世の中の真理を教えてください!!

A 回答 (3件)

泡!。



かき回せば、お互い潰されたり融合したりを繰り返し、
泡は有限に、全体に大きくなろとする。

何もしなければ、衝突する事もなく小さく消えてく。
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この回答へのお礼

んーなんか深い!!

お礼日時:2015/11/13 23:08

すべては幻だ

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この回答へのお礼

あっ、そっか(痴呆)

お礼日時:2015/11/13 22:55

真理はどこにでも転がっていますので教えるまでもないですが、



数10年前面白い教祖さんがいらっしゃいまして、
事あるごとに、それは定説というんですね。

なまさだの「意見には個人差があります」という看板
それぞれ真理でありながら、それを否定します。

自分が今生きていること。
これこそまがいのない、世の中の真理です。

これを信じない人に世の中の真理など教えることは不可能です。
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この回答へのお礼

ア、ハイ笑
なんか思ってたよりくだらないですね

お礼日時:2015/11/13 22:53

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Qオウム真理教の(オウム)とは何のことを意味するのでしょうか?

みなさん こんばんわ
オウム真理教についてですが、オウム真理教のオウムという名前は何から来ているのでしょうか?
由来とか意味など教えて頂きたいです。
ずっと前から気になっていましたが、はっきり知りたいと思います。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

こんなサイトがありました。子供向けのものですが、NHKですので信頼していいかと思います。

>以下該当個所のみ抜粋
オウム真理教の「オウム」とは、インドの宗教ヒンズー教の神様からきているとオウム真理教は言っています。オウムはA、U、Mの3文字を並べたものです。それぞれ、インドの大昔の言葉のサンスクリット語で、宇宙を作る神様、宇宙を守る神様、宇宙を壊す神様の、それぞれの神様のしるしの文字を英語のアルファベットにしたものです。この3文字を並べて「オウム」と発音しているのです。

参考URL:http://www.nhk.or.jp/kdns/_wakaran/00/0123.html

Q真理概念について整合説と合意説と存在の真理と…あと一つは?皆さんにとって真理とは?(>0<)

初めまして(^^)最近哲学について勉強する機械があって、「真理概念」というものを知りました(考えすぎるとキリがないけど面白いなぁと思いました☆)。そこで、
整合説(命題と命題の整合・不整合について)と
合意説(合意できるものを真理とする)と
存在の真理(ありのまま)
この3つとあと一つ何かあったき気がするんですが思い出せません…検索しても上手く見つけられなくて…(><)他に何か有名な真理概念があれば教えて頂けないでしょうか?(>0<)
あと、これをふまえて自分にとって「真理って何かな…?」て考えた時、私はこの中では「存在の真理(ありのまま)」が自分の考え方に近いかな~と思うのですが、皆さんは「真理」とは何だと思いますか?(^^)(上記以外の考え方でも良いです!)
好奇心というか参考にしたいなぁと思ってるので、もしよろしければ教えて頂けないでしょうか?たくさんご意見頂けると嬉しいです!(>∀<)

Aベストアンサー

真理とは何か?
これは、認識論のメインテーマでしょうね。

真理=あるがままの現実をあるがままに反映した観念や判断。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

私は、この「あるがまま論」が妥当であろうと思います。
ただ、「あるがまま論=鏡に映った像論」という解釈ではありません。

ところで、あるがままの現実をあるがままに反映するためには何がしかの実践が必ず介在。
で、実践を通じて<本当にあるがままか?>は検証されてより確かになっていくでしょう。
「あるがまま論」が単なる「鏡に映った像論」ではないという理由です。

たとえば、「宇宙の年齢は約130億年」は、現時点での「あるがまま論」が指し示す真理。
私は、30世紀においても、これが真理であり続けている保証はどこにもないと思っています。
真理の実践における検証レベルは、時代的制約、個人的制約などを必ず伴います。
ですから、「これが100%正しい究極の真理」を21世紀の今日で知ることは不可能でしょう。
これは、平安時代や江戸時代の文献にみられる真理と今日の真理を対比すれば判ります。
30世紀の人々も21世紀初頭の真理を同じような思いを持って見ることでしょう。
ですから、「あるがまま論」のいう真理は相対的なそれであって絶対的なそれではありません。

