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今、家で整理作業をしながらM.ヤンソンス指揮のマーラーの第8交響曲を聴いていました。
1時間27分の圧倒的な演奏が終わった後、指揮者は、男女のソリスト達と喜びの抱擁と左右の頬へのキスを交わしていました。↓


勿論、こうした抱擁やキスが自然に交わされるのは、欧米だからこそであり、日本でやれば、たちどころに「セクハラ」と批判されるでしょう。

日本で日常発生するセクハラ(発言)について、都議会のセクハラ・ヤジ以来、私は、このスレッドで、散々容赦なく批判の目を浴びせています。↓
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8646312.html (No.12)
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8649714.html (No.20)
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8655286.html (No.15)
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8763660.html (No.19)
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9030853.html (No.6)

しかし、一方、男女に限らず、圧倒的な喜びを共有した時などに自然に、ハグしたり、スキンシップを得たいという感情は、人間の基本的な感情だと思います。日本では、こうした自然な感情やスキンシップも、セクハラとして十羽一絡げに排除するのが残念でたまりません。

皆さんは、どう思われますか?

関連過去問:http://oshiete.goo.ne.jp/qa/4919502.html

A 回答 (3件)

ハグにしてもほかのスキンシップにしても、その地域や国の文化や伝統に根ざしているものであって、日本で必要かどうかはわかりません。

もしかしたら、ハグをする文化の人の中には、日本人を見て「抱き合うなんて直接的なことをしないで、お辞儀だけで済ませる日本文化はなんて個人の尊厳を尊重しているのだろう。すばらしい」と考えている人もいるかもしれません。

そもそも、欧米人のハグやキスなどの直接的なスキンシップは「敵愾心を持たない仲間内の確認行為」です。個人がもっているパーソナル空間を越えて抱き合うことで親愛の情を示す、という文化です。

これがロシアなどになると、さらに親愛の情を深めるために同性同士でも口でキス(もちろん異性でもします)するような地域もあります。
質問者様は、同性同士でまたは恋愛感情を持たない異性とキスするような文化まで「人間の基本的な感情」だと思いますか?私はセクハラだとはおもいませんが、自分がそのような感情表現をしたいとはおもいません。

また、アラブ諸国などに行くと、これまた親愛の情の示し方が違ってきます。アラブ社会は暑い国が多いためか、ハグはほとんどしませんし、男女のふれあいは宗教的に厳しく制限されているので、これまたハグなどはありません。
しかし、同性同士で手をつないで街を歩くなど、欧米や日本では一見「ホモ?」と見間違うような行動を様式をとることが多くあります。友達レベルなら男同士で手をつないで歩くのが普通なのです。

これを欧米でやったら「人間の基本的な感情」とは理解されることはなく、同性愛者として批難されることも出てくるでしょう。

つまり、人間の感情の表し方はその地域の文化によってさまざまである、といえます。

日本においては「儀礼」の方式は、文化的に「刀を所持している人同士」の間合いで成立しています。なぜお辞儀をするかというと「あなたを信頼して、無防備に首を曲げます」ということが基本です。相手を信頼しているからこそ、深く頭を下げられるのです。信用していない相手には、いつ首を切られるか分からないお辞儀なんてできません。

このような意味を知れば、日本のお辞儀がどれほど深い精神性を有しているかも理解できるでしょう。今は刀を持っていませんから、その精神だけが残っている状態ですが、刀を指していた時代は、本当に「首を切られる覚悟をして相手に頭を下げる」ということをしていたのです。

欧米のようにハグを持つ文化の国からすれば、非常に抑圧的な文化であり、感情を表に出さない文化であることは確かであるとおもいます。

しかし、それが日本のコンセンサスなのですから、多くの人の中に「直接的に抱き合って感情を表す」という意思はないでしょう。そういうふうに喜びを表す訓練をしていないからです。

セクハラの問題については、感情表現とは別の問題点が多々あります。それは男女差別的なものだったり、あまりにも主観的(特に女性個人の主観に基づくもの)だったりして、日本の中の問題として整理し切れているとはいえません。ハグもその中の問題点というか、欧米文化と触れ合ったがために生まれた、日本文化内の葛藤であるといえます。

私は日本文化が培ってきたよい部分を考えるなら、ハグを肯定する余地はあまり無いとおもいます。日本が欧米のようにハグをする文化になるとは思えません。もし日本がハグをする文化になるなら、その前のお互いの安全確認のための微笑みとか目上がっただけでうなづきあうとか、そういう「人間同士のコンタクトの方法」そのものが変化しないといけないからです。

お辞儀を基本とし「静かにすること」で人間同士の安全確認を行なう日本文化で、ハグや微笑が浸透していくとは思えませんし、もしこれが欧米並みになるなら、日本は武士道を失うことにつながると考えるからです。

質問者様は「ハグやスキンシップはすばらしい」というスタンスでありながら、都議会のヤジを強く批判されています。私は「中途半端にハグや男女を問わずスキンシップをするような風潮こそが、男女のギャップを深めているのではないか」と考えています。ようするに昔の日本的な礼儀を失いつつ、欧米的な考え方や行動様式の取り入れは中途半端なのです。

これにより、男性の中には「昔と違って男女平等なんだから越権的な行為は許される」と感じて、都議会のヤジのような行動を起こす人がでてくるのでしょう。男性同士であれば「相手の弱いツボや社会的な不義理はヤジで責めても良い」というのが暗黙の了解だったからです。男女が平等の立場であるなら女に対しても「相手の弱いツボは責めてもよい」わけで、それがかの発言につながります。
しかし女性は「男女は平等であるのは当然だが、プライバシーに踏み込むことは礼儀に反する」と考えているわけで、だからこそのセクハラ問題になるわけです。

