世の中の真理を教えてください!!

A 回答 (3件)

泡!。



かき回せば、お互い潰されたり融合したりを繰り返し、
泡は有限に、全体に大きくなろとする。

何もしなければ、衝突する事もなく小さく消えてく。
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この回答へのお礼

んーなんか深い!!

お礼日時:2015/11/13 23:08

すべては幻だ

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この回答へのお礼

あっ、そっか(痴呆)

お礼日時:2015/11/13 22:55

真理はどこにでも転がっていますので教えるまでもないですが、



数10年前面白い教祖さんがいらっしゃいまして、
事あるごとに、それは定説というんですね。

なまさだの「意見には個人差があります」という看板
それぞれ真理でありながら、それを否定します。

自分が今生きていること。
これこそまがいのない、世の中の真理です。

これを信じない人に世の中の真理など教えることは不可能です。
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この回答へのお礼

ア、ハイ笑
なんか思ってたよりくだらないですね

お礼日時:2015/11/13 22:53

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Q真理、真理と口にするが・・・

実際は「真理」ではなく、「己」を求めている人間が多い。

別に「己」を求めるのは間違いではないし、寧ろ必要で正しい。

しかし自分が「真」に求めている事に気付かずにさ迷うから、何を見ても聞いても何一つ「入らない」し、発言の軸がぶれている。

そして指摘されると黙る。


先ずは一人で歩ける様にならなければ、何処にも行けない。

自分を直視する修行すら怠っていては、まるで赤子だ。


知識でもって他の尊崇を得ようというのは、金で女を買うのと変わらない。

その根拠である知識を失った時に、共に失われるものだ。


苦しんでいるのであれば、苦しんでいる原因を捉えなければ、意味が無い。

知りたいのであれば、何故知りたいか位は、知るべきだろう。



「汝自身を知れ」

一番熱心な師は、常に中にある

Aベストアンサー

お礼、ありがとうございます。

>人生を全うするには、知識が無ければ生きていけず、知識を持ってしまうと辞典で世界を見ようとしてしまう。

私も以前は、そう思っていました。
ごく最近、考えを改めました。

知識さえも使わずに「気持ち」とか「ただそう思う」とか
ちょっとしたことのきっかけから出発し、論じるにもかかわらず
きっかけからの想像だけで話してると見受けられる人が、あまりにも多い。

反論が、「意見」じゃなく「感想」なんですよね。
バックボーンになる知識の姿が、見えてこない。

「考える」に知識を採用してないから、反論が反発だけになったり。
黙るのは逃げだけでなく、知識を使っての組み立てができないからもあるように思えます。
まだ、仮説段階で立証に向けて観察中ですが。

>手ぶらの実現は難しいでしょうが、近い生き方ならば己から離れて生きる事ですが、これも中々w

手ぶらで生きるのは、人間ではできないと思っています。
山の中で一人暮らしでも、生きる術は知識からです。

社会では、手ぶらで生きてる人が実は多いのでは無いかと思う次第です。
根拠を自分で持たないから、流されて生きてしまう。
気持ちは反発しても、論じるに至る根拠が提示できない。

自分と向き合う習慣を、民族として無くして行っているような。
向き合う時間を、ゲームやテレビ・カラオケやネットなど
娯楽で埋めてしまってる感があります。

和算の発達など、歴史的に頭が良かった民族性は
自分と向き合うことが必須であり、今日本が世界ランクで落ちて行ってるのは
学校教育のあり方だけでなく生活習慣も大きいかと感じるようになりました。

お礼、ありがとうございます。

>人生を全うするには、知識が無ければ生きていけず、知識を持ってしまうと辞典で世界を見ようとしてしまう。

私も以前は、そう思っていました。
ごく最近、考えを改めました。

知識さえも使わずに「気持ち」とか「ただそう思う」とか
ちょっとしたことのきっかけから出発し、論じるにもかかわらず
きっかけからの想像だけで話してると見受けられる人が、あまりにも多い。

反論が、「意見」じゃなく「感想」なんですよね。
バックボーンになる知識の姿が、見えてこない。

「考...続きを読む

Q【日本語】「この世は全て真理である」 これは誰の言葉ですか? 真理とは何ですか?

【日本語】「この世は全て真理である」

これは誰の言葉ですか?

真理とは何ですか?

