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昔の選手はなぜ大記録を作れたのでしょうか?
王の856本塁打。年間40本打ったとして、22年間
打ち続けなければいけません。
王も偉大ですが、金田の400勝。これもとてつもない記録ですよね?20勝を20年間。王と金田の記録は永遠破られないと思います。あと、川上がV1て出来たのば、王と長嶋がいたからですよね?

A 回答 (5件)

昔の選手、特に金田選手などについては、選手間のレベル差が大きかった、というのが理由でしょう。



金田選手が現役だったのは1950年代~60年代(69年に引退)。
この時代の投手、というのは、現在であれば高校生すら実践するクイックモーションなどをする選手は殆どいません。クイックモーションなどが一般に広まりだしたのは1970年代くらいに入ってからです(当時、南海の監督だった野村克也氏が、盗塁王・福本豊を抑えるために投手にやらせたといわれてます)
つまり、走者は、現在で言えば「盗塁しやすい」環境なのに走らず、自分の好きなように投げられたわけです。

さらに、当時はバッティングマシーンなどのようなトレーニング機器、技術なども未発達。
現在では、どこのチームにも急速150キロくらいの投手はいます。打者は見慣れています。
ぶっちゃけ、150キロ台の球が投げられたとしても、変化球とか、コントロールとかも持っていないと抑えられません。しかし、当時は、150キロ台の球、それだけで十分に決め球となったのです。


投手の分担制がなかったのは間違いないですが、そもそも分担する必要がなかったわけです。
当時は打者のレベルが低かったので、本当に4番打者、5番打者のような超一流の打者を除いては100%の力を出さずとも簡単に抑えられたからです。しかし、現在は、下位打線の打者だって、150キロの球を打つ練習などはしっかりとしていますし、バントなどの技術も積み重ねています。下位打線だからといって油断をしたらヒットを打たれます。

例えば、V9の2年目、1966年(V9の中でも最も勝率が高かった年)のジャイアンツの基本的なオーダーと打撃成績を見ると……

1番 柴田勲 2割5分1厘 7本塁打 25打点 46盗塁
2番 土井正三 2割4分5厘 5本塁打 39打点 14盗塁
3番 王貞治 3割1分1厘 48本塁打 116打点 9盗塁
4番 長嶋茂雄 3割4分4厘 26本塁打 106打点 14盗塁
5番 森昌彦 2割4分2厘 5本塁打 62打点 1盗塁
6番 国松彰 2割7分2厘 7本塁打 44打点 12盗塁
7番 柳田利夫 2割0分6厘 5本塁打 18打点 3盗塁
8番 黒江透修 2割4分4厘 2本塁打 17打点 21盗塁

全体的に盗塁をよくしているとは言えますが、先に書いたように、当時はクイックモーションなどが広まっていない時代ですから、走りやすかっただけ、と言えます。
そして、打撃成績を見てわかるとおり、王、長嶋の両氏はさすがの打撃成績ですが、他は二桁本塁打を打った選手もいなければ、2割5分に達するかどうか、という選手ばかりです。これが、当時の最強チームのオーダーです。
よく、ONは敬遠ばかりされていた、といいますが、他の選手の打撃成績がこれでは、そりゃ避けるでしょう。3割以上の打者はいないのですから。

当時は、一流選手とそれ以外のレベル差がはっきりとしていたため、投手は常に100%の力で投げる必要がなく、そのため疲労も少なめで、多く登板できたわけです。勿論、投手のレベル差も大きいので、5割の調子のエースと、100%の調子の控え投手なら、前者の方が上というようなことがあったのも確かですが。
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いまみたいな投手の分担がないのが一番の理由だと思います。



不滅の記録といえば福本の1065盗塁と江夏の1シーズン401奪三振も不滅だと思います。
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これは高校野球を長年見てきた長老のコピペです、参考にしてください。



「余談ですが、元巨人の二塁手千葉茂氏は、この宮武、山下が日本野球史上最高の打者と言っていました。藤村富美男、川上、大下、中西、長嶋、王、張本等歴史に残る打者はみんな見ているが、その中で比較できるのは中西くらいかと言っていました。千葉が巨人に入ったのは昭和13年で、もう年令的にピークは越えていたと思われますが、それでも宮武、山下のバッティングを見て本当に驚いたそうです。全盛時代を見ている人はみんなそう言っています。とにかくスイングや打球の速度が他の選手とは全然違ったそうです。話はそれましたが、整理すると戦後は投手尾崎、打者は難しいですが、中西あたりか、戦前は投手は右は楠本保、左は小川正太郎、打者は山下実と思います。


質問者の方は、たとえば投手で言えば桑田とか松坂とかそういうのを期待していたのでしょうか?戦後最高の投手は高校野球では尾崎です。一番が浪商の尾崎、二番が下関商業の池永、三番が作新学院の江川です。私は江川が甲子園に出てきたときに見ていましたが、尾崎や池永の方が速かったです。桑田とか松坂とかはそれと比べたらずっと下です。比較になりません。打者は難しいです。特に金属バットになって以降とは数字の比較はできません。中西、坂崎、王を挙げておきます。少なくとも清原とか松井では全然ないです。表面上の数字や記録ではなく、その背景や時代の状況、条件を認識する必要があると思います。」

この文を見てわかる通り昔はとてつもない選手が居たらしいですが、数える程でした
今は平均以上の選手がゴロゴロ居る状態でしょうね、だからずば抜けた記録が残せたのでしょう。
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昔と今ではバットやボールの重さ等が変わっています。

野球の練習方法や必要な筋肉も研究されてきた為、今はどの選手をとっても、非常にレベルが高いです。
 が、上に上がっている王、長島、金田のような選手はあの時代にして現在のレベルを越える技術を持った選手でした。その為、他選手との差がより大きいものであったように感じます。
 
昔の選手は今の時代通用しないと言う意見があります。たしかに全体として見ればそうかもしれませんが、トップクラスの選手は現代でもトップクラスになれる実力を持っていたと思われます。
 現在ダルビッシュ、田中、大谷、という選手等が日本人最強投手であるとされていますが、金田、江川、といった選手達はこれ以上であったとされてもおかしくない実力を持っていました。

もうひとつ。
昔の投手はカーブ中心
今の投手はスライダー中心
という違いもありますね。
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この回答へのお礼

詳しく回答いただき、ありがとうございます。

お礼日時:2016/01/01 23:00

時代背景です。


投手に関しては現代のようにローテーション制や分業制もなかったので、エースクラスは投げられるだけ投げるというのが基本でした。ですから1シーズン30勝という投手もいました。しかしその分今のように40過ぎても投げる投手はほとんどいませんでした。

打撃の方は投手の投球技術や捕手のリード技術の向上、球場が広くなってきていることも含め、当時より打者が不利な状況ではあります。
ですから戦術的にホームランより安打を重視するようになり、そこまでホームラン狙いする打者も少なくなっている現状です。

それでも60本超えの夢を見させてくれる選手を期待したいです。中村剛也、中田翔あたりに是非。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
時代背景ですか?
逆に、松井が、昔の時代に行ったら、もっとホームラン打ってるんでしょうか?

お礼日時:2016/01/01 22:54

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