もともと風見鶏は文系指向なのか。
それとも文系やるうちに風見鶏になるのか。
いずれでしょうか。

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A 回答 (18件中1~10件)

#17の補足です。



軍人と文民の比較をする場合、以下の主張が成り立ちそうです:

暴力機能としての強大な力を持つ者はそれを持たない者よりも遥かに危険である。だから、非暴力機関の文民が軍人を制御すべきである。

単純で一見わかり易い主張ですね。これって、正しいのでしょうか。しかし、わかり易い主張って大抵は間違っています。わかり易い主張が説得力があるのなら、なぜ未だに権力者に悪人がおり、また戦争が無くならないか、全く解らなくなってしまいます。

弱肉強食の動物の世界を見てみましょう。肉食動物は強力な武器を持っております。ライオンやトラは強力な牙を、鷹や鷲は強力な曲った嘴を持っている。ところが、肉食動物が雌などの争奪戦で仲間同士で戦うときには、ほとんどの場合その強力な武器を使って相手が死ぬまで戦いません。彼らはその危険な威力を知っており、勝ち負けが決まったら手を緩め、相手の逃げるに任せます。

一方、草食動物も肉食動物ほど強力ではないが牛や鹿は角などの武器を持ち、馬やシマウマは強力な蹴りなどの武器を持っております。しかし、その武器は肉食動物から身を守る事が主目的ではなく、雌の取り合いで仲間の雄同士の戦いのために進化させて来たものです。そして、草食動物はしばしば相手が死ぬまで戦い続けます。実際、雌の争奪戦での死亡率は草食動物の方が肉食動物より圧倒的に高いと、ある自然博物誌のドキュメントで聞いた事があります。

同じような例として、何年も前にベルギーにいたとき見たドッキリカメラの例が印象的でした。スーパーマーケットで買い物カートを押している客のそばに、役者の男性も同じようなカートを押して来て、その役者がそのお客のカートの中の物を自分のカートに移してしまうのです。そのお客が男性だった場合、それに気がついて呆気にしながらしばらく見ているうちに、ほとんどの男性は笑い出したのです。一方、そのお客が女性だった場合、ほとんどの女性は血相を変えて、自分で持っていたハンドバッグなどで、その役者に殴り掛かっていったのです。

肉食動物も男性も、自分の強さの危険を知っているが故に、戦いを避ける。一方、草食動物も女性もその危険を意識しないが故に、血相を変えて相手に食って掛かって行く。さあ、不必要な戦いをしかねない者としては、軍人と文民でどちらが危険なのでしょうか。
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風見鶏が非難されるのは、権力を持った者が保身に走るときですね。



軍人は基本的に理系で、官僚は基本的に文系です。国民が安泰で暮らせるために両者とも必要であり、近代国家では、両者ともその権力を国民からお預かりしている。

権力を握ると必ず既得権益が生まれる。そして、その既得権益の保持者は様々な方法を駆使してそれを独り占めにしようと工夫して来ました。近代国家以前では、官僚を世襲制にしてそれを独り占めにした。それを貴族とも呼びました。現代の日本ではそれを学閥制にして独り占めにしています。そして、人類史を眺めてみると、独り占めの結果必ず官僚は腐って来た。腐らなかった官僚の例が一つでもあったら教えて欲しいです。

官僚が何時腐るのか。それは自分たちの保身に走るときです。保身のためには、国の安泰が二の次になって、風見鶏に変身するのです。 一方、軍人はその成り立ち上、命を惜しまぬ「潔し」とそれを讃える「名誉」いう世界観から離れることができない。だから、保身がその世界観の中心である官僚よりも信用ができる。軍人が風見鶏になってしまったら、軍人がカレー粉抜きのカレーライスになったようなもので、軍人自身がその自己認識法を失ってしまい、意味不明な存在になってしまうから軍人自身が耐えられないからです。

また、軍人は情緒や既得権益よりも、合理性と技術を重んじます。日本人や西欧人独特の技術信仰は、ドングリの背比べの群雄割拠で血を血で洗う戦乱の連続した西欧や戦国時代を経験して、中央集権制度に収斂できずに封建制度に落ち着いた歴史的経験の生み出した世界観でしょう。

中央集権ゆえに悪政の連続であった中国を筆頭とする歴史的事実と、封建制の下の鎌倉幕府の百数十年続いた善政や江戸幕府の二百数十年続いた善政であった歴史的事実との違いは、この腐敗予備軍の官僚と、武士道とは死ぬ事と見つけたりの軍人との違いから来ているのですね。だから、シビリアン・コントロール(文民統治)ほど危ないものはない。軍人ではなく、両班という文民に統治された李氏朝鮮の国民弾圧の歴史などもその好例です。文系で構成されていた両班が青磁や白磁などの高度な技術をもった朝鮮文化を徹底的に破壊してしい、さらに、鉄のたがの技術も失って車輪を作れなくなり、さらに水車すら作れなくなってしてしまったなど、文系の連中の恐ろしさを彷佛としています。

