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理性とは何かと言うレポートを書きたいのですが、カントの考えがよくわからなく、どう書いたらいいかわかりません汗
A4、1ページでまとめられるように簡単にでいいので教えてもらえたら嬉しいです。
お願いします。

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A 回答 (5件)

どうすれば良いかの具体的な方法を提示してくれている点で#2のアドバイスが良い。



世の中には、コピペみたいなレポートは違反だと言う馬鹿がいるけど、このレポートは教育のためのレポートなんだから、コピペに近い形の模写をして、カントって美味しいのか、あっ、食べ物じゃないんだってな知識が入れば、それで教育目的の大半が成就したことになる。

ただし、丸写しのコピペじゃなくって、例えば、

「カントは食べ物ではない」

と書いてあったら、

「カントを食べ物と考えることは間違いである」

ぐらいの工夫をして、少し表現を変えて下さいね。最近は先生も、コピペ監視用のソフトウェア持っている可能性があるから。

そのような努力をしたレポートと言う条件で、

「カントによる理性に付いて、ナントカカントかレポートが書くことが出来ました。」

ってな文章をはじめに入れて置くと、先生の印象が良くなるかも知れませんよ。ただし、丸写しのコピペでこんな冗談を入れてしまうと逆に印象が悪くなるから、コピペの文章を書き変える工夫をしてからにして下さいね。
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カントの考えがよくわからなければ、カントのことはなるべくハズして、わかる範囲、あるいは自分で考えたときに、理性とは何だろうかと考えたときに、それなりにA4一枚でまとめられるようなことを書いたら、それでレポートになると思います。


感情、好き嫌い、直感,経験,無意識、本能、欲と、理性というような対置をして、理性とは何かを自分で考えても、A4一枚くらいにはなるでしょう。
とにかくボリュームがないのですから、少し書くだけです。引用する文献が多いと、肝心な自分の考えを述べる本文が書けません。
自分で設定した「理性」についての論点を明確にして、その論点に絞って自分の考えを書いて下さい。 自分でわからないカントの考えなど取り上げたら、レポートが出来ません。

http://www.sgu.ac.jp/eco/rp/eco_report00.html
例:A4レポート
A4一枚のレポートでは,”序論・本論・結論”の書き方が良いとされています.
この書き方では,”序論・本論・結論”の3つの段落(又は,本論を二つの段落にして4つの段落)で構成します.
序論
  ・レポートの導入の役割を果たし,前提条件などを整理します.
  ・レポートの問題点・論点を設定します.
  ・1000字のレポートの場合,100字から300字程度が目安です.
本論
  ・自らの主張を述べる部分です.
  ・序論で設定した論点について,検討します.
  ・論点が複数ある場合では,段落を二つに分けたほうが良い場合もあります.
  ・1000字のレポートの場合,600字から800字程度が目安です.
結論
  ・レポートのまとめの役割を果たし,意見を締めくくります.
  ・序論で設定した問題点・論点の結論を書きます.
  ・1000字のレポートの場合,100字から200字程度が目安です.

注意点
  ・序論と結論だけを読んで,レポートの内容(論点と結論)が理解可能できなければいけません.
  ・必ず2枚目以降に,引用や参考文献は,全て書かなければいけません.
  ・書き上げた後,最低一回は推敲しなければいけません.
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理性そのものが物質として普遍的に存在していなくて、


「把握された空間」とでもする人間がこしらえたもの。
理性を発揮するのは逆の性(さが)と接近した時、比較対象を持った時になりますね。

距離を置いた、時間的にも隔たった物事、
観念(イデー)概念(コンセプト)には意味を為せない。

「我々の目的は我々から遠くない」「純粋の必然を考えろ」

まったく純粋なる自由意志により、自分で克服すること。
自分の中でさえ不透明な意志の縄張り争いがあります。
何が純粋な意志であり、人にとり無くせない目的であるのか?
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レポートに丸写したいというんじゃなくて、どう書いたらいいか、分からないんだよね。

たぶん『純粋理性批判』を読むべきなんだろうけれど、難しくて読めないということなんだろうと思うから、『カント事典』を引くのがいいんじゃないかな? A4だと学術的にまとめることが望まれているような枚数じゃないから、簡単に事典の内容をレジュメして、自分が思う理性との違いを後半部に書けばいいと思うよ。あっという間に紙幅が尽きるはず。
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あるとかないとかどっちともいえるよね。



危ないから規制したのがカント。

利用したのがヘーゲル。

原発みたいな?
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Qカントの「理性」

カントは「理性」をどう捉えていたのでしょうか?

