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19世紀の三角貿易の(アヘン貿易)について質問があります。この貿易の物品の流れについていくつかの参考書では清→英において、「茶」だけではなく「銀」とも表記されています。これはどのようなことなのでしょうか?清はアヘンを密貿易で手に入れその対価としてインドに銀を支払い、その銀がインドを通じて英本国に流入した、という流れは理解しているのです。しかし前述のような表記だと、清が英に直接銀を支払っていたことになります。本当にそのような銀の流れがあったのでしょうか?

A 回答 (2件)

そもそも三角貿易ではないと思います。



仮に三角貿易だとすると、表と裏を組み合わせて初めて三角貿易になります。
表の取引
イギリスが中国からお茶を勝って銀で支払。
イギリスがインドに綿製品を売って銀を得る。

裏の取引
インドが中国にアヘンを密貿易してインドが銀を得る。これはアヘン戦争後に正式取引となる。

これだと三角貿易が成立しますが、インドはイギリスの植民地だったので、イギリスだけがぼろ儲けです。

以上は、1997年3月31日検定済み2003年3月5日発行の世界史Bの教科書と侵略の世界史(清水馨八郎)をもとに、私なりに導いた回答です。
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漫談程度に聞いてください。



手形がもう制度としてあったので、三角のようで実は各辺でのながれ、一方通行のグールグル、ではないんです。

1)清→英国(お茶。英国赤字)
2)インド→英国(綿織物 英国黒字)
3)インド→清(最初は銀 のちアヘン。最初赤字でのち黒字)

3は実際には 英国→清 であり、インドは単なる貿易の中継地で、銀は手形で払っているお茶の代金です(当時の清の国際通貨は銀)。この赤字がどんどんふくらみます。英国の工業製品は清での需要がなかったので、銀で払っていたのです。銀の流出をなんとかしなくてはなりません。

そこで、アヘンを3のルートで流し始めます。密貿易でしたが売れました。銀が今度は清からインド(=英国)に入ってくるようになります。これがお茶代はらっても黒字になるほどになりました。そこで今度は清が銀の流出をとめようと、アヘンの密貿易を阻止しようとしますが、それでは英国困ります。で、アヘン貿易をめぐる英国と清の対立が、アヘン戦争となったわけです。
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