日本も明治維新で封建制度から中央集権制度に移行してしまい、人類史で常に起こってきた官僚のフツフツとした腐敗が150年ほど経っていよいよ表に出て来た。人の道さんもそんなことに気が付き出したので、「風見鶏」なんて言葉が気になり出したのでしょうね。

さて、国を司るためには官僚がどうしても必要です。必ず腐敗する運命の必要悪である官僚の害を逃れるためにはどうすれば良いか。今まで人類は繰り返してきた経験を見れば、制度上どうすれば良いかの答えは既に解っています。官僚は必ず腐るので、必ず被害が出る。そこで、巨大な権力を一点に集中させて、被害を大きくしてしまわないようにすればよい。

アメリカは、連邦政府に権力を一点集中させないで、各州の官僚に権力を分散させている。だから、今でも日常茶飯事に起こっている官僚の腐敗の被害を各州内に留めて、アメリカ全体に被害が及ばないようにしている。幕府制も、中央政府の将軍家に権力を一点集中させないで、各藩の行政は家老と呼ばれる官僚たちに任せて来た。この幕藩制の事を今様に言うと地方分権制度と言います。

今の日本は東京の中央政府の官僚に権力を一点集中させてしまっているので、今まで世界中のどこにでもあった中国型の中央集権になってしまっている。したがって、多かれ少なかれ中国型の腐敗国家になりつつあると言う、中央集権国家の免れることの出来ない道を歩んでいる。

この腐敗からの被害を最小限に留めるには、どのような単位であれ、国を地方自治体、すなわち、道や州や各藩に分解して、その地方自治体にアメリカの各州並みの強大な権限を与えれば良い。そして、中央政府にはそのまとめ役としての最小限の権限だけを与えるようにする。そうすれば、各藩なり地方自治体の官僚たちが当然のように風見鶏となってその地方自治体が腐敗しても、国が滅んでしまう事はないからです。

しかし、その方向への権力の分散は、既得権益を持っている現在の官僚たちによって、あらゆる方法を用いて妨害されるでしょう。その方法には、御用学者やマスコミや子飼の政治家たちを抱き込みや、文科省を通じての教育による洗脳などがあります。軍人ではない文民の官僚に取っては、国ではなくて自分及びその家族の保身の方が遥かに重要なのですから。

蛇足になりますが、官僚とは既存の規則を責任を持って施行する者であり、政治家は既存の規則の欠点を改めて新しい規則を創りだす者ですから、当然その役割も資質も全く違っております。日本の政治の特徴は、中央官僚の既得権益が強大過ぎて、本来全く役割の違う政治家が官僚の配下においてしまっているところにあると考えられます。本来の政治家の役割を全うさせるためにも、中央官僚の力を分断して、地方の各藩なり地方自治体の力を大きくしなくてはなりません。
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どっちもありますねえ。

私は文理系ですので分かるような気がします

理系の学問は理論が目に見えるようにわかりますが 文系の学問は理論というか傾向ぐらいしか分かりません

何度も何度も戦争をして 同じ様なものですが、ここが違う、こういう条件があったから、と

理系なら戦争の法則一つで片付くことを「ああでもない、こうでもない」と言って研究しているので

法則性や確信が掴めない。南京事件一つ、従軍慰安婦一つハッキリしない。

これじゃあ自分の都合でああでもない、こうでもないと言うようになるでしょうねえ

信念を持つ人は少数派ではないでしょうか?

その様にして文系の人は風見鶏になる。真実が分からないからです。
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たくさんの回答をみての、再考です。


風見鶏と云う言葉を皮肉的に使うようになったのはどんな事からなのかなぁと思いました。大昔からあったんでしょうか、それとも比較的現代に近いところからなんだろうかと。
無学なんで知りません。

とりあえずは政治家に対しての皮肉、として使われているとの解釈で考えて、文系に風見鶏タイプが多いと云う事が事実ならば、政治家は文系、と云う事になるのでしょう。

世の中の状況を見ながら行動を決断することが政治家には必要ですよね。
でもそれは必要な事であって、批判的に云う処の風見鶏とは違うと思うのです。

非判的に使う風見鶏とは、私的利益の為に大勢の動向に合わせて行動する事を云うはずなので、私事をはなれて公共の、或いは国家の為の風見鶏的行動は政治家の務めであると思えば、褒め言葉と化すと思います。

たぶん、この質問は行動の決定に短期的な目先の利益にのみに走っているのではないかと、批判的な思いを込めての事だと考えます。

その意味では、今の日本の進んでいる方向は長期的視点での結果を目標としているように思うので、そのことに対して世間の反発する傾向に敏感なマスコミの"風見鶏"的報道が目立つと捉えて居ます。

蛇足ですが、鶏と卵、では精神性に於いては卵に軍配を挙げますが、生物進化としては鶏が先であると云っておきます。自然が生命を生み出すのにわざわざ卵から作るはずはないからです。 

更に、蛇足ですが№14の「安倍総理の政策は歓迎すべきもの」との発言はまさに自身は風見鶏であるとの表明ですが、逆説plapotiの言葉なので、そのおつもりで・・・
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回答番号4,7のplapotiです。