概ね、これが私が納得している真理論の骨格です。

真理とは何か?
これは、認識論のメインテーマでしょうね。

真理=あるがままの現実をあるがままに反映した観念や判断。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

私は、この「あるがまま論」が妥当であろうと思います。
ただ、「あるがまま論=鏡に映った像論」という解釈ではありません。

ところで、あるがままの現実をあるがままに反映するためには何がしかの実践が必ず介在。
で、実践を通じて<本当にあるがままか?>は検証されてより確かになっていくでしょう。
「...続きを読む

QA→Bの真理値の意味がわかりません

A→Bの真理値の意味がわかりません
「∧」,「∨」などの真理値はわかりますが「→」がわかりません

A B A→B

1 1  1
1 0  0
0 1  1
0 0  1

真理値表ではこうなるらしいのですが意味がさっぱりです
「正しいなら正しい」は「正しい」
「正しいなら間違ってる」は「意味がわからないから間違い」
こんな感じでいいんでしょうか?
これがあってると仮定して
他のもみてみると最後のやつは
「間違っているなら間違っている」が「正しい」というのもなんとなくわかりますが
「間違っているなら正しい」はなんとなく「間違い」な気がしますが結果は「正しい」です
この考え方がおかしいってことですか?
アホな自分にもわかりやすく教えてもらえるとうれしいです

Aベストアンサー

→は、よく「ならば」と呼ばれてますが、普通の言葉の「ならば」と意味合いが異なるので、なれるまで大変です。
>「正しいなら間違ってる」は「意味がわからないから間違い」
というより、「正しい前提から間違った結論が出る、ということは間違い」という感じです。
「3より大きい数は、1よりも大きい」というのは正しいという感じがしますよね?これは、
3<x→1<x
と書けます。xには(実数なら)何でも入れられますね。
そこで、x=2としてみましょう。
3<2→1<2
になりますから、前提は間違ってますから、偽→真、という形になりますが、それでも、3<x→1<xはxの値にかかわらず正しいことのうちで、全体は真になります。これが、「偽→真」が真である、ということです。
また、x=0の場合は
3<0→1<0
となって、偽→偽、という形になりますが、やはりxの値にかかわらず正しいことのうちで、全体は真になります。
つまり、前提が間違ってる場合は、何でも結論付けられる、ということです。
有名なB.Russelがこの話を講演したとき、
>ある聴衆が手をあげて、それでは1=2を仮定して、あなたが法王であることを証明してくれ、と質問した。Russelはただちにつぎのように返事したと伝えられている。
'法王と私は1人の人間である。ところで1=2を仮定すれば、これは1人の人間である。ゆえに私は法王である'
(竹内外史「現代集合論入門」日本評論社)より引用。

→は、よく「ならば」と呼ばれてますが、普通の言葉の「ならば」と意味合いが異なるので、なれるまで大変です。
>「正しいなら間違ってる」は「意味がわからないから間違い」
というより、「正しい前提から間違った結論が出る、ということは間違い」という感じです。
「3より大きい数は、1よりも大きい」というのは正しいという感じがしますよね?これは、
3<x→1<x
と書けます。xには(実数なら)何でも入れられますね。
そこで、x=2としてみましょう。
3<2→1<2
になりますから、前提は...続きを読む

Q急ぎです!哲学の授業の課題「真理とは何か?」について煮詰まってしまいました…!(>□<)ご意見ください!!

