芸人が音声解説 「オレたちの甲子園」

大雑把でいいので、日本語にはこういう特徴があるとか、こういうところが面白いんだ、という項目を教えてください。
今まで考えたのは(1)日本語は省略できる。(2)日本語は多彩な形を持つ(漢字、ひらがな、カタカナ)(3)日本語は断定を避ける傾向がある。

これ以外に何かありましたらよろしくお願いします。

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A 回答 (7件)

 日本語の特徴は数え切れないほどあげられると思います。



 まず世界の中で日本語を話す人口が非常に多いこと。1億2千万人余という日本人の人口以外にも海外でも学ばれる傾向が近年特に大きい言語です。日本語を使う人口は世界で6番目に多いそうです。ただし実際に海外で使われているかというと英語などの主要言語に比べてその日本国内での使用人口に対する海外での使用割合はきわめて少ないのも事実です。

 論理的な言語であること。外来の学術用語など比較的簡単に移植できます。もちろん先人のたいへんな努力があってのことですが、明治のはじめのころから自国語で大学の教育ができたのは世界の中でも希なことであったといいます。外国のある言語学者の分類によると日本語は論理的記述に適した言語のトップ集団に位置するそうです。

 バリエーションが豊富なこと。同じ日本語でも話し言葉のレベルでは地域によって大きな差があります。ヨーロッパでは他言語と分類されるような特徴の違いがあっても一つの言語としてくくられています。

 母音と子音のマトリクスによって比較的簡単に発音の種類が把握できること。もちろん完全なマトリクスではないにせよ、系統だった発音の把握が簡単です。つまりアカサタナとアイウエオの組み合わせで発音の体系ができあがっているということで、非常に合理的と言えます。このマトリクスの中にあれば歴史的に日本人が使ってこなかった発音すら表記できます。

 シラブル(音節)の数が他言語に比べて非常に少なく、そのため同音異義語がとても多いのです。また発音と文字表記が密接な関係があります。例えば英語ですと、"tough","through","thought","ought"などなど同じ表記でも発音が違うことが多いのに日本語に関してはそういうことがほとんどなく、基本的に文字で表記されたものですべての日本語の使用者が間違えることなく同じ発音ができます。

 例えばフランス語で言うリエゾンが現代日本語であまり見られないこと。つまり前の発音の影響で次の発音が影響をうけるようなことが現代日本ではあまり見られないということです。例外として「観音」などですが連濁の現象とあわせて現代語ではますますその傾向が大きくなっています。

 同じ母音の連続を気にしないこと。"Ymagata"とか"Asamayama","anatagata"とか同母音の連続を特に気にしない傾向があります。

 形容詞の数が少なく、感情表現において他言語からの移植や「的」「性」の使用で自由に形容詞的表現が増殖すること。

 人称表現が豊か。例えば「私」という人称表現ですが英語では"I"だけですが、立場や状況によってたくさんの表現があります。「俺」「私」「わたくし」「小生」など聞いただけで話主の立場やその状況が瞬時に想像できます。

 外来語の輸入が比較的簡単ですが、「彼女」といった単語だけではなく関係代名詞を直訳した「~ところのもの」といった構造を持ったイデオムですらいつのまにか日本語に入り込んでいるくらいです。

 擬態語や擬声語が多く、そこから転化した言葉も多いといえます。「ひょっとして」などが該当すると思いますが、擬態語、擬声語からの造語力が強力であることは言えます。

 肉体表現が貧弱で特に病気の名前などは大和言葉で表現されるものは圧倒的に少ないと言えます。これに対して心理表現は非常に豊かで他言語使用者が日本語を習得する上で大きな困難となっているようです。例えば「気」を使った言葉が非常に多く、「気がおけない」「気になる」「気がひける」など微妙な心理表現を一語に負わせていて、外国人にこの「気」という言葉を説明するのに一苦労します。

