「良心」という言葉がありました。
過去形にしたのは、ほとんど死にかかっている言葉だと思うからです。

私が育った昭和という時代には、人々はこの言葉を、表面上の意味とと
もに、人を思う気持ち、社会がよくあれ、という気持を幾分か込めて使
っていたと思います。

そういう心が、大変重要であり、見直されるべきであるという主張はあ
ちこちにみられます。

皆さんは、この言葉をどのように定義づけますか?

A 回答 (30件中1~10件)

こんばんは、ねこりんさん。








良心とは?



ずばり自分を大切に思う気持ちです。
以前どこかでも書きましたが、
【自尊心】【自貴心(?)】です。
みずからを とうとぶ こころ です。
自分をかわいがる気力です。


これがあるからこそ、
【他の自分】たちにも
【自尊心】【自貴心(?)】がある
ということを想像することができ、


【違いを認める】ことができます。
ちなみに違いを認めることを
【思い遣り】といいます。



___________



良心とは?




生まれつき誰でも持っているもの
ですが時の流れや環境によって
発達したり摩耗したりします。
また分泌量(?)には個人差があります。
また同じ個体でも
昨日と今日と明日では
分泌量(?)にばらつきがあります。



例えば自分がジョウロだとしましょうか、
花に水をあげたい!と思っても、
自分(=ジョウロ)がカラッポだったら
花に水をあげることはできないわけで。






で、冒頭に戻りまして、
良心とは、
【自尊心】【みずからをとうとぶこころ】
だと思います。




お読みいただきまして
ありがたうございました。
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この回答へのお礼

neutralingさん、来てくれてありがとう。

一見見当チガイのところから入ってきて、

反射させて、見事に的を射る。

たっぷり間を取って、余韻を残し‥

そんな印象です。

ハスラーと呼ぼうかしら?

お礼日時:2015/12/29 22:10

組織に悪意が現れてしまっては成り立ちません。


内面には存在するんでしょうか。

個人にはしばしば悪意が現れることが有りますが、常態としては隠してますね。
善意は現しやすいですが、隠すこともあります。

何れにしても、利害が絡むか絡まないかで様変わりするのが人の心、だと思います。
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この回答へのお礼

政党であれば、次の選挙でどれほど票が取れるか、企業であれば
利益、で動きます。
組織の構成員も人間ですから、良心も善意も若干あるでしょうが、
動く理由というか、次元が違うということでしょうね。

もちろん、全部見たわけではありませんが、見事といっていいく
らい、自分の手柄で動いていると思います。
そんな組織の中に、組織としての善意はなく、あるように一生懸
命みせているだけだと私は断じます。

お礼日時:2016/01/06 22:02

厳しい反論が欲しいです。



私の"頭脳内の社会観"は、例えれば新聞の記事の見出しで作り上げられている様なもの。社会の表面に現れた事柄からの印象なんです。
実社会への関わりは至極浅いので、内側の事は分かりません。

対して、ニャンポコリンさんは体験を通して、その内側を見ているんだと思います。
だから質問に付いては、そんなもんかなぁと思うばかりですが、全体的良心?なんてものが有るとすれば、少なくともこの日本では結構活発に働いているように思います。

個人には良心と云う言葉を使い、組織的には善意と云う言葉を当てて考えてみるのはどうでしょうか。
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この回答へのお礼

議論をふっかけてきたということですね。
相変わらず、少年のような無邪気なところを感じます。
それが、yy8さんの魅力なのですが‥

国とか大企業のやることを批判しても、それを証明することは
無理でしょう。
多くのブレーンがいて、あらゆる批判に対する準備があるでし
ょうし、メディアへの露出についても、十分に検討されている
でしょうし、新聞社、テレビ局などと「癒着」しているという
可能性もある、と考えるからです。

従って、必然的に「推論」にならざるをえないのですが、そう
ですね、例えば、年金の確定支給額の十分の一しか財源がない
という深刻な状況があるにもかかわらず、投資に失敗して莫大
な穴をあけてしまったという話題がありました。

また、これから後期高齢者がドンと増えます。少子化対策に税
金を使うも、効果はわずかです。

被災地に住んでいるので思うのですが、五年たった今でももの
凄い数のダンプカーが毎日走っています。
それなりの経済効果はあるでしょうが、公共工事には無駄が多
いことを私は知っていますし、千年に一度といわれる大地震で
す。そんなに急いで巨大な防潮堤を作る必要性があるのでしょ
うか?

