出産前後の痔にはご注意!

言葉によって縛られる事があると思います。
どうすればそれに縛られず使いこなす事ができるでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • うれしい

    続きですw長々とすみません。
    そして、人間の本心などというものは、英語圏の人だろうが日本語圏の人だろうが、アフリカの少数民族であろうがそう変わらないと私は考えています。それは普遍ということばで均されているものではなく、しかし個人を超えたものであり、かといって個人を無視するものでもなく、なんといえばいいのか、ようするに貴いものなのです。

    プラポチさんの回答にああいうお返事を書かせてもらったのは、豚的態度を真似するのをやめて、生産者的態度を取りますと別のQAで宣言したからです^^;日本語だ英語だと何を表面的なことを言っているのだろう。そう思ったのは浅はかなことなのかもしれませんが、実際そう思ったのであのようなお返事を書きました。
    この度の回答は、ほんとに猪突さんの思っていることがそのまま書かれているのだろうか?そんな疑問を拭いもしないままで、ひとまずのお礼としたいと思います。

    No.22の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/11/12 20:25
  • どう思う?

    回答を何度も読むのはいいものですね。二度三度と違う味わいがあります。
    ふと思いついたのですが、服を着ても縛られているとはいいません。しかし、より高度なファッションともなれば、縛りと言うスタンスが生じます。機能性を捨てたり、形に拘ったり。。
    言葉も同じで、言葉に縛られるとは、より高度な言葉の使い方なのかもしれないと思いました。十番さんやプラポチさん、猪突さんの言いたかったことはこういうこともあるのかな?

    No.19の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/11/12 23:24

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A 回答 (22件中1~10件)

自分を認識できていれば、言葉になど惑わされない。

感化されるようではずいぶん疲れていると気づいて休めばいいさ。
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この回答へのお礼

ここ十年ほどは疲れっぱなしの私です。二十歳中頃まではそんなこともなかったのですが。
自分自身を確立するといえば真っ当なことですが、真っ当に生きられない私を含む人々への回答が欲しいこのごろです。
やさしい回答有り難うございました。

お礼日時:2015/11/09 01:10

>言葉を使っているようで、使われていては霊長の名折れです。

言葉は世界を切り取り、形作るものですが、言葉に使われていたら、四角四面にしか世界を解釈することができない。それは自由とは言えない。世界をそのまま飲み込むことはできないが、自在に取り込む為には、言葉を使いこなせなければならない。

思考の流れに混乱があるようにお見受けしました。多分、あほなさんはその名前に恥じない方なのかな。こんな話がありました:

「人間は馬鹿者と呼ばれるようにならなきゃ駄目だって言ってる人がいたので、その人にあんたは馬鹿だと言ったら怒られた」

進化と退化というのがありますが、自然を見ても人類の歴史を見ても、普遍化、統一化というのが退化で、特殊化や地方性を手に入れることが進化なんですよね。でも、多くの方がそれを反対に誤解している。人類の歴史では旧石器時代は地球上どこからでも同じような石器が出ていた。普遍的だったのですね。その後新石器時代になって、アフリカ、ヨーロッパ、アジア、それぞれ石器に地方性が現れ、それぞれの地域に独特な特殊性が現れて来た。普遍な物から特殊な物へ分岐する、これが進化です。生物の世界も単細胞という普遍的統一的な存在から、次々に分岐を繰り返し、偶然を契機として、その環境に馴染んだ特殊性を手に入れて来た。これが進化の方向です。人類の文化も、分岐によってたような世界観や価値観を手に入れて来たのが進化であり、その反対に強大な軍事力などで価値観を統一するのは退化です。だから、人類の経験して来た過去の色々な文明化による統一化は明らかに退化なのですね。

個人だって、生まれたときにはなんにでもなれる普遍的な可能性を持っていた。芸術家になる可能性だって、サラリーマンになる可能性だって、企業家になる可能性だって、学者になる可能性だって、ホームレスになる可能性だって、、、持っていた普遍的な存在だったのです。しかし、成長するに従って色々な偶然が重なって、その可能性の大海の中の特殊な一つに収束していった。そう、それを個性の獲得と言う。普遍なものから特殊なものへと進化して、個性を手に入れて来たのです。

その特殊性の中に、貴方の使う言語がある。貴方は偶然に日本に生まれて来たので、日本語を使う羽目になった。貴方が、日本語を使うと言うその事実が、貴方が他の民族や文化の人々とは一線を画した、特殊な存在であることを示し、そのような個性を手に入れたことになっているのです。

貴方はどれだけお気づきか知れりませんが、同じものをみても言葉が違うと、そのことに関する認識が随分違います。だから、日本語を話す文化に生を受けた貴方は、他言語を話す文化の人たちとは随分違った世界を見ているのです。客観的な世界を論じているように見える物理学でも、日本人は「自然の法則」と言い、決して「自然の法律」とは言いません。ところが、西洋人はこの「法則」に当る言葉を「laws」と言い、この言葉は「法律」と同じ言葉なのです。だから、客観的な自然を見ているつもりでも、日本人と西洋人は全く違ったものを見ている。

こと程左様に、貴方は、日本の文化を理解し、さらに日本語を使うと言う特殊性を獲得したことよって、貴方の個性が形作られ、貴方の世界観が構築されているのです。別な言い方をすると、貴方は日本語と言う言葉に「使われている」ことが、まさに貴方の個性を形作っているのです。使いこなしたつもりになっても、貴方は日本語に使われ、日本語で考え、日本人独特の色眼鏡を通してしか世界を見ることが出来ない。それを肯定的に言うと、日本語の色眼鏡で世界を見るという特殊で独特な個性を貴方は手に入れることが出来たのです。

各民族が自国の言語に「使われて」特殊な色眼鏡でそれぞれ違った世界を見ることができる。これを多様な世界と言います。その結果、単調で均一な世界でなく、複雑で豊富な世界を見ることが出来る幸運を人類は享受しているのです。

言葉に使われるって、多様な世界を手に入れる自由を手に入れたことになっているんで、素晴しいことなんですよね。日本語と言う呪縛に囚われて、世界中にどんどん日本人独特な世界の見方を伝えて、世界を多様で豊かにしていきたいものです。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

以前こんなドキュメンタリーを見たことが有ります。中国に生まれた双子の孤児が、生後まもなく、それぞれアメリカと北欧(どこだったか忘れましたが)の国に引き取られ、後、小学高学年ぐらい?の頃に再会するというものです。双子はそれぞれ成長の過程で、回答者さんの言う個性を獲得しているはずですが、二人を会わせてみれば、細かい仕草や独特の癖までが一緒だったことに、両方の里親は(遺伝というものの力に)驚いたというのです。そして二人が使うのは異なる言語で、コミュニケーションはうまく取れないのに、お互いの気持を理解し打ち解け合っていったのです。私は、人間が生後、獲得できる個性というものを否定しませんが、それよりも遥かに大きく、人類に通底する普遍性があって、それに人類は支えられている、悪く言えば縛られているのだと考えています。故に、私は原始人がソクラテスに劣っているとは考えていないし、過去、世界中に発達した都市文明がそれぞれ似通っていることに、疑問をあまり感じません。回答者さんは普遍化、統一化は退化だとおっしゃいますが、それは宿命だと私は思います。冷たい言い方をすれば、所詮人間のやることで、似たりよったりなのだと。
 
ところで、冒頭ご指摘の通り、私はアホかというと、残念ながら実際はアホではありません。たくさんの知識を育んでくることはしませんでしたが。。アホだと言われても怒らない、つまらない、からかいがいのない人間です(おふざけくらいのサービスは出来ます)。回答者さんは、(猪突さんと呼ばれておりますが、そのように呼んでいいのかな?)科学者だとお見受けしましたが、科学者なんて職業の人が、言葉に使われているというのは、物は言いよう、ウィットを効かせているだけで、実際は言葉を使いこなしているはずだと私は思います。そうでなければ新しい概念を獲得したり、自然の法則を解き明かしたりなど出来ぬことだと思います。過去の人類の英知の積み重ねに敬意を払っておられるので、言葉に支配されていることを肯定されているのかなとも思いますが。
さて、私が言葉に束縛されることを良しとしないのは、言葉は、それに乗せる人間の内奥の気持ち、本心を通すためのものであり、それが色々の形で既にある、言葉の「あるべきという形」に押し込められてしまっては、円いものも矩形になって歪められるようなもので、正しく伝わらないと考えるからです。続。

お礼日時:2015/11/12 19:55

くどいですが。



 ★ (№20お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~
 言葉にとらわれて視野狭窄に陥るのを防ぐために、敢えて
 自分から面白いと思って飛び込むと、また違う景色が見えて
 くる、そんな風に今は理解しています。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 問題は 呪縛を望んでいるかどうかだと思います。

 はっきり嫌だと思っている場合だと言っていいと思いますから。


 ★ (同上) ~~~~~~~~~~~~~~~
 ふむ、、その方法で、ぐっすり眠れるようになりますかね?
 よくある話だとはおもうのですが。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ ただちに眠れるようにならないとしても その不眠症と
 いった言葉がまとわりつくことは なくなるはずです。
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この回答へのお礼

例示をいただき、一つの回答として受け取ることが出来ました。
レッテルに悩まされなくなる一つの方法と思います。
有難うございます。

お礼日時:2015/11/12 19:24

この《言葉の呪縛》というのは 不眠症のばあいを考えると分かりやすいでしょう。



 眠れない夜がつづくと 不眠症かとうたがう。
 そしてのこの言葉が まとわりつく。余計に眠れない。

 こういう場合は 眠らなきゃいいのです。
 眠らないと決めて ただし布団の中で横になっていればよいわけです。

 この方程式だと思います。

 言葉がまとわりつくなんてことは 自分が望んでもいないことなのに どうして?
 と思うもので おもしろい心的現象だと見ることは到って自然でふつうでしょう。
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この回答へのお礼

どう思う?

ふむ、、その方法で、ぐっすり眠れるようになりますかね?よくある話だとはおもうのですが。
言葉にとらわれて視野狭窄に陥るのを防ぐために、敢えて自分から面白いと思って飛び込むと、また違う景色が見えてくる、そんな風に今は理解しています。

お礼日時:2015/11/11 23:31

回答番号12のplapotiです。

一部の限定された人たちに見られる特殊な嗜好や性癖を「おもしろい」と感じるのが回答番号11の方だけであることに安堵を覚えました。

このたびの御質問は状況によつて答が変つてくると思ひます。回答番号10の方の御意見を私なりに解釈すれば、言葉は人間に備はつてゐるものです。「言葉によって縛られる」のはごく普通の状態ではないでせうか。外国語の勉強をしても、日本語を通して学習することになります。外のものを認識するためには、比較できるものがあると便利です。そのひとつが「言葉の呪縛」です。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

どう思う?

言葉に縛られた状態と言うのは確かに普通の事です。しかしそれが好ましいかと言うと、それは別の話となるでしょう。言葉を使っているようで、使われていては霊長の名折れです。言葉は世界を切り取り、形作るものですが、言葉に使われていたら、四角四面にしか世界を解釈することができない。それは自由とは言えない。世界をそのまま飲み込むことはできないが、自在に取り込む為には、言葉を使いこなせなければならない。世界を支配すると言うと語弊があるが、世界に飲まれないためには、、、ということです。

お礼日時:2015/11/11 23:22

再再考です。


№14(私の回答)の冒頭部分は正反対の勘違いでした。
№6は、読み返してみたら、自分の内から出た言葉の呪縛でしたね。

そこでさらに回答を求めて、Googleを彷徨う事になりました。言葉の呪縛と云う杖を突きながら。

そしたら、この事に付いて沢山の記事があって、その中の「言葉の呪縛から解き放たれよう」と云うタイトルの記事を開いたら、"それを否定してみる"という内容のものでした。(このお方のブログのタイトルはChang is Chanceです)

なるほどと、それに即して考えを進めれば否定すると云うことは、それと反対の事を受け入れて見ようとすることなんだと思えたんです。

神経質でなく、事に大まかな人ならば、無視してしまえば何事も起きない事でも、それに捕らわれてしまうような人は縄に縛られないようにするか、縛られたらそれをほどかなければならず、そのためにはその縄を否定してみると云う方法が良いのかも知れません。

手段としてはkanto-iさんが勧めるように、結び目をほどくのが一番良いのでしょうが、その結び目を見つけられるかとなると、結構試行錯誤と云う時間を必要としそうで、だからどこでもいいからハサミで切ってしまうのが手っ取り早いと思います。

あとはハサミを持つ勇気、切る意力、これを発揮する元気を出せるかどうかですね。

呪縛して居る「言葉」の正反対の世界に身を置いて生きる。
こうすることが、実体験であり、出会いなんだと思います。
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この回答へのお礼

先ほどbさんへのお礼に裏と表の話をしましたが、yy8さんのおっしゃることに沿ってきたなと感じました。
正反対の世界に身を置くと言うのは、裏と表の入れ替わりであり、視野の内外の転換であるわけです。
それは興味深いことです。

お礼日時:2015/11/11 23:08

《満足した豚は 不満足なソクラテスを舐めきる》?



 って言葉が わたし自身は何も思っていないのに
 ――嫌だとか 面白そうだとか まったく初めからおしまいまで白紙状態であるのに――
 何故かこの言葉が あたまに引っかかって来る。

 こりゃあ おもしろいぢゃないか。
 なぜなら わたしの感覚も思惟もいっさいゼロだとして打っ棄ってしまってあるのに
 そのわたしの頭に浮かび上がって来る。
 こりゃあ 前代未聞の珍事ぢゃわい。おもしろいぢゃないか。
 いっちょう こちらから進んでその言葉に縛られてみてやろう。

 あれっ? 溶けちゃった。
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この回答へのお礼

ふむ、、。面白いですね、ブラジュロンヌさんは^_^
物事に裏と表があって、こちらから飛び込むと言うのは、この世界の方向性の転換になるのかなと。
それは確かにおもしろいです。

お礼日時:2015/11/11 23:03

病気と付き合う。


これでしたか。

温度は差が有るから分かる訳で、温度差が無ければ感じることが出来ません。
成り切る、とか付き合う、と云った表現はこの事を云っているのではないでしょうか。

病気は物理的苦ですから、考え方次第、思い方次第でどうにでもなる、と云うものではありませんが、精神的な事なら、効果があっても不思議ではないように思うのです。

「おもしろい」と云えるか云えないかは、自分を客観視することが出来るかどうかと云う事ではないか、とも思います。
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この回答へのお礼

ふむ、、yy8さんは難しいことをおっしゃりますね^_^理解するためには少し勉強せねばならないようです。

言葉はイメージであると他の回答者さんがおっしゃっていたのですが、厳密に言うと、言葉の持つイメージに縛られていたのかもしれないと思いました。そういう意味では、病気というイメージに縛られて、克己する事ができないと言うのはあるかもしれない。
敢えてそのイメージに飛び込めば、違った世界が広がっているのかもしれません。

お礼日時:2015/11/11 23:00

「言葉」から離れて・・・



病気になってその苦痛から逃れたい、という状況に対処する方法としてよく、「病気に成り切ってしまえ」とか「病気と一緒になれ」みたいな言い回しがあります(思い出せません)が、"こっちから進んで縛られようとするとよい"と云うのは、こうした方法を云っているんだと推測したんです。

そうする事に依って、その事がおもしろいと表現できる余裕が生まれるんだと。
そうした状態で、再び「呪縛」されてみれば新たな視界が開けてくるんではないだろうかと。

このように、解釈してみたんです。
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この回答へのお礼

病人の願いは病気が完治することですよね?医者や取り巻きの人々もそう願っているはずです。病気に成り切るというのは、その反対であり、ハッピーエンドにならないように思えるのですが、如何でしょう?
「病気と付き合う」という言い回しはよく聞きます。持病などと言って、一生病気と付き合わざるをえない人もおられます。ドラマによってはその病気がしあわせを運んでくるきっかけになったりもしますが、三番さんはそういうことを言っているのでもないようです。

>そうする事に依って、その事がおもしろいと表現できる余裕が生まれるんだと。
そうした状態で、再び「呪縛」されてみれば新たな視界が開けてくるんではないだろうかと。

うーむ。。病気は辛いですからねぇ。そんな余裕あるのかなぁ。。

お礼日時:2015/11/10 23:32

再考、です。


皆さんの回答とそのご返事をみて、この質問は他者から受けた「言葉の呪縛」ではなく、自身から出た言葉の「呪縛」の事だと気づきました。
私に付いて云えば、性格がいい加減・曖昧なので、自身が呪縛されるような言葉が心に浮かぶようなことはありませんでした。

そこで、他の回答で意味深な表現で回答してるのがありますが、あほなさんがどう受け止めたか気になったので、それを私がどう解釈したかを述べて見たいと思います。

意味深な表現をしている回答は№3です。
「こりゃあ おもしろいと思って こっちから進んで縛られようとするとよいでしょう ・・・・」

これを例えを以て説明すれば、井の中の蛙が一旦岸に上がって周囲の景色を眺め、そうして「こりゃあおもしろい」と、"おもしろい水着"を着用して、もう一度井の中に飛び込んでみる、という事だと思います。そのようにしてもう一度縛られてみたいと飛び込んでみれば、大抵の事は解けるんじゃないですかと、言ってるんだと思います。

余裕が遊び心を育てますね。
でもこの余裕は歳、の成果かも・・・・・
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この回答へのお礼

面白い水着ですか?あぶない水着ではなくて?
確かに一度解けてしまえば、ある種の罠は何度でも解けるものです。
面白い水着がちょっと想像がつかないので、よろしければも一度のご回答お待ちしております。三番さんにも、おもしろいと思って、の意図を説明していただけると思いますので一緒に待ちましょう。

お礼日時:2015/11/10 22:29

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Qあり得たかも知れない自分という呪縛

だいたいこういう理解がふつうだろうと思います。

オギャーと産まれて物心つくころから、ひとは自分の人生で幾度か選択をします。
人間関係のことだったり進路だったりという大問題から、卑小なところでは昼飯に何を食べるかとかだったり。生きていればさまざまなステージで様々な選択があろうかと思います。
それが信念や確信の産物であれ、他人の熱心な慫慂にほだされたり、そのときの損得勘定での判断であったり、または迷妄の果ての時間切れであろうなかろうと、ひとは選択したほうの人生を選びとります。そして選択しないという選択もまたあります。

後になって、ときどきとかふとか、あるいは常にか、実際の選択ではない方を選択をした自分のことや、その後の自分のことを思うことがあるでしょう。(いや、まったく考えないよ、という方はこの質問をスルーしてください)

それへの思い、つまり、実際とは別の選択をしたらという思いが人によって強すぎて、正常な日常生活へ支障をきたすようになることもあると思われます。つまり異常なほど過去の選択にこだわる。傍目から見れば「何をウジウジと」と思われるような心理状態であったり、諦めの悪いと評される心理状態です。その思いが強すぎて正常な生活を送ることが困難になった場合。

そういう症状には何か名前がついているのでしょうか。

ちなみにこの質問者がそういう症状で困っているとかではありませんので、そっち系のアドバイスは御無用にお願いします。

だいたいこういう理解がふつうだろうと思います。

オギャーと産まれて物心つくころから、ひとは自分の人生で幾度か選択をします。
人間関係のことだったり進路だったりという大問題から、卑小なところでは昼飯に何を食べるかとかだったり。生きていればさまざまなステージで様々な選択があろうかと思います。
それが信念や確信の産物であれ、他人の熱心な慫慂にほだされたり、そのときの損得勘定での判断であったり、または迷妄の果ての時間切れであろうなかろうと、ひとは選択したほうの人生を選びとります。そ...続きを読む

Aベストアンサー

素人ですので、問い掛けの意味を間違って捉えているかもしれませんので、その場合はお許しを請うことになりますが、『決断に拠っての後悔』を悔やむという意味として答えたいと思います。

それは受入れられない現実への後悔として、自分自身を過去の決断、或は選択を、違う道が在ったのではないかと疑うところに在るかも知れません。

その場合、時間が、決断する前の時に戻ってしまうと思います、そうしてあらゆる可能性を探るかも知れません。それは、現在の自分の置かれた立場を肯定出来るまで続くかもしれません。

人間の意識は、肯定出来る事には使われないと感じます。肯定出来ない場合に『意識』に上がってくると考えられます。その肯定出来ない事を『意識』し続けた場合、その意識した内容を『症状』と医師は判断すると感じます。

では何故そういう事が起こるのかを考察してみたいと思います。

人間の『意識上に上がる』という場合、実は『無意識』が対になっています。誰もこの事を唱えている人はいないかも知れませんが、確かに、関係があると感じます。

無意識に考えた事は『すぐに忘れています』思い出そうとしても、思い出せない事が多いと感じます。ですが『意識に上がって、疑問に思う事や、受入れられないと感じたもの』に付いて、頭の中は『その事だけが占めてしまう場合があります』

この場合の事とは、自分の子供や連れ合いの死などが在ると思います、或は自分の健康や、心の違和感もあるかも知れません。兎に角『自分にとっては大事と思う事』です。当然自分の死に付いてもその可能性を秘めています。

この場合、ふと、何気なく『人生に付いて考察』する事も含まれます。

この場合に『意識上に載せて』問題にした事を忘れられない場合があります。この忘れられない事を『悩み、或は疑問』と呼んでいると思います。

この場合、現実の生活に支障の無い場合を『悩み、或は疑問』と呼んでいると感じます。

ですが、生活に支障が出るほど『意識する場合』同じ内容でも、その生活に支障が出る事の度合いによって、軽症か、重症かが分かれると感じます。

この場合の意識に上がって『頭から離れられない事の具体的な内容を』=『症状』と言っていると感じます。

この場合『つまり異常なほど過去の選択にこだわる』事には関係なく、意識した事が問題になっているかも知れません。

過去の拘っている事が自分の選択の仕方によって、避けえるものとした場合後悔となるかもしれませんが、選択の余地が無いものに対しては、今の医学では『内因性、或は心因性の疾患の原因は今の段階では特定出来ていない』と言う立場となっています。

ですが、深く考察した場合『意識』と『無意識』が関っている事は感じられます。意識する事は『無意識の状態に入りにくくなっていること』が在ります。上がる場合も吃音で苦しむ場合も、『無意識』の力が借りられなくなっている事は推察出来ます。

対人恐怖や、恐怖症の原因も同じです。意識が『無意識』の出番を封鎖している事が、その根本には在るかも知れないことです。

人間は自分で自覚出来ようが、出来まいが、意識と無意識は交替制を取っていると感じます、その交替制が崩れた場合、障害があると言うと感じます。それは『意識の中に一人の人格』『無意識の中に一人の人格』その二つの意識の矛盾を『心の矛盾』と感じていると感じます。

素人ですので、問い掛けの意味を間違って捉えているかもしれませんので、その場合はお許しを請うことになりますが、『決断に拠っての後悔』を悔やむという意味として答えたいと思います。

それは受入れられない現実への後悔として、自分自身を過去の決断、或は選択を、違う道が在ったのではないかと疑うところに在るかも知れません。

その場合、時間が、決断する前の時に戻ってしまうと思います、そうしてあらゆる可能性を探るかも知れません。それは、現在の自分の置かれた立場を肯定出来るまで続くかもしれま...続きを読む

Q偏差値の呪縛を解き放す・・・?

こんばんは。 大学一年の者です。
この前は学歴についての質問をし、大変お世話になりました。
今回も学歴に関する質問なんですが、ちょっと前とは違う内容?です。
こんな事を質問していいのかちょっと悩みましたが、どうしても気になるので質問させてください。

僕は日東駒専の大学(今はどこに通っているかはあえて伏せておきます)に通っています。
大学の広報に学長のインタビューが載っていてそれを読んだのですが、「偏差値の呪縛を解き放せば、いっぺんにその人の能力が開花する。うちの学校にはそういう仕掛けがあります。」と書いてありました。
正直僕にはちょっとピンときませんでした・・・
何故なら「所詮日東駒専のレベルだし・・・」、「なんか説得力ななぁ」、「ただ単に志願者増やしたいだけなんじゃないの?」とどうしても心の中で思ってしまうのです。
僕はまだ社会にでてない子供なのでわからないだけかもしれませんが、どうしても気になります。
みなさんは学長の言葉についてどう思われますか?

それと最近うちの学校の広告がやたら目に留まります。
最近うちの学校CMを作り放送しているそうです。
前に「大学のCM流している大学は危ない」とこんな事を聞いたのですがこれは本当なのでしょうか?

回答宜しくお願いします。
乱文で読みにくい文章だなと思った方は申し訳ないです(汗)

こんばんは。 大学一年の者です。
この前は学歴についての質問をし、大変お世話になりました。
今回も学歴に関する質問なんですが、ちょっと前とは違う内容?です。
こんな事を質問していいのかちょっと悩みましたが、どうしても気になるので質問させてください。

僕は日東駒専の大学(今はどこに通っているかはあえて伏せておきます)に通っています。
大学の広報に学長のインタビューが載っていてそれを読んだのですが、「偏差値の呪縛を解き放せば、いっぺんにその人の能力が開花する。うちの学校には...続きを読む

Aベストアンサー

大学を卒業して社会に出てだいぶたった者の意見です。

>偏差値の呪縛を解き放せば、いっぺんにその人の能力が開花する。

ある意味でこれは正しいと思います。失礼ながら、全ての日東駒専の人に当てはまるとは思いませんが、意外に能力のある人が埋もれている場合があります。
そういう人が一発奮起をすれば可能性は大です。

実際に高校時代に全然勉強しなかった人とか、家が田舎で近くに受験産業(予備校とか)の恩恵にあずかれなかった人とか。絶対に浪人が許されなかった人とか。人それぞれ理由がありますが、本当はすごく能力があるのに、たまたま日東駒専に入ってしまい、自分はどうせ日東駒専とあきらめてしまう場合があるからです。

僕は1浪で大学に入りました。現役の時はMARCHの3大学(明治青山中央)を受けました。全部落ちました。
そこで予備校で一生懸命勉強しました。当初、志望大学はMARCHだったのですが、成績が上がったので早慶に。
さらに上がったので東大を受験し、1浪で見事受かりました。

でも今になって考えると、現役の時にもう少し成績がよかったらMARCHに受かって、そのまま卒業就職していたと思います。全然、東大のことなど夢にも思わずに。

つまり能力が高いがたまたま必死で勉強をするチャンスに恵まれなかった人はこの世にたくさんいます。
本人も自分の能力に気づいていません。

僕の就職後の経験で言わせてもらえば、出身大学はあまり本人の能力と関係ありません。平均すれば偏差値の高い大学の方が能力が高い傾向にありますが、東大出身でもダメなやつはダメだし、日東駒専でもたまにすごく仕事のできるやつもいます。

結局、仕事と勉強(偏差値)は必ずしも1対1対応しないということです。

大学を卒業して社会に出てだいぶたった者の意見です。

>偏差値の呪縛を解き放せば、いっぺんにその人の能力が開花する。

ある意味でこれは正しいと思います。失礼ながら、全ての日東駒専の人に当てはまるとは思いませんが、意外に能力のある人が埋もれている場合があります。
そういう人が一発奮起をすれば可能性は大です。

実際に高校時代に全然勉強しなかった人とか、家が田舎で近くに受験産業(予備校とか)の恩恵にあずかれなかった人とか。絶対に浪人が許されなかった人とか。人それぞれ理由があり...続きを読む

Q「理屈」の意味について。よく「お前は理屈っぽい」「お前の理屈は正しい」

「理屈」の意味について。よく「お前は理屈っぽい」「お前の理屈は正しい」「その理屈でいくと、こういうことになるよな」「理屈で物を語るな」・・・とか聞くんですけど、上記の使用例だけで結構ですので、理屈ってわかりやすく説明するとどういう意味なんですか?

辞書で調べると、「物事の筋道」とかなっていましたが、物事の筋道って何??って感じです。

Aベストアンサー

>「その理屈でいくと、こういうことになるよな」
:その理屈:(たとえば「(谷垣代表の)”考え方”」  でいくと民主党の考えは全部悪いということになりますよね。

>「お前の理屈は正しい」

これも上記と同様です。「お前の考え方は正しい」ということですね。

>「お前は理屈っぽい」
理屈っぽい:具体的な事例から離れて、とかく言葉だけで物事を抽象的に考えたり、頭の中だけで思いを展開させたりする傾向が強いことを指します。一般的には批判的ないいかたで、どちらかといえばよくないとされる傾向です。

「おまえは物事を頭の中だけで操作、処理してこねくり回しすぎる。もうすこし現実に沿って簡単に考えられないのか!」というような意味でしょう。この言葉自体は中間的な可もなく不可もないもの(発言者が悪いのか言われたものが悪いのか、これだけでは判断できない)です。

>「理屈で物を語るな」

これも上記と同様でしょう。理屈というのは言葉の世界ですから、物とは相容れないところがあるのは当然です。しかし、物はあくまで物に過ぎません。これをうまく転がし処理するのに言葉は不可欠のツールです。これがわかっていない、頭の固い、言葉を扱うのが不得意なひとが連発する苛立ち、悲鳴のような言葉である場合もよくある事例です。

>「その理屈でいくと、こういうことになるよな」
:その理屈:(たとえば「(谷垣代表の)”考え方”」  でいくと民主党の考えは全部悪いということになりますよね。

>「お前の理屈は正しい」

これも上記と同様です。「お前の考え方は正しい」ということですね。

>「お前は理屈っぽい」
理屈っぽい:具体的な事例から離れて、とかく言葉だけで物事を抽象的に考えたり、頭の中だけで思いを展開させたりする傾向が強いことを指します。一般的には批判的ないいかたで、どちらかといえばよくないとされる傾向です。...続きを読む


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