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高大接続システム改革というのを見たのですが、これは学生確保のための政策なのでしょうか?
そのうち大学までエスカレータ教育になるのですか?

なんか文科省の役人の立場なのか大学経営者側の立場なのか分かりませんが、自分たちのご都合主義の理想ばかり書かれていて、本当の問題は、下のリンク先のp14にある
「③大学入学者選抜機能の低下
○ 大学入学者選抜については、選抜性の高い大学が一部に存在する一方、私立大学
の約46%(平成26年度)は入学定員を充足できない状態となっている20。
○ また、推薦入試・AO入試による大学入学者の割合が平成12年度には約33%
であったのに対し、平成26年度には約43%と増加しているが、その中には本来
の趣旨・目的21に沿わず、単なる入学者数確保の手段となっているものもある。他
方で、一般入試による大学への入学者の割合は、平成12年度には約66%であっ
たのに対し、平成26年度には57%まで低下している。」
という学生確保が目的なのでしょうか?

p32にも「博士課程の学生に対しても博士課程(後期)学生が大学教員とし
ての意識を育み、アクティブ・ラーニングを涵養(かんよう)する指導法等を体系的に修得で
きる教育機会(プレFD等)の充実」
とありますが、意識を育むことより働く場所を提供することが大事で、高学歴ワーキングプアは解決されないと思い、こちらもまた博士課程の学生確保のための方便なのでしょうか?

http://search.e-gov.go.jp/servlet/PcmFileDownloa …

どなたか真実を判り易くお教えください。

A 回答 (8件)

お礼ありがとうございます。


どうも議事録を見てみると、中央教育審議会が求めている能力が、交渉力や議論出来る能力のようで、表現力と議論を出来る能力が日本人には欠如していると捉えているようです。
高大接続プログラム自体は、あくまで高校卒業者の進路に対する施策なわけですが、教育改革自体は、このような能力を高める事を主眼としています。
その為に、大学入学資格者の能力の判定に論文(記述式問題)や面接などで、上記の能力を判断しようとしている。
ここら辺は、国際バカロレア(IB)でも必要としている能力で、アベノミクスで国際バカロレア認定高校を増やそうとしているのも、この流れです。
実際問題、海外の高校では、このような取り組みを行っている授業が設定されていて、異なった分野の学問の分野で、どのように自分の分野の内容を説明もしくは、証明するかのレポートを提出させています。
このレポートは、学生が提出したものがいくつもWEB上で公開されています。
読んでみると、日本の高校生で、この内容が書けるかどうかはわからないですね。
基本文献も良く調査されていますし、論理的な構成がかなりしっかりしています。
なぜか、評点まで記載されているものもありますが、これでB-かと思うレポートもありますよ。
国際バカロレアが要求する能力と日本の学生の能力が乖離しているのは確かです。
ただ、この能力が日本で本当に必要かどうかは不明です。(多分、海外と交渉する必要が無い人には無用な能力でしょう)
この点については、明確に批判している人もいて、日本人の場合は、議論する事よりも、物事をまとめようとする方向性が強く、議論を目的とする学生自体が少ないと指摘しています。
ただ、これからは、少ない人材で国際交渉を行う事になるわけですから、今まで以上に交渉力が必要になるのかもしれません。
高校の教育改革では、このような能力を重視する事になり、試験では科目を横断した総合問題の出題も予定されています。
必然的に、今まで日本が優れていた知識力を、表現力にシフトする事になります。(つまり、与える知識は減少する事が予想されます)
これをアクティブラーニングと称して、学生参加型の授業を行う事になりますが、はたして教員がそれに対応できるかどうかは不明です。
議事録にも書かれている、置き去りにされた学生が、その授業方法で本当に自発的に表現力や交渉力を身につけられるかは、はなはだ疑問です。(当然、そういう学生には救済措置としての教育を施すべきですが、そこまでの余裕が学校でもてるのでしょうか?)
答申に書かれている内容は、ごもっともな事なわけですが、これから実際にそれをどう運用するかは、まだ未知なわけです。
議事録でも、具体的方策はこれから策定すると書かれています。(実際には、新試験を運営する団体設立後に運営方針を識者を交えて決定する事になるのでしょう)
単純に言えば、この答申は、センター試験を廃止して、新たな大学入学者選抜試験と、高校の学力到達度の試験の2本立てで、学生の能力を判断する事を決めただけです。
それぞれの内容は、議事録ではまだ理念しか表現されていません。(実際は、ある程度は決定しているのかもしれませんが、それは公表されていません)
議事録では、将来の大学生の能力判定テストも話題に出ていますが、それが大学生にとってメリットが無ければ、受験する学生が多数ではない事が示唆されています。
パブリックコメントの内容によっては、多少の修正はされるでしょうが、答申自体が明確に反対する程内容が詰められていません。
したがって、パブリックコメントもそれほど集まらないのではないでしょうか?
ほぼ、答申どおりに、施策は進みそうな感じがします。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>答申自体が明確に反対する程内容が詰められていません。
> したがって、パブリックコメントもそれほど集まらないのではないでしょうか?
> ほぼ、答申どおりに、施策は進みそうな感じがします。

