼

貴重なご指摘をいただき、ありがたうございます。

>短絡してはいけません。

私は頭部同様に、脚部も短絡してをり、思考のみならず、外見も不具合が生じてゐます。

>古文でウラと言えば、見えないものだという簡単なことを忘れてしまいます。

御教示ありがたうございます。次回の質問は「見えないもの」についてにします。

>晶子さんも寂聴さんも苦労の跡の見られる現代語を付けておられるようです。

晶子さんは量子さんと知合ひなのでせうか。「帚木」のなかほど、岩波文庫(一)64ページなどは見ずに、さつさと昌子さんの訳本にすがります。
「私はそれで行く気になって、行って見ると、例のとおり穏やかなものなんですが、少し物思いのある顔をして、秋の荒れた庭を眺めながら、そのころの虫の声と同じような力のないふうでいるのが、なんだか小説のようでしたよ。」
いろいろな解釈ができさうですが、雑念がない、といつた心なのでせうか。見たまんま。

>サイト運営側もうらなくやっていこうという態度でしょう。

(笑)多くの人が指摘してゐるとほりで、無茶苦茶です。今朝もアンケートカテゴリで苦情の投稿を読みました。かういふのも楽しみの一つです。

>エウリュディケーであれ

振り向いたら駄目、といふのは聖書のロトの話みたいですが、私は綺麗な女性が歩いてゐるのを見るとすぐに振り向きます。「ウラもなくカタもなく自由になりましょう。」との助言ですが、私はさういふことから自由になれずにゐます。

『万葉集』は巻第二131ですね。ここでも「ウラ」に関連して、振り返ることが歌はれてゐます。

お礼日時:2015/10/25 10:45

#6,16です



申し訳ございません。
読み返してみて、気が付きましたが#16にて冒頭から少し間違えてしまいました。
>>>
表裏概念ないし択一問題は、人知が世界と関わりあいを持つときに、知的にどちらかを選択するという行為になります。
<<<
は、正しくは
>>>
表裏概念ないし択一問題は、人が世界と関わりあいを持つときに、どちらかを選択するという行為を誘います。
<<<
です。
もう少し、説明的に書き加えるなら
「人知にて生み出された」表裏概念ないし択一問題は、人が世界と関わりあいを持つときに、「情動的にないし意志として」どちらかを選択するという行為を誘います。
ですね。

オモテ向き「情動的にないし意志として」は、cyototuさんが#8にて引用しておられる論文(一旦消え去ったかのような振動が、再び強く現れる。)とも関連するかもしれませんが、ウラでは「(微細に分散しオモテからは見えないウラでの小さな振動が)非線形の引き込み」にて動的に形成されているのかもしれません。

あと、知的に(というより認知機能的に)生み出される択一問題で有名なものには、多義図形があります。

このあたり、稚拙ブログの過去の記事にてまとめています。
だまし絵について。。。1.多義図形と概念。。。
http://jinen.exblog.jp/1636093/
だまし絵について。。。2.多義図形・概念と境界。。。
http://jinen.exblog.jp/7893549
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この回答へのお礼

丁寧な御説明をありがたうございます。

>どちらかを選択するという行為を誘います。

厳密にはさうなりますが、断定的表現はそれはそれでわかりやすくなります。突込みが入ることはありますけれど。

>cyototuさんが#8にて引用しておられる論文

初めから読まうとしたのですが、右手が勝手にマウスでスクロールバーをクリックしてしまひ、私の意志に反して第3章にとんでゆきます。不思議な現象もあるものです。

>だまし絵について。。。1.多義図形と概念。。。

拝見いたしました。なにやらむづかしいことが書いてありました。ちなみに私はすぐにだまされます。

お礼日時:2015/10/25 09:58

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Q紫外線LEDについて

紫外線LEDというのはどんなものなんでしょうか?
よく耳にするのですが、紫外線って体によくないのでは…?
信号機とかいろんな場所で使われるようになっていくということを聞いたので、体には影響がでないように作られているものなんでしょうか?
どんなものに使われているかとかご存知の方がいらっしゃいましたら教えて下さい。
水槽とかのライトも紫外線LEDのようですが、紫外線を当てて魚は死なないんでしょうか!?
無知ですいません…!

太陽の紫外線についてのサイトはいろいろあるのですが、紫外線LEDのサイトはなかなか見つからず、気になっているのに調べられません。
紫外線LEDについて参考になるサイトなどもあれば教えていただけるとありがたいです。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

通常の電球とLEDの違いは、消費電力と寿命の違いです。LEDの方が電力が少な
く、かつ、長持ちします(なので最近のハンディライトにはLEDが多い)。
紫外線照明のよく知られているものの例として、ブラックライトがあります。
よくディスコ(クラブ?)の照明に使われています。
紫外線には殺菌作用がありますので、トイレにある乾燥機器(ハンドタオルと
いうのかな)の内部でも使われています。
魚もたまには太陽にあてないと不健康になるので、紫外線を当てます。
紫外線は(赤外線と違って)熱を出さないので、水温管理に影響しないという
利点もあります。当然ながら出力は弱められているため、人体や魚への影響は
ありません。多少、出力を挙げたものの例としては、日焼けマシーンがありま
す。これらは業務用品なので、いまだに蛍光灯タイプが使われていますが、そ
のうちLEDに置換されると思います。
紫外線LEDについては、「ブラックライトLED」で検索されると良いです。たく
さんサイトが出てきますよ。

Q「人嫌い(非社交的)」と「思慮深い」の違いは何ですか?? また、私の友人C氏より思慮深い人はこの世にいるのでしょうか??

彼は、躁鬱病で、更に精神衰弱なだけなのでしょうか??
それとも、悟りを得たのでしょうか??
世の全てを悟ったのでしょうか??

