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教科書や問題集を見ていて、歴史でわからなくなった点がひとつありました。
原敬、加藤高明、犬養毅についてです。
まず、教科書には原敬が本格的な政党内閣を始めたとあり、
その後犬養毅の時代に五一五事件で政党政治が終焉した、とありました。
ですので私は、
原敬から犬養毅までが政党政治が行われた期間だと思っていました。
 
ですが、この間歴史の問題を解いて解説を見ていたところ
「政党内閣による政治は加藤高明の時代から始まり、
 犬養毅の時代で終わった」というようなことが書いてありました。 
  
先生に聞いてみたのですが、
原敬は政党政治を行ったというようなことを言われましたが、
むしろ余計こんがらがってしまいました。

政党内閣による政治と政党政治は違うのですか?
結局誰から誰までが政党政治なんでしょう?
(もしくは誰から誰までが政党内閣なんでしょう?)
中3でも理解できる範囲でどなたかご説明して頂ければ幸いです。
分かり辛い質問で申し訳ありませんが、よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

いまの憲法と違って大日本帝国憲法では、どのように内閣をつくるか決まっていませんでした。

そのため多数党の代表ではなく、「ときの有力者に推薦され、天皇に承認された者」が、総理になることがよくありました。多数党から総理が出れば「政党内閣」、そうでない場合は「非政党内閣」です。

原敬内閣は「初の本格的政党内閣」とされていますが、その後政党内閣が連綿と続いたわけではありません。原敬内閣(19代)から加藤高明内閣(24代)までの間に、政党内閣と言えるのは高橋是清内閣(20代)だけです。21代の加藤友三郎は海軍大将、22代山本権兵衛は藩閥(薩摩閥)出身、23代清浦奎吾は貴族院議員(選挙によらず、天皇が選んだ)で、いずれも政党に属してはいません。
加藤高明内閣から犬養毅内閣までは、6代にわたって政党内閣が続いたので、政党政治が比較的定着した期間とみなされます(と言ってもわずか8年間ですが)。

要するに、「初の本格的政党内閣」が原敬内閣で、「その後政党政治が定着した時期の、最初の政党内閣」が、加藤高明内閣です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

とてもよくわかりました。
なかなか分からなかったのが分かってすっきりしました。
本当にありがとうございました。

お礼日時:2015/12/11 22:29

軍部の圧力が強まり、軍事政権化していったということ?


いきなりではなく、じょじょに戦争をする国家へと変化していったのですから、その時をいつと判断するかは、意見が分かれるところでしょう。

歴史、特に近代史はいろいろと解釈が変わります。
とりあえずテスト向けに、教科書に書いてあることをいちおうの正解とみなし、別の解釈もあると頭の片隅にインプット。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!
  
今までひとつの結論を出すことにこだわりすぎていました(笑)
いろいろな解釈があるということ、覚えておきたいと思います。
本当にありがとうございました。

お礼日時:2015/12/11 22:07

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