そうなんですよね。この案みていても全く何を問題にして何を解決したいのか伝わってこないのですよね。ただただ長い文章で誤魔化そう誤魔化そうとしているとしか。

今、秋田の国際教養大学が注目されているのも大学で厳しく鍛えられているからで、この改革案を書いている人には、国際教養大学の学生を求める企業の気持ちと卒業生の気持ちは判らないのだなと感じています。

お礼日時:2015/11/03 21:10

あなたはガチの博士課程(博士課程後期)の学生たちを見たことがあるのですか?


私はあれを見て、あなたのように、認定を厳しくしろ、そうすればどうにかなる、なんてことは、とても言えません。
「まともなところは」十二分に厳しいです。
まともじゃ無いところを潰したところで、そもそもそういう所に学生が大勢居るとは思えません。
よって、あなたの策では解決になりません。
博士号の認定を厳しくして半数にしたところで(つまり就職率を倍にしても)、それでもダメな分野はダメでしょう。
勿論、博士を粗製濫造しているような所は、博士課程自体の認可を取り消すべきだと思います。
早稲田だと、指導教官と講座の責任者のクビと引き替えに存続、でしょうか。
まずは国が、大学の教員をもっと増やさないとダメでしょう。一大学あたりの教員、一学生辺りの教員を増やす。
そして、学問を学生やポスドクに頼るのでは無く、教員が動かしていくようにしないと。
(研究成果が欲しいから)うちの研究室に来ないか、進学しないか、ではなく、こっちはこっちで忙しいから来なくて良いよ、としないと。
つまり、事実上の入場制限です。
忙しすぎて研究ができない、教科書も書けない、という状況を、まず変えなければなりません。
当然、大学院の重点化、なんて話は流れることになります。修士はともかく、博士の学生は増やせない。
赤ん坊に、大きくなれよと相撲取りの飯をその量喰わせたところで、胃腸を壊すだけのこと。
社会が受け入れられる量を見極めながら、徐々に増やさなければなりません。
何も考えずに、増やしてみれば後はどうにかなるだろう、って、どうにもなってないのです。
文科省が建てられないのはスタジアムだけでは無い、社会政策も立てられない。(あ、だから文科省にしか採用されないのか、それで再就職も難しいと)
自分たちの天下り先だけはなんとしてでも建てようとしているようですが、社会政策上間違っている物は、建ててみても上手くは行かないでしょう。

> 即戦力

無い物など探しても意味が無い。
それとも、野球だと、即戦力っぽいルーキーは1億の値がつきますが、そのくらいは用意するということでしょうか。
あるいは、多くの個々が考えるそれぞれの理想の嫁を作れるとでも。
良い学生が欲しいだの即戦力が欲しいだの、考えるだけ無駄なことを基準に何を考えたところで、答えは出ません。
高大接続が上手く行ったところで、それは大学の質の低下しか意味しません。当たり前のことです。
大学がバカに歩み寄る以外の手は無いのですから。
教育の質がどうのと言ったところで、そんなことは中学高校の教師がとっくにやっている。
それとも中学高校の教師のできが悪いのが原因であるなら、文科省の歴代担当者は全員腹を切りますか。
企業が何を求めるかは、私企業なんだから勝手にやれば良い。それで潰れようがどうしようが知ったことでは無い。
しかし、少なくとも文科省や大学は、青い鳥探しをやめるべきです。