 数字と発音の組み合わせが柔軟で、一定の率を持った発音化が可能。かけ算九九や「富士山麓オーム鳴く」など日本語ならではの表現ができます。英語では例えば円周率を覚える際は"Yes,I have a number…"というように単語に含まれる文字の数で覚えると言ったことくらいしか思いつきません。

 語彙が豊富ですが、総じて他言語からの学習者に不利になっています。アメリカ国務省の分類によると、日本語はアメリカ人にとってアラビア語などと並んでもっとも習得がむずかしい言語のグループに分類されるそうです。

 以上昔読んだ金田一晴彦著「日本語」上下巻(岩波新書)が脳裏にあっての文章ですが、今手元にない(友人に貸して返ってこない)ので興味がおありでしたら一読をお勧めします。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。とても参考になりました。これだけ知識があって専門家じゃないんですか…
すごいですね。。。

お礼日時:2004/07/09 11:08

「尊敬語」、「謙譲語」、「丁寧語」の区別があることだと思います。


私自身、国語の授業で古語の時間に学んだときに、尊敬語+謙譲語の形になっている文などをあちこちに見かけ、面白さを感じました。
丁寧語、謙譲の表現などは外国語にもありますが、このように3種類を使い分けるほど細かくないのでは・・・?と思います。
現在では、尊敬語と謙譲語を間違って使っている人(丁寧にしようと思うばかりに、相手に対する尊敬語を使うべき場面で謙譲語を使っている場合など)を見かけますが、ある程度の日本語の乱れは仕方ないかとも思いますが、やっぱり日本人ですから、文化として大切にしたいものだと思います。
(少し話がそれてしまいました、すみません。)
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この回答へのお礼

ありがとうございました。大変参考になりました^^

お礼日時:2004/07/09 11:08

基本的なところで、日本語は



O(目的語)+V(述語)文型

が特徴です。英語など多くの西欧言語では

S(主語)+V(+O)

になっています。
英語では主語になるIですが、日本語ではただの目的語になります。日本語に主語はありません(日本の小学校では間違った文法を教えています)。「私は」などは「主語」ではなく「主格目的語」と呼ぶのが正しいです。

私はりんごが好きです。

この文章は

目的語     述語
(私は)
(りんごが)=>(好きです)

と分解できます。
英語では

I like an apple.

です。
ここで、英語との大きな違いは2つの目的語「私は」と「りんごが」はまったく同格だということです。
たとえば、

りんごが私は好きです

と2つの目的語を入れ替えてもまったく同じ意味の文章を作ることができるからです。

このOV文型の特長は、きわめて柔軟性が高いことです。「私」を強調したい場合、

私はりんごが好きです

「りんご」を強調したい場合

りんごが私は好きです

という風に、目的語を自由を配置できます。英語だったら、

An apple is favoriate thing of me.

とでも言わないとダメなところです。これではまるきり違う文章になってしまいます。目的語を入れ替えるだけで強調したいものを自由に変更可能なところが日本語(というかOV文型)の特長です。
逆に言うと、よく考えて目的語(目的節)を配置しないと、わかりにくい文章が「作れて」しまいます。

私は昨日の夜今日開催されるコンサートのチケットを買いました。

(私は)
(昨日の夜)
(チケットを)←(今日開催されるコンサートの)
 ↓
(買いました)

この文章は、以下のように書いたほうがわかりやすくなります。

今日開催されるコンサートのチケットを昨日の夜私は買いました。

規則は簡単で「長い節は前に持ってくる」。これだけです。
このような基本的なことすら小学校で教えないというのも、日本語(日本の国語教育の)特徴ですね。(^^;
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この回答へのお礼

ありがとうございました。参考にさせていただきます。

お礼日時:2004/07/09 11:07

相手や自分を指す言葉で、相手との人間関係が第三者にも理解できる事。

 

場合によっては、年齢や職業もわかる時がありますよ。

私、僕、ワシ、俺、オイラ、ウチ、小職、本官 (警察官や自衛官が使用しますね) ・・・

貴殿、貴方、先生、君、お前、テメエ、お主、御坊 (お坊さんに向かって言うとき)、拙者、 ・・・

これは日本語のもつ大きな特徴だと思います。 英語では単に I と YOU しかありませんね。 ただ、逆に日本人にとっても、使い分けが難しい時があるので、一長一短だとは思いますが。
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この回答へのお礼