彼は、神さえも超えたのでしょうか??

後云々についても御聞き下さい。
私の友人C氏は、普通の人よりちょっと真面目過ぎるぐらいなので、よく人からは「真面目だねえ。」と言われます。
基本的な性格は、真面目で几帳面で優しい。
ですが、ノイローゼになりつつあるのか、
「1%でも悪が勝つ事は許せない。」と言う頑固者になりつつあります。
善が100%勝つ世界は、この宇宙に存在しないと解りながらも。

しかし、本人はその事については「俺の知った事ではない。」等と言っています。

何故なら、「この時代、軟派で明るいだけが取り柄の、熱くなる男が所詮は馬鹿を見るのだろう。」、
「クール~ニヒルで、生真面目で人をあまり信じないぐらいの男が得ではないか??」
との事だからです。


・好きな女を守ろうとする男、モテたくて女性に優しくしようとする男性は、所詮は「都合の良い男」になるだけ、また何らかの拍子で「単純馬鹿」とか「情けないor頼りない」等と謗られるだけであって、
大してモテる訳でもないだろう。だから馬鹿馬鹿しい。熱くならない方が良いだろ。

・また、逆に冷たい男は「悪い男」、「酷い男」として非難される。

・この世は全てが「虚無」である。
「いい男」も「格好良い男」も存在しない。
何度言ったら解るのか??!!
何だかんだ言って、死なない限り、「安住の地」には行けない。
生きている限り「成功」や「満足」なんてものは得られない。
生きている人間に、所詮ユートピアは無い!!


努力しない男=駄目駄目男
努力する男=駄目男(最後には飽きられて捨てられるかも知れないから。)
死んだ男=イイ男
では??

本当に格好良い男なんて、所詮は
「死んだ男」か「石像になった男」か「生涯孤立して恋愛、結婚をしない男」ぐらいしかいないのでは?恋愛した時点で軟派だろう?

・生きる事そのものが無意味で酔生夢死であって、矢張り 死 こそが全てである。死ぬ以外に解決策が無い。
仏教の教えでも「人は死ぬ為に生まれて来た自己矛盾の下にある。」とも言われている。

・羽を休める事の出来る場所、疲れた心癒せる場所は、地上には存在しない。生きる事はただ彷徨うばかりである。

*なので、上辺だけ、礼儀正しくて優しい人間を装った、疑り深い、恋愛とか形の無いものは信用出来ない、だから人のいない所で文武に励む、硬派で不言実行的で人とは関わらない男が良いのではないか。馬鹿を見ないのだから。
やがてそれを解ってくれる人も現れたならその人と一緒になれば良い。「果報は寝て待て。」である。
孤独なら孤独で、精神の自由を楽しめる。読書や創作活動にも専念出来る。これぞ両刀論法。

・100%利用されないようにするなら、100%人を信じない以外に無い。

・俺のように考える人間の事を、「負け犬」だの言う奴が、ヤフーとか2ちゃんねるには時々いるようだが、そんな事言う奴自体が、
負け犬か、ガキである。つまらん誹謗中傷だな。

・思慮深い人間の事を、僻んで「根暗」とか「陰険」とか、根拠も無く謗っていないか?
ガキじゃないのなら、もうヤメにしようぜ。

・女に手を出す男は最悪と言うが、しかし、
女を大事にしたせいで、つけあがってそれを逆手に取り、調子に乗って男をぶったり利用したりと言うような、ズルい女が、稀にでも現れるようなら、それは馬鹿馬鹿しいな。
嗚呼。もう石になりたい…………。

果たして彼の言っている事は正しいでしょうか?
彼は、全てを悟っていますか?

彼みたいなのを「悟りの境地」と呼ぶのですかね?


注意事項:
このように書くと、すぐに「過去に辛い経験を御持ちですか??」、「何かあったのですか??」、「誰かに振られたんですか??」
とか仰る人おられますが、
違います。

もう 思想の終焉 でも来そうでしょうかね?

彼は恋愛経験も無く、ただ、漫画や物語、ドラマの決まったシチュエーションに飽き飽きしている、そして自分の憶測が正しいと確信しているまでの事です。
でも彼は、正義漢、責任感、自意識が過剰なぐらいで、いつもは真面目で優しくよくやってくれる人なので、周囲からは寧ろ慕われています。
彼の心の中は解らないので、彼を悪く言う人は少ないです。

では御願いします。

彼は、躁鬱病で、更に精神衰弱なだけなのでしょうか??
それとも、悟りを得たのでしょうか??
世の全てを悟ったのでしょうか??

彼は、神さえも超えたのでしょうか??

後云々についても御聞き下さい。
私の友人C氏は、普通の人よりちょっと真面目過ぎるぐらいなので、よく人からは「真面目だねえ。」と言われます。
基本的な性格は、真面目で几帳面で優しい。
ですが、ノイローゼになりつつあるのか、
「1%でも悪が勝つ事は許せない。」と言う頑固者になりつつあります。
善が100%勝つ世...続きを読む

Aベストアンサー

自分の考えを「彼」の考えとして発表したと 推察します。
なぜなら

>彼の心の中は解らないので

 と自分で解っているようですので。

 で、内容そのものはどうかと言うと... ノーコメントです。もうお分かりですよね。

 こういった思想を自分の考えとして発表すると、非難されたり誹謗中傷された時に恥ずかしいから「彼」の考えとして発表したのでしょうが、恥は恥です。

 自分で否定しておられるようですが、やはり 内面世界においてヒドイ事があったようですが...例えばマンガや小説の悲劇の主人公と同調してしまったとか。

 過去のことは忘れて新しい自分として生きるのも良いことです。

Q紫外線LEDの波長について

植物育成用のLEDランプで波長400nmの紫外線と謳っている物がありますが、これって波長は400nmぴったしなのでしょうか?
他の紫外線LEDを調べてみると大抵いくらかのバラつきがあるのですが…。
後、400nm以下にならない紫外線の光源って存在するものですかね?