反卵派であり、鶏派を自認する者といたしましては、
"もともと風見鶏が先であつて、風見鶏だから文系になる"
とする見解を死守する必要があります。

Q&Aサイトには、ねこひこさん、ddtさん、モクゾーさんなど、理系の人がたくさんゐますが、このやうな人たちが文系の問題を扱つてゐても風見鶏になつてゐる光景を見ることなどありません。ですから
"文系やるうちに風見鶏になる"
といふ命題は誤りです。すでに反証されてゐます。

私の人生を振りかへつてみますと、確かに子供のころから風見鶏でした。焚き火をするときには、煙が自分のほうに来ないやうに風向きを見て、常に風上に位置することを考へました。文系の選択は必然の結果だつたのです。

教えて!gooの文系カテゴリを見てゐても、風見鶏状況が蔓延してゐます。法律関連では、裁判所の判例や、偉い先生の学説ばかりが論じられてゐて、状況に適合した新説で対抗しようとする姿勢が見られません。語学関連では、辞書に載つてゐる説明が正しいのだ、と主張して、実際の用例から生きた言葉の使ひ方を説明してゆかうとはしません。

やはり風見鶏が先です。安倍内閣の政策は歓迎すべきものです。
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風見鶏がどっちを向いているかの問題です。


そして文系だろうが理系だろうが、向いているのはスポンサーの方向です。

理系はやってみたらわかりますが、文系はやってみないと分からない側面があり、理系は比較的原因究明がしやすいですが、文系は究明がしにくいうえに恣意的な解釈がしやすいという点はあります。
そういった点ではスポンサーの意向が反映されやすいと言えるでしょうけど、風力の違いで風向は一緒です。
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潰しが利く、究極言えばコインの裏表。

強みでも有り弱みでもある。これを風見鶏と捉えるか否かも、発想する側の風見鶏度による。
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皆さんと私も同意件です!風見鶏と割りきれるものではないですよ。


文系はたくさんの本を読んでいて政治的な傾向があります。人間というものをある程度わかっているのですよ♪
理系の人は何でも理屈で割りきろうとするから、白黒つけようとする習性がありますね。
風見鶏というより人間関係はグレーゾーンが大きくてあるときは白あるときは黒になることは当たり前なのです。 文系と理系と程よくミックスされているのがバランスのいい人間というものではないでしょうか?
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この回答へのお礼

確かにそんなふーに考える時期もありました。
世の中理屈で割りきってはならないとかね。
しかし今の世の中見ているとやはりどー考えてもおかしいのではないかって思いますね。
文化レベルが風見鶏化しているっていうか、軽薄化しているのではないかってね。
とにかく悪法が簡単に作られてしまってますね。
そのために詐欺や劣悪な犯罪が多くなってきています。
これは国や行政の中に風見鶏化した文系が入り込んでいるために、信念とか正義感いうものが社会から次第に消えて無くなっているからではないかと思うのです。
この辺りで大きく方向転換してもらいたいです。

お礼日時:2015/10/29 09:08

風見鶏ってw


文系指向の風見鶏や文系の風見鶏の回答を得る気はないのか?

理系やるうちに風見鶏でなくなる、と思う。
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考えても仕方がないことを馬鹿は熱中する。

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Q屋根の上の風見鶏

屋根に風見鶏をつけたいです。
なるべく安く(5万円まで)サイズもあると思いますが
かわいい鶏の風見鶏を
ご存知の方
教えてください0(^-^)0

Aベストアンサー

工務店に勤めています。

ここはいかが?
http://www.firesidestove.com/

お勧めサイトなら
http://amick.net/index.html
風見鶏は上で売ってるものと同じです。
でもほかのものもかわいいです。
シーリングファンとかめずらしい。

屋根につけるタイプは色々見ましたが、市販されているものはどれも同じような気がします。
かわいさを追求するなら、オリジナルで作ってくれるところを探したほうが早いかと…。そこで…
http://www.opto-jp.com/
↑ここに問い合わせてみたらいかがでしょう。
お値段は分かりませんがオーダーできます。

台風とか多い地域なら飛ばされたりしたら怖いのでしっかり取り付けをしないといけませんよ。

庭先とかなら木製の風見鶏をお勧めしますね。
かわいいです。安いし。
http://www.rakuten.co.jp/kkenzai/437907/578638/

http://www2.odn.ne.jp/~cfx47190/index.html
これも結構お勧めです!