よろしくお願いします、哲学の授業の課題でかなり困っているのでご意見を頂けないでしょうか?(><)
授業で「真理とは何か?自分は真理をどう考えるか?」を考えて(哲学して)レポートにまとめよう!という課題です。レポートは2500字以上で、先生が求めているのは授業の確認(授業で習った真理説について改めてまとめるとか)ではなく私たちに「真理」について自分なりに考える事で「哲学」をして欲しいって事らしいです…(それが難しい!!)課題自体は私は結構面白そうだと思うし、2500字なのでなんとか書けるかな~と思ってたんですが・・・いざ書き始めるとどう展開して書いていけばいいのか全然分からなくて、まったく進められなくなってしまいました!!(>□<)もともと文章書くのは苦手ですし・・・
一応私が考えている「真理」は
・「真理」はあると思う、でも言葉で表すのは少し難しい
・真(本当の事、整合説とか)と「真理」は違うと思う
・存在の真理(ありのまま)説が一番近い気がする
という感じなのですが(大雑把でスイマセン・・・)、これをつまりどういうことか、とまとめていくのが難しくて…しかも「真理」の意味(?)について「でもこうとらえる事も出来るかなぁ・・・またこうも・・・」と考えてくとなんかキリがなくなっていっててなかなか結論を書けません!
どういう展開で書いていけば2500字分くらい論じられるのか・・・自分でもすごく考えたんですがなんか煮詰まってしまって質問させて頂きました・・・。どんな事でも良いので沢山ご意見頂ければ嬉しいです!よろしくお願いします!(><)

よろしくお願いします、哲学の授業の課題でかなり困っているのでご意見を頂けないでしょうか?(><)
授業で「真理とは何か?自分は真理をどう考えるか?」を考えて(哲学して)レポートにまとめよう!という課題です。レポートは2500字以上で、先生が求めているのは授業の確認(授業で習った真理説について改めてまとめるとか)ではなく私たちに「真理」について自分なりに考える事で「哲学」をして欲しいって事らしいです…(それが難しい!!)課題自体は私は結構面白そうだと思うし、2500字なのでなんと...続きを読む

Aベストアンサー

2500字も必要でしょうか?
私なら簡潔に一言書いて提出します。

「真理とは自然であると私は感じます。」

自然って?て聞かれたら口頭で説明しますがそれを書けといわれると、2500字じゃたりないかもw
じゃあもとい! もう少し補足しましょう。

「人間がそれを(真理)理解しようとしまいと、発見しようがしまいが
ずっとそこに在るもの。
つまり真理とは自然の法則がそれで、私たち個人のあり方によって形をその都度変えるようなものではなく、さりとて人間的な感情を持ち合わせるような類のものでもない。
人によっては真理という人もあれば、神と呼ぶ人もあり、その呼称は
信じる表現(宗教)によって様々である。
我こそ真理を見たり!!と叫ぶものあれば、あれは邪教だと誹る声もあり。しかしながら、真理とは異端の能力を持った人間のみに理解できるものではなく、また、それを信じる者と信じないものとを分け隔てるものでもない。
生きとし生けるもの、存在する全ての物に至るまで完全なる平等によって包むもの。
つまり真理である自然がそれである。
何人たりとも、またどんな僻地の些細な出来事においても自然の法則を逸脱して活動することはなく、完全なる数学的な正確さでもって絶え間なく営まれているのである。
完璧とはわれわれ人間が永久に到達し得ない概念としてある地点であるが、自然は完璧を備えている。
不完全である我々が、はたして完全を理解できるのであろうか?
自然が未だ神秘に包まれているのは、その所以だと私は思う。」

こんな感じ?