その文科省のペーパーは、本来すべきことと、ほぼ真逆だろうと思います。
博士課程の学生に、指導教育力を付ける場「も用意する」という点しか買えません。
虚構の上に虚構を重ねているだけです。
費用対効果の観点で(もう国家レベルの)、ろくに学力が無い連中の進学率を上げことは、有害なのです。
連中にも教育を、というのであれば、一般的な専攻であれば、中高の教育のどこかから、中高でやり直すのが最適ですし、職業訓練系統であれば、大学でやる必要が無いのです。
こういう前提を色々と無視した絵空事です。

なお、理系の六年制移行には大反対です。
現状の、抜ける人は抜けられるシステムがベストです。
これもまた計算から抜け落ちているのでしょうが、六年分の学費はとても払えない、と、理系の偏差値が何ポイントか下がるのでしょう。アホ大学ほど大きく下がる。低レベル私大は、軒並み一気に底辺に落ちるでしょう。
すると、高大接続が更に~~、と。ついでに、さすがに底辺までは雇えない、ともなるでしょう。
修士課程への進学率は、高いところで9割では。つまり、1割抜ける。
また、進学率8割、なんてのは、難関大学に限られるはずです。たぶん中の下の国立大学だと5割近くまで下がるはず。
学費の高い私立は更に下がりがちでしょう。
非進学率を無視した議論には賛成できかねます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

博士課程に行く人はそこでの厳しさは理解して茨の道を歩んでいるので大半の人は心配無用と思います。僕は厳しいところをそれ以上厳しくすることを求めているのではなく、優しすぎることころの審査基準を厳しくしてほしいと言っているだけです。大学に裁量があるといっても酷すぎる感じがします。

ゆとり教育で高校生のレベルが落ちたことが原因で大学の教育内容のレベルが下がるなんてありえないですね。

お礼日時:2015/11/03 21:36

お礼ありがとうございます。


実は、私が回答した内容は、中央教育審議会の委員も議事の中では話題に出しています。
今回の施策については、一部の分野(理系・法曹系)では、現在よりも学生に知識を与えない事になりますから、大学の学部卒業だけでは、必要な知識を得る事が出来ず、即戦力として活用する事を考えたら、大学院教育に委ねるしか方法が無いとの意見が出ていました。
今回の答申は、高大接続システム改革なので、そこまでの内容は記載出来なかったと言う事です。
最終的には、大学のアドミッションポリシーだけでは無く、カリキュラムポリシー、ディプロマポリシーを確定しなければ、改革は完成しません。
まずは、高大接続システムを改革する事を先行して、大学教育の改革を行う事になります。
ただ、大学教育に関しては、各大学の裁量権があり、文部科学省は、大綱的な指導と補助金を割り当てるだけです。
教育指導内容までは規定出来ません。
ただ、最終的にそれを行っている大学とそうでない大学の差別化がおきれば、大学が自主的に取り組む必要があると言う方向へ動く事も考えられます。
中央教育審議会は、直接に大学卒業生を受け入れる企業の意向は聞いていませんが、企業に対するヒアリングもこれからは行う必要があるでしょう。
ただ、議事録にもありますが、企業が今のままでも大差無いと言われたら、文部科学省が大学へ指導する理由が無くなってしまいます。
そういう意味では、大企業に限らず、広い範囲の企業を対象にヒアリングを行う必要があるでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>大学の学部卒業だけでは、必要な知識を得る事が出来ず、即戦力として活用する事を考えたら、大学院教育に委ねるしか方法が無いとの意見が出ていました。
> 今回の答申は、高大接続システム改革なので、そこまでの内容は記載出来なかったと言う事です。

もしこれが本当なら、本当に駄目駄目の改革案ではないのでしょうか?本当に役人というのは、何十ページもの紙面を書く無駄な時間を使って何をしたいのか、天下り先確保しか考えていない、全く理解できない生き物ですね。

やはり問題点を明確に提起して、それに対する打ち手を対比させて書いてもらわないと、本文には書いてなくこれまで行われてきた議事録の隅々まで読まないと分からない改革案では駄目ですよね。

もし回答者様の意見が真実なら、やはり学生の質を測る公的資格が必要ですね。理系なら大学卒業時に技術士補試験に合格するかとか、スキルレベル3の応用情報技術者試験に合格するとか、明確な指標が欲しいですよね。

大学院卒業時には技術士に合格するかどうかとか、高度情報処理技術者試験と呼ばれるスキルレベル4の試験類に合格するとか。そうでないと、いわゆるFランク大学卒業となる人と難関大学卒業になる人と同じ大学に通ってしまったら、差が判らなくなってしまうことになります。

