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これから海に初泳ぎに行きます。
その前に質問します。 

人間原理は人間の願望であり、自然原理は宇宙の法則である。
願望は法則には成り得ず、法則は願望ではない。
アラーも、ヤーベも、イエスキリストもみな人間原理の神である。
人間の願望なのである。
では自然原理の神は有り得ないのか。
自然原理の神は厳然として存在するのではないか。

A 回答 (9件)

宇宙の法則を観測したのは人間の恣意的な精神であり、そこには人間に都合のいい法則が採用されている。

地動説のほうが人間にとってわかりやすかったから真理とされているのであり、天動説でも惑星の運行を説明できるのである。ただし、それがはなはだ煩瑣になるために適用されぬだけであって、人間にヒューマニズムがなかった場合には法則なるものを生まれなかったのである。自然原理を語りうる時点で人間原理の領域にふみこんでおり、そのうえではないと自然を認識できないのである。また、一方、人間が死に絶えたあとに地球がむなしく回ったところでわれわれに一体どれほどの意味があるだろう。意味がないところに神をあがめるほど人は暇じゃないんだ。海でせいぜい楽しんできな。
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アラーも、ヤーベも、イエスキリストもみな人間原理の神である。


人間の願望なのである。
    ↑
こういう宗教は創唱宗教ですね。
人間が人工的に、作為的に構築したものです。
だから理路整然としており、教義なども整理されて
います。
一神教であるのも共通しています。
一神教の方が教義や経典が整えやすく、布教に
便利だからです。


では自然原理の神は有り得ないのか。
自然原理の神は厳然として存在するのではないか。
    ↑
日本の神道などは自然発生的に誕生したものです。
そういう意味で、自然原理の神と言えます。
だから多神教になるし、多神教だから教義が
整えにくく、布教には適しません。
だからローカル宗教にとどまり、世界宗教には
なれません。
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そもそも、あなたの出発点が間違っています。


神は、人類が造りたもうた 幻、幻影、何でもこじ付けられる存在。

自然原理、宇宙の法則、解らないものは 全て、神の仕業。

神とは そういうもの。

哲学、科学、生物学、ありとあらゆるもの の、謎には 神が存在する。 
人類の 考えもしない出来ごと さえ、
都合のいい存在が 神である。
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今の時代は馬鹿が普通なんだが、哲学が人の好きなように出来無いのであって、科学が馬鹿が自由に出来るのである。


天才は、ニュートンとラザフォードしか居ない。この者たちとは事実を見出したのだ。
お前らは好き勝手である。その他のアインシュタインもホーキングも好き勝手である。
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>アラーも、ヤーベも、イエスキリストもみな人間原理の神である。


これは間違い・・・神なんて居ない。
だから、これについて書かれた書物(と言うのも汚らわしいが)なんか
全て嘘っぱち。
宇宙の法則はこんな奴らの言ってる事とは関係ない。
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人間原理、自然原理は個々によって違う。

お前は馬鹿か。
明らかにしてから述べたら。幾世紀が経ても男は馬鹿だよ。事実を述べている。
この21世紀になって、言葉が氾濫しているのに、ネアンか、北京だよ。
言葉は世界を広げる。馬鹿は言葉を崩して、かしこぶるがまともな人間には聞いていも分からない。
(昔々の日本の賢い者は中国から言葉を知ってその知恵に感激したのだ。むろん知恵有る者しか分からない。)
(中国をもんじの国と言ってひれ伏した。別に中国を褒め称えるつもりは無いが賢い者の姿を述べただけ)。
馬鹿は妄想の世界でお遊戯の踊りをしている。馬鹿は知恵がないから、自己の姿が分からない。
馬鹿は妄想の世界でお遊戯の踊りをしている。得意になって、寿命を迎えて死ぬのだ。
これらの馬鹿は星の数では足りないほどにいたし、これからも増え続ける。
いくらでも、馬鹿は後から後から産まれてくる。
私は知ったのだ。それを馬鹿には述べても分からない。
馬鹿を褒めてくれるのは自己か、同じ馬鹿しか居ない。
自己と、馬鹿同士が褒めあって慰める。哀れだが本人には分からない。そして、寿命を迎えて死ぬのだ。

基礎を重んじよ。正しさに遅いは無い。
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1. 《自然原理》としてたとえば 《身と心とにおいて・精神と身体においてその


自己組織がそれとして秩序立っている》といった内容が含まれるのではないか?

2. だとすれば その自然原理というものが じつは《人間の願いのぞむこと》と
一致しているということが考えられます。

3. つまりは 自然原理とはすなわち人間原理であるという内容が 認識されても
おかしくない。

4. つまりは 身と心に傷を負ったときには いわゆる自己組織化がはたらきはじ
めの秩序とチカラとを取り戻すことがある。

5. 人間の願望として《後づけ》したに過ぎないとしても その後づけは 自然原
理にさからうものではなく すべて従った内容として持たれるのみだと言ってよいの
ではないか。

6. 自然原理のほうが先であったとしても どうしても分けなければならないもの
でもないと考えられます。

7. 大きく《自然》が 人間ののぞむことと異なる動きを見せたとしても それに
ついては ひとつに人間原理からは中立と見られるか それとももうひとつに人間原
理と合致した自己秩序のことを言っているかに分けて捉えられる。こういうまとめと
して考えられます。

8. 《風は気ままに吹く》といった観想は――これは 神の霊的なチカラのことを
想定のかぎりで言っているらしいのですが―― 自明のとおり 《人間ののぞみにと
って中立な自然原理》のことを言っているわけです。

9. あるいはさらには 人間原理に反する神のしわざ・つまりいわゆる《慈愛》を
裏切る神の――そうとすれば――しわざのことを 自然原理としても 言っているわ
けです。

10. よって 人間原理と自然原理とに分け隔てることはない。その意味はうすい
と考えられます。

11. 旧約・新約の聖書の内容について 誤解があります。

12. ★ 自然原理の神は厳然として存在するのではないか。
☆ 自然原理という補助線としての神は厳然として存在すると言ってよいでしょう。
普遍神を種類分けしてその内の 自然神のことです。
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貴方、面白い人ですね。


哲学と理論物理学を眺めて見てはいかがですか。哲学はあくまで人がありきですが、理論物理学は人を排除してのものです。
私は判りませんし、興味はありませんが、理論物理学の導き出す数式に美や神秘を見る人もいるようですし、美しくない数式は真理を示していないとする考えもあるようです。
ところで、哲学が示すように人が認識して存在があるとしますと、さて、自然原理の神をどのように認識しましょうか? 人が認識すればそこには人のフィルターが入りますからそれは人間原理の神となるのではありませんか。この論議、理論物理学の不確定原理での猫論争と似て来ますが。
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>人間原理は人間の願望


良い言葉だ、人類の「あがき」を美しく表現している。
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