短いか^^;;

2500字も必要でしょうか?
私なら簡潔に一言書いて提出します。

「真理とは自然であると私は感じます。」

自然って?て聞かれたら口頭で説明しますがそれを書けといわれると、2500字じゃたりないかもw
じゃあもとい! もう少し補足しましょう。

「人間がそれを(真理)理解しようとしまいと、発見しようがしまいが
ずっとそこに在るもの。
つまり真理とは自然の法則がそれで、私たち個人のあり方によって形をその都度変えるようなものではなく、さりとて人間的な感情を持ち合わせるような類のもの...続きを読む

Qサティアン 「真理」以外の意味

某議員が福島原子力建屋をサティアンと呼んだことが今話題となっています。
これはサンスクリット語で真理を意味しているそうで、
またオウム真理教の拠点の建物名にも使われていました。

ところで、私の取引先の化学メーカーさんで、
自前の研究棟を「サティアン」と呼んでるところがあります。
取引先の社員と話して初めて聞いたときは強い違和感を感じました。
またその際にどういう意味か質問もしづらくて聞き出せませんでした。
しかし今回の某大臣の発言を受けて、
やはりほかの意味があるのではと思いネットで調べましたが、たどり着けませんでした。

どういうスペルで他にどういう意味があるのか、知っている方がいらしたら教えてください。
(この議員に対する賛否の意見は求めておりませんのでご了承ください。)

Aベストアンサー

サティアンは単純に研究施設とか実験施設という意味合いしかないと思います…
英語にも当て字みたいなのがあれば 無理やり 真理という意味に訳させることもできるでしょうけど

Q「真理はわれらを自由にする」では社会は真理か?

真理とは ありのまま誤りなく認識されたことのあり方
と Wikipedia にはあった。しかし我々の目には ありのまま
に認識する能力は はたして有るのだろうか。この世界には
可視光以外にも 色々な光が明滅を繰り返しているのだ。
この視覚に於いて既に 我々が ありのままを認識できない事
を物語っているではないか。ああ 何という能力の至らなさ。

では我々の社会は 偽の上に造られた事になる。
そこで問いたいのです。偽の上に造られた社会に於いて
偽の上に造られた真理が 何を以て我々を自由にする事が
できるのか? さっぱりです (。・ω・)

Aベストアンサー

お気持ちお察しします。

私自身は、人の心の中もわからないし、その人の過去や状況もわからない、
「私は本当の事を知らない」と思うと、
人の理不尽な対応にも私の見えないその人なりの理由があるのだろう、
と思ったりしています。

つらいとき、自由になりたいときは、

「わたしは真理を知らないゆえに苦しんでいる。けれど、真実を信頼している。
もしわたしに、すべての真実を見通すことができたら、苦しむ事もないだろう。
けれど、真実は今も存在するのだから、見通すことができるまで、苦しみの中で待つ必要はない。
今みる事のできない真実を信頼し、今すぐ苦しみから自由にもなれる。」

と思うようにしています。

Q「真理」とはいかなる意味ですか?

「真理」とはいかなる意味ですか?

私には実は良く解っておりませんので、皆様に聞いています。

完璧な回答でなくて構いませんので、自由なご意見を待っております。

Aベストアンサー

「真理」は、漢字の通り、「真の理(しんのことわり)」なので、全てに通じる本当の理論や決まりという感じの意味です。


ただ、「真理」を追い求めるのは、至って現実的ではないです。「真理」を追い求めるなら、今の政治や経済、国と国の間で抱えている関係などの、正に現実的な事について考え、問題を無くしていく方が、世の貢献にはなります。ただ、どうしても人間は、非現実的なことや、現実から一歩引いて考えたことを考えたがる生き物です。何故なら、そうすることで、自分自身のアイデンティティを見出だすことができ、それを他者に発信することを、喜びとして感じることができ、さらに上手くいけばの話しですが、多大な世の貢献に繋がるからです。