一応、紫外線が400nm以下の波長だということは知識として持っています。

ご存知の方、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

(1)一般に市販されている紫外線LEDはGaN LEDで、その特徴の一つに、発光スペクトルが幅広いことです。
400nmの紫外線LEDであれば380nmぐらいから420nmぐらいまで発光しているはずです 
(2)紫外線の定義 400nm以上を紫外線とはいわないか
う~ん405とか410nmのLEDを紫外線LED(まあ正しくは近紫外線とよぶべきか)とよぶようです。
それでも400nm以下の波長にそれなりに発光していると思いますよ。
GaNの発光スペクトルが幅広いことだ、GaN LEDの特徴(量子ドットを用いていることに起因する)だったと記憶しています。

Q《個人》の概念ないし繭は 物象化の現実に向き合うところから生まれたか

 《個人》というのは 《わたしがわたしである》ときの事態を指してその一人ひとりの存在のことを言うとのみ思っていました。
 その後 この個人が《概念》でもあると聞き それは 相対主義と独我論にかかわっているのかなと思いました。つまり 
 ○ ひとつには 何事をも相対性のもとに捉える見方に立ち 
 ○ その上で みづからの考えを送信することはおこなうが他者からの意見を受信することはないがしろにするという変形鎖国政策を採る。
 ○ ゆえにそこでは 《個人》はあたかもみづからが城壁をめぐらして独りで暮らすかのごとき存在として 君臨している。

 ☆ これはなぜか? 
 いわゆる《物象化》の理論を噛み合わせると 分かりやすいかも知れないとこのたび考えました。こうです。
 以前に つぎの問いをしたことがあります。まづそれを掲げます。
 ☆☆ 【Q:物象化論の現在は いかに?】 ~~~~~~~~~~~
 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa4268347.html

 ヰキぺディアで《物象化》を参照したら むつかしいものですね。
 まづ 最初の定義として こうあります。
 ▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 商品経済においては、
 社会的分業に基づく人間相互の関係が私的な商品交換を通して取り結ばれるので、
 個々人の労働は直接的には社会的なものではなく私的なものとなり、
 労働の社会的性格は商品の交換価値として現われる。
 労働と労働の関係が商品と商品の関係として現われる。
 この機構をマルクスは物象化と呼んだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A9%E8%B1%A1%E5%8C%96
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ たとえば日本人は 原理原則を信用せず杓子定規では動かないので 資本の論理というようなものについても 物神としてのごとく崇拝するものではないと思っておりました。
 人間相互の関係は 《社会的分業に基づく》かぎり 《私的な商品交換を通して取り結ばれる》という情況に入るけれども それでもそれは 社会生活全体のそれぞれの一面なのであって とうぜん互いに結ばれていると思っていました。
 ぎゃくに言えば 物象化という現象に対して人びとは もっといい加減である。あるいは そのような資本の論理には いやいやながら 従っているだけであり 回り回ってその《労働が社会的なもの》でもあることを思っている側面を持つだろうと。
 現在の情況として《物象化》は 果たしてどうなのでしょうか?
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 結論としてですが
 ○ 《個人という概念》をあたかも繭のごとくひとがかぶるのは 現実の物象化に対する防御であって その意味では 繭というより楯であるかもしれない。
 ☆ 批判しつつさらに解明をしてください。

 《個人》というのは 《わたしがわたしである》ときの事態を指してその一人ひとりの存在のことを言うとのみ思っていました。
 その後 この個人が《概念》でもあると聞き それは 相対主義と独我論にかかわっているのかなと思いました。つまり 
 ○ ひとつには 何事をも相対性のもとに捉える見方に立ち 
 ○ その上で みづからの考えを送信することはおこなうが他者からの意見を受信することはないがしろにするという変形鎖国政策を採る。
 ○ ゆえにそこでは 《個人》はあたかもみづからが城壁を...続きを読む

Aベストアンサー

閉じられる前に、bragelonneさん的課題に、一寸だけ掠る為に、少し復習を書いてみます。

No.24の最後の
bragelonne>乱暴に言ってしまえば
の内の半分については、同意したいと思うのですが、そこまで行き着くのが大変、と言うか、無理です。

政治ー経済関係を簡単に云ってみますと、経済学の成立史を見ても明らかのように、歴史上純粋経済過程というものは、経済学者の頭の中にしか存在しなかった。或る時期、政治からの干渉が少なければ少ないほどうまくいくのだ、と言う「経済理論」がもてはやされたました。ところがそれでさえ実は、或る階級・或る一味にとって有利になるものとして、持ち上げられたのでしたね。数々の失敗を糧に、政治が、漸く暴れ馬=経済を乗りこなすようになった、と思うと、すぐ足をすくわれる。経済とは、ミクロに見てそうであるのと同じく、マクロ的に見ても、「人間的な、あまりに人間的な」事象なのですね。
この間に、物象化論を挟んで無理に云うなら、
bragelonne>そこで働かせた人間の意志も じつは 物象化に沿った内容でしかなかった。
となってしまいます。
廣松渉的物象化論の見解では、本人にとって自由意志と思っていても、実は物象化した一連の過程に在るものであったりするのです。
では、その廣松渉的物象化論は「決定論」なのか? 勿論、そうではないのですね。そんな話は無駄話であって、ある段階まで掘り下げられた時、そこからの捉え返しとして、物象と化していると見える、と云っているのです。本人にとっては自由意志、他人から見ればロボット、という見解ではないのですね。本人が掘り下げることによっても、自分の行為は自由意志だと思っていたのに、そうとは云えないな、と捉え返すことができる。単に見方を変えるではなく、或る地点までの下降が必要なのですね。そこが「疎外論」と決定的に異なる点ではないかと思うのです。「疎外論」は上からの目線で、他人をロボットだと見る、そのように思うのですが。
では、そんな地点が必ず在ると云えるのか、という問いが生まれるかもしれません。それは問いが間違っていると思うのです。或る過程が、物象的連鎖に見得る、と主張するだけであって、すべての過程がそうであると言った主張ではない。
と言うことで、
bragelonne>物象化の作用に対して …ただの反作用としてだけではなく
云々を、一般的に論ずるとすると、ホリエモンの例で少し触れましたように、上向に転じる得る地点に立った時、何等かの見通しが立つかもしれない、と言えるだけではないか?  我々の目前に与えられた過程を捉え返した所にしか、答えはない。

