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戦前の第二東海道線(第二名阪線)?計画について教えて下さい。
東海道線(名古屋~大阪間)の補完路線について・・・
大軌・参急・大鉄(現 近鉄)などの線路を利用して直通運転が計画されたと 
鉄道雑誌に書かれています。
直通運転可能な電車は大軌・参急により昭和14年に大量増備されています。
・・・しかし 計画された証拠ともいうべき文書等の存在が明らかではありません。
軍事機密に関するものだったのでしょうか・・?
存在を御存知の方 わかる範囲で結構です。
ぜひ教えて下さい。

A 回答 (3件)

大阪電気軌道、参宮急行が別会社として関西急行電鉄を設立し名古屋への路線を計画、途中で別資本の伊勢電鉄を買収しています。

(大阪鉄道は無関係ですね)
このあたりの経緯は近鉄の社史や解説書にも普通に出ています。
原資料に当たりたければこれらの会社の株主総会議事録や国立公文書館の鉄道省資料の関係会社の文書を見るだけですね。

>大軌・参急・大鉄(現 近鉄)などの線路を利用して直通運転が計画されたと 
鉄道雑誌に書かれています。
妄想に近い構想なら掃いて捨てるほど有ります。
雑誌に書いてあるのなら著者に問い合わせるべき事項ですね。

>直通運転可能な電車は大軌・参急により昭和14年に大量増備されています。
直通可能とする根拠は何でしょうか?
単に狭軌用のモーターになっただけですね。
200馬力の狭軌用モーターが開発されたから使用しただけでしょう、準戦時下で将来入手困難になると思われる物を手戻りのない形で確保したいと言ったところですね。
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鉄道サークルで鉄道産業考古学を教えていますので回答をします。



 話がごちゃ混ぜになっていますので整理をしながら弾丸列車の計画と関西の私鉄が進出をしようとした計画を書いているのだと思いますので誤解を説きながら話を進めます。弾丸列車はアジアの大陸を結ぶ計画で工事が進められましたが、残念な事に敗戦で断念されました。これを礎にして勧められたのが現在の東海道、山陽新幹線の計画です。


 第二名阪線計画は現在の近鉄の礎となった大阪電気軌道(大軌)・参宮急行(参急)とは別会社ですし、これは現在の阪急、京阪が絡む鉄道会社であり、近鉄とは一切関係はありません。大軌・参急は現在放映されている朝のドラマ「あさが来た」のモデルとなった方の親族が創始者の会社であり、モデルとなった方が親族に投資をし、その資金を基に車両を増備して規模を拡大したのでこの計画とは関係はありません。この当時の現在の大手私鉄は路面電車から高速運転のできる車両への転換期であり、それを弾丸列車と勘違いされているのだと思います。

 名古屋駅への延長は伊勢電(名鉄を乗っ取りをしようとして東急、東武、西武等に喧嘩を売った)が絡んでおり、伊勢電は参急を潰す事に失敗して社長が逮捕され、逆に乗っ取りをしようとした名鉄に泣き付きましたが相手にされず、桑名駅以降の営業権を放棄する条件で参急との合併に応じました。

 第二名阪線計画の名阪急行は現在の京阪が現在の第二名神に沿って計画をした会社であり、これに失敗した事から阪急のグループの会社となり、京阪独立時に梅田駅を基本とする京都系の路線を失い、淀屋橋駅を基本とする路線体制になり、現在に至ります。
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どこの鉄道雑誌ですか?


参急は標準軌(伊勢中川までの前身伊勢鉄道は狭軌)、大軌も奈良止まりで直通運転は無理。

多分、東京⇔下関間に計画、満鉄に連絡する弾丸列車構想では?
電化は空襲されると機能を失うので、標準軌SL運転(最高時速160Km/h)で計画。
敗戦で、計画は中止されたものの、敷地の一部は新幹線に転用されています。
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