Q真理、真理と口にするが・・・

実際は「真理」ではなく、「己」を求めている人間が多い。

別に「己」を求めるのは間違いではないし、寧ろ必要で正しい。

しかし自分が「真」に求めている事に気付かずにさ迷うから、何を見ても聞いても何一つ「入らない」し、発言の軸がぶれている。

そして指摘されると黙る。


先ずは一人で歩ける様にならなければ、何処にも行けない。

自分を直視する修行すら怠っていては、まるで赤子だ。


知識でもって他の尊崇を得ようというのは、金で女を買うのと変わらない。

その根拠である知識を失った時に、共に失われるものだ。


苦しんでいるのであれば、苦しんでいる原因を捉えなければ、意味が無い。

知りたいのであれば、何故知りたいか位は、知るべきだろう。



「汝自身を知れ」

一番熱心な師は、常に中にある

Aベストアンサー

お礼、ありがとうございます。

>人生を全うするには、知識が無ければ生きていけず、知識を持ってしまうと辞典で世界を見ようとしてしまう。

私も以前は、そう思っていました。
ごく最近、考えを改めました。

知識さえも使わずに「気持ち」とか「ただそう思う」とか
ちょっとしたことのきっかけから出発し、論じるにもかかわらず
きっかけからの想像だけで話してると見受けられる人が、あまりにも多い。

反論が、「意見」じゃなく「感想」なんですよね。
バックボーンになる知識の姿が、見えてこない。

「考える」に知識を採用してないから、反論が反発だけになったり。
黙るのは逃げだけでなく、知識を使っての組み立てができないからもあるように思えます。
まだ、仮説段階で立証に向けて観察中ですが。

>手ぶらの実現は難しいでしょうが、近い生き方ならば己から離れて生きる事ですが、これも中々w

手ぶらで生きるのは、人間ではできないと思っています。
山の中で一人暮らしでも、生きる術は知識からです。

社会では、手ぶらで生きてる人が実は多いのでは無いかと思う次第です。
根拠を自分で持たないから、流されて生きてしまう。
気持ちは反発しても、論じるに至る根拠が提示できない。

自分と向き合う習慣を、民族として無くして行っているような。
向き合う時間を、ゲームやテレビ・カラオケやネットなど
娯楽で埋めてしまってる感があります。

和算の発達など、歴史的に頭が良かった民族性は
自分と向き合うことが必須であり、今日本が世界ランクで落ちて行ってるのは
学校教育のあり方だけでなく生活習慣も大きいかと感じるようになりました。

お礼、ありがとうございます。

>人生を全うするには、知識が無ければ生きていけず、知識を持ってしまうと辞典で世界を見ようとしてしまう。

私も以前は、そう思っていました。
ごく最近、考えを改めました。

知識さえも使わずに「気持ち」とか「ただそう思う」とか
ちょっとしたことのきっかけから出発し、論じるにもかかわらず
きっかけからの想像だけで話してると見受けられる人が、あまりにも多い。

反論が、「意見」じゃなく「感想」なんですよね。
バックボーンになる知識の姿が、見えてこない。

「考...続きを読む

Q円周率(π)が超越数であるということの意味は? そして真理とは?

数学カテゴリで質問しようかと思いましたが、やっぱり哲学カテゴリにしました。
以前、「ゲーデルの不完全性定理ってわかりやすく言うと何?」と質問したとき
回答者の方から『不完全性定理のストレートな解釈は「自動的に定理を枚挙する
ようなアルゴリズムはない」という意味です』というすばらしい回答をいただき
感嘆いたしました。これこそ「事実のもつ意味であり真理だ」と思ったものです。
そこで質問です。

【質問1】円錐の体積は円柱の体積の1/3、球の体積は円柱の2/3という具合
に、体積比はきれいな有理数値です。なのにどうして円周率(π)は有理数でも無
理数でもない超越数なのでしょうか?(無理数は超越数の一部かな?)
その意味するところを何か「うまい言葉」で表現することはできないでしょうか?
曲線と直線の本質的不親和性とか何とか、、、あるいは数という概念の限界とか
何とか、、、

【質問2】円周率(π)が超越数であるという「真理」は、造物主が創ったものなど
ではなく、人間が「円周と直径の比は?」という問いを発したからムクムクと姿を
現したものであると考えることができると思います。したがって「事実」は自然界
に自然に存在するが「真理」は人間が「問い」を発して「創る」ものだと思うの
ですが素人考えでしょうか。