??単純すぎる復習で、自分でも苦笑い、という所です。社会科学系の論者が登場するまでのつなぎにもならないでしょう。羞ずかしい次第ですが、悪しからず。

閉じられる前に、bragelonneさん的課題に、一寸だけ掠る為に、少し復習を書いてみます。

No.24の最後の
bragelonne>乱暴に言ってしまえば
の内の半分については、同意したいと思うのですが、そこまで行き着くのが大変、と言うか、無理です。

政治ー経済関係を簡単に云ってみますと、経済学の成立史を見ても明らかのように、歴史上純粋経済過程というものは、経済学者の頭の中にしか存在しなかった。或る時期、政治からの干渉が少なければ少ないほどうまくいくのだ、と言う「経済理論」がもてはやされたま...続きを読む

Q紫外線LEDについて

リモコン等についてる赤外線LEDの光は目に見えませんよね。
しかし、紫外線LED(ブラックライト)は何故紫色に光っているのでしょうか?
可視光線の波長を含まずに紫外線のみを放射するのは難しいのですか?

Aベストアンサー

実際に実物を見たことがないので、机上の推論ですが、紫外LEDは通常波長が380nmぐらいのはずで、紫色の400~435nmに極めて近い波長である。一方赤外LEDの波長は840とか950nmと赤色の610~750nmと大きく離れていること。
紫外LEDは発光スペクトルが幅広のGaN LEDのため、380nm発光でも400nm以上でもそれなりに光っているため視認できるのに対し赤外LEDのGaAlAsは発光スペクトルがシャープなため、750nm以下での発光がほとんどないためではないでしょうか。
GaN LEDでより波長の短いLEDの研究開発が進めてられてはいますが(日亜のホームページには360nmを開発とでています)、GaNそのものの吸収端をかんがえると、系を変えないかぎり自ずと限界がありそうです。

Qエロは生存本能だって言うのに、なぜ隠すのか?

いいっすかぁ!?
目を見開いて、よーく質問を読んでくださいよ!
本質的なことを書きますからね。
あまりに本質的過ぎるので、面食らうかもしれませんが、そこをもう一段掘り下げるととんでもなく人間存在の不思議について突き当たります。

なぜ人は、自分の性を隠したがるのか?

人が存続していくためには実に大切な本能欲求です。
それを、エロ本をもっているのを隠すとは、なんと矛盾した行動なのでしょうか?

そろそろ読むのもいやになってきたかもしれないので、ここからは蛇足です。

小学生のとき20代のおじの家に行って、そのときおじの棚にいろいろ面白いものがあったので、借りてみていたのですが、その中にまぁちょっとエロっぽいものがあった。それをみられたとわかったおじは、いつも機嫌がいいのに急に険しい雰囲気になったのです。「そんなにエロなものってもっていちゃいけないの?」と小学生ながら根本的な疑問を感じて、恐怖というか嫌悪と言うか、大人社会の中でのエロと言う物がそんなに忌避すべきものなんかという戦慄を味わいました。そういうトラウマって誰にでも多かれ少なかれありますよね。

なぜ、こういうときに「ああ、こんなにエロなんだ!立派!」というような感覚に一般人一般社会はなれないのでしょうかね。そんなにも「隠す」ものでしょうか?

いいっすかぁ!?
目を見開いて、よーく質問を読んでくださいよ!
本質的なことを書きますからね。
あまりに本質的過ぎるので、面食らうかもしれませんが、そこをもう一段掘り下げるととんでもなく人間存在の不思議について突き当たります。

なぜ人は、自分の性を隠したがるのか?

人が存続していくためには実に大切な本能欲求です。
それを、エロ本をもっているのを隠すとは、なんと矛盾した行動なのでしょうか?

そろそろ読むのもいやになってきたかもしれないので、ここからは蛇足です。

小学...続きを読む

Aベストアンサー

いつもは機嫌が良いおじさまの「急に険しい雰囲気」というのは、一つには、まだ小学生である甥ごさんに見せるべきではないもの見せてしまった、ということと、いま一つは、おとなとしての体面、でしょうか、年長者というものは、親が子への態度に端的ですように、どこか威厳を保とうとする傾向が一般ですしね。

おじさまが、その「エロなもの」を甥ごさんに見られてしまったというときの反応を伺って、以前、どこかで読んだ話ですが、ある婦人の回想を思い出しました。

その人が幼い頃、まだ昭和の初期あたりだったでしょうか、細かいところは覚えていませんが、ある日、その人から見て祖父母にあたるとか言ってたと思うのですが、彼らと同居している、まだ新婚の、おじさん夫婦を訪ねて、その家の玄関に立ったところが、誰も出てこない。
しばらく、ようすを覗っていると、家の奥から、誰やら女性の呻き声が漏れ聞こえてきたというんです。
それで、当時まだ子どもだったその人は、てっきり、これは、誰かが腹痛か何ぞで苦しんでいるに違いないなどと思って、声の聞こえてくる部屋を覗いてみたところ、、、