Aベストアンサー

あなたの聞き間違いか読み間違い・・だとしか思えない・・

真理とはhttps://www.google.co.jp/search?q=%E7%9C%9F%E7%90%86&rlz=1C1CHBD_jaJP709JP709&oq=%E7%9C%9F%E7%90%86&aqs=chrome..69i57j69i61&sourceid=chrome&ie=UTF-8

こういった事・・

なので 「真理だから こうだ」と説明文を付けるのが学者達・・

Q世の中のひとには、他のひとには理解できないようなことを考えている人がいる。 自分だけしか考えていない

世の中のひとには、他のひとには理解できないようなことを考えている人がいる。
自分だけしか考えていないだろうとか、そういった自分が思っている疑問などを素直に聞いてみたい。
自分にしかないだろうと思う考え、教えてください、聞かせてください

Aベストアンサー

1.超光速によって生じる虚数エネルギーは、自乗で
  相互作用する時空において、マイナスエネルギー
  =時間軸逆行と等価となる事により、過去と未来が
  現在から対発生していると言える。

2.全ての存在の実体が、感受表面における量子相互
  作用に還元される時(あるいは存在の根源の超弦
  =量子定常波に還元される時)、その量子=光速を
  階層現象性の奥に潜在化させる事によって派生する
  非光速性に由来し、つまり階層現象を表面的に
 (=いい加減に)捉える事によって、1の「過去
 (超光速)と未来(光速下)」は可能になっており、
  即ち仮想的根拠しかない。

3.下図の4次元ミンコフスキー空間に見られるように、
  相補分化に由来する時間軸と空間軸の虚数関係に
  よって等距離点に0の界面が生じ、それが光量子の
  描く軌跡(ライトコーン)である時、存在=量子
  とは、先述の仮想的時空に対する無の射影であり、
  予測=『何かあるかも知れない』という疑問として
  生じた時空を、『本当は何も無いんだけどね』と
  無に還元するものなのだ。

1.超光速によって生じる虚数エネルギーは、自乗で
  相互作用する時空において、マイナスエネルギー
  =時間軸逆行と等価となる事により、過去と未来が
  現在から対発生していると言える。

2.全ての存在の実体が、感受表面における量子相互
  作用に還元される時(あるいは存在の根源の超弦
  =量子定常波に還元される時)、その量子=光速を
  階層現象性の奥に潜在化させる事によって派生する
  非光速性に由来し、つまり階層現象を表面的に
 (=いい加減に)捉える事によって、1の「...続きを読む

Q真理条件的に同じか教えてください。

真理条件的に同じかどうか教えてください。

[1] A boy arrived.
を述語論理式で表現すると
∃x[boy(x) ∧ arrived(x)]
となるという。

これは「少なくとも1人の少年が着いた」ということになります。
すなわち
[2] At least one boy arrivedと同じになります。

[1]と[2]は真理条件的に同じになりますか。

また
[3] Two boys arrived.
は「少なくとも1人の少年が着い」ているので
これも真理条件的には同じになりますか?

考えていたら、訳が分からなくなってきました。(「真理条件的」の意味を正確に理解していないのですかね・・・(>_<))

Aベストアンサー

「ただ一人の少年が着いた」を言いたければ、等号を含む一階述語論理が必要になり、∃x(arrived(x) ∧ (∀y((boy(y)∧x≠y)⇒¬arrived(y)))) あるいは「唯一の存在」を表す記号∃!を使って、∃!x(boy(x) ∧ arrived(x)) と書ける。
 「丁度ふたりだけの少年が着いた」なら、∃x∃y(boy(x)∧arrived(x)∧boy(y)∧arrived(y)∧x≠y∧(∀z((boy(z)∧z≠x∧z≠y)⇒¬arrived(z))))で、この場合にはxとyを入れ替えても成り立つので∃!にならない。

 ちなみに、自然言語の意味を論理式に機械的に変換することをお考えなら、Churchのλ(ラムダ)記法を使った「Montague文法」を勉強なさると、(古典だが)かなーり刺激的で楽しめると思うよ。

Qヨーロッパ人の真理論は成っていない

 ヨーロッパ人の真理論は成っていない。という見解を示して問います。


 ▲ (ヰキぺ:真理) ~~~~~~~~~~~~~
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%90%86