将来、国家の財源が大幅に足りなくなることは明らかです。消
費税に頼らざるを得ないでしょう。

ともかく、今、政府がやっていること、というか今の政治家の
考えていることでは、将来の危機を乗り越えるのには、全然足
りないと思います。

その割には、表紙は「良心」なんです。
被災地の方々のため、
将来日本をしょって立つ子供たちのため。

すいません、急いで書いたので、まとまりないかも。
後で、また。

お礼日時:2016/01/06 16:13

回答をご覧なさってありがとうございました。


はい、私の回答を読むと、私がクリスチャンであることはたぶん外国人であることのように明らかですよね。C・S・ルイスが「キリスト教の精髄」という本で私が表現してみたことを30頁ですばらしく表現しました。
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この回答へのお礼

機会があれば、拝見したいと思います。

お礼日時:2016/01/06 15:04

短い回答ですが、真理だと思っておりますのでニャンポコリン様を愛する思いで;


「良心」というのは悪が全然なくて心が完璧である神さまが人たちをご自分にかたどって創造された証です。そのため私たちが罪を犯す時に心がいたみます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

愛してもらうということは、本当に嬉しいことですね。
でも、(クリスチャンの方ですか?)本当に難しいですよね?

お礼日時:2016/01/05 21:23

ニャンポコリンさんは真っ正直な人だから、


自身の善意が通用しないと、批判が生じるんです。

相手が悪い、社会が悪い、上司が悪い、政治家が悪い、、、と。

今の日本は世界的に見て、好ましい稀な国になっていると思います。
それは国民一人一人の「良心」の表れ・力だと思います。

☆ 偽善、は良心有る故の"なせる業"。
☆ 偽善も行為そのものは善であり、また継続することで偽善ではなくなります。
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この回答へのお礼

左様でございますか。

お礼日時:2016/01/05 21:16

おじさんです。


良心、確かにあまり使われていませんね。
でも、良心はどんな時代でも人間の基本ですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/01/05 15:59

№23です。



34. 《苦》は Skrt: duḥkha ドゥッカ / パーリ: dukkha  でした。少しつづりを
まちがえました。
▲ ヰキぺ:四諦
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E8%AB%A6

35. ▲ 苦諦とは、~~~~~~~~~~~~~~
人間にとってはこの世界の一切が苦であるという様態の真相、現実を指す。
「人生が苦である」ということは、仏陀の人生観の根本であると同時に、これこそ人間の生
存自身のもつ必然的姿とされる。
四苦とは、根本的な四つの思うがままにならないこと、生・老・病・死である。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~

36. ▲ 道諦 ~~~~~~~~~~~~~~~
(どうたい、梵: mārga satya, マールガ・サティヤ、巴: magga sacca, マッガ・サッチャ、
苦滅道諦, くめつどうたい)とは、
「苦を滅する方法・実践修行がある」という真理。
これが仏道すなわち仏陀の体得した解脱への道である。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ つまり 苦から解脱する道はあるが その方法は――八正道などが説かれてもいますが
―― 必ずしも実際に明らかではなく その道を渡り終えた者も少ない。まづ いない。

37. つまり 凡夫一般は 一生を苦海に沈んでいなさいというオシへではないだろうか。

38. 日蓮仏法は 違うそうですから これは いちおうの覚え書きです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

釈迦仏法については、理解していないというより、知らないと言って
いいくらいなのが正直なところです。

「正法」「像法」「末法」ということはご存じのことと思いますが、
釈迦仏法は、像法時代の人々までを益した教えで、末法の衆生には何
の役にも立たないという考え方があるようです。