なるほど。回答ありがとうございました。

お礼日時:2004/07/09 10:05

日本語には微妙な美しい表現がありますよね。


「ふわふわ」「さらさら」「そよそよ」
こういった「感じ」「情緒」「雰囲気」が出せるところではないでしょうか。
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この回答へのお礼

「ふわふわ」「さらさら」「そよそよ」僕も美しい表現だと思います。やっぱり日本語は繊細な部分がありますよね。そういう表現ができるところが日本語のすばらしいところだと思います。

お礼日時:2004/07/09 09:57

 外国語に比べて一番大きな特徴は主語の次に補語が来て最後に述語が来る事です。

英語では "I go to school." が日本語では 「私は学校へ行きます。」 となります。
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この回答へのお礼

なるほど。確かにそうですね。それは大きな違いだと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2004/07/09 09:56

外来語からの派生や 日本英語(実際には存在しない英語表現)がある



ワイシャツ 英語ではホワイトシャツ
ナイター 英語ではナイトゲーム

など・・・
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この回答へのお礼

ありがとうございます。参考にさせていただきます。

お礼日時:2004/07/09 09:30

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Q日本文化における中国の影響

日本文化における中国の影響について質問させて頂きます

古代、日本は中国の文化(思想・技術など)に大きな影響を受け、
現在の日本文化の礎が築かれたと私は考えています
もちろん、土着的な文化もあったと思いますが、当時の国力差から考えると、
中国文化の方が先進的で、より魅力的であったのではないでしょうか

よって、日本文化は中国の文化に大きな影響を受けている以上、
日本特有の文化といえども、その起源には何かしら中国文化の影響力やが残っている場合が多いといえます
この場合、日本文化とはどこからどこまでの範囲を指すのでしょうか?

グローバル化に伴い、「わび」「さび」の日本文化が称賛されることが多くなり、
日本人自身にも、日本文化への表面的な回帰も見られます
しかし、合理化が進む我々の実生活の中で、これらの日本文化に基づいた生活を送っている人は、
少ないと思います(どちらかというと日本びいきの外国人のほうが多い気がします)

やや話がずれてしまいましたが、日本文化における中国文化の影響、
そして、日本文化とは一体何を指し、他の文化と区別する意味は一体何のためなのか、
教えていただければと思います

近年、ネットを中心に、中国や韓国を忌避する傾向が強くなり、
日本の文化は、日本固有な崇高な文化であり、中国や韓国といった国々からの影響は少なかった、
という意見も少なからず見られます

しかし、私としては、中立的な立場で、日本文化はどこから到来し、どのように発展してきたか、
歴史的事実として興味があり、このような質問をさせて頂きました
盲目的な日本文化への賛美や懐古にはやや疑問も感じます
私としては、そのなぜその文化を賛美したり、懐古するのか、
その文化的背景や根拠を知りたいのです

散文となりましたが、ご回答よろしくお願いします。

日本文化における中国の影響について質問させて頂きます

古代、日本は中国の文化(思想・技術など)に大きな影響を受け、
現在の日本文化の礎が築かれたと私は考えています
もちろん、土着的な文化もあったと思いますが、当時の国力差から考えると、
中国文化の方が先進的で、より魅力的であったのではないでしょうか

よって、日本文化は中国の文化に大きな影響を受けている以上、
日本特有の文化といえども、その起源には何かしら中国文化の影響力やが残っている場合が多いといえます
この場合、日本文化とはど...続きを読む

Aベストアンサー

>日本文化における中国文化の影響、
そして、日本文化とは一体何を指し、他の文化と区別する意味は一体何のためなのか、
教えていただければと思います


「文化」というのは、そもそもの元をたどればオリジナルは決して多くはありません。せいぜい古代の4台文明ぐらいが文化の発祥といえるぐらいでしょう。後は、アメリカ大陸のマヤ民族やネイティブ・アメリカンあたりが独自の文化でしょうか。