その新婚の若夫婦が、祖父母を始め、家内の者ら皆、出払っているチャンスに、真昼間から大ぴらに励んでいたのを目撃してしまったらしいのです。
そりゃあ、昔の日本は、地方なら当然のこと、跡取り息子なら、なお当然のこと、親と同居の大家族が普通でしたそうですから、新婚の夫婦と言えど、アノときの声も、さぞや気がねしいしいだったことでしょう(笑)
そこへ思いがけず、自分たち夫婦二人だけになれた貴重なひと時なのですから、それはもう、ここぞとばかり遠慮なく、、、だったでしょうね(笑)

で、くだんの少女に目撃されてしまった、そのあとの、若夫婦それぞれの反応が、まことに対照的だったのだそうです。

おじさんのほうは非常に不機嫌になってしまったそうで、当時少女であった、その人のほうも大いに困惑してしまったところが、いつも優しく可愛がってくれていた若いお嫁さんのほうは、おじさんとは正反対の落ち着いた対応ぶりで、照れるでもなく、狼狽した言い訳するでもなく、冷静に手短に、子どもにも納得できる説明をしてくれたのだそうです。


さて、本題に入ります。
哲学カテゴリーとは言え、やはり、心理学や生理学、生物学などの観点からの考察は絡んでこざるを得ない御質問だと思いました。
と言って私には、特に、それらの知見があるわけでないのですが。。。
ただ、しろうとなりに、容易に考えられますことは、
いかに知能の高さを誇るヒトの、こんにちでも明らかに本能レベル由来の行動には、大きく、食事、排泄、生殖、睡眠が挙げられますね。
これらに第一に共通することは、無防備であるということ、それは、一歩間違うと、危険が伴うということです。


俗に言われます「同じ釜の飯食った仲」ですとか、ましてや同衾して生殖行為に及ぶというのは、(強姦は当然除きますが)、最大の親和行動です。
排泄などは、まず、一人になって行ないますね。もちろん、国柄や地域事情によっても多少違ってきますが、一つの例として、これも何かで読んだことですが、確かポリネシアのどこかの島国だったと覚えていますが、
真昼間、子どもたちが眺めて囃したてる傍で、これも笑いながら言い返したりしつつ夫婦の営みに励んで、ちょっとも恥じないのだそうです。
そのあたりは年中暑い気候の地域ですから、今現在どうなっているかは知りませんが、当時は、まだ椰子の葉で葺いた屋根がかかってるだけの壁も何もないような家屋で、戸締りどころではないという感じの様子だったということでした。
日本でも、昔の、あるいは、いまでもそういう所は残っているのかもしれませんが、戸締りなんぞする必要もないくらいに、勝手知ったるご近所どうし、警戒心というものが必要ないほどであった。
ということならば、最も無防備な行動の一つである生殖行為の最中でも、密室に閉じこもり隠す必要もないということになるわけかもしれません。
と言うよりも、そもそも、伝統的な日本家屋自体が、およそプライバシーを守るようには、あまり向いていない造りだったわけですが。日本人に関しては、こちらの影響を考えてみたほうがいいかも。


だいたい、隠す、隠さずにおけない、ということの理由を考えてみると、まず、それは、ある面で不利な行為であるということが真っ先に考えられる理由ではないでしょうか。


食事に関しては、そもそも、獲物を仕入れることから始まるのが自然界の掟ですから、ヒトにしたって、狩りや採集の危険から逃れられなかったわけです。
なお、仲間から離れて一人で食事するのを避けたがる人が多い傾向もあるようですし、人前で食事するのを憚る気分も、人によっては強かったりするようです。
睡眠が最も無防備な状態であることは説明するまでもないでしょう。睡眠時の安全が確保できているかどうか、これは、生活状態を計る一つのバロメーターになりそうです。
排泄や生殖行為の場合、体表を守ってくれる体毛の甚だしく退化したと思しきヒトは、その代替でもある着衣を、いったん離さなければなりません。

しかも、排泄なり生殖行為の、ひとたび佳境(?)に入りますと、「車は急に」、ではありませんけど、おいそれと切り上げるわけにもまいらないわけですね(笑)考えてみれば、まことに危険です。

そうした危険性が伴うからこそ、そして、その危険性を覚る知能の高いヒトならでは、そこを共にした者どうしの親密さも高まろうというわけでしょう。それは、文化としての華?にまで発展しているわけですね。


単なるデートでも、二人っきりでデートするのと、集団デートでは、趣きが違いますでしょう。
お目当ての人をデートに誘ったら、友だちも連れて行っていい?などと聞かれてガッカリした、などと聞いたりします。
まぁ大人数でのデートのような場合でも、ふとした隙に周囲に気づかれないように目と目を見交わしたり、お茶するテーブルの下で密かに膝と膝を触れ合わせたりとか、いろいろと隠微に楽しむ手段はありますけども(笑)

女の子などは、おトイレに連れ立って行くのが、親密さの表現だったりするくらいで。男性の場合、「連れ」ナントカがどうであるかは存じませんが(笑)これは余談でした。


ヒト以外の動物だと、たとえば生殖行為の最中、彼らには彼らなりに快楽はあるのだろうけど、基本的に、自分たちの目前のことしか考えてないでしょう。そして、サッサと済ませる傾向にあるのではないでしょうか。
そこへいくと、ヒトはヒトを、周囲の視線を、特に後ろからも横からもを気にします。(しないヒトもいるか 笑)
そして、その分も、じっくりねっちり引き延ばして引き延ばして楽しもうとします。ね?