『純粋理性批判』を紐解いてみても、今一つすっきりしないのです。

「自分の『理性』のレベルでは、人間は過ちを犯す可能性が十二分にある」あるいは「自らの『理性』を過信してはいかん」

という感じで捉えているのですが、どうも自信持つことができないので。

ひょっとしたら、全く的外れなのかもしれないですが、どうか教えて下さいませ。

Aベストアンサー

 カントを読んだのは、随分昔になりますが、私見として・・・。

 人間に備わっている「ものを思考する能力」は、「絶対」を対象とすると、二律背反に陥る、これは、例えば、神の存在について、「存在する」と思考しても、「存在しない」と思考しても、同じように、理論的な提示が出来る、という例を示しています。

 カントは、人間理性のこのような限界を示すと同時に、それが、先天的に人間には備わっている、という2点を強調します。

 ここから、カントは、判断力批判において、格率、という考え方を導き出します。
 すなわち、ある一定の所与のドグマではなく、「その行為が全人類にとって、普遍妥当的であるかどうか」という観点から、自らの行動の規範を知れ、と言うわけです。

 「絶対」の前に於いての無限の無力、しかしながら、それゆえに、普遍妥当性を認識することの出来るアプリオリ(先天的)な人間理性の存在を指示することによって、彼は、最後の「人間存在の尊厳」を、証ししようと、揚言するわけです。

 因みに、カントの理性は、ヘーゲルでは、歴史的なガイストという概念によって捉えなおされ、「理性の狡知」による、歴史自体の発展の予定調和として、その先天性を保証されていくわけですが、考えようによっては、ヘーゲルのなかに既に、後年の「実存主義」の芽があるともいえるでしょう。
 

 いずれにしても、カントによって持ち出された「先天的に存在している」(アプリオリ)、という観点ですが、これは、当時の時代の一つの特徴であった、経験主義、カントの用語法によると「ア・ポステリオリ」(後天的)なもの、それのみで、神や人間理性、尊厳、真の意味での倫理規範、といったものを狭く限定的に規定することの誤りを、強く批判したかったのだと、私は、思います。

 分かりにくい言い方かもしれませんが、カントの理性批判は、上の意味で、存在論なのだ、という見方も出来るでしょう。

 
 ・・・・先天的に存在している人間理性の不可思議、について、深く相通底すると思われる、一人の天才的な思索者のことばを、引いておきます。

「しらるる際の知るからざるは、この知ることの仏法の究尽と同生し、同参するがゆえに、しかあるなり。」(道元・正法眼蔵)

 道元は、カントより500年以上前に生まれた日本人ですが、仏教には、もともと、唯識論などのような、認識論や存在論が含まれています。
 仏法、という宗教的なことばの背後に、後年付託された「宗教」という概念を被せてはいけませんよね。


 ・・・・以上ですが、カントについての詳細な解説としては、今、日本とドイツで共同出版されている、ハイデガー全集のなかに、彼のカントの講義録もあるはずです。


 

 カントを読んだのは、随分昔になりますが、私見として・・・。

 人間に備わっている「ものを思考する能力」は、「絶対」を対象とすると、二律背反に陥る、これは、例えば、神の存在について、「存在する」と思考しても、「存在しない」と思考しても、同じように、理論的な提示が出来る、という例を示しています。

 カントは、人間理性のこのような限界を示すと同時に、それが、先天的に人間には備わっている、という2点を強調します。

 ここから、カントは、判断力批判において、格率、という考え...続きを読む

Qカントについて

現在レポートを書くためにカントについて調べています。
今混乱していてはっきり言って自分でもどこがわからないのかよくわからないのですが、倫理学を中心に書きたいと思っています。

そこでなにかカントの倫理学についてお勧めの本などあったら是非教えてください。

また、現代におけるカント哲学という点で、カント哲学がどのような影響を現代に与えているか教えてください。先日カリーニングラードで18カ国が参加した国際学会が行われたというのを目にし、現代におけるカント哲学について何か知っていることがあったら教えてください。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

こんばんは
回答は、「カント哲学と倫理―現代カント研究の視点から」
とまとめてみました。

まずカントの倫理学について書くという場合には、定言命法(der kategorische Imperativ)を知っておく必要があるでしょうから、『実践理性批判』についての解説などを、西洋哲学史や思想史と呼ばれるものや、カントについての著作によって読んでおく必要があるでしょう。
しかし、この点はもう大丈夫ということですね、きっと。

そこで
>お勧めの本など
ですが、雑誌「現代思想」の、1994年3月臨時増刊「カント」にある、「普遍化の論理と相互承認の倫理」(342~358頁)がお勧めです。

この論文においては、序の見出しが「カント理解の現代的状況」というように、まず、カント解釈の中でも主に倫理を巡る研究史を示し、それから「定言命法」と「倫理」の問題を現代のカント研究の立場から論じていきます(注も57個付されていて、役に立ちます)。
また、この「カント」特別号には、アドルノ研究者の細見氏による「アドルノのカント論」(286~294頁)も見られます。

