プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

いろんな物理現象があると思いますが、”○○は正規分布に従う”という言い方をします。ある現象に依存した確率変数がある種の分布関数に従うというのは具体的にはどのように説明されるものなのでしょうか。例えば中心極限定理の定理の前提条件が当てはまる物理現象は正規分布に従うということが承認されていて、ある現象に対してその前提が該当することを示せたら正規分布になることが示せたことになるという風な。
例えば、サイコロを振って奇数が出たら右へ1、偶数が出たら左へ1づつ動くと決めてサイコロ20回目の位置を調べる操作を100回やると、初期の位置から左右に正規分布に近づくとか(ですかね?)は頑張れば演繹できそうですね。

つまり物理の個別現象の内容を調べると○○分布というものが演繹されるのでしょうか。実験によって帰納的に推論(グラフをいっぱい重ね合わせて回帰曲線を作るとか)するのではなく、演繹するということです。
例えば、先のサイコロは振った後の左右の位置は両方に無限(-∞から∞)でしたが、身長・体重・長さなどのように負値をとらない場合、すなわちボトムに制約があるけど、可能性として青天井のような現象の場合、確率分布は演繹されるものでしょうか。例えば、レイリー分布というのは正値しか対応していないと思いますが。それが誘導されるところを見てみたいと思っています。

いかがでしょうか。

A 回答 (2件)

No.1です。

「お礼」にいろいろ書いていただいていましたので、追加です。

 No.1に書いたように、その物理現象のメカニズムや発生の因果関係が分かっていれば、確率や発生予測を演繹的に求めることができると思います。サイコロにしても、設計や製作が一定の規格内で行われ、普通の投げ方であれば、「各々の目の出る確率は1/6」として予測ができると思います。
 「演繹」とは、「物理モデル」を解析的に作るということですので、それができれば「結果」は解析どおりに求まるということです。逆に言えば、その物理モデルから「未知の現象が解明される」「予測もしなかったデータが得られる」ということはあり得ません。

 なお、例に出されている「レイリー分布」は、物理現象が
  y'' = -ay
という2階微分方程式で記述できるときの分布かと思います。(正確に言うと、2階微分方程式の特性方程式が重根を持つ場合)
kanazawa-it.ac.jp/math/category/bibun/bibunhouteisiki/henkan-tex.cgi?target=/math/category/bibun/bibunhouteisiki/nikaiteisuukeisuu_no_kai.html

 物理現象がこの微分方程式で記述されるなら、その結果は「レイリー分布」に従う、「レイリー分布」で予測できる、ということです。
 「その後で帰納(データによる処理)が後追いでそれを裏付けました」という言い方は、ちょっと違うような気がします。「帰納(データによる処理)と解析結果が一致することで、その物理モデルの妥当性が確認された」ということでしょう。

 こと物理に関しては、基本は「演繹」であって、その仮定やメカニズム(=仮説)が妥当であることが、実験や帰納的なデータによって検証される、というプロセスを経ていると思います。「反証データ」が現れない限り、その仮説が妥当であるとみなされる、ということです。
 もちろん、「演繹=仮説」自体が、いろいろな実験的現象(=帰納)を説明するために作られることもあります。これは「帰納」の結果から、メカニズムや動作を推定して「演繹」するということです。粒子と波動の二重性を持つ「量子力学」や、光速度一定の仮定に基づく「相対性理論」も、そういったプロセスを経ています。

 また、もともとのご質問にあった、

>身長・体重・長さなどのように負値をとらない場合、すなわちボトムに制約があるけど、可能性として青天井のような現象の場合、確率分布は演繹されるものでしょうか。

に関しても、当然演繹されます。分布が偏っていれば、それなりの物理モデルにするだけです。
 例に挙げられている「サイコロを振って奇数が出たら右へ1、偶数が出たら左へ1づつ動くと決めてサイコロ20回目の位置を調べる操作」についても、意図的に「左右に進む」モデルを考えられていますが、もともとは「奇数の回数」と「偶数の回数」で、どちらも負はありない「正の整数」ですよね。
 そのもとになるサイコロの目も、ある目の数(たとえば「1」)の出る回数は、その目の出る確率「1/6」と、その目が出ない確率「5/6」の二項分布になります。つまり、n回サイコロを振って、その目がk回出る確率は
  P(X=k) = nCk * (1/6)^k * (5/6)^(n-k)
です。nを大きくすれば正規分布に近づきますが、もともとは偏った分布です。
 なお、ある目が出る確率を「1/6」とするのは、経験値ではなく、均一に正六面体に作ればそうなるべきであるという「演繹のための仮定」だと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私もほぼご回答の内容に沿った方向の見解を持っていると思います。