もちろん博士号もIF値が1以上の学会誌に5本論文掲載がないと博士論文審査をしないとか、国際的に通じるレベルを内外に示さないと意味のない改革案に感じてきました。

でもこれは大学までの改革で大学院までは考えていないからと文科省の役人が言うなら、そんな人は排除ですよね。税金使って検討するなら、もっとやる気のある人に代わってほしいと要望するしかないですよね。

やはり企業が欲しいのはやる気のある優秀な人材で教育された人ではないと思います。先に書いた大学院で無駄な教育を受けるくらいなら、早く会社に入ってもらって会社の費用で育成したいという企業の気持ちが痛いくらい良く理解できます。

つくづく駄目駄目の高大接続システム改革案だなと理解してきました。

お礼日時:2015/11/02 22:38

お礼ありがとうございます。


基礎学力というよりも、現在の学部の教育が、昔の学部のレベルに達していないんですよ。
たとえば、30年前ならば、工学部の卒業必要単位は、140~145単位だったんです。
優秀な学生ならば、160単位程度は取得していたんです。
現在は、調べてみたら、125~135単位程度、優秀な学生でも145単位程度取得していれば良い方でしょう。
国立大学の旧帝大クラスならば、30年前と取得単位は変わらないかもしれません。
このような事情から、工学部の一部の学科は、国際的に6年生に移行する可能性があります。
PEなどの資格取得条件でも、5年以上の高等教育の修得などが規定されていますから、本来は5年制にすれば良いんですが、現行制度では大学院の修士課程修了でそれに変えていると言う事です。
これも、ゆとり教育による弊害と言えます。
実際問題としては、大学院卒でも、学部卒と同じ扱いですよ。
大学院卒でも、学部卒と同じ教育を行うと言う事です。
私の会社でも、基本はOJTです。
ただ、育つまでの時間がやはり違うと言う事ですよ。
近年は、育てるのに時間がかなりかかるようになっています。
昔は、5年でなんとかなったのが、現在は10年かかると言う事です。
募集自体は、学部卒・院卒の区別はしていませんが、試験ではやはり院卒の方が合格しやすいと言う事です。
私の会社の場合は、試験は実技試験で、即日設計を行ってもらいます。
ここ、10年位でやはり、学生の質が明確に違ってきているのは、気付いていましたが、現在のカリキュラムがここまで危機的状況にあるとは思っていませんでした。
施策の内容は別として、抜本的な改革を行わないと、大変な事になる事は、国も気付いたと言う事でしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
でも回答者様が書かれているような問題点がこの答申には一切書かれていませんね。残念です。

でも学生の質が明確に変わっていて授業の質も下がっているとなると、やはり公的資格取得を基準にして、大学生の学力を公平に評価するべきなのではと思います。たとえJABEE認定の学科卒業しても技術士補の試験に受からないと駄目とか。

東大などでは完全英語の授業を開始したところもありますが、教える方も教わる方もある程度の水準ないと意味がなく、大学教員も博士号持っているだけでは駄目で、TOEICの持ち点とかも基準にするとか必要なのではと思います。