その「危険性」というものは、それを「冒す」ということに、隠微な悦楽や恍惚感をいや増す効果も生じてくるということかもしれません。
リスクの高さを分かっているからこそでもあるでしょうし、
ですから、隠そうとすればするほどに、そこに深刻なまでの「危険の匂い」、タブー感が漂ってくる、なみなみならぬ事態である、ということを「白状」しているようなものなのです。

それ自体は、ヒト以外の動物でも、ある程度わきまえているようだと思いますが、ヒトの場合、「文化」にまでなっちゃってる。

それが証拠に、「あけっぴろげのおっぴろげのまる出し」なんぞ、どこに「禁断の色香」がありましょうか。
そのへん、すでに、他の御回答でも指摘されておられますね。そういうことだと思います。

で、ところが、ついには、露出の恥ずかしさを快感にしてしまったり?どこまでいくのやら(笑)


危険―恥ずかしさ―罪悪感
この連関は、考察の余地がありそうです。


かの坂本龍馬でしたか、アノときの恰好を想像したら、どんな立派なおエライさんでも、そのマヌケな姿の滑稽さに笑える、とか言ったそうですね。

いつもは機嫌が良いおじさまの「急に険しい雰囲気」というのは、一つには、まだ小学生である甥ごさんに見せるべきではないもの見せてしまった、ということと、いま一つは、おとなとしての体面、でしょうか、年長者というものは、親が子への態度に端的ですように、どこか威厳を保とうとする傾向が一般ですしね。

おじさまが、その「エロなもの」を甥ごさんに見られてしまったというときの反応を伺って、以前、どこかで読んだ話ですが、ある婦人の回想を思い出しました。

その人が幼い頃、まだ昭和の初期あた...続きを読む

Q熱帯魚用LED照明に紫外線は含まれていますか?

熱帯魚用LED照明に紫外線は含まれていますか?

熱帯魚水槽の底砂に「キャシス」という酸化チタン光触媒のものを使用したいと考えています。
http://www.shopping-charm.jp/ItemDetail.aspx?tid=14&catId=1122990000&itemId=10464

この底砂は照明の紫外線に反応して水を殺菌する、というもののようです。
蛍光灯には紫外線が含まれているのか、問題ないようです。

ここで熱帯魚水槽に最近話題のLED照明を取り付けようと考えています。例えば下記URLのもの。
http://www.shopping-charm.jp/ItemDetail.aspx?tid=14&catId=1115010300&itemId=58179

このLED照明には、キャシスの必要とする紫外線を含んだいるのでしょうか?
よろしくご教授お願い致します。

Aベストアンサー

・蛍光灯やメタハラなどの放電発光には危険なUV-C線までの紫外線が多く含まれています。
そのままでは使えないので、蛍光灯やメタハラは石英ガラスなどを用いて、紫外線の放射量がほぼ「0」に抑えています。

・現行の照明用LEDには、ほとんど紫外線は含まれていません。
LEDは発光効率を優先した設計のため可視光域の外にある紫外線や赤外線は含みません。

製品の説明を読みました。
光触媒を行うのならば、紫外線放射LEDを使用しても、6Wでは光量不足です。

余談ながら、、、
> 酸化チタンの表面に光(日光や蛍光灯などから発生する紫外線)があたると、光触媒効果により水と酸素から高い活性酸素が生成されて、殺菌、汚れ、悪臭成分を分解します。
> ・だから安心、安全です

思いっきり疑問一杯というか笑える説明書きですね。
活性酸素による殺菌は、白点病の特効薬であるマラカイトグリーン製剤「アグテンやヒコサンZ」と同じ作用です。
活性酸素は全ての生物の細胞膜内部に進入します。
細胞内に進入した活性酸素は、酸化力がとても強く、細胞内の水素分子と結びつくことにより細胞を破壊するのがマラカイトグリーン製剤です。
活性酸素は、当然、魚毒性もあるため、マラカイトグリーン製剤は30日以上の長期間使用することは出来ません。

大昔、習った電気工学から仕組みを紐解くと。。。
「二酸化チタン」に「紫外線」を当てると、二酸化チタンの表面から電子が飛び出します。
電子が飛び出した後には、電子の抜け穴「ホール」が出来ます。
ホールはプラスの電荷を帯びています。
電子が抜けた状態の二酸化チタンは分子として非常に不安定な状態ですから「ホール」は強い酸化力をもち、水中にあるOH-(水酸化物イオン)などから、強い力で電子を奪います。
電子を奪われたOH-(水酸化物イオン)は、今度は非常に不安定なOHラジカルになります。
このOHラジカルが生物の細菌類の細胞内に進入し殺菌すると云うことなのでしょう。

理論的に否定はしませんけど、OHラジカルが細菌類の細胞を破壊するのならば、魚などの飼育生体にも被害が出る可能性が高いと思います。
言い換えれば、長期使用して魚などの生態に無害が保証されるならば、OHラジカルは殆ど機能していない(殺菌効果が無い)という事になります。

色々とバラ色の効果効能が書かれていますが、活性酸素に関しては、話半分と考えるのが妥当でしょうね。

・蛍光灯やメタハラなどの放電発光には危険なUV-C線までの紫外線が多く含まれています。
そのままでは使えないので、蛍光灯やメタハラは石英ガラスなどを用いて、紫外線の放射量がほぼ「0」に抑えています。

・現行の照明用LEDには、ほとんど紫外線は含まれていません。
LEDは発光効率を優先した設計のため可視光域の外にある紫外線や赤外線は含みません。

製品の説明を読みました。
光触媒を行うのならば、紫外線放射LEDを使用しても、6Wでは光量不足です。

余談ながら、、、
> 酸化チタンの...続きを読む

Q独我論ってウソでは?だって、他人にも脳があって感情があるように見えて自分そっくりだから。

独我論ってウソでは?だって、他人にも脳があって感情があるように見えて自分そっくりだから。

そうですよね~?