振動方程式に従っていればレイリー分布を演繹できるという風に回答頂いたと思います。ここを記述されているテキスト、文献などがどこかにあるでしょうか。確率・統計の方面のテキストはほぼデータ解析の手法の説明に終始しているようで、中心極限定理のあたりも何となくお茶を濁す程度のように感じられます。

どのような方面の文献を見れば説明されているのでしょうか。

お礼日時:2015/12/20 01:35

ある物理現象がどのような分布に従うかということは、それを多数回施行した場合の「極限」として求まるので、元々の発想は「帰納的」ということかと思います。



 ただし、それを「確率分布関数」のような形で定式化するには、「事象の発生確率」や「相互のに影響」などの理想的な仮定を設けて、論理的かつ解析的に求めていくわけで、それは「演繹的」な作業かと思います。「こういう前提条件なら、こういう結果になるはず」ということです。

 そして、実際の試行実績から得られる「経験的、帰納的な結果」と、論理的にこうなるはずという「演繹的な結果」が妥当な範囲で一致して、その方法論が検証されるというプロセスを経ていると思います。

 一度定式化してしまえば、あとはそれを既知の地域として利用して、「演繹的」に計算しているということです。現実に起こっていることは、この「演繹的」に導き出される「分布」なり「確率」に対する近似値に過ぎないということです。
 また、演繹的に定式化するほどの「物理現象のメカニズムム」「仮定」が不明なものは、演繹的な確率計算や事象の予測はできず、得られた結果から「実験式」「仮説」のような「帰納的分布」を仮定して予測するしかありません。

 お示しの例でも、そもそも「サイコロの目は、どの目も同じ確率で出る」「奇数の出る確率と偶数の出る確率は等しい」というのは、経験から帰納的に得られた知識を演繹的に使用して、「正規分布に従うはず」と演繹的に推論しているということです。実際にサイコロがそうできているかどうかは、実験から帰納的に検証するしかありません。また、「偶数・奇数の出る確率」が予測できない変形サイコロでは、結果の分布は演繹的に予測できないでしょう。

 なお、ご質問文にある「物理の個別現象の内容を調べると○○分布というものが演繹される」というのは、論理的にあり得ません。それは「帰納」ということですから。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

私の疑問にお付き合い頂き、有難うございます。

確率・統計という学問分野はどうしてもデータ調査、すなわち帰納的なアプローチが不可欠、あるいは補強がなされるものというご回答と思います。一方どこかで論理展開(仮定からの結果の導出、演繹)をどこかで断念してしまうところがあるように思います。そしてデータによって”現にそうなっているじゃないか”と強弁できる境地に至るという性質があるように思います。
別の視点でいうと、紙と鉛筆で部屋に閉じこもってする(演繹)ものではなく、お金をかけて外を出歩いて現実に目を向けるという(最近はデータがネットにあるのでそれを使えばいいですが)健康的な感じもします。

サイコロの問題は、形状・質量を調べて並進・回転の運動方程式を解けば出る目はわかるけれども、投げる時の条件が不可知であるがゆえに演繹がかなわず、実際に何度も試行して”予想”(6の目がだいたい6回に1回出るとか)と比較するというものですね。

私の質問はその”予想”がどのようにして演繹的に成立するかを現象の特徴から説明できるだろうかということになると思います。運動方程式でもいいですし、何らかの理論ですね。6の目が6回に1回ぐらい出るという経験に基づかないないでそのことを予想する仕組みということです。プラトンのイデア論にでもなるのかなと思いますが。

ある現象がレイリー分布に従うというのは、まず演繹があってその後で帰納(データによる処理)が後追いでそれを裏付けました。これは両者が事前に通信しあっては反則であり、両方が独立に行われたからこそ意味があると思うのです。前段の演繹の現場を見てみたいと思うのですが、確率・統計の本は帰納処理ばかり説明されています(エクセルの使い方とか)。

”個別現象の内容を調べる”は帰納ではないかとのご指摘ですが、”個別現象としての支配法則を演繹的に調べる”というところを端折りました。個別にデータを取るという意味ではありませんでした。

私がデータ解析を嫌っているような印象を受けられたかもしれません。データ解析は先にも書きましたが”現実にこうなっているじゃないか”ということで、現実を人質に取って強弁しているところが何とも潔くないと思ったもので。
お金をかけないで頭脳だけでやった研究の何とかっこいいものかという私にできないものへの憧憬も含まれてます。

お礼日時:2015/12/11 12:26

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!