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1. 非知なる神を想定したところから これを真理と言いかえることができたあと さらに
この真理とわれとのカカハリは 真理がわが心の真実を知っているということである。すべて
知っている。

2. よって真理なる神は わが心が真理にさからったことがあることをすら知っていて時々
わが心をして痛めしめる。

3. つまり 神とわれとのカカハリは 一般にヒラメキをとおして現実となると思われるけ
れど いわゆる《良心》としても実現するかに感じられる。

4. これが 摂理である。自然界の法則や社会における方程式のような類型が 摂理にかか
わっているかに思われるかも知れないけれど 問題は 《真理とわれとのカカハリ》としての
摂理は あくまでわが心の問題として現実となると言えばそうなのだと思われる。

5. かくて わが心にとっての摂理とは 天網恢恢疎にして漏らさずといったことわざの意
味するところなのではないか。

6. もう少し細かく見てみよう。人間の心にかかわる摂理としては けっきょく《やましさ
反応》の問題ではないかと考えられる。

7. おのれの心がヤマシサ反応を起こしてその心にさからう考えや振る舞いに対してやめな
さいと《警告》しているのにこれを無視して 心にもないことを(つまり もうひとつの心に
あることを)おこなおうとして突っ走る。

8. なら その《信号無視》の経験が 一つづつおのが精神の歴史に刻まれて行く。なら 
居心地がわるい。よくない。よいはずはない。

9. だったら 過去が現在にも尾を引いている。場合がある。《摂理》とは そういうこと
ではないだろうか。(ちなみにこのようにして 摂理は 人の心をバランスさせていると言え
ば言える)。

検証・添削をよろしくどうぞ。

A 回答 (2件)

「認められる」 云々じゃない。


他人に認められるために生きてる人間、確かにまれにいるが、ある程度の年齢を超えれば「我」が生まれる。
だから、再就職の際「年齢制限」がある。
「我」があるために、経営者のいうことを訊かないから。
結局「人生」って、それまでの自らの過去を振り返ってみて、当たり前に落ち着く先に落ち着くように出来ている。
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この回答へのお礼

要するにこの質問は 人生 過去のつけがまわってくるという問題なんですけれど。

それについて どう考えるか?

《我》は 自分の心に じつは さからっているのかも知れない。

もうひとつ別の心に成っているのかも知れない。

だったら あとでツケがまわってくるのではないだろうか。こういう問いです。

ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/01/31 23:43

「無」。


煩悩滅却しても火は熱いし、殴られりゃ痛いが…。
全て「無」にすれば、人生、いとおかし
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この回答へのお礼

それ ほんとうに確信をもって言っていますか?

実感はないでしょう?

と思いますよ。

つまり 世間でそういった作文をすれば 何とかそれなりに・それとしてみとめられる
かなと思って ただそうしているのではないですか?

すでに そういった筋書きが出来ていて その塗り絵みたいな図に沿って絵を画いただ
けではないですか?

と推測します。きつい――間違っている可能性のある――コメントですが。

ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/01/31 23:11

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