参考になったらうれしいですが…

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かわいさを追求するなら、オリジナルで作ってくれるところを探したほうが早いかと…。そこで…
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お値段...続きを読む

Qインドの古代仏典は、デーヴァナーガリー文字で書かれたのが多いですか、それとも梵字で書かれたのが多いですか。

インドの古代仏教原典は、デーヴァナーガリー文字で書かれたのが多いですか、それとも梵字で書かれたのが多いですか。

Aベストアンサー

遠い昔、大学時代にサンスクリット語を習いました。その時の記憶から言うと、サンスクリット仏典は基本的にデーヴァナーガリーだと思いますが、それ以前の古代インド文字や、言葉で言えば“方言”のような、異体字のような文字でも書かれていたと思います。

所謂「梵字」というのは、デーヴァナーガリー文字を元にして図案化(といっていいのかな)された、中央アジアから中国あたりで作られた文字(悉曇文字)だと記憶していますので、「梵字」で書かれた仏典も存在するとは思いますが、時代的には少し下ったものになると思います。

「梵字」という言い方は、デーヴァナーガリーを初めとする、古代インドの文字を表わすこともありますが、現在の仏教学では多くの場合、真言宗などで種子に使われている“悉曇文字”のことを指すと思います。

“悉曇文字(梵字)”については、Wikipediaをご参照ください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%B5%E5%AD%97

もし、おっしゃっている「梵字」の定義が、この“悉曇文字”ではなく、デーヴァナーガリー以外の古代インドの文字のことをおっしゃっているのであれば、質問の意味するところが、「古代インドの仏教典籍のうち、デーヴァナーガリーと、それ以外の古代インド文字とでは、どちらで書かれたものが多いのか」ということになると思いますが、そこまで専門的な知識はないので、私には分かりません。
補足などでその旨を書かれれば、専門家が答えてくださるのではないかと思います。

遠い昔、大学時代にサンスクリット語を習いました。その時の記憶から言うと、サンスクリット仏典は基本的にデーヴァナーガリーだと思いますが、それ以前の古代インド文字や、言葉で言えば“方言”のような、異体字のような文字でも書かれていたと思います。

所謂「梵字」というのは、デーヴァナーガリー文字を元にして図案化(といっていいのかな)された、中央アジアから中国あたりで作られた文字(悉曇文字)だと記憶していますので、「梵字」で書かれた仏典も存在するとは思いますが、時代的には少し下ったも...続きを読む

Q小池百合子氏の引きいる都民ファーストの会ですが、 具体的な政策がない風見鶏の吹き溜まりに 思えるので

小池百合子氏の引きいる都民ファーストの会ですが、
具体的な政策がない風見鶏の吹き溜まりに
思えるのですが、皆さんはどう思いますか?

Aベストアンサー

まあ、そうですけと、いいかげんな政権に対しての、怒りの投票でしょうね。

Q神について勘違いが多いのは なぜでしょう?

神について勘違いが多いのは なぜでしょう?


 これは 日本人に限るのではないと考えますが 次のような思い違いが 目立ちます。その理由をおしえてください。

 A. 神は 精神であるという勘違い。
  ――勘違いでなければ 精神を持つ人間がそのまま 神であることになる。

 B. 宗教を信じるという矛盾した言い方。
  ――宗教とは 教祖・教義・教団を前提とするゆえ 人間の能力にかかわ
   っている。これを・つまりは要するに人間の存在および能力の一般を
   けっきょくは信じるというおかしなこととなる。

 C. 同じく 教義を信じるという間違い。
  ――教義は 人間の言葉で表わされている。ゆえに 人間の身体=精神的
   な能力とその行為成果であるに過ぎない。やはり 精神主義的な人間
   信仰となってしまう。

 D. 要するに 神を人間の理性や想像力によって 表象しうると思ってい
  る間違い。
  ――表象し得たならば その対象物は 人間の行為成果である。《人間の
   能力》信仰となる。


 ひとことで言えば 偶像崇拝という勘違いが多く見受けられます。
 偶像は偶像として――つまり信仰内容としての《おしえ》を取ってみても それは それとても仮りの表現としての偶像であるのですから その偶像は偶像として―― 扱えばいいのであって しかるに偶像そのものを 後生大事にする片向きがあるように映ります。なぜですか?

神について勘違いが多いのは なぜでしょう?


 これは 日本人に限るのではないと考えますが 次のような思い違いが 目立ちます。その理由をおしえてください。

 A. 神は 精神であるという勘違い。
  ――勘違いでなければ 精神を持つ人間がそのまま 神であることになる。

 B. 宗教を信じるという矛盾した言い方。
  ――宗教とは 教祖・教義・教団を前提とするゆえ 人間の能力にかかわ
   っている。これを・つまりは要するに人間の存在および能力の一般を
   けっきょくは信じるというおか...続きを読む

Aベストアンサー

>> それでも《勘違いが是正されなかった》ならどうするか?
> ――さじを投げます。
そう仰るだろうとは思ってました。
bragelonneさんには最初からときどきそういう姿勢が感じられました。
自己完結を目指されているのだろうな、と。

でも、本来、神とはそういうものなのかも知れませんね。
神は世直しのためにあるのではない。

> わたしは自分の子を信じる。
それは「私は自分の子を守る」という意味(意思表示)ですよ。
言葉に拘泥しすぎてませんか。
教えを絶対視するのと同じ過ちを犯していると誤解されちゃいますよ。

非経験の領域を想定するメリットは
この世の狂気に侵されない領域を確保しておく、ということです。
少なくとも自分にとっては。

そもそもの勘違いは
非経験領域を特別扱いしちゃうからじゃないですかね。
神が特別への憧れの受け皿になってしまっている。

Q風見鶏のイラスト探しています!