 § 1 西洋哲学における真理論

 真理とは何か、についての研究を真理論という。以下に代表的な説を挙げる。

 (1) 真理の対応説(correspondent theory of truth):「思惟」と「事物」(羅:res、レス)が一致ないし対応していることが真理であるとする。
    アリストテレス、トマス・アクィナス、イマヌエル・カント、カール・マルクス、バートランド・ラッセル、前期ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン、アルフレッド・タルスキ、カール・ポパー

 (2) 真理の整合説:他の命題と整合的な認識が真理であるとする。公理的で演繹的な真理観。
    中期プラトン、ライプニッツ、スピノザ、ヘーゲル

 (3) 真理の明証説:意識に対して明証的に現れるものを真理とみる。
    ルネ・デカルト、エトムント・フッサール

 (4) 真理の実用説(有用説):生にとって有効・実用的な認識を真理であるとする。
    フリードリヒ・ニーチェ、ウィリアム・ジェイムズ

 (5) 真理の合意説:合意された認識を真理であるとする。
    チャールズ・サンダース・パース、ユルゲン・ハーバーマス

 (6) 真理の定義不可能説:命題Pは命題「命題Pは真である」と同値であるから、真理の概念は定義不可能であるという立場。
    フレーゲ

 (7) 真理の余剰説(redundancy theory of truth):命題Pは命題「命題Pは真である」と同値であるから、真理の概念は無用な余剰であるとする。
    フランク・ラムゼイ

 (8) 規約主義:真理はその言語体系における規約に依存するという立場。
    アンリ・ポアンカレ、デュエム、オットー・ノイラート
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 (あ) ▲ (2) 真理の整合説:他の命題と整合的な認識が真理であるとする。公理的で演繹的な真理観。
 ☆ にちなんで言うとすれば 大前提を《公理》ではなく 《想定》とするとよいのだ。経験合理性を超えた絶対的な整合性の世界――それは 人間には分かるか分からないかが分からない――を 真理として想定しますよと。


 (い) 《イデア》では ダメである。いや 真理と想定したものを《イデア》と名づけただけなら よいのである。つまり イデアなる絶対真理の世界からこの仮象の経験世界のものごとを《演繹》して来ては ダメである。絶対と相対とが――人間の思考において/によって――つながったことに成ってしまう。

 (う) 経験合理性による《整合性》だけでは ダメなのである。なぜなら想定によれば 真理は そのような・人間に理解しうる整合性から自由であるのだから。善悪の彼岸であり 或る意味で人間の判定する真偽をも超えている。


 (え) ▲ (2) 真理の整合説:他の命題と整合的な認識が真理であるとする。
 ☆ だから これはマチガイである。《いくつかの命題》を 経験世界において並列させても それらから真理は自由であるのだから。


 (お) 言いかえると 経験事象にかんしてさまざまな認識をおこない命題として提出する。その命題の真偽がどうかという問題は 相対的な真実を問うている。絶対としての真理ではない。


 (か) まづ 《事実》について人は認識する。これを自己表現する。その命題について まづその当人については 《明証性》があるなら 主観真実であると見なされる。――これが
 ▲ (3) 真理の明証説: 意識に対して明証的に現れるものを真理とみる。
 ☆ であり これは 厳密な定義としては 真理ではなく 相対的な真実のことである。


 (き) すなわち ここから《明証性に立つ主観真実》が その認識内容として《事実》と合っているなら それは一般に《事実認識》として認め合われる。(ただし 真理ではなく 真実である):
 ▲ (1) 真理の対応説(correspondent theory of truth):「思惟」と「事物」(羅:res、レス)が一致ないし対応していることが真理であるとする。


 (く) そのことをもう少し具体的に細かく見てみよう。この一人のひとの主観真実が 当の事実と照らし合わせてほかの人たちによって検証される。やはり同じく自己の主観において真実として見解を同じくするなら そこでは 主観の共同化が成る。


 (け) この主観共同化が 地域を超えて歴史を超えて共有されるなら――たとえば民主制なる理念など―― これは 共同主観(コモンセンス)と呼ばれる。これは 或る程度普遍的な真実であると見なされる。すなわち 次の説に相当する。(ただし 真理ではなく 真実である):
 ▲ (5) 真理の合意説:合意された認識を真理であるとする。


 (こ) 地域や民族の文化などによってその普遍性が狭まれたなら 共同主観は 部分的な真実となる。(ただし 真理ではなく 真実である):
 ▲ (4) 真理の実用説(有用説):生にとって有効・実用的な認識を真理であるとする。
 