自分を鏡で見ると、自分の姿がわかります。

そして、自分の目で見れば、他人は自分と同じ人間の体をしていて、

他人も笑ったり悲しんだり怒ったり、様々な感情があり、

様々な言語を使い、自分と同様に他人も思考しているように見えるし、そう思えます。

そもそも、脳みそがあるって時点で、その人は思考して自律的に動いているという
何よりの証拠になるのでは?

インターネットでも、他人の書き込みは様々な種類があり、多種多様でバラエティ豊かです。

TVを付ければ、芸能人達が笑ったりしながら色々なことを考えて話しているように見えます。

ラジオを付ければ、これまたDJが音楽を流したり、色々と話したりして面白いです。
確かに、人間そのものに見えます。聞こえます。


これらより、明らかに他人は自分同様に動いていて、

自分に意識があるのはすぐに分かるので、他人にも意識があるとしか思えません。

よって、独我論は間違っているということでは?

というわけで上記は合ってますか?

独我論ってウソでは?だって、他人にも脳があって感情があるように見えて自分そっくりだから。

そうですよね~?

自分を鏡で見ると、自分の姿がわかります。

そして、自分の目で見れば、他人は自分と同じ人間の体をしていて、

他人も笑ったり悲しんだり怒ったり、様々な感情があり、

様々な言語を使い、自分と同様に他人も思考しているように見えるし、そう思えます。

そもそも、脳みそがあるって時点で、その人は思考して自律的に動いているという
何よりの証拠になるのでは?

インターネ...続きを読む

Aベストアンサー

回答してみたくなった(考えてみたくなった)ので、ちょっと調べました。(辞典のレベルです)

質問文にあるような事柄はredstornさんが認識し意識したこころ(自我)であって、この世のすべての事柄はこの心を通して受け止めていると思えば、この心こそを実感しているわけで、だから自我こそ実在である。自我を離れたもの"他者・他我"はこの自身のこころが受け止めた"意識内容"に過ぎない。そう考えて見ると自分以外は実在とは言えない、と云った考えが"独我論"だと思います。

№3の「・・・宇宙すべてが心の中の現象に過ぎない」という考え方になるのでしょう。

こうした考えは、真実とは何か?と云ったことを追い求める哲学的思考を持つ人の行き着くところであって、普通・・にはこの世の中はすべて実在と受け止めて不都合はないと思います。

この普通と特殊とのギャップを私は次のような考えで埋めています。

人の心は鏡であると。
人それぞれが持つ"その人の鏡"に映った映像(五感)をその心は認識しているのだと。
外界のもの(他我とか)を人の心は直接認識するわけではなく、あるいは出来るわけではなく、いったん心の鏡に映してから認識するのだと。

こんなふうに考えると、自身の鏡しか信用できないというような気持を論じてくるとそれが"独我"になるんだなぁと思います。

でも
個人の持つ鏡って精巧、精密なんでしょうか。
みんな皆んな雲っていたり、歪んでいたり、もしかしたらヒビや割れがあるかもしれないのです。
外界の"真実・実体"とは違うものを我々は見ているのではないでしょうか。

☆ 自身の心模様なりに認識する世界が実在?真実?

回答してみたくなった(考えてみたくなった)ので、ちょっと調べました。(辞典のレベルです)

質問文にあるような事柄はredstornさんが認識し意識したこころ(自我)であって、この世のすべての事柄はこの心を通して受け止めていると思えば、この心こそを実感しているわけで、だから自我こそ実在である。自我を離れたもの"他者・他我"はこの自身のこころが受け止めた"意識内容"に過ぎない。そう考えて見ると自分以外は実在とは言えない、と云った考えが"独我論"だと思います。

№3の「・・・宇宙すべてが心の中の現象...続きを読む

Q近紫外線LEDについて

よろしくお願いいたします☆
質問がいくつかありまして箇条書きで失礼ですがお願いいたします。

1・近紫外線LEDで一般的なのは400nm程の波長で200mcd程なのですが調べていたら365nm程の波長で光出力Po(mW)26というLEDを発見したのですがこの差で色は全然違うものなのでしょうか?前者は紫!!という感じなのですが後者はこれよりもどんな色になるのでしょうか??
参考URL
http://www.nitride.co.jp/products/lamp.html#375-erlm

2・1の質問のURLに書いてあるLEDを車の間接照明に使ってみようかと考えているのですが危険などあると思いますか??
もちろん光源は隠して使うつもりです。
車の内張りですとか機械・塗装に対する影響はあるのでしょうか??
素人な質問で恐縮なのですがよろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

>では400nmより500とか600nmになると青よりの光が増えて青紫っぽい光になるのでしょうか??
いえ、500nmは緑に近い色であり、600nmは赤の色になります。

青紫の色を得るには、450nm程度までの光で、それ以上の長波長がカットされているものがよいです。とはいえ400nm以下はその光強度の割りには人間の目にはあまり映りませんので、420nm~450nmの範囲程度の狭いスペクトルの光が一番紫に見える色といえます。

すべての色を再現する必要のあるカメラのレンズなどでは、波長が400nm以下は不必要なので通らないことが多く、大体420から430nmほどでは十分に通る仕様になっていることが多いです。

つまり狭い波長範囲での光を得ればよいわけなのですが、市販品でその部分のみ光強度が強いというものはあまりありませんので、420nm以上の光の出る光源にフィルターを使って450nm程度以上の波長をカットするなどの工夫をしないと、いけないかもしれません。

Qどのようにして罪を深く感じ取るか

クリスチャン、またはその立場に一定の理解をお持ちの方に質問です。

人はどのようにして自分の罪を可能な限り切実に感じ取ることが出来ますか?

