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軍事政権に抗議の焼身自殺をしたお坊さんがいました。全身に灯油をかけ火をつけました。お坊さんは、坐禅を組んだまま微動だにせず、真っ黒にこげた体は前のめりに崩れました。最後の最後まで動くことなく焼け死んだのです。
そこで質問なのですが、どうして『動かない』でいられたのでしょうか??ネットで調べても全く出てきません。火が指先にかすかに触れただけでもたまらなく熱いです。激痛です。修行でこんなことが可能などとは、到底信じらません。あまりにも『謎』すぎて、頭から離れません。よろしく教えて下さい。お願いします。私にとっては、宇宙の始まりと同じくらい謎なのです。

質問者からの補足コメント

  • どうやって心頭を滅却するのですか?
    無念無想の境地に至るには、どうしたらよいのでしょうか?
    厳しい修業を続けたら、自分の身体に灯油をかけて火をつけても、『不動』の姿勢を崩さずになるでしょうか?

    是非よろしく教えて下さい。お願いします。
    もし、現役のお坊さんがいらっしゃいましたら、よろしくお願いします。
    一般の方の情報もお待ち申し上げます。

    よろしくご教示お願います。

      補足日時:2016/01/19 18:50
  • 納得できるご回答は、たぶんないかもしれませんね。

      補足日時:2016/01/23 19:08

A 回答 (2件)

修行でこんなことが可能などとは、到底信じらません


    ↑
#1の方も説明しているように、歴史の実例があります。
もっとも、心頭滅却は中国の故事から来ていますが。


どうやって心頭を滅却するのですか?
無念無想の境地に至るには、どうしたらよいのでしょうか?
厳しい修業を続けたら、自分の身体に灯油をかけて火をつけても、
『不動』の姿勢を崩さずになるでしょうか?
    ↑
修行というよりも、覚悟であり、克己心であり、極限の
興奮状態だと思います。

武士の切腹をみてください。
多くは即、介錯してしまいますが、中には
腹を十文字に割いたり、内蔵をつかみ出して
投げつけたりした、という記録も残っています。

戦争中の話ですが、内蔵が飛び出しても、
爆弾で手足がもがれても、苦痛を感じないことが
あった、という記録があります。

ワタシも、空手の試合で、スネを思い切り蹴られて
も無感覚だった、という経験は何度もしています。

人間、極限の興奮状態にあると、そういう痛みを
感じなくなるのだと思われます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
極限の興奮状態というご説明でも、
『火炎に包まれる激痛』に、不動のままでいられることが、どうしても、どうしてもわかりません。おそらく、わかるわからないの次元ではないと思われますが…

お礼日時:2016/01/23 19:07

“心頭を滅却すれば火もまた涼し”と言って火の中で亡くなったのは、甲斐(山梨県)の恵林寺が織田信長勢の焼き打ちにあった際、住職の快川紹喜が言った言葉です。


恵林寺は武田信玄の菩提寺でした。
無念無想の境地にあれば、どんな苦痛も苦痛と感じないという意味です。
恐らくそのお坊さんも、それに近かったのかも知れません。
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この回答へのお礼

ありがとうごさいます。

お礼日時:2016/01/19 18:41

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