やっぱり高大接続システム改革というのは未だ駄目駄目の改革案なのですね。

お礼日時:2015/11/02 21:00

お礼ありがとうございます。


大企業ならば、すでに研究体制が整っていたり、OJTできちんと教育出来る環境があるので、学部卒でもかまわないとおもいますが、一般企業の場合は、それが不可能なので、自動的に院卒採用になってしまいます。(逆に現状だと、院卒でも20年前の学部卒程度の能力しかないとも言えます)
ここ10年は、私が勤めている会社は、院卒しか採用していません。
学生の進学に関しては、個々の理由によるので、施策自体は、奨学金でも増やさない限りは変わらないと思います。
日本の教育費に対する、公費の割合が少ないのは事実ですから、将来の事を考えたら、有効な方法で、就学補助金を増やすのが良いと思いますけどね。
入試方法の弊害に関しては、大学がきちんと教育出来なかったり、学生が授業についていけなくて、結局退学したりする事になる事です。
そういう意味で、きちんと入学者の範囲を定めて、教育出来るカリキュラムを定めるのは良い事だと思います。
むしろ、これが必要なのは、中堅以上の大学です。(すでに、国立大学上位校でも、高校レベルの復習を行わなければならない状態になっています)
MARCHレベルなら、数学や物理学などは、高校の復習の科目まで用意している位です。
これは、いくらなんでも問題ですよ。(20年以上前ならば、考えられなかった事です)
中堅以上の大学は、そのようなカリキュラムは昔は用意する必要が無かったわけです。
そういう意味では、古い教員なんかは、どうしていいか戸惑ったでしょう。
一部の大学では、高校の復習の科目を大手予備校に委託していた例もあります。(大学教員は、さすがに高校レベルの教育をする事には慣れていないですからね)
ただ、この制度をやみくもに、高いレベルで入学者を規定して、実際に入学する学生と乖離してしまっては意味がありません。
中堅以下の大学は、むしろ基礎学力が足りない学生の教育には慣れているわけですから、それほど問題は無いんですが、いかんせん、入学希望者が少ないと言う事があります。
ここら辺は、卒業生を受け入れる企業も含めて、大学卒業者がどのような資質を持つ必要があるかを考えていかなければ、問題の解決にならないです。
かならずしも、全ての大学がそうでは無いでしょうが、なんとなく卒業させていると言うのは、許されない時代になるでしょう。
大学も、卒業生の資質を保証する必要があると言う事です。
ブランド力がある大学は、今までと変わらないとは思いますが、学生に対する教育がきちんと出来無ければ、ブランド力は失われます。
大学にとっても、学生にとっても厳しい状況が続くのは確かです。
高校にしても、古くからある有名進学校は、教育方針にぶれは無いでしょう。
急速に進学校になった学校は、入試に偏った授業を行っている場合もあるようです。
今回の施策で、どこまでその偏りを是正するかが課題になるでしょう。
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この回答へのお礼

再び回答ありがとうございました。

回答者様の会社で修士に期待して採用しているのは基礎学力というか地頭の良さだけで、修士課程で習得したことではないのではありませんか?

うちの会社にもいろいろな大学から院卒が入社していますが、彼らの大学時代の専門がそのまま活かせている人は皆無です。

企業の求めるレベルが教えることができる大学とその大学で教えることができる教員はどの位いるのか疑問に思います。理系の分野内のことしか判りませんが、民間企業で研究開発を経験した教員でないと、企業が求める人材を育成できないのではと思います。

早稲田大学の小保方さんの問題が良い例です。大学の研究では誤魔化しがきき、コピペで論文も書けてしまいますが、企業で研究開発したものを製品として世の中に出すためには誤魔化しはききません。こういう問題が発覚しても早稲田大学は小保方さん以外の人は罰しないし、大学での博士号授与プロセスの見直しも発表されていません。話がそれてしまいますが、小保方さんは何にも悪くなく、そういうことをさせてきて見逃してきた早稲田大学の博士号授与プロセスが悪いと思っています。

ただ大学の教員のこと侮辱したり悪く言う気はさらさらないです。尊敬する大学教授は多くいて、もちろん早稲田大学にもいて、彼らの専門に対する理解と洞察は非常に深く、彼らの著書や論文で勉強させて頂いています。

ただ文科省の資料みて、現実を知らない文科省の役人が書いた絵に描いた餅にしか思えなかっただけなのです。それで自分の理解が悪いのか判らなかったので、質問させていただきました。