さて、今年、2004年度は、世界の各地でカント・シンポジウムや国際会議やゼミナールなどが非常に多く開催されています。カントの生誕地カリーニングラードにおけるものは、その一例に過ぎません。
2月12日の記念祝典の後、4月22日から24日に開催されたカリーニングラート大学による国際会議では、だいたい以下のようなテーマに分けられたようです。
1)異文化におけるカント受容
2) カントの理論哲学における先験性と先天性の問題
3) カント哲学における形式および超越論的論理学
4) カントの実践哲学における普遍主義
5) カントにおける人間と文化
6) カントによる生の構想

先述の「普遍化の論理と相互承認の倫理」という問題は、まさに四番のテーマですね。

しかし、
>カント哲学がどのような影響を現代に与えているか
を本当に考えるならば、やはりニーチェの存在を忘れてはならないでしょう。

今月の26日~29日にナウムブルク(Naumburg)では、「理性、生、存在 ― 衝突するカントとニーチェ」というテーマのもと国際会議が開かれます。カント協会とニーチェ協会の相互協力のもと(ニーチェは怒るでしょうね、、、笑)。

ニーチェが『善悪の彼岸』などでカント批判をしているのは有名ですね。しかし、その批判の背後にはどのような倫理的問題があったのか、ニーチェ自身が使う手段を逆に使って、なぜそこまでカントを批判したのか?、など考えてみるのも面白いかも知れません。

それでは

こんばんは
回答は、「カント哲学と倫理―現代カント研究の視点から」
とまとめてみました。

まずカントの倫理学について書くという場合には、定言命法(der kategorische Imperativ)を知っておく必要があるでしょうから、『実践理性批判』についての解説などを、西洋哲学史や思想史と呼ばれるものや、カントについての著作によって読んでおく必要があるでしょう。
しかし、この点はもう大丈夫ということですね、きっと。

そこで
>お勧めの本など
ですが、雑誌「現代思想」の、1994年3月臨時増刊「カン...続きを読む

Q人間は何故本能よりも理性を尊重するのでしょうか? 

なぜ、人間は本能的行動よりも理性的行動を好ましいと感じるのでしょうか? 
場合によっては本能を優先するケースもあると思いますが、理性が重んじられるケースについて、人間はなぜそういう思考をするのかという事を考えています。

そもそも理性的行動は何なのか、本能的行動と理性的行動はどこで線を引くべきかという点についても漠然としていて、定義ができていません。

どなたか、少しでもこうではないかと思う方がいらっしゃいましたら教えて下さい。
あるいは参考になる書籍などありましたらご教授頂ければ幸いです。
宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

 人間の動物的能力は、他のほ乳類に勝っているかというと、それほどでもありませんが、知的能力の高さは比べる相手がいません。突出しています。

 一番不思議に思うのは“意識”という能力です。
 物事や時間や、そして何よりも自分を意識できるということ。

 他の動物にはありません。いや、鏡を見て自分だとわかると云うことは、“意識”の働きによるのかもしれませんが、意識していることさえ意識できるというのは人間ならでは。

 人間は知的高性能動物、ですね。

 生命は生きようという本能があれば生きられます。
 それに感情が加わればもっと生命体らしく生きられます。
 でもその能力に限りがあるので、結果「自然」を保つことになるのでしょう。

 人間は動物としての本能に限界がなく、その代わりに高度な精神を持っています。

 その精神の能力に、理性、感情、意志があり、記憶という能力もあり、そしてそれらを意識する、出来るという不思議な能力もあります。

 人間はこれらの能力を駆使して生きています。
 人間はその中の理性をどう働かせているんでしょう。

 理性は、「感情に溺れずに、筋道を立てて物事を考え判断する能力」とありますが、 往々にして自分にとっての良し悪し、損得を判断し選択しがちです。

 でも、その理性の働きによって、自分の損得から離れて他者に向けて、社会に向けて行動させることができます。
 この事が理性的行動を重んじる、ということになるのではないでしょうか。

 ☆これは私の頭の中の出来事です。読み返してみると最後の方で、やっと本題に入り、入ったかと思うと結論を出していて、まったく幼稚な“思索作業”で恥ずかしい。もう一度トライしてみようかしら。

 
 

 人間の動物的能力は、他のほ乳類に勝っているかというと、それほどでもありませんが、知的能力の高さは比べる相手がいません。突出しています。

 一番不思議に思うのは“意識”という能力です。
 物事や時間や、そして何よりも自分を意識できるということ。

 他の動物にはありません。いや、鏡を見て自分だとわかると云うことは、“意識”の働きによるのかもしれませんが、意識していることさえ意識できるというのは人間ならでは。

 人間は知的高性能動物、ですね。

 生命は生きようという本能があれば生き...続きを読む


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