 (さ) 民族(≒言語)文化をさらにその独自性において重く見る立ち場では この《部分真実》をさらに限定するようである。(ただし 真理ではなく 真実である):
 ▲ (8) 規約主義:真理はその言語体系における規約に依存するという立場。


 (し) この部分真実を けっきょく一人の個人(つまりその人の主観)にまでもう一度収縮させたものが 次の見解である。われが思えば・言葉で語るならば それが《真実》である。のだから それの共同化などは 問う必要はないと。(ただし 真理ではなく 真実である):
 ▲ (7) 真理の余剰説(redundancy theory of truth):命題Pは命題「命題Pは真である」と同値であるから、真理の概念は無用な余剰であるとする。


 (す) それではあまりにも独りよがりではないかと批判されたときには ふたたびのようにこの相対世界を超えて 絶対の真理の桃源郷にのがれる。:
 ▲ (6) 真理の定義不可能説:命題Pは命題「命題Pは真である」と同値であるから、真理の概念は定義不可能であるという立場。
 ☆ これは《真理》を言おうとはしているのである。 つまり (あ)に戻って 真理を《非知――知り得るか知り得ないかが人間には知り得ないナゾ――》として想定すればよい地点に戻っている。

 (せ)  ご批判をどうぞ。賛成票をもどうぞ。

 ヨーロッパ人の真理論は成っていない。という見解を示して問います。


 ▲ (ヰキぺ:真理) ~~~~~~~~~~~~~
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%90%86

 § 1 西洋哲学における真理論

 真理とは何か、についての研究を真理論という。以下に代表的な説を挙げる。

 (1) 真理の対応説(correspondent theory of truth):「思惟」と「事物」(羅:res、レス)が一致ないし対応していることが真理であるとする。
    アリストテレス、トマス・アクィナス、イマヌエル・カ...続きを読む

Aベストアンサー

お久しぶりです。とても勉強させていただきました。

 さて、真理についてですが、真偽を問題にするとややこしいので、最初の段階では、それを捨象します。それと主観、客観も捨象します。つまり、以下の文には、ところどころで言葉に明示しますが、4つのケースがあるということです。(追記:善悪も捨象してますので8ケース)


(a)真理から真を捨てれば、その概念の内容の型(タイプ)は、物象や事象でははなく、理象(理論)です。

 真偽定まらぬ、相対的にして多数の(主観的/客観的)理論の流れがあります。

 理論A1→理論B1→理論C1・・・

 理論A2→理論B2→理論C2・・・

  ・・・


(b)この次元の流れがあるのとは別に、

 理論A1→理論B1→理論C1・・・
  ↓    ↓   ↓
 実践A1、実践B1、実践C1・・・


 理論A2→理論B2→理論C2・・・
 ↓    ↓   ↓
 実践A2、実践B2、実践C2・・・

  ・・・

という縦の流れがあります。予測どうりの成功も、また不測の失敗も、主観的にも、客観的にも生じます。


(c)それに、

唯一の絶対的理論
   ↓
唯一の絶対的実践

というのが、人間の能力を超えたところにあるのかもしれません。そのため、もしあったとしても人間には有用ではありません。たとえば「我が意識、生ずも滅するも、我関せず」という気がします。


(d)横の流れにとらわれていると、理論の実用性は偶然的になるかと思います。縦の流れ、実践を意識すれば、少なくとも蓋然性は高まるでしょう。

 実践するという現実、そこに関わりがある、役に立つ理論(実用説)は支持され、(理論と実践の対応説)も支持されます。(整合説)のみの主張は批判されるでしょう。しかし、役に立つ理論(実用説)が支持されるということは、これはつまり「真なる理論」が尊重されるということでもあるのですから(整合説)も必要とされます。理論化から実践化の人間行為の流れの中に、実用性、対応性、整合性の各条件がすでに含まれているのです。
 加えて、真なる理論を適用すれば同じことが再現するというということは、事実との対応がよくできているということになります。なので「整合性を基礎とする真理の実践説」なるものが、「群盲象を評す」中で、目の開いた人の真理条件の理論となるのではないかと思っています。

(e)理論の実践ということを考えて見ると、自然科学の理論は、その技術的な範囲内でいい線いってます(倫理的にではなく、事実とよく対応する理論と運用といいう意味で)。