お礼日時:2015/11/01 21:03

中央教育審議会の答申を読んだ所では、単なる学生確保の為の施策ではありません。


少なくとも、これまでの教育方針の大改革である事は確かでしょう。
答申自体の内容は、現状の問題点を踏まえれば、確実に実施出来るのであれば、有用である事は確かです。
本来は、ゆとり教育の名の元に行われた過去の学習指導要領がきちんと機能していれば、改革する必要が無かった事ですが、目的と逸脱した運用を行った為に、学生の自主学習能力が欠如している事が現在の問題を生み出したと言えます。
そこを踏まえて、教員の質の向上を目的とした改革とも言えます。
また、高校での教育が大学入試合格の為の偏った形態となっている高校が増えている事から、それをきちんとした教育形態にする為の施策と言えます。
博士課程の学生に対する、教育指導の教育機会の強化は、大学教育の質の向上の為で、大学院の学生確保は目的では無いでしょう。
高校大学接続プログラムの主たる目的は、高校卒業者の多様な進路に対応する為の高校教育の在り方をどうするかが主眼ですが、それを実施する施策がきちんと機能しなければ、ゆとり教育と同じ結果を生みます。
それを回避する為に、今回の改革案では、高校での基礎学力テストの実施がもりこまれています。(これは、大学進学希望者以外も含めたテストです)
国としては、いままでの教育改革の反省を含めた大転換と言えます。
30年以上続いてきている、センター試験(旧名称共通一時試験)のマークシート方式から、大学入学希望者学力評価テストの記述式への転換はかなり大きな変革になるでしょう。
大学個別の選抜方式は、一般入試・AO入試・推薦入試の区別を廃止し、新たなルールを策定する事を求めます。
同時に大学は、自らのアドミッションポリシーを策定し、求める学生を適切に入学させる事が求められます。
これは、アドミッションポリシーに適合した学生をきちんと教育する事を求めているとも言えます。
現行のAO入試・推薦入試による学生受け入れが、大学の教育機能と整合していない事を是正するのが目的と言えるでしょう。
したがって、各大学は、アドミッションポリシーに応じたカリキュラムポリシーを適切に設定しなければいけません。
答申自体は、非常に立派で、目的としては一切間違ってはいません。
ただ、実施するとなると、かなりの困難が予想されますし、目的どおりの運用が本当に可能かどうかはわからないです。
学生の学習意欲を阻害する一番の要因は、適切な評価が得られない事でしょう。
今回の改革は、高等学校において、適切な評価が出来る教員を確保できなければ、実施が不可能です。
これだけの改革ですから、大学進学希望者も就職希望者も高校教育では、かなりの勉強量が必要となります。(今までの知識偏重の学習では、達成は困難です)
具体的には、単なるワークシートでは無く、レポート提出などの、表現力を重視した評価となります。
中央審議会での答申提出審議の議事録にもありますが、理想を高くしても、それが本当に企業が求める人材の育成につながるかは、理系学生に関しては不明との意見もあります。
実際問題、このような改革を行った場合は、大学の学部学生は、理系に関しては企業が求める人材としては不十分であり、大学院教育でそれを補完する必要があるとの意見が出ています。
現状もすでに、そのような状況になっていますから、これは自然な意見でしょう。
実際問題、この改革を行った場合は、理系学生に関しては、現状より学習の習熟度はさらに下がる事が考えられます。
したがって、企業の人材育成制度が充分でない企業は、必然的に大学院修了者を採用する必要が出ますが、企業が採用できるかどうかは未知数です。
理系学生に関しては、国際的に6年制への移行が進んでいますから、修士課程修了が前提になるのは確かだと思います。
しかし、そのような状況になった場合に、教育費の国費負担率が低い状況では、大学院進学者の増加が見込めないので、国費の増大を考えなければ、実現は困難でしょう。
国民は、そこまで教育費にかける余裕を持てる保証はありません。
理念は正しいですが、それが実行できるかは、難しいとは言えるでしょう。
数十年先を考えれば、少子化の影響により、就職難では無く、採用難になります。(これはすでにはじまっています)
企業にしても、適切な人材をきちんと採用できなければ、死活問題になります。
いささか、実施が遅すぎた感じですね。(問題は、10年以上前から言われていました)
この政策の実効は、十年位先に評価される事になるでしょう。
その時に、また失敗だったと言われないようになれば良いのですが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

>この政策の実効は、十年位先に評価される事になるでしょう。
>その時に、また失敗だったと言われないようになれば良いのですが。

ある一部上場の大手企業では、大学院生は要らないから、大学卒業したらすぐに入社させて、自分の会社でしっかりと教育したいという意見を見たことがあります。

大学院の2年が企業の望むレベルの教育がされていないからと言っていました。修士課程は教育プロセスというより研究手法を教えるところだけど、大学がしたい研究では企業が望む学生指導が期待できないと。

例えば企業の設計なら、CATIAなどの3DCADを使った設計方法と解析方法まで教え直ぐに実戦の戦力にすると。

やはり自分の希望大学で勉強したいという思いで勉強し大学受験をするのではないのでしょうか?世界に前例を見ない、ゆとり教育以上の失敗政策になるとしか感じませんでした。