おそらく、そうだろうと思います。「煩悩」を滅することなど、少な
くとも、末法の衆生である我々はできないですから。

日蓮仏法との比較、関係性という点で、これから少し掘り下げてゆこ
うと思っています。

お礼日時:2016/01/05 15:59

№22です。

回答を寄せてくれるとか。前回をひとこと この場に継ぎます。

31.四苦ないし苦の問題は それほど大きな位置を占めていないとか。

32. ひとことですが 《生老病死が思うようにならない》と言っています。
特に《生まれること・生きること》をも含めています。

33. あるいはつまり 凡夫はさとりを得られないのは この苦が 無明や煩悩
とまったく同じものとして さまたげるからだということのはずです。ですから
言ってみれば さとりにとって元凶のはずですよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

仰る通り、釈迦仏法では、煩悩を断じ尽くし三惑を断じて
はじめて悟りが得られると説かれているようです。

ただ、「生老病死」の四苦というのは、単に民衆の苦しみを
表現した概念であると解釈していました。まあ、あまり自信
はありませんが。
それに、煩悩を断じ尽くすということ自体が、実はよく分か
らないのです。そんなことできるの?って。

そして、私の信ずる教えは、日蓮仏法です。釈迦仏法と日蓮
仏法は別のものです。
御存じのとおり、日蓮仏法では「煩悩即菩提」です。これは
よくわかる。

つまり、煩悩を断じなくでも悟りが得られる、と。

仏教の中には、仏はその仏に縁する衆生のみ救い得るという
考え方があるようです。

釈迦という仏が救い得る衆生より、日蓮という仏が救い得る
衆生のほうが、出来が悪いんでしょうね。だってやり方が簡
単ですもの。

お礼日時:2015/12/31 20:10

№19です。



15. 善悪論にひとこと。

16. ものごとの良し悪しは きわめて主観的なものだと見られます。
一つの主観内容がみなに共通だと見なされたものが 共同主観(コモンセンス)に
なるだけであると。昔だと 時代や国によって違いもする。

17. まぁ それでもたとえば《良心》は ヒトに普遍的な自然本性の一環だと
見なされているようです。《自由――意志自由――》も けっきょく経験的な事実
関係から逆推してでも 公理に据えられているようなものです。

18. 良心は とにもかくにもちょっとはおかしいなと思ったことを自分の考え
としたりさらにはこれを実行しようと思ったときに おい おまえ それは自分の
心をあざむいているのではないかと言わんばかりに 胸の動悸を速くし顔を赤らめ
させ舌をしどろもどろにするといったヤマシサ反応を起こさせます。

19. このようにおのが心に逆らうこと〔つまり 良心にさからいこれをないが
しろにすること〕をもって 良し悪しの判断をおこなうものだと見られます。

20. つまり 心にさからわないことが 善であり ヤマシサ反応をものともせ
ず良心を突き破ってすすむことが 悪とよぶマイナスの善であることになっていま
す。

21. けれども ヤマシサ反応を重んじて心にさからうことをやめる これが善
だと言っても ヤマシサ反応がいつ・どのように現われるのかは 細かいことにな
ると 人によってさまざまであるかも知れない。

22. だったら 善と負の善(悪)との定義も ままならない。かも知れない。

23. ただ そこでじんるいは考えた。悪は存在しない。善のみが存在するので
あり その善をやぶるマイナスの思いと振る舞いとが 悪と呼ばれるだけの話だと。

24. つまりは 思うようにならないという《苦 dhukka 》は 《無明》ととも
に 人間の自然本性には もとからあるのではないのだと。

25. 言いかえると 悪魔も善き天使からの変身に過ぎないのだと。

26. 善悪の二元論は ナンセンスだと。

27. 自性清浄心のほかにそれと同等のものとして煩悩がある――とは見ない。

28. 悪は 善を曲げゆがめるという人間の意志のその自由度の範囲にあって出
たものであると。

29. うつろいゆかざるを得ない身と心とを自然本性とする人間は ふとよろけ
る。体をひねって向きが曲がり道を逸れることが起きる。光も曲がる。これが 良
かれ悪しかれ意志の自由度であり 限りある相対的な善なる心のありさまであると。

30. ゴータマの《四苦》説は 根源的な理論であり現実であるのか。ご検討を
ねがいます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「善悪論」非常に難しく、おもしろいですね。
先生のご質問に私の考えを述べたいと思います。

釈尊の「生老病死」については、若き日の彼の出家の
きっかけとなったものであるということにすぎず、法
華経に説かれた結論ではないと思いますので、これを
追求することはどうでしょう?あまり意味がないので
はないでしょうか?