そうなると、中国の周辺である、日本や朝鮮半島・モンゴル・ベトナムは中国の文化圏ですし、タイやインドも影響を受けている、と言えます。しかしベトナムならベトナムの文化がありますし、モンゴルにも日本にも「独自」と言われる文化があります。

文化がその当時の先進的な国から伝わってくるさい、必ず起きる変化があります。それは流入-受容-改良です。
 流入とは、日本が遣隋使を送ったように求めて輸入するものもあれば、中国の漢民族が満州族に征服された清の時代の辮髪のように、強制的に文化を押し付けられる場合もあります。
 そして、その流入から2世代から3世代経つ頃には、その文化が一般的になり疑問を感じないようになったころに「受容」が完成すると言えます。
 しかし、元々他の地域の他の文化ですから、そのままでは利用しにくく、受容したもののそれを自分たちの文化や気候・生活スタイルなどに合わせて「改良」していくようになります。

そしてこの「改良」がひとつの形になったときが、その民族や地域の文化の形ができた、ということになるのが一般的です。

たとえば日本の場合、飛鳥時代から平安時代まで大陸の文化を輸入し、受容しつづけてきました。法律は律令制を倣い、宗教は仏教、文字は漢文と当時の大国である隋や唐を手本に受容し続けたといえます。まあ、仏教はインドから隋が受容したものですが・・

ところがこれをそのままにしておくと、日本の風土に合わないものが出てきます。たとえば律令制などはすぐに良くない影響がでました。そもそも律令制を維持するためには、国内の優秀な人材を集め活用するために科挙が一緒にくっついてくるはずなのですが、日本の場合すでに天皇を頂点とした貴族階層があり、彼らが行政を握っていましたので、科挙で庶民を活用することはできなかったのです。

そのため、法律的に可能な部分だけ律令を取り入れ、制度的に受け入れられない部分は日本の風土に合わせたものに変革しました。
これは明治憲法などでも同じことがおきており、そもそも憲法を作るときに西洋各国の憲法から国家元首の権力の強いワイマール憲法を参考にしたと言われています。
つまり流入と受容そのものに、取捨選択があるのです。

また文字についても、輸入した文字をそのまま利用してる民族はほとんどありません。たとえば世界最古の文字と呼ばれる楔文字はシュメール人が開発したものですが、シュメール人はこれをひらがなのように音節文字として利用していました。これを受容したアッカド人は中国語と同様、音節と意味が一体になっている表語文字として利用できるように工夫し、さらにアッカド語を受容したヒッタイトでは音節文字として利用したために、日本語の漢字・仮名の書き分けというか、万葉仮名の書き分けのような複雑な法則で記されることになったようです。
アルファベットを使っている西洋諸国でもドイツのウムラウトのように独自の文字を足したり、記号を利用したりして自国語を表記するのに改良しています。

この「楔文字」ひとつとっても、発明したシュメール・表語文字にしたアッカド・さらに複雑に受容したヒッタイトのように、それぞれの民族の文字といえるほどに変化しています。これがそれぞれの文化になるわけで、「楔文字だからぜんぶシュメール文化」という乱暴な区分けはできないのです。


これらの法則にしたがって、中国文化を受容し改良した日本をどこで区分けするかと言う点については、大体平安時代が区切りとなってその後は日本文化としての改良になっている、といえるでしょう。そして明治維新前後の西洋文明の受容があり、その改良は現在も続いているといえます。

個別に中国文化から日本文化に切り替わった時点を見てみると
・政治権力 5世紀には中国の皇帝に朝貢し、その威光を借りて権力に正当性をつけていたが、100年ほど朝貢が中断した後、再開された遣隋使では、有名な「日出ところの天子・・」という文章があり、この時点で大和朝廷が、大陸の後ろ盾がなくても国の権力を収めていることが伺えます。
 このときの隋の煬帝は返書で「皇帝問倭皇 使人