お世話になります。
風見鶏のイラストを、かわいいものでもリアルな
ものでも構いませんので、探しています。
そういうイラストが見られるホームページが
あったら教えて下さいm(__)m

Aベストアンサー

クリップアートでよければ、Microsoftのサイトはいかかでしょうか。
「風見鶏」で検索したところ、22件(GIFアニメ含む)ほどありました。
http://office.microsoft.com/clipart/default.aspx?lc=ja-jp

あとこちらのリンク集なども参考になるかもしれません。(「風見鶏」では見つかりませんでしたが、「鶏」「鳥」などで探すと、もしかしたらあるかもしれません)
http://download.computers.yahoo.co.jp/download/jcnland/clip/
http://www.printout.jp/

参考URL:http://office.microsoft.com/clipart/default.aspx?lc=ja-jp,http://download.computers.yahoo.co.jp/download/jcnland/clip/

Q神にかんする勘違いが 多いのは なぜでしょう?

 これは 日本人に限るのではないと考えますが 次のような思い違いが 目立ちます。その理由をおしえてください。

 A. 神は 精神であるという勘違い。
  ――そうでなければ 精神を持つ人間が そのまま 神であること
  になる。

 B. 宗教を信じるという矛盾した言い方。
  ――宗教とは 教祖・教義・教団を前提とするゆえ 人間の能力に
  かかわっている。これを・つまりは要するに人間の存在および能力
  の一般を けっきょくは信じるというおかしなこととなる。

 C. 同じく 教義を信じるという間違い。
  ――教義は 人間の言葉で表わされている。ゆえに 人間の身体=
  精神的な能力とその行為成果であるに過ぎない。やはり 精神主義
  的な人間信仰となってしまう。

 D. 要するに 神を人間の理性や想像力によって 表象しうると思っ
  ている間違い。
  ――表象し得たならば その対象物は 人間の行為成果である。《人
  間の能力》信仰となる。

 ひとことで言えば 偶像崇拝という勘違いが多く見受けられます。
 偶像は偶像として――つまり 信仰内容としてのおしえを取ってみても それは 仮りの表現としての偶像であるのですから その偶像は偶像として―― 扱えばいいのであって 偶像そのものを 後生大事にする片向きがあるように映ります。なぜですか?

 これは 日本人に限るのではないと考えますが 次のような思い違いが 目立ちます。その理由をおしえてください。

 A. 神は 精神であるという勘違い。
  ――そうでなければ 精神を持つ人間が そのまま 神であること
  になる。

 B. 宗教を信じるという矛盾した言い方。
  ――宗教とは 教祖・教義・教団を前提とするゆえ 人間の能力に
  かかわっている。これを・つまりは要するに人間の存在および能力
  の一般を けっきょくは信じるというおかしなこととなる。

 C. 同じく...続きを読む

Aベストアンサー

なかなか、いい展開ですね。

>★ 〔肝心要は〕 実体探しの愚かしさこそが、神に関する勘違いの主原因であるという点です。
☆ ううーん。そうですね。これは 初めから 定義のやり直し コメントの書きなおしになりますかね。そこまでは行かなくていいかも知れないでしょうか。
[再回答]勘違い・思い違いが多発する理由が判明すれば、この質問の目的は達せられると思いますので、ここに集中しましょうという提案です。他の回答者とのやり取りを一切否定いたしません。

>なぜ この肝心なところを取り上げていないか。それは 
★☆ 偶像崇拝型とその禁止型
☆ とに分け 後者には
★☆ 実体否定という性格
☆ を与えていたからだと思います。
[再回答]「ですから、ザックリ大雑把に言えば」と書いたとおり、全く精度の低い背景・脈絡ではありましたが、あえて読み手にイメージを抱きやすくするために簡素化して表現した部分ですから、批判は当然と私も思います。

>つまり
★★ 神を「実体的に表現する仕方」と「実体のないものとして表現する仕方」があると思います。(ANo.8)
☆ とも表現するとき 前者の《「実体的に表現する仕方」》というその《実体的》のそのまた《的》が 問題だったのですね。
《神の仮りの表象として あたかも実体であるかのごとく 〈真理〉なら〈真理〉として思い描き これを偶像としてなりとも 表現の一形式とする》 ここまでなら かまわない。
[再回答]「実体的に表現する仕方」とは、神が光に包まれて現れ、人類に話しかけたとか言うような物語を想定しています。《神の仮りの表象として・・・〈真理〉なら〈真理〉として思い描き・・・表現の一形式とする》のではなく、「物語」や「神話」での表現の仕方が、「仮の姿」ではなく、実体的に描かれているという意味です。視覚対象的な描き方が、物質を連想させるという点です。そういう意味で、実体的と書いています。