しかし、質問者様のような方(男性都議の発言をセクハラと問題視する立場)がハグを許容する、というのは日本的な基準からすれば「男女のわけ隔てなく、プライバシーに踏み込むことを許可する」という意味に捉えかねないのです。

ここに男女や年代などによる、異文化受容のギャップがあるのです。
このギャップを乗り越えるには、一旦異文化受容を中止して、日本文化のもっている礼儀の基本を再度確認することが重要だと、私はおもいます。

 大きな問題として「女性の社会的進出」に対して、礼儀としての「自然な感情やスキンシップ」の表し方が整理されているとはいえませんし、討論におけるパーソナルスペースやプライバシーへの配慮にコンセンサスがあるとは言えないからです。
しかもこれは男性だけの問題ではなく、女性側にも誤解と誤用があります。

 たとえば、質問者様は都議会の問題を取り上げておられますが、逆に先だっての安保法案採決における野党戦術である「女性の壁」は、女性性としてやってはならないプライバシーへの配慮(性的役割分担の配慮)の一線を越えたと私はおもいます。
あのような戦術を取る女性たちに、セクハラ発言を抗議する資格はないと私はおもいます。
参考:http://news.livedoor.com/article/detail/10599699/

ようするに男女とも、欧米的な人間関係にあこがれつつ、日本的な儀礼関係の中で悶絶しているわけです。年代によっても男女によってそして個人によっても受容のレベルが違うからです。

>日本では、こうした自然な感情やスキンシップも、セクハラとして十羽一絡げに排除するのが残念でたまりません。
はい残念ですが、よくよく見てください。これらを「セクハラ」として十羽一絡げに排除しようとしているのは、質問者様が擁護しようとしている人たちと重なるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなり、すみません。
大変深い考察で恐れ入りました。
確かに、どういう挨拶の方法を取るかは、その地域や国の文化や伝統に根ざしているものであって、「郷に入れば郷に従え」ですね。ハグやキスにしろ、おじぎにしろ、相手に無防備な姿をさらすことにより、「あなたのことを信頼していますよ。」ということを確認し合っているのですね。

まあ、私は、個人的には、「与謝野晶子の「やは肌のあつき血汐にふれもせでさびしからずや道を説く君」という歌から連想するように、目の前に血の通った人間がいて、その人に共感を示すのなら、「抱きしめる」のが自然なのでは?ただ静かにお辞儀をするだけの文化は、何と抑制した文化か?」と感じたまでなのですが・・・。それとも、こうした感想は、「タダのエロオヤジ」の言いぐさとして排除されるだけなのでしょうか?

さらに回答文を読んでいくと、

「中途半端にハグや男女を問わずスキンシップをするような風潮こそが、男女のギャップを深めているのではないか」と考えています。ようするに昔の日本的な礼儀を失いつつ、欧米的な考え方や行動様式の取り入れは中途半端なのです。

という言葉があり、大変示唆に富み、考えさせられます。勿論、スキンシップをしたいという「自然な感情」も、こちらの一方的な思いとして、相手の合意を得ていない限り、一つ間違えば「セクハラ」となるのは疑いもありません。

大変参考になりました。

お礼日時:2015/11/04 22:32

「こうした自然な感情やスキンシップも、セクハラとして十羽一絡げに排除するのが残念でたまりません」


→島国で静の文化を持つ日本ですからね。
まあ、あと50年位すればスキンシップにも慣れてくると思います。
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この回答へのお礼

「静の文化を持つ日本」に誇りを持ちつつも、個人的には少し寂しい気がします。

お礼日時:2015/11/04 22:33

ハグやスキンシップが「基本的な、喜びの感情表現」であるわけないです。


何をしようと、何をしなかろうと、嬉しい時は嬉しいです。様々な感情表現の形を尊重すべきです。

そもそもハグは欧米では「感情表現」以前のただの「挨拶」ですから、この映像のハグが「感情から来ているもの」なのかは微妙なところです。実際、演奏会において指揮者とソリストは、演奏の出来・不出来は関係無くよくハグします。それを「喜びの感情表現なのだ」と判断してしまうのは、日本人だからではないでしょうか?

ところで、演奏後の様子は別としても、その楽団、(人にもよりますが)体を使ったパフォーマンスが過剰過ぎませんか? 典型的な「演者だけが酔い過ぎて、観客が取り残される」タイプのようで、自分はあまり好みではありませんでした。
オーバーアクションで力の入った指揮スタイルも、現代では「演奏者に無駄な力が入ってしまう」とかやはり「周りが取り残されがち」ということで、一般的には賛否が分かれるところです。

まぁこうは言っても、音楽は「音楽」だけで判断するのが一番確かだと思います。体を使ったパフォーマンスや演奏後の感情表現等は、あっても無くても良いようなものです。
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この回答へのお礼

ハグは欧米では「感情表現」以前のただの「挨拶」・・・・なるほど、嫌いな人とでも、「挨拶」と割り切ってやっているんですかね?

それと、この演奏、典型的な「演者だけが酔い過ぎて、観客が取り残される」タイプのようで・・・とのことですが、私は、作業をしながら耳だけ傾けていたので、気づきませんでした。まあ、世界一流の楽団ではあるのですが、それでも、やたらと「見せる」タイプの指揮者やソリスト(例えば、昔でいうとカラヤンなど。JPopsで言うとジャニーズ系やAKBなど近頃のもの)と、音で勝負する人(昔でいうとベームなど、JPopsで言うと昔の演歌歌手など)がおり、後者の方が高級だと以前は思っていたものでした。⇒実はそうも割り切れないと、後年気づくようになりましたが・・・。(・・・まあ、これはちょっと余談)

お礼日時:2015/10/29 21:50

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