お礼日時:2015/12/31 15:52

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Q《自己主張するな》は 自己主張ではないのか?

 あらためての問いです。

 この哲学カテでのやり取りを見て感じる疑問です。

 すでに問いましたが どうもおかしい。

  ○ 《自己主張するな》は 自己主張ではないのか?

 この一点にしぼります。

 分かり切ったことではないかという場合にも 一票を投じてご見解を明らかななかたちとしてみてください。


 わづかに 分かり切っていないという向きにあっては 《自己の〈意見〉を主張する》と《自己を主張する》とが 区別されると考えているふしがあります。

 そのような区別は できますか?

Aベストアンサー

自己主張しすぎるのも、しなさすぎるのも、問題だと思いますから、
けっきょくは、バランスの問題ですよね。

その一点にしぼるならば、
その言葉を発した人の意図によるとしか言えませんが、
もしあなたの自己主張に、その人自身がカチンときたのであれば、
その人なりの主張というか、我の強さ?でしょうね。

あなたが自己主張しすぎるために、
あなたに問題がふりかかっていると思われて、
素直にあなたを思われたのであれば、
愛ゆえだったのかもしれませんね。

でも、かりに愛ゆえであっても、伝え方がまずいと、何にもなりません。

Q《自己主張するな》は 自己主張ではないのか?

言わずもがな・・・かも分かりませんが あらためての問いです。

この哲学カテでのやり取りに見かける〔小さな?〕もんだいです。



分かり切ったことではないかという場合にも 一票を投じてご見解を明らかななかたち
としてみてください。


わづかに 分かり切っていないという向きにあっては 《自己の〈意見〉を主張する》
と《自己を主張する》とが 区別されると考えているふしがあります。

そのような区別は できますか?

Aベストアンサー

(あ)を想定していました…

質問者さんの意図を把握しました。
《自己主張するな》は如何なる場合に於いても等しく自己主張ですね。

> そのような区別はできますか?
できる、できない、というよりは、する場合・状況はあると思います。

(い)の場合、ある組織に於いて例えば上司が部下に《自己主張するな》と言う場合、それ自体は自己主張であると解釈されない(もしくはできない)のでは、と思います。

Q紅一点という言葉は存在しますが、黒一点という言葉が存在しないのは、何故だと思いますか?

紅一点という言葉は存在しますが、黒一点という言葉が存在しないのは、何故だと思いますか?

Aベストアンサー

それは、花だからでしょ。
沢山の雑草というか、ただの草のなかに花が一つあれば目立つし美しくもあるけど、たくさんの花の中に雑草が一つあっても何の意味もないし、気づきもしないから表現するに値しないってことじゃないかな。

Qアレン:原因と結果の法則、仏教でそういうのある?

ジェームズ・アレンの、邦訳(邦題)『原因と結果の法則』というのがあります。
まだ読んだことないですが、自己啓発本の起源のようです。
ザ・シークレットというのがあり、読んだことないですが、プラス思考すると、実際にそのようなことが起こる、といったようなことだと思います。

それで、因果関係の議論になると思いますが、私が知る範囲では、仏教のアビダルマでは、因果関係についていろんなパターンが論じられていたと思います。
しかしそこで、上記自己啓発本のような、因果関係が論じられていたような印象は残っていません。

質問ですが、ちょろっとでもよいので、自己啓発本でいわれるような、精神論的な因果関係について、アビダルマ(倶舎論など)、あるいは仏教全般の経典の中で、そういった言及が(ほんの一行でも)あれば教えてください。
よろしくおねがいいたします。