お礼日時:2015/11/01 18:02

> 意識を育むことより働く場所を提供することが大事



それはそうですが、無い袖は振れない。
これは、袖があるか無いかの問題でしかありません。

> 博士課程の学生確保のための方便

関係ないでしょう。
それとも、博士号を取ろうかという学生が、指導方法を習得できる、なんて理由で進学を決めるでしょうか。

> ての意識を育み、アクティブ・ラーニングを涵養(かんよう)する指導法等を体系的に修得できる教育機会(プレFD等)の充実」

とはいえ現状、大学教員の指導力、意識、視点は、めちゃくちゃなのであって。
実はそれで研究室自体上手く行ってないことも多いだろうと思います。
これはこれで、学生確保の方便とは別に、必要な措置だと思います。
博士課程だね、じゃぁ四年生の面倒見てね、と言われたって困るでしょう。大概ガリ勉なんだから。

> たのに対し、平成26年度には57%まで低下している。」

だから何?って話がありませんよね。
私の結論は簡単で、57%は多すぎる、25%まで絞り込め、です。
勿論、高大接続は、「意味が無い」です。
ごちゃごちゃ言っているけれど、要するに学力がまるっきり足りない者を大学生にしようとしているのが間違いなのです。
必要なのは、高校の統一卒業試験です。
これにより、高校「修了」か「終了」かを決めるのです。毎年三回、高三生と高校終了者は何度でも受けられる。
レベルは、センター試験5教科70%。
高校修了していない場合や、テストを受けてない場合は、大学受験を認めない。これだけのことです。
高認は、従来通り、「終了」レベルで線を引けば良いです。
大学入試の選抜機能が低下しているのでは無い。定員が多すぎる、大学が多すぎるだけです。大学を潰せ。これだけ。
ほぼ全入の高校入試だって、下1/3なら、殆ど選抜機能は無いのです。

「ボランティア活動、各種大会、就業体験など様々な活動が行われているところであ
るが、このような日々の活動を通じた幅広い資質・能力について多面的な評価を行
っていくことが重要である。」

重要では無い!
そういう経験が役に立つのであれば、それは既に成績に反映されているはず。
成績に反映されない活動であれば、意味は無い。

「10段階以上の多段階で本人に結果の提供を行う。」

大馬鹿者!
難関進学校から上ならそれで良い。しかし、底辺高校からなら、最低100段階要る。
物を知らぬ大馬鹿者めが!

本当の底なし沼に、マンションは建てられない。
杭を打てばいいってのは、小中学で脱落者を無くすことだけれど、たぶん不可能。
そこで底なしになっていれば、マンションは建てられない。上の方はどうにか残っても、下の方はちゃんと沈む。
その学力層が大学に進学しているのが、まずは問題なのだから。

と思います。
文科省や大学教員の雇用や政治のために糞大学を潰せないってことでしょう。それじゃダメです。
しかしそうすると、博士課程を出た連中の就職先が減りますが、どうしますか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>文科省や大学教員の雇用や政治のために糞大学を潰せないってことでしょう。それじゃダメです。

文科省の役人は天下り先確保しか考えていないのでこういう政策を考えつくのです。

>しかしそうすると、博士課程を出た連中の就職先が減りますが、どうしますか?

全く問題ありません。博士号の授与規定のレベルを厳しくすれば良いのです。早稲田大学なんて日本のディプロマミルと言われ、小保方さん以外の人には(小保方さんも一度は授与しましたが・・・)学費さえ払えばじゃんじゃん授与しています。甘すぎるのです。授与規定で、学会誌を指定し、論文数が5本以上ないと駄目とかにすれば、進学する人が激減します。これからは量より質です。

お礼日時:2015/11/02 21:46

11月30日までのパブリックコメントに


意見を開示したらよいでしょう。

昨年12月の中央教育審議会答申
「新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた
高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の
一体的改革について」、

1月の高大接続改革実行プランに基づき、
高大接続改革の在り方について検討をつづけています。

未来に生きる子どもたちが幸せに生きるために、
我々がなすべきことを
入試制度だけの改革ではないことを強調していますね。

下記サイトなどから、少し垣間見られるでしょう。

https://nyushikaikaku.com/

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shoug …

http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/27/10/136340 …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

あまり不勉強のままパブリックコメントに質問してもと思い質問してみました。

URLを見てみましたが、単に官僚や大学側の思いが強く、レベルに合わせた教育はどこでもできるようにするので、地元の大学で大学院相当まで勉強しなさいという意味に思えます。大学というものはそれだけの価値なのでしょうかね。

レポートで恣意的な判断だと困るので、学力レベルは資格取得とかで全国的な保証をしないと、絵に描いた餅の方法に思えました。

お礼日時:2015/11/01 17:40

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