>けれども
★ 〔真理なら真理という〕「言葉に対応した実体が常にあると思うこと」
☆ にまで至れば 偶像が 本体として見なされその実体がつねにあると思い込んでしまう。《これが真理だ》という何かものが(あるいは 何かひとつの言葉が) 或る晴れた日に 突如 人類に与えられるといった錯覚に陥るおそれがあります。
[再回答]ですから、「言葉に対応した実体が常にあると思うこと」を私は批判しているのです。「言葉に対応した実体が常にあると思うこと」が「明らかな勘違い・思い違い」の原因なのです。また、「偶像が 本体として見なされ」るとは言っていません。偶像と神本体とを区別しています。

>ですが そうしますと ちょっと 待ってくださいよ。ここで 同時に qsxdrfvgyh さんは 
 ★ 換言すると、言葉に対応した実体が常にあるとは限らないということです。
 ☆ と言い換えておられるところは どう解釈することになりますか。
 ○ 神をめぐる仮りの象徴つまり偶像 としての言葉に 実体がある場合もある。
 ☆ となるのでしょうか? これは どうなりますかねぇ。
 ○ 神を代理する表現としての言葉に 実体が 呼応する場合がある。
 ☆ ということでしょうか。
[再回答]神をペガサスに置き換えますね。ペガサスの絵は見たことがあるでしょう。この絵(偶像)は、遺伝子操作で実現できたとします。この場合、ペガサスには実体がありますね。しかし、まだ、現時点ではペガサスという言葉には実体がないわけです。実体のない空想の産物にも名前が与えられるのが、言葉の特性であるという点を言いたいわけです。実在の有無を問わずに、命名は可能であるということです。

>それでは
○ 実体とは 何ぞや?
☆ 《絶対》のことですよね? 経験的な相対世界を超えたところに想定するもの。これが 虚構であって 虚構として 現実であるかのように 人間にかかわっている。
[再回答]実体が、「絶対」とか「虚構」でないことは先の例で分かると思います。「現実であるかのように」ではなく、現実そのものでなければならないのです。 

>ということは けっきょく
★ 実体探しの愚かしさ
☆ というときの実体とは
 ○ 経験的な内実を伴なったもの
☆ 言いかえると
 ○ 絶対としての実体ではなく そうではなく 相対的な経験事実ないし実物
☆ というようなことなのでしょうか。それは いけません。それなら 明らかに間違っています。
[再回答]ですから、「絶対としての実体ではなく」という表現は違っています。絶対でも虚構でもない現実としての実体を探す愚行が、神に関する勘違いの主因だと私は一貫して言っています。また、「相対的な経験事実ないし実物」としての実体を信じる愚行が、神に関する勘違いの主因だと私は一貫して言っています。

>要するに
 ○ 神は 物である。
☆ と言っているのですから。
[再回答]落ち着いてよく読んで下さい。言っていません。「(神という)言葉に対応した実体が常にあるとは限らないということです。」とは、私が意図した脈絡としては、実体がないことに気付いてくださいという意味で書いています。「神は 物である」という愚かしさに気付いてほしいと言いたいのです。質問者様は、私の意図した内容をことごとく逆転させて、議論を鮮明にしたいのだと推察しました。大変優れた手法で感服します。できるだけ正確に補足できたと思います。言葉足らずの回答だったことをお許しください。

なかなか、いい展開ですね。

>★ 〔肝心要は〕 実体探しの愚かしさこそが、神に関する勘違いの主原因であるという点です。
☆ ううーん。そうですね。これは 初めから 定義のやり直し コメントの書きなおしになりますかね。そこまでは行かなくていいかも知れないでしょうか。
[再回答]勘違い・思い違いが多発する理由が判明すれば、この質問の目的は達せられると思いますので、ここに集中しましょうという提案です。他の回答者とのやり取りを一切否定いたしません。

>なぜ この肝心なところを取...続きを読む

Q明治以降の政党政治家は風見鶏の如くよく寝返りますが、古今東西を問わず寝返りを打って悪評の高い人物は誰

明治以降の政党政治家は風見鶏の如くよく寝返りますが、古今東西を問わず寝返りを打って悪評の高い人物は誰ですか?

Aベストアンサー

悪評というよりも、人畜無害的な要素の方が強いと思いますが

与謝野馨氏は如何ですか?

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8E%E8%AC%9D%E9%87%8E%E9%A6%A8

Q日本人はなぜあほとばかとが多いのでしょう?

 目立つ場合に極論したらということです。(ほかの国の人びととは特には比べていません)。

 昔の日本人を思い描いてみるに こうだったのではないか:
 1. きわめて話し下手である。
 2. 知らない人とは容易に口を利くことをしないし できない。
 3. そのくせ 人のことをよく見ている。見知らぬ人が困っているのを見たら むしろ何のためらいも無く声をかける。
 4. 向こうから人が歩いてくれば道をゆづる。お年寄りには席をゆづる。
 5. 報酬が決まりより多く支払われると 突き返す。決まりとは違うという意味らしかったが 怪訝な顔をして 突き返す。
 6. こちらが勘違いしたりほんとうに間違えたりしたとき こちらがあやまると いいえこちらこそ気がつきませんでと応え返す。
 7. (1)(2)より:外国人に話しかけられても 何も言えない。あほうとばかとを掛け合わせたように ただしにこにこ顔で だまっている。ただし困っている様子をみたら 自分がパニクったごとくその人のために何とかしてやろうと奔走する。