 これは西洋文明のおかげですから、その真理観は、成ってはないにしても、捨てたものでもないです。これを切って捨てようとするのは、実践面に目が向いていないということではないでしょうか。ですから、ぼくとしては、整合説(Coherence Theory of Truth)が優位を占めているんです。
 コヒーレンシーは、(詳しくないのですが)概して言うと、光学機器の性能の示す基本的な特性で、光の波長や位相や振幅が一貫していて変動しないことや、他の波長の光と重ね合わせて利用するときの、相互の波長や位相や振幅の調和性(整合性)。その時間的な一貫性、空間的な調和性の精度の高いものが機器として高品質ということから、真理の有用性をいろいろ類推してみるとよいと思うのです。
 理論的命題をひとつの波として思い描けば、その調和・整合性が理論(推論)の妥当性であり、一貫性は理論の一貫性(実用すれば現実の再現性、事実との必然的一致になる)。事実との対応によって理論が真になるのではなく、対応する事実に適用する理論が真であることが、理論が結論する事実との対応を生むのです。


 理論の前提(こういう条件の時にというコトワリ(断り))
    ━前提事実との対応━
     断っている条件に従って事実に適用(この対応は運用上の問題)
     あるいは、前提が真となる事実にのみ適用、と言い換えてもよい。
     前提の真偽を事実対応させるというのは理論面でなく運用面で。

    ↓

 理論の結論(その時にはこうなるというコトワリ(事象分割))
    ━結論事実との対応━
     真なる理論は、正しく運用されれば、事実が理論の結果に必然的に対応する。


  


(6)(7)については。どちらも不採用。
 P→(P→T)は真だけど、P←(P→T)は偽なので、同値じゃない。だから執筆者の誤解じゃないのかと思うんですね。

フレーゲ
「同値テーゼ」:「「文Aの表す思想は真である」の思想は、「文Aの表す思想」と同一である」
http://daigakuin.soka.ac.jp/assets/files/pdf/major/kiyou/18_jinbun1.pdf

ラムジーと真理の余剰説
http://www.u.tsukuba.ac.jp/~hashimoto.kouji.fu/paper/Ramsey_on_Truth.html

 あと、ぼくなりに真理を定義しておきますと、「(人間の)真理とは、論理学的(あるいは数学的)に論理式(数式)が真であることが証明された、実践的理論の形式をもつ命題が表すところの、すなわち、タイプが意義ではなく意味であるところの理論である」(定義不可能説は不採用)
 そして、この定義を用いて、「真理を適切に運用すれば事実がそれに対応する」という実践的理論的命題をつくります。真理が実用的に機能するためには論理が、つまり必然性が必要で、整合説が最も重要なのです。


フレーゲの、命題の意義と意味の区別は採用する。 

命題・・・形式・・・・・・・(実用)理論形式
事象・・・内容(意義)・・・(実用)理論を認識する思考(概念構造の整合性が重要)

現実・・・内容(意味)・・・理論を実用のものとする真偽判断(整合性の観点が重要)

現実・・・内容(意味)・・・理論の実践(運用基礎、前提条件を遵守)
現実・・・内容(意味)・・・理論に従う事実の再現


(5)については、前後しましたが、人は約束を破ることがあるので、合意は真理にならない。ただし、前提条件は合意に基づいても良い。約束を守るという仮定のもとに結論が事実と一致する。事実と一致しなければ、合意あるいは理論の運用が疑われる。真理は疑われない。理論が真理でない可能性は疑われる。

(3)明証性は、論理的証明性にかえる。前提条件で明証性を採用してもよい。理論の結論が一致しなければ、前提の明証性か、理論の運用を疑われる。真理は疑われない。理論が真理でない可能性は疑われる。

よって、合意性と明証性は理論の前提に関する条件として採用。

(8)規約主義は不勉強で、思うところなし。

「神の真理」には口を閉ざします。

お久しぶりです。とても勉強させていただきました。

 さて、真理についてですが、真偽を問題にするとややこしいので、最初の段階では、それを捨象します。それと主観、客観も捨象します。つまり、以下の文には、ところどころで言葉に明示しますが、4つのケースがあるということです。(追記:善悪も捨象してますので8ケース)


(a)真理から真を捨てれば、その概念の内容の型(タイプ)は、物象や事象でははなく、理象(理論)です。

 真偽定まらぬ、相対的にして多数の(主観的/客観的)理論の流れがあります。

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