痔になりやすい生活習慣とは?

例えば酸素分子なら、電子が「循環」(性質)して電子雲と言うような体積を持っているから物質と言う

存在と言える。

例えば犬なら人に「馴れる」という性質を持っているので人間と共存できて存続している。

例えば人ならば精神を持って学習、思考、想像等をするから社会に適応して生存・存在・存続出来る。

学習・思考・想像・創造等は性質であり精神は性質で出来ているのでは?

進化論で言う獲得形質と同じ原理であり存在するためには性質が必要、存在性が必要。

存在性は数多に必要です。どう思われますか?

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A 回答 (9件)

前の質問とも関連しますが、


存在を「ある種の場においてその中で占有している領域」と解釈すれば、
様々な場においてそれぞれの場に対応する領域というものを決定する性質というものがあって、
その性質を存在性と言おうとすれば言えるような気はします。

空間という場における体積
認識という場における概念
エネルギー分布という場におけるエネルギー密度

みたいな感じに。
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この回答へのお礼

ありがとう

存在は共有する部分があります 酸素原子という存在は水分子という存在に含まれます

人間は知識を言葉を他人と共有しています。家を共有する事も多いです。

私は存在はその個性が単位であると考えています。どうもありがとうございます。

お礼日時:2015/11/04 22:17

先日、性善説、性悪説、について、自分を哲学の天才と言っている(=思っている?)オタマ かな? と思いながら回答を書きましたが。

質問者さんは、前に答えた亊があるKさんですよね。
まだ、どう思われますか? ですか。5年経っても、自身が持てない持論なら、間違いなく、間違いでしょうし。独創生はありません。
在る、とは方向性があることである。とはカントの、「純粋理性批判」とサルトルの「存在と無」の中に見た、西洋哲学の基本と思える言葉ですが。元は多分アリストテレスの、属性、でしょう。
漢字には、アルフアベット原語と異なり。意味、文字を作った者の知恵が含まれています。
存在、とは 存=在 存×在=存在 という意味なのです。多くの漢字がそうなっています。
存、とは在るものであり、在、とは在らせているもの、である。存と在は一体となって存在となる。
存×在=1っの存在。という亊であり。
存とは、仏教でいう、色(形あるもの)であり。在とは空(実体のない能力、方向性)の意味であり。
般若心経に言う。 色即是空 色=空 であり。諸法空相 色×空=諸法 でもあります。
存在するものには存在する為の存在性(性質)が働いているから存在出来る。
当たり前の亊を、発生原語的に定義づけをして繰り返し。意味あるげに表現しているだけでしょう。
酸素分子なら? 犬なら?人なら? ・・はマルクスの言う「知恵を台無しにした」アリストテレスの形而上学の、
猿まね、ではないでしょうか。
自分で考える亊は、哲学する基本でしょうが。自分の考える亊は、人も考える。あなたが、何故、
独創的と思うのかの理由は、そういう考え方は、古代中国の春秋時代だけでも、出尽くしている。
亊を知らないから、考えないから。ではないでしょうか?
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この回答へのお礼

ありがとう

そうですか 僕は哲学科に行けずに理科に行ったので分かりませんが

存という字の意味、概念が有り、在という字の意味、概念が有り、その二つが一つの言葉になれば違う個性になる

存在 という意味、概念に成るのです。 存×在という記号にどういう意味があるのか分かりませんが

存、在、存在 はどれも違う意味になります。ダイヤブロックを組み立てても色んな形になるのと似てますね^^

Kさんって?誰? どうもです。

お礼日時:2015/11/02 20:32

#4です



仰るように、切り分けて考えることのできるレベルがあります。
そういったレベルでは、あたかも性質の側面が別々のように理解することができます。なぜなら、性質と目される側面を別の素粒子等が担っていると、「認識しうる・理解しうる」からです。

しかしながら、たとえば、フェルミ粒子とボーズ粒子までのレベルに切り分けたとき、一つの素粒子の「もの」としての存在と「属性」としての性質は表裏一体と化していることを理解しなければならなくなるでしょう。

目に見えない「もの」としての素粒子は、他との相互作用によって、その「性質」が明らかになった時、その「もの」として認識されうるのです。

物理学で説明可能なのは、そういった「もの」・「性質」が「どのようなもの・状態であるか」ということを理解可能なレベルで記号化することで説明可能にすることまでです。そういった「もの」・「性質」がどうして存在しうるのか?については、ある一定レベルまで分解して説明することはできても、究極のレベルでは表裏一体の関係として扱わざるを得ないのです。「●●は▲▼の性質を有する」ということと「▲▼の性質を有するものは●●である」ということが全く等価なレベルでしか扱いえないのです。

「切り分けたとき」としましたが、H2Oといった分子レベルや人間といった複雑な構成を持つものまで、そのように扱わざるを得ない何がしかの性質が存在し得ます。
水分子は、たとえば、他の物質と一緒になることで、水分子のみ、および他の物質のみでは説明不可能な性質を有することがあります。
水分子と他の物質との相互作用の「結果」、そのような新たな性質が「出現した」という記述も無論可能でしょうが、「水分子」と「他の物質」と「相互作用」と「新たな性質」を切り分けて順序をつけることは、そもそも誤った認識と捉えるべきです。どれが欠けても成立しえない「全体」なのです。「それらが同時に、そのときに・そのようにある」という一体のものとして扱うべきものなのです。順序付けるというのは、「人間が理解しやすい・説明しやすい順序」以外の何ものでもないのです。
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この回答へのお礼

