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頭が根本的に悪い人は研究への希望を諦めるべきですよね?英語の能力は英検3級の合格ですら怪しいです。おそらく合格するとは思いますが、準2級は厳しいと思います。数学の能力も中学時代で止まっています。
それが私です。こんな私は研究したいという希望を捨てるべきですよね?取り戻すのに莫大な時間とお金がかかりますから。そんなものは持っていません。就職して、「高校時代にもっと勉強しておくべきだった」や「研究して論文を書いてみたかった」などと一生後悔しながら生きていかなければならないですよね?

質問者からの補足コメント

  • そうすることができないから、投稿しているわけです。理解できませんか?幸せなんて求めていませんよ。あえて不幸になろうとしているくらいですから。おせっかいを焼くくらいなら、これ以降回答しなくて結構です。いや、回答をお断りします。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/28 21:59
  • >でも、みすみす泥沼に落ち込もうとしている人に、手を貸さないわけにはいかないと思うのです。

    手を貸さないくて良いです。いや、手を貸さないでください。あなたのような投稿を見ただけで反吐が出ます。私はあえて泥沼に落ちようとしている人ですから。個人の意思を尊重するものです。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/30 21:43

A 回答 (7件)

私はあなたの学力を客観的に判断できる立場にいませんから、自己申告に頼るしかありません。


簡単に言ってしまうと「自分は研究者になりたいけれど、でも頭が悪いから無理だよね?」というお話しだと思います。
ご自分で無理と判定されているなら無理なのかも知れません。

ただし、ムツゴロウさんという方のような研究者であれば、学力のみに頼らず研究することは出来るのかも知れないなあと思います。ムツゴロウさんクラスの情熱をお持ちであれば、どのような分野の研究であるにせよ、必ずしも無理というわけではないように思います。

それからもう一つ。
私のお勧めは、ムツゴロウさんよりもこちらです。
あなたは、ご自分を「頭が根本的に悪い」と評しています。
折角そのように根本的に悪い頭をお持ちでしたら、「頭が根本的に悪い研究者が、研究を行ったとき、どのような結果を導き出すことが出来るのか」という研究をされてみてはどうでしょう。
これのメリットは、今からもう一度猛勉強を行う必要も、ムツゴロウさんのような特別の情熱を用意する必要もなく、その上あなたが本当に「頭が根本的に悪いの」でしたら、これはもう、あなたにうってつけの研究ではないでしょうか。
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>一生後悔しながら生きていかなければならない



あなたがそう思いつづければ、そうなるでしょうね。
私も今でも、「研究者になりたかった、なれたらよかった」と思うことはあります。
後悔、というほど強い感情ではないですが。

今のあなたと同じような年頃に、自分は研究者になるには、ち密さや発想力、根気が不足している、って自覚しました。
研究者への道を選択しても、おそらくその苦しさに耐ええないだろう、と思いました。
知的な能力以前に、研究者という職業への適性に欠けている、と自分を見切りました。

だから、研究への道を選んだら、10年もたたないうちに行き詰ってしまったしょう。
そして、その後の方向転換をうまくできなければ、「研究なんか目指さなければよかった」と一生後悔し続けたかもしれません。

それでも、今、「研究とか、ほんとは好きなんだよね。研究者っていいな。羨ましいな」などと、自分の人生を残念に思う気持ちはあるわけです。

どんな方向で生きるにせよ、なんかの後悔はします。
生きていけば、人生を後悔するのはしかたないこと、って思っているしかないです。

「我が人生に悔いなし」なんていうのは、人生の最期の結論であって、その結論に到達するまでには、ものすごくたくさんの後悔があるんです。
たくさんの後悔があったこと、後悔したことも含めて「我が人生に悔いなし」といってるんです。悟りの境地みたいなもんです。

もしも、「本当にまったく後悔ナシ」に生きた人がいたとしたら、そいつは反省心のない人格破綻者、危険人物ですよ、絶対。
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#4の回答者です。


ともかく、読んでいただいているわけですね。ありがとう。

>あえて不幸になろうとしているくらいですから。おせっかいを焼くくらいなら、これ以降回答しなくて結構です。いや、回答をお断りします。
本当に、それでいいのですか?

たぶん、私は、もう、これ以上、お返事を加えることはないかもしれないのは、私自身が、いろんな事情で、ここの掲示板には書けなくなってきています。病のこともあります。でも、私は、どうせ死んでしまうのだから、諦めているわけではありません。最期の日まで、何かの勉強をし本を読んでいると思います。

あなたは、あなた自身で手一杯だとは思います。しかし、あなたと同じように、私も、学生時代に自分の能力に絶望をしたのです。最近、走馬灯のように自分の高校生の頃、大学生の頃を思い起こします。そんな折に、学生時代の知人・友人の中には、今は大学教授になった人がいますが、ただの大学教授ではなく、学者であっても、もっと偉い人になっていたことも、最近知りました。

私の生まれた家は、お金があるわけでもないので、親には負担を掛けないとか、奨学金を取ることも1つの目標でした。大学生の時には、人生で一番勉強した時間でもあったのです。それでも、自分自身を劇的には変えることはできなかったのです。

学生時代に、担当教諭から、お世辞のように褒められたことが、逆に、自分の能力のなさを痛感したのです。ある意味、それがターニング・ポイントです。あなたに、惨めな負け犬人生などは送ってほしくないから、こうして書いているわけです。

それに、20歳を過ぎたあなたには、そろそろ、そのターニング・ポイントを迎える時期が来ているのではないかと思っています。それを、あなたの心を閉じてしまえば、それはそれまでなのだと思います。この世は思い通りにはならないし、あなたの心さえも、他人ではどうしようもないのは分かっているつもりです。でも、みすみす泥沼に落ち込もうとしている人に、手を貸さないわけにはいかないと思うのです。

いずれ、何十年後かに、私の言葉を思い出すこともあるのかもしれませんが、その時は、もう私は、この世にはおりません。

よくよく考えてみてください。
この回答への補足あり
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WindFaller です。



私は、あなたに何度も書いているはずですが、それは心の問題だと思います。私は、あなたの精神的な問題が、何か物事を複雑にしているように思います。しょせん、私が書いても、いつもの通り無視するでしょうけれど。

あなたを知ってから、もう、足掛け3年になるのでしょうか。

自虐的にな書き込みをすれば、誰かが優しい言葉を掛けてくれるとお思いなのでしょうか?いつも、誰か優しい言葉を掛けてくれるのを期待して、掲示板に書いているようですが、それは、同じ繰り返しでしかありません。

時には、質問で、私の書いたレスの内容の批判をしているようです。それは、読んでいる証拠だから、まだ結構なことだと思います。

私は、こんな掲示板を25年ぐらい渡り歩いていますが、なんとなく、その人の未来が見えることがあります。私が知り合った人の中には、大学教授になっている方や、業界でもトップクラスにいる人もいれば、私と同じように、まったく未来のみえない人もいると思います。あなたは、今、モラトリアム状態にいて、いわば吊橋の前で、渡れないとか、渡らなくてはならないとか、ひとりごとを言っているだけの状態です。

今度、あなたは、確か、大学は3年になるのでしょうか。せっかく、大学生になったのですから、それを楽しんだりしたほうがずっとよいと思います。もう、ゼミや担当教授は決まっているのですか?研究論文などよりも、それ以前の問題です。

だいたい、担当教授とのコンタクトの話も聞いておりませんが、それなのに、上を望んだところで、身近な人は何も信用しません。

私からのアドバイスは、
・自分の器の中で、地道に生きることを選ぶこと。
・よき真面目な友人を作ること。
・大学の若い先生や年齢の近い職員とは懇意になること。
・大学は卒業することを目標にすること。
・過去は変えられませんが、過去は忘れること。
・もっと本を読むこと。

>英語の能力は英検3級の合格ですら怪しいです。おそらく合格するとは思います。
だったらすべきです。英検がどうとかいうよりも、頭であれこれ考えているのがいけないのです。しかし、英語なんていうのは、英語のできる人にやらせればよいことです。

もう、劇的に学問や語学はできるようにはもうならないと決めたほうが楽なのです。

>「研究して論文を書いてみたかった」などと一生後悔しながら生きていかなければならないですよね?

バカなことを言わないでください。その前に、現実の生活が待ち構えているのです。今、そのようなことを言っている人が、どこの企業や会社で相手をしてくれると思うのですか?それに、学問の世界は、それよりもずっと厳しいのは、自分の能力と常に向き合わなくてはならないのです。

この世の中には、将来を約束されながらも、太平洋戦争で、研究者の道を断たれ、無名のままで終わった人もいます。戦後、派閥の圧力で学者として中央からは消えていった人たちもいます。それを考えたら、あなたは、ただ、人に甘え、ごねているだけだと思います。メインストリームからは脱落しても、自分一人で研究をし続けた学者もいます。

私の尊敬する無名の先生たちと比較すれば、私の知人たちの中には、その人たちを遥かに凌駕する輝かしい地位や名誉を得た人もいます。その業績は、社会的な評価もありますが、何よりも驚いたのは、私自身でした。

半世紀の時の流れは、これほどまでに人を変えうるものなのかと、とたん、石川啄木の「友が皆 我より偉く 見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻と親しむ」という句を思い出しました。しかし、啄木は、そうして、奥さんと花をめでるほどの幸せだったのだと、気が付きました。

小さい幸せでも、幸せは幸せです。今ある自分から、自分の器にあった生き方をすればよいことなのです。そして、どんなに小さな器な中でも、幸せを見つけることはできるのです。そうした中で、幸せを得ることを目的にしたほうが、ずっとよいのです。
この回答への補足あり
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何の研究をしてるか分かりませんが



自分がやりたい事を諦める必要は誰にも有りませんよ・・・

ただやりたいことで成功するかしないかですから

人として一度きりの人生です

悔いを残さずやりたいことをやって生きるのが私は好きですよ♪
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その通りです。


後悔しながら一生送りなさい。
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>などと一生後悔しながら生きていかなければならないですよね?



それは、「できるはずのことをしなかった人」が抱く思いです。
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