 いまは
 8. ぺらぺらべらべら しゃべり過ぎる。ところが中身にとぼしい。
 9. 相手の粗さがしを考えている。
 10. 道は相手がゆづるものと思っている。
 11. かっこうをつければ人は 自分にしたがうものと思っている。
 12. とにもかくにも あほうとばかとを掛け合わせたごとくに中身のないことをしゃべりまくって 人を手なづけようとする。
 13. ・・・(みなさんのご意見を)・・・

 原因について マクロとミクロとそのおまけとをたたき台に述べます。
 14. 言わずと知れた《アマテラス公民主導 ‐ スサノヲ市民従属》なる連関制として社会が築かれてしまったから。
 15. この《 A ‐ S 》連関制のもとで やっと本来の主役で主導するはずのスサノヲ市民圏に主権があるとうたわれるようになったけれど アマテラス公民圏による主導体制はいまだにつづいている。その昔は このアマテラス公民には 無謬性が付与されていたわけです。神聖にして侵すべからずに近い感覚で 公務員はあやまつわけがないというけっきょく神話が世の中を覆っていました。
 16. 要するにスサノヲ市民は 阿呆だと思われていた。その長い歴史の影響で おんぶにだっこの甘え癖がついてしまった。これが マクロの観点から見たあほうとばかの製造過程である。

 17. 人と人との関係においては それが特にすでに組織の中にあっては つねに何らかの上下の関係が 権威や権力や権限をともなってでもあるいは伴なわないかたちででも 出来て来る。
 このようにまなざしを上からそそぐ側と下にあってそそがれる側とに ふたりの人間は分かれるのがふつうである。
 18. ならばすでにそのまま人間と人間の関係は ときとしてガミガミ役とアース役とに分かれる。ガミガミ役はところ構わずアース役に対して 自分の意識を排泄するというのが ガミガミの中身を成す。
 19. アース役がこのゴミを受けて処理せねばならない。このゴミ処理に失敗すると 精神衛生上よくないことが起こる。
 20. けれども 感受性のするどくて懐の深い人間に限って このアース役をいつのまにか引き受けている。
 21. ただしアース役になる人間も 別の人間に対しては ガミガミ役に回ることも考えられる。よって世界は意識の排泄なる社会廃棄物とその未処理によって ガミガミ電磁波による感染列島と化す。
 22. この《ガミガミ役 ‐ アース役》連関は むろん言わずと知れた《 A - S 》連関制の擬似形態なのである。これが ミクロの問題である。
 23. 引きこもり役までをわれわれの社会は製造してしまった。《アース役はつらいよ》という大合唱を始めてもよいくらいだ。


 おまけ:
 24. ところが ここまで来ても誰も何も言わないししない。あほうとばかばかりが目立つ。どうしたことか?
 25. 世の中にこの《 A - S 連関制》のむなしさをちゃんと知っており それでも さらに世の中の無常をさとって この連関制は変わらないと決め込んだ存在が何人かいて その人びとのもとに このひと言で《死》というべきあほばか状態を保とうとする勢力がいるのではないか?
 26. というのは 所謂る陰謀説で どうも実際はそうではなく そのような無常観としての《さとり》が 観念となって・つまりは幽霊のごとくに 世の中を飛び交いまた歩きまわっているのではないか?
 27. このインフルエンザに人びとは感染してしまっているのではないか? ただそれだけなのではないか?

 とことん自由なご批判をどうぞお寄せください。

 目立つ場合に極論したらということです。(ほかの国の人びととは特には比べていません)。

 昔の日本人を思い描いてみるに こうだったのではないか:
 1. きわめて話し下手である。
 2. 知らない人とは容易に口を利くことをしないし できない。
 3. そのくせ 人のことをよく見ている。見知らぬ人が困っているのを見たら むしろ何のためらいも無く声をかける。
 4. 向こうから人が歩いてくれば道をゆづる。お年寄りには席をゆづる。
 5. 報酬が決まりより多く支払われると 突き返す。...続きを読む

Aベストアンサー

こんにちは、ぴっくすです。仕事が休みなので回答してみたいです。


>13. ・・・(みなさんのご意見を)・・・
いまは、とにかく手を抜きたがる傾向がみられます。
特にアマテラス族においては、成果よりも、いかにすれば、自分や自分の部署に、責任が降りかからないようにできるか、そればかりに終始しています。
私は、元、役人なので、いまでも、わりと自由に、関係していた役所に顔を出すことができます。

しかし、聞くところによると、昔のアマテラス族とは、少しづつ変わってきているそうです。
その原因を察するに、アマテラス族とスサノヲ族の混血がすすんだ結果、新しい人種として、アホバカ族が、生まれたことが、要因であると思われます。しかし、同じ穴に何度も落ちる特性は変わっていませんが。

このまま進化しつづけ、純粋なアマテラス族が滅びるならば、それこそ、〇〇元年の、はじまりを迎えるかも知れません。なにしろ、アホバカ族の根底には、スサノヲの血が、いきづいているのですから。