Aベストアンサー

こんばんはー。
僕もこの本持ってますが、これは自己啓発本の種にはなってますが、この本自体はそうではないと思います。
自己啓発本では願いを叶えることを目的としてますが、この本は基本的に違います。
もっと抽象的で普遍的内容を持ってると思います。



この本の内容は、もちろん読まないと無理ですが
個人的感想だと

この宇宙を動かしているのは、混乱ではなく秩序。
すべてのことには原因があり、不思議な事はなにもない。
良いことも悪いことも全て自分が中心となって周りの環境を生み出している現実。
人生は非常にシンプル
穏やかで満ち足りた生活をおくる方法
自己責任

というふうな感じかなーと思います。
成功哲学などではないことは、著者が冒頭で「昔から論じられている「思考のパワー」の完璧な解説書である、などと主張するつもりは全くありません」とあることからも想像されます。





このすぐ後に著者は、「自分が人生の作り手であることに気づくこと」が大事と書いています。
つまりいいことも悪いことも全て自分が原因となって、外部環境の変化という結果を生み出している、という現実のメカニズムについての分析です。
これが原因と結果という題の意味ですし。
このあたりは仏教とそっくりです。

P22に「私達を存在させている法則でもある、原因と結果の法則」とあります。
あなたがあなたがなろうとする人間になる、というこの本の言葉は、表面的な願望ではなく、自分の本音と、その本音に対する
自己責任が問われています。
その責任の認識こそが、外部環境は自分の思いで生まれ出る、ということにほかならないので。
http://ja.wikipedia.org/wiki/縁起 に書かれてる
「此があれば彼があり、此がなければ彼がない、此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す」
というお釈迦様の言葉は、ジェームス・アレンの言っていることと変わりません。
マイナスからもプラスからも目を背けない、という責任を背負うことで、すべてが自分から生まれていることを自覚できる、という意味になります。
それは、キリスト教でいう自分の罪、仏教でいう自らの業や因縁縁起に対する理解と変わりません。
自分のプラスもマイナスも対峙して理解しないと、原因と結果は見えてこないと言ってるように思えます。

そこまで理解が深まれば、確かに成功哲学の本が語るように、自分で願いを叶えるという発想もありなんですが、
でも一方、悪や悪いことが自分を原因として生まれるなら、それを止めるのも自分であり、それで悪が無くなるのだから、
あえて、成功哲学という風に、プラスに持っていく必要もないかも?とも思います。

この、環境は自分が作ったもの、という所だけがひとり歩きして、のちの成功哲学に偏って取り入れられたように思います。
成功哲学は願望を叶えることに特化したためちょっと視野が狭いのじゃないかなー(失礼)という気もするんですが、
この本はそうでなく、うまく中庸中道を踏んでおり、すごいなと思います。内容はとても普遍的です。
またそういう偏りのない現実に対する視野がないと、原因と結果の法則が、夢ではなく現実だとは悟れないのじゃないでしょうか?
成功哲学を特殊なテクニックだと考えてる限り、この原因と結果を理解してない、ということになるんじゃないかと・・





自分を原因の第一としてすべての事象は起こっている、というこの本の内容は、ほぼ仏教の主張と重なります。
というのも、不思議など何一つなく、全ては単純明快で、理不尽なことなどこの世に一つもない、アレンの主張は、
ほぼ仏教のいう「無、空、縁起」と重なるものがあると思うので。
仏教の根幹と、アレンのいう中心事項は、僕は同じものと思うのですが・・。
論理的に説明しろ、と言われると大変ですが。

もともとこの時代のこの関係の本は、19世紀、インドからヨーロッパに仏教がどっと入ってきた時期に当たるみたいで、
そういう影響は大きいと思います。
一語一句仏教と同じというところは少ないけれど(背景に神やキリスト教がありそうなので)、内容を理解すれば、仏教と変わらないと思うので。

