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イラクではアメリカ占領軍からイラク暫定政権へと主権が移譲されました。
しかしこの暫定政権を認めない国民も多いようです。

ここでふとわいた疑問は、満州国はどう統治していたのかということです。
軍隊をもって占領したところまでは同じだと思います。
それから溥儀が皇帝に据わり、満州国の独立が宣言されました。
満州国の統治(政治、行政、司法)の機構はどうなっていたのでしょうか?
経済の権益などは日本が独占していたのでしょうが、三権すべてにおいて日本人が支配していたのでしょうか?
それともある程度中国人が登用されていたのでしょうか。
警察・軍隊に中国人はいましたか?

またリットン調査団は、なにをもって満州国を傀儡政権だと断定したのでしょう。
選挙などもなく、完全な植民地政策だったのでしょうか?

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A 回答 (3件)

満州国の政治は


執政は皇帝の愛新覚羅溥儀を元首とし、最高諮問機関として参議府、行政機関として国務院を置きました。
満州の独立宣言を発した東北行政委員会の委員長の張景恵が、行政の長である国務院総理に就任しました。
しかし実際の政治運営は、日本の駐満州大使と関東軍司令官の指導下に行われ、執政は国務院総理をはじめとして各大臣を任命することができたが、次官以下の官僚に対しては「日満議定書」によって関東軍が日本人を満州国官吏に任命や罷免する権限をもっていたので、関東軍司令官の同意がなければ任免することができなかった。
関東軍は日本人を各省庁の次官・長官に任命してこの国の実権を握らせました。
これを 内面指導と呼んだ。

議会に相当するものは存在せず、政治結社の組織も禁止されており、満州帝国協和会という官民一致の唯一の政治団体のみが存在し、政策の国民への浸透や国政の指導を執り行いました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E% …

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E% …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>関東軍が日本人を満州国官吏に任命や罷免する権限をもっていた

 典型的な軍事国家ですね。軍部がそんなことをしていたとは。
 議会が存在しないわけですから、元首は象徴程度のお飾りだったのでしょう。
 満州(大連、奉天)に住んでいた老人から話を聞いたことがありますが、食料は常に足りていて、治安もよかったそうです。
 ただ日本人は威張っていたそうです。それと朝鮮人が満州人に対して威張っていたそうです。
 その人の父が満州人に親切にしていたので、終戦後の一年間、知人の満州人が食料をもってきてくれたそうです。

お礼日時:2004/07/04 23:01

満州国については,近年すぐれた研究書がぞくぞく出版されていますので,ご質問のことがらについてもそちらにあたられるのが良いかと思います.



L・ヤング『総動員帝国』(岩波書店)など

ついでに少し.
満洲の行政府や省庁の長には,一応満洲人を置いていました.でも,実際の権限は全く無いに等しく,日本人の次官やその下の日本人が実権を握っていました.

象徴的なエピソードに,石原莞爾が関東州に住む日本人の国籍変更(日本国民>満洲国民)を提案したことがあり,周囲の猛反発を食らって石原自身が左遷されたということがありました.

満州国は最後まで明確な国籍法をもたない国家でした.即ち,満洲国の純粋な国民を持たない国家だったのです.近代国家の前提としての「国民国家」を最後までウヤムヤにした満洲を,カイライといわずして何と呼べるでしょう.
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
満州はイラクとは違い、比較的統治がうまくいっていたようです。
満州人の反発をうまくかわしたのでしょうか?
それとも軍事力にものをいわせて、レジスタンスを押させていたのでしょうか。
五族協和のスローガンがあるので、満州国籍はあるのだと思っていました。

お礼日時:2004/07/06 23:34

まず、満州国について肯定的な見方ですが、


そもそも満州は漢民族の土地ではなく、北方民族の土地ではないかという見方があります。
ご存知のように、清の初代は女真族のヌルハチであり、中国人から見れば北方異民族でした。
その為満州国は「日本の後押しで、父祖の土地に女真族の王国を建てた」という名目、つまりヌルハチ以来征服した漢民族の土地は返すので、本来の支配地域である中国東北部は土地の人間である女真族に国を建てさせて貰いたい、という主張です。
それを真っ先に中南米のエル-サルバドル、1934年4月にヴァチカン(ローマ教皇庁)、1937(昭和12)年12月にイタリア・スペイン(フランコ政権)、1938(昭和13)年5月にドイツ(第三帝国)、同年10月にポーランド、1939(昭和14)年1月にハンガリーと承認が続き、合計23ヶ国が認めました。
ただ「日満議定書」に依れば軍事力を有せず、日本軍に治安を任せ、費用だけ支払うとか、独立国としてはちょい疑問の残る体制でもありました。
これを調査したリットン卿は
「満州は中国の一部であり、[自治区]とするのが相応しい」と結論付け、これに反発した日本は国際連盟の脱退に走ります。
ただこの報告書は
1. 満州は女真(満州族)の土地であるから、満州人の自治に任されるべきである。
2. これまでの経緯から、日本にも多少の関わり(権益)もある。
とされましたが「独立国:満州を認めない」という点で日本の反発があったようです。
内容的には十分日本にも利益のある報告だったのですが、当時の軍部にはわからなかったのでしょうね。

参考URL:http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/6515/ …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
リットン調査団は相当程度中国東北部における日本の権益を認めていたのですね。
とすれば、国連を脱退せずとも話し合いでなんとか国際合意を取り付けることができる可能性があったわけです。
まともな統治をしていれば、既成事実として黙認されるようになったのではないでしょうか。
また、満州国が日本に治安委任費用を払っていたとは初耳です。
今日の政治しか知らない世代にとって、不思議な国家に思えます。

お礼日時:2004/07/04 22:46

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