Thank you

仰る通り、水分子と酸素分子、水素分子、酸素原子、水素原子、等は違う物質なのです。だから違う性質をもちます

違う個性を持ちます。しかし同じ酸素分子なら同様の性質を持つのです。

性質も個性の変化で変わります。

オゾンも重水素もアルカリも全く違う物質になるのです。

どうもありがとうございます。

お礼日時:2015/11/02 20:23

完全な存在は、無に帰します。

不完全だから存在する。その不完全性が性質ですね。
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この回答へのお礼

ありがとう

存在というのは言葉であって概念です。宇宙に元々存在というものが在ったかどうかは知りません

私は 存在とは(個性ある)性質を持ったエネルギー(物質を含む)と定義したので

存在とは石ころでもカボチャでも星でも人間でも存在であり、存在しています。

どうもありがとうございます。

お礼日時:2015/11/02 20:00

我々人間があるものの存在を知るにはその存在を示す痕跡が必要である



↑存在の認識に関わるこの命題をharu27さんの世界観で読み解くと
>存在するためには性質が必要
となるのではないでしょうか
つまり存在を示す痕跡がないならば、存在しない
言い換えれば存在は必ずなんらかの痕跡を残す

常識的な考え方だと思います
あと性質という言葉の扱い方が素人目に見ても雑だと思います
そのために常識的な世界観を基礎に置いた、常識的な哲学になるどころか
性質や存在性という言葉が実質的に意味のない言葉になっており
常識的な哲学にすらなっていないと思います

もしも真面目に哲学をやる気があるのであれば
哲学科のある大学で哲学をきちんと学んでみてはどうでしょうか
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この回答へのお礼

うーん・・・

なるほど これは一本取られましたねえ(^^ゞ

お礼日時:2015/11/02 19:56

地球と質量・重力場


脳と心・精神・魂
磁石と磁場
・・・
あらゆる「もの」が「存在」するとき、それぞれには付随する「性質」が「存在」すると言われることがある。

すなわち、「もの」があるから「性質」が存在する。と。。。
しかしながら
「性質」があるから「もの」が存在すると考えることもできる。。。
でも、「存在」という概念を、「●●」が「存在する」から「▲▼」が「存在する」といった「因果関係」で割り切れるものなのだろうか?

「もの」も「性質」も、両方が同時生起として「同時に存在」しているのではないのだろうか?

というより、「一つのもの」を「別の視点から見ているだけ」なのではないだろうか?
あるいは「性質」(のようなもの)は、「見る側」(あるいは、「関連し合おうとする側」)との関連性という「視点」にて、そういった「性質」が見えているだけなのではないのだろうか?
あたかも「もの」が、視覚・触覚に代表される感覚という「視点」があるからこそ、「ものとしての存在」が見えている(感じられる)ように。。。

二元論と一元論と。。。知的切断面と総体と。。。
http://jinen.exblog.jp/4044620
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この回答へのお礼

Thank you

例えば水(H2O)ならば 温度によって、圧力によって、その他環境によって様々な状態にエネルギーは変化しますが

性質は同じ条件なら必ず同じ性質を示します。真理に則っているのです。

一方エネルギー(物質等)はどんな状態になっても量は変わりません。

性質は物質などの 属性 と呼ばれてきましたが、仰るようにエネルギー(物質、電磁波等)と性質は互いに独立しているのでは?

そして人間の精神は脳の働きの性質として実現しているのでは ないでしょうか?

どうもありがとうございます。

お礼日時:2015/11/01 16:59

そもそも生物は、人間は目的をもって生まれてきたわけではありません。


生まれてきたので、生きなければと教えられ、生きているのです。
そこに楽しさ、感動も生まれます。
逆に、悲しさ、絶望も生まれます。
すべての人が理想どおりに生きられればいいのですが、それは様々な条件で難しいですね。
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この回答へのお礼

ありがとう

全くです 人間として生まれたなら最低限の文化的生活が出来れば幸せになれるかもしれませんが

それも叶わない人が世界には多く、日本にも自殺やうつ病、引きこもりやニートになる人が多い現実です。

どうもありがとうございます。

お礼日時:2015/11/01 17:01

大昔、神は存在するか?と云う議論に当って、「神は全ての性質を有する、依って存在という性質も有する、証明終わり」という冗談の様な議論が最高の科学者や哲学者、論理学者の間で通用してきました。


だが「存在すること」は性質か?と考えたら非常にオカシイ。だってそれなら「存在しない」という性質をなぜ持たないかと言われてしまう。
あなたの議論は無駄では無い、でもどこか「斉合性に欠ける」匂いがする、もう少し自分自身を苛めた方が良い。
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具体例は思い浮かびませんが、存在を存在させる何某の力や働きといったものは、存在しているかも知れません。

それを性質と言う事も、無理な範囲ではないと思います。存在性という言葉の意味も、朧かも知れないが、よく読めば伝わると私は思います。
犬の例を取れば、人に慣れるという性質によって犬が存在できるというよりも、人に慣れるという性質によって、犬に成ったという方が、微妙ですが妥当だと思います。

同じように、存在よりも、存在性の方が先行しているのかも知れないと考えました。
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この回答へのお礼

Thank you

犬に成ったから存在できるのです。狼なら殺されていしまいます。

存在と存在性は鶏と卵でしょう。存在性がなければ存在しえませんが(大概)存在が無ければ存在性(性質)は存在し得ません。

いい答えだと思います どうも大変ありがとうございます。

お礼日時:2015/11/01 17:07

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