キリストの教え、なかんずくパウロの教えを私は次のように理解しています。
人は原罪と己の犯した罪を負っている。それは律法を完全に行えないことにより証明される。
律法を完全に行うことの出来ない人の罪は、
神の子であり完全なる(罪のない)人間でもあるイエスキリストの贖い、
その流された血によって洗い清められる。
そしてそれに対する信仰により人が霊的な位置において、
主の血によって罪が洗い流される。

このとき、人が罪を洗い流される必要を感じるためには
目的としては審きのときにおいて父なる神の御前に義と認められること、
そして手段としてのキリストの血の贖いと悔い改めであること。

ここで問題となるのは血による贖いも悔い改めも、
自身の罪の深さを認識し、いよいよ自身に救いが必要であると感じることです。
けれども私は自身の罪を認識はしても、
それを感情や魂の悔やみとして深く感じ取ることが出来ません。
牧師や神父はこう言うでしょう。
「あなたの神に祈りなさい、そして聖霊様に祈りなさい、
 あなたがそれを正しく理解し、それを心から感じ取ることが出来ますように。」

たしかに己の至らぬ点において祈りと願いによって助けを求めることは必要です。
しかし同時に自身のより一層の感情としての感じ取りに対して人としての
持ちうる限りの努力も必要だと思います。
人としての最大限の努力をなし得ていないならばそれは切実には求めていないからです。
祈りと願いとしては別に人としてのなし得る術として、
人はどのような方法によって可能な限り自身の罪を深く知り得ますでしょうか。

クリスチャン、またはその立場に一定の理解をお持ちの方に質問です。

人はどのようにして自分の罪を可能な限り切実に感じ取ることが出来ますか?

キリストの教え、なかんずくパウロの教えを私は次のように理解しています。
人は原罪と己の犯した罪を負っている。それは律法を完全に行えないことにより証明される。
律法を完全に行うことの出来ない人の罪は、
神の子であり完全なる(罪のない)人間でもあるイエスキリストの贖い、
その流された血によって洗い清められる。
そしてそれに対する信仰によ...続きを読む

Aベストアンサー

こんにちは。
僕なりの思ったことを書きますので、何か参考になれば幸いです。

<<ここで問題となるのは血による贖いも悔い改めも、自身の罪の深さを認識し、いよいよ自身に救いが必要であると感じることです。>>

僕も、自分の問題点を「理性に落として明らかにすることによって明確にすること」は重要なことと思います。

<<けれども私は自身の罪を認識はしても、それを感情や魂の悔やみとして深く感じ取ることが出来ません。>>

しかしながらそれを再び感情的に「後悔」と言う暗い怒りの感情に転化して増幅させてしまえば、さらに感情的になり、理性的に物事を観る力を滅してしまうのではないでしょうか。

理性を圧迫し滅するなら、己が問題点も改善すべきものも、その方法も、念じるべき思念も見出すことは難解になるし、

理性を圧迫し滅するなら、物事の道理を見抜く力も滅し、再び問題点なる新たな罪を多くなす可能性を増幅させてしまいはしないでしょうか。

<<たしかに己の至らぬ点において祈りと願いによって助けを求めることは必要です。>>

人の心は多く・多数念じた思念に傾く性質が有ると感じます。重要なことですね。なぜそうなるかのその性質の原因をキリスト教の方は「己の至らぬ点において祈りと願いによって助けを求めること」として信仰しているのかな。と感じました。

<<しかし同時に自身のより一層の感情としての感じ取りに対して人としての持ちうる限りの努力も必要だと思います。人としての最大限の努力をなし得ていないならばそれは切実には求めていないからです。>>

そうですね。信仰を持つ人持たぬ人に関わらず、人としての持ちうる限りの努力は必要ですし、賞賛すべきものと思います。

<<祈りと願いとしては別に人としてのなし得る術として、人はどのような方法によって可能な限り自身の罪を深く知り得ますでしょうか。>>

感情的になれば物事を観る力はなくなる。
物事を観る力はなくなるなら問題点が見えなくなる。
問題点が見えなくなるなら再び同じ問題や
その問題点によって起こる諸々の問題を繰り返しおかしてしまう。

理性的になれば物事を観る力が出てくる。
物事を観る力が出てくれば問題点が観える。
問題点が見えれば改善策がたてられる。
改善策がたてられれば、再び同じ問題や
その問題点によって起こる諸々の問題を繰り返すことがなくなる。

理性を育み、理性を持って感情を観て滅していくなら、生命としての問題点・原因が解るようになると思います。

理性に落とし込むことが重要とかんじます。

ゴータマさんは多くこの方法を理性的に論理的に厳密に現実的に科学的に反証も受け入れる姿勢を持って語られています。人として出来ることを具体的に反論が成り立たぬように気をつけながら語られているように感じます。

「八正道」のなかには多く理性に落とし込む方法・ヒントがかかれていますよ。納得がいく所を拾い集めて実践してみてください。

自分の生命としての問題点を見つけ、改善する方法としては、ここまで詳細に厳密に語られたものを他に知りません。人としてのなし得る術として限界まで語られたものと感じます。

信仰に関係なくこの方法は役に立つものと思います。

サンガ出版「仏法」の八正道の項目に詳細にのってます。


参考になれば幸いです。

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

こんにちは。
僕なりの思ったことを書きますので、何か参考になれば幸いです。

<<ここで問題となるのは血による贖いも悔い改めも、自身の罪の深さを認識し、いよいよ自身に救いが必要であると感じることです。>>

僕も、自分の問題点を「理性に落として明らかにすることによって明確にすること」は重要なことと思います。

<<けれども私は自身の罪を認識はしても、それを感情や魂の悔やみとして深く感じ取ることが出来ません。>>

しかしながらそれを再び感情的に「後悔」と言う暗い怒りの感情...続きを読む


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