この本は、冒頭「環境は自分を写す鏡である」から始まり、「穏やかでいなさい、穏やかにしているのです!」で終わります。
この中間には、のちの成功哲学に取り入れられるような内容も確かにあるんですが、それが理論的基礎ではなく、彼の言いたいことはそれではないから
「原因と結果」という本の題にしてるんじゃないかなと思います。
仏陀のことについては、この本ではP72と、P94に少し記述があります。
著者は、仏教のことも十分その骨格は理解していると思いますし、表現方法は違っても、仏教と自分のいう内容に矛盾がないことは、
著者本人が一番良く知っていたんじゃないか、と思うので。
スピリチュアリティーと仏教は、いずれも現実について説明したものなので、同じ内容だと思います。
死を基礎にする仏教と、生を背景にするスピリチュアルでは、表現は正反対になりますが、
生と死というこの2つがそもそも表裏一体のものなので、裏を返せば2つは同じになると思います。



以上、私見というか、大雑把な話ですが。

こんばんはー。
僕もこの本持ってますが、これは自己啓発本の種にはなってますが、この本自体はそうではないと思います。
自己啓発本では願いを叶えることを目的としてますが、この本は基本的に違います。
もっと抽象的で普遍的内容を持ってると思います。



この本の内容は、もちろん読まないと無理ですが
個人的感想だと

この宇宙を動かしているのは、混乱ではなく秩序。
すべてのことには原因があり、不思議な事はなにもない。
良いことも悪いことも全て自分が中心となって周りの環境を生み出している現実。
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Qどうすれば悩める人々を救う思想が生まれるか?

悩み込んで鬱になってる人もいます

思春期がなくなったのか 若者たちは情報やライン?で時間を使います

技術は高くなっても意思は希薄なのです

その結果心折れる若者も多いようです

学校でも哲学を教えません 現代社会でチラッと出てくるだけです

宗教に加わる者も 宗教を否定する者も よく分からないままです

今どのような思想が必要なのでしょうか?

民主主義? 資本主義? 抑止力? イスラーム?

何か世界を繋ぐような思想はあるのでしょうか?

エスペラント語 イエスの葡萄の木 釈迦の悟り 国連 オリンピック 多々の宗教活動

それらがあっても今は問題だらけです

人口爆発 地球温暖化 宗教対立 エネルギー問題 内戦や格差社会 過競争・・・

将来に希望をもたらす思想はどんな思想でしょうか?

簡潔に出来ればお願いします。

Aベストアンサー

こんばんは。1人1人価値観も考え方も全く違い、悩みと迷いも違います。
悩みは目標が明確だが結果が思い通りに成らない。
迷いは目標が明確で無い。
悩める者に与えられる最大の助力は悩みや苦痛を取り去ってやる事では無く逆境に立ち向かう生命力を湯源させる事だと私は思います。その為にどうしたら良いか?…
悩める者が心底信頼するに足る師匠的な存在が不可欠です。宗教指導者でも先生でも親や友達でも誰でも無く悩める者が心底信頼出来る存在です。そうした人が居る人は幸せです。居ないから困るのでは?…
これは誰かを呼んで来て頼んで出来る仕事で無く質問者様と悩める方々との人間関係の深さ信頼関係の度合いの問題です。
質問者様が悩める方々を心底大切に思われるから救ってあげたいと本能で感じる…これを母性本能とも菩薩や仏の生命とも言える偉大な境涯です。
方法論や目先の状態に振り回されず1人1人と真っ正面から向き合い相手の話を先ずは受け止め相手の苦しみを理解し抱きかかえる様に暖かく激励してあげて下さい。最初は無意味に思われるかも知れませんが僅かずつ心を開き信頼関係が深まれば光明も見えて来るのでは?…。
信頼、尊敬、感謝、激励…どれも人間には必要不可欠では有りませんか?

こんばんは。1人1人価値観も考え方も全く違い、悩みと迷いも違います。
悩みは目標が明確だが結果が思い通りに成らない。
迷いは目標が明確で無い。
悩める者に与えられる最大の助力は悩みや苦痛を取り去ってやる事では無く逆境に立ち向かう生命力を湯源させる事だと私は思います。その為にどうしたら良いか?…
悩める者が心底信頼するに足る師匠的な存在が不可欠です。宗教指導者でも先生でも親や友達でも誰でも無く悩める者が心底信頼出来る存在です。そうした人が居る人は幸せです。居ないから困るのでは?…
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