【質問3】「真理」は広く一般に認められて「事実」となり、それがさらに高次の
「真理」を生み出す母体基盤となると思うのですが、どうでしょうか。

このところ、ぼんやりと考えている「ホントに素人」な疑問です。
どんな回答でも結構です。質問1~3のどれかひとつだけの回答でも結構です。
いろいろな観点からのお話をお待ちしています。

数学カテゴリで質問しようかと思いましたが、やっぱり哲学カテゴリにしました。
以前、「ゲーデルの不完全性定理ってわかりやすく言うと何?」と質問したとき
回答者の方から『不完全性定理のストレートな解釈は「自動的に定理を枚挙する
ようなアルゴリズムはない」という意味です』というすばらしい回答をいただき
感嘆いたしました。これこそ「事実のもつ意味であり真理だ」と思ったものです。
そこで質問です。

【質問1】円錐の体積は円柱の体積の1/3、球の体積は円柱の2/3という具合
に、体積...続きを読む

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質問1
 超越数って、なんかスッゴイ名前を戴いちゃって、完全に名前負けしてます。超越数とは「整数係数の多項式=0」という方程式の解にならない実数のことです。整数係数多項式とは係数に整数しか許さず、足し算、引き算、かけ算だけで構成される式(だから、冪を使って表現しても、冪の肩に乗るのは自然数の定数だけです)。だからまあ、一番「易しい」たぐいの方程式でしょう。「与えられた円と同じ面積の正方形を定規とコンパスで描け」と言われてもできない。定規とコンパスだけで平面上に点を決める操作は、解析幾何学に翻訳するとすべて低次の整数係数多項式の方程式に帰着してしまうからで、どうやっても√πという長さが作れません。
 なお無理数とは「有理数でない実数」の事です。整数係数の方程式 nX-m=0の解はX=m/nですから、有理数は超越数ではない。すなわち超越数はみんな無理数です。無理数√2は方程式 X×X-2=0の解だから超越数ではなく、従って、超越数⊂無理数。
・実数と無理数に関しては: http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=32339

 コンピュータのプログラムで任意の精度まで計算できる(「計算可能な」もしくは「構成可能な」)実数というのは、実は高々、自然数の個数と同じだけ(アレフ0個)しかありません。(証明はmori0309さんにお任せ。プログラムのゲーデル数を考えてみれば...)実数の個数はずっと多い(アレフ1個)ので、圧倒的多数の実数が計算不可能であり、また当然の事ながら計算不可能な数はみんな超越数です。で、πは計算できる実数。可愛いもんです。つまり、計算不可能な数⊂超越数。
・実数の個数に関しては: http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=31937

 円に関係してπが出てくるのは、直径と円周の比、という所にポイントがあるんですね。面積と円周の比じゃダメです。円周も円の面積も、また円錐や球の体積・表面積も、みんな仲良くπの因子を1つずつ含んでいますから、お互いに比を取ればπは消えてしまいます。しかし、一般に半径rのn次元球の体積は
 nが偶数: V[n] = (r^n) {π^(n/2)}/{(n/2)!}
 nが奇数: V[n] = (r^n) 2 {(2π)^((n-1)/2)}/{n!!}
   (ただしn!!= n (n-2) (n-4) ... 1 )
です。円はn=2(2次元における体積=面積)、球はn=3(普通の意味での体積)。で、n=4次元だったら、
V[4]=(r^4) {π^2}/2
であり、円や球の体積との比を取るとπの因子が残ってしまいます。逆にn=1次元でも
V[1] = 2r
だから、πの因子が残ります。(1次元の場合の体積とは、直線上に中心Oを取り、そこからrの距離にある2つの点に印を付けて、その2点間の距離を測った物です。)
 ちなみにn次元の球の表面積はV[n]のrによる一階微分S[n]=dV[n]/drで表されますから、或る球の表面積と体積とではπの因子の次数はいつも同じです。(n=2の場合で言うなら、円の面積と円周との比を取るとπの因子は残らない。nが幾つでも同じ事です。)
・n次元球の体積に関する若干の議論は: http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=19508

 円形の海があってその周囲が丁度直径の3倍である、という記載が聖書の中にあるそうで、円周率が丁度3じゃない事に悩んだヒトも昔は(今でも?)随分いたと聞きます。これは大地が平らだと仮定するからそうなっちゃうんで、仮に空間の曲率が正であるとしたとき(この場合球面上)の非ユークリッド2次元幾何学を考えると話は違います。円周率は円の直径に依って変化するものになり、これが丁度3になるような海の直径を割り出せます。すなわち、北極点を中心にしてこのような円形の海があったとすると、その円周は丁度北緯60°の所に来ます。地球の半径をRとするとき円周の長さ=2πRsin(π/6) = πR, 球面に沿って測った海の直径は=2R(π/6)= πR/3ですから、円周率は(πR)÷(πR/3)=3になります。(だから聖書学は球面幾何学を含んでいる?というのは例によって考え過ぎです。)
・非ユークリッド幾何に関する若干の議論は: http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=30830

質問2
 とても重要な観点だと思います。「真理」という所を「概念」と呼んでみては如何でしょうか。数学にはいろいろな性質を表す言葉が導入されます。そしてそのような性質同士の関係を問う、などの問題を考える訳です。しかし(普通の数学の場合)これらの性質は、全部集合論の記号と論理式に完全に還元して表現することができます。素数であるとか、超越数であるとか、ゲーデル数であるとか言うのは、言ってみれば人間が発明した「概念」であり、本来は論理式のパターンに過ぎないものに名前を付けることによってヒトが創造した、と考えることもできます。
初めに言葉ありき。
 逆に「数の性質は初めからそこにあって、それを探求して発見して行くんだ」というケンキョな考え方もあり、どちらかと言うとこっちの方が普通でしょう。
・質問3に関しては: http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=24901

質問1
 超越数って、なんかスッゴイ名前を戴いちゃって、完全に名前負けしてます。超越数とは「整数係数の多項式=0」という方程式の解にならない実数のことです。整数係数多項式とは係数に整数しか許さず、足し算、引き算、かけ算だけで構成される式(だから、冪を使って表現しても、冪の肩に乗るのは自然数の定数だけです)。だからまあ、一番「易しい」たぐいの方程式でしょう。「与えられた円と同じ面積の正方形を定規とコンパスで描け」と言われてもできない。定規とコンパスだけで平面上に点を決める操作...続きを読む

Qガンジー「神は真理である」から「真理は神である」

ガンジー「神は真理である」から「真理は神である」

ガンジーは「神は真理である」と述べていたが、後になると「真理は神である」と変えたとwikipediaで読みましたが、これは事実でしょうか。

このことを論理的に考えると、逆は必ずしも真ならずで、
神は真理である→全ての真理が神であるとは限らない
真理は神である→全ての神が真理であるとは限らない

つまり、信仰の対象を神から真理へ変えた、という風に、
とらえて正しいのでしょうか。

Aベストアンサー

つまり、信仰の対象を神から真理へ変えた、という風にとらえて正しいのでしょうか。

正しくないですね。
神を信じる。→神の言葉を信じる(神は真理なり)。→神の言葉にもとづいて実践する。→その経験に基づき神の言葉に絶対の確信を持つ(真理は神なり)。→自身の信じる神の偉大さを知る。(我神を信じる)
となっているだけですね。「信・行・学」でより信仰を深くするというやり方ですね。
「我神を信じる。」→(神は真理なり:言葉ありき)→真理の実践 →(真理は神なり)→「我神を信じる。」 の繰り返しだけですね。ガンジーは実践者だから(真理は神なり)→「我神を信じる。」 のより深い信仰の段階まで行きましたということでしょうね。ガンジーさんの信じた神の言葉が真理であって神は特定されているのですね。 


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