結論。【アホバカ族は、日本を救うであろう。】← これ、なんかの福音みたいになっちゃいましたね。


 

こんにちは、ぴっくすです。仕事が休みなので回答してみたいです。


>13. ・・・(みなさんのご意見を)・・・
いまは、とにかく手を抜きたがる傾向がみられます。
特にアマテラス族においては、成果よりも、いかにすれば、自分や自分の部署に、責任が降りかからないようにできるか、そればかりに終始しています。
私は、元、役人なので、いまでも、わりと自由に、関係していた役所に顔を出すことができます。

しかし、聞くところによると、昔のアマテラス族とは、少しづつ変わってきているそうです。
その...続きを読む

QNHKの連続ドラマ「風見鶏」のパン屋さんにはモデルがありましたか?

昭和52年10月から始まったNHKの連続ドラマ「風見鶏」の中で、パン屋さんが出てきたそうですが、それにはモデルになったパン屋さんというのがあったのでしょうか?

Aベストアンサー

g4bluemoon さん、こんばんは~☆♪

> モデルになったパン屋さんというのがあったのでしょうか?

ハイ、そうですよ。
1924年に、ハインリッヒ・フロインドリーブ氏が、日本人妻ヨンさんと
神戸の中山手で、「フロインドリーブ」というドイツパンの店を開きました。



ではでは☆~☆~☆        - by パピヨン -

参考URL:http://www2s.biglobe.ne.jp/~lucid/UnionCh.htm

Q日本人は なぜあほうとばかとが多いのか?

ばか丸出しのわたくしから見てもそうであり 目立つ場合に極論したらというこ
とです。(ほかの国の人びととは特には比べていません)。
――これを問います。


昔の日本人を思い描いてみるに こうだったのではないか:
1. きわめて話し下手である。
2. 知らない人とは容易に口を利くことをしないし できない。
3. そのくせ 人のことをよく見ている。見知らぬ人が困っているのを見たら 
むしろ何のためらいも無く声をかける。
 
4. 向こうから人が歩いてくれば道をゆづる。お年寄りには席をゆづる。
 
5. 報酬が決まりより多く支払われると 突き返す。決まりとは違うという意
味らしかったが 怪訝な顔をして 突き返す。
 
6. こちらが勘違いしたりほんとうに間違えたりしたとき こちらがあやまる
と いいえこちらこそ気がつきませんでと応え返す。

7. (1)(2)より:外国人に話しかけられても 何も言えない。あほうと
ばかとを掛け合わせたように ただしにこにこ顔で だまっている。ただし困っ
ている様子をみたら 自分がパニクったごとくその人のために何とかしてやろう
と最後まで奔走する。


いまは:
8. ぺらぺらべらべら しゃべり過ぎる。ところが中身にとぼしい。
 
9. 相手の粗さがしを考えている。
 
10. 道は相手がゆづるものと思っている。
 
11. かっこうをつければ人は 自分にしたがうものと思っている。
 
12. とにもかくにも あほうとばかとを掛け合わせたごとくに中身のないこ
とをしゃべりまくって 人を手なづけようとする。
 
13. ・・・(みなさんのご意見を)・・・

14. (11)と(12)の《誘導作戦》についてパタンが決まっている。能
書きをしゃべくりからかす。これが マジックである。しかもすでに 思考回路
が 人びとのあたまには刷り込まれている。条件反射のごとく右へ倣えに従う。

15. 能書きは かしこまるような有り難い言葉でなければならないが 内容
はないものでなければならない。中身があっては 聞いている人たちが 優越感
に浸れない。

16. すなわち 人びとのあたまの中に 互いに地続きの《観念の運河》が築
かれている。ここに 《パタンとなったマジック》ではない言葉でしゃべる分子
が現われる。その独自のゴンドラを漕いでいると 寄ってたかって恒例の足引っ
張りなるイヴェントを始める。・・・のではないか?

ばか丸出しのわたくしから見てもそうであり 目立つ場合に極論したらというこ
とです。(ほかの国の人びととは特には比べていません)。
――これを問います。


昔の日本人を思い描いてみるに こうだったのではないか:
1. きわめて話し下手である。
2. 知らない人とは容易に口を利くことをしないし できない。
3. そのくせ 人のことをよく見ている。見知らぬ人が困っているのを見たら 
むしろ何のためらいも無く声をかける。
 
4. 向こうから人が歩いてくれば道をゆづる。お年寄りに...続きを読む

Aベストアンサー

難しい質問を多くしておられますね。
物事を追求する姿勢は尊敬に値します。
あなたの質問は日本人の昔と今の比較でしょうか?
鎖国で築き上げた文化と明治以降の外国からの情報、モラル等の流入、
戦後の混乱、超高度発展を遂げた結果・・・
日本人の多くの豊かなこころが失われていったと思っています。
賢い人は難しい言葉を使いたがる。 悩む人は行動しない。
自己中の人は他人を傷つける。
人とのふれ合いは同じ目線でわかりやすくしないと反感を持たれます。
日本の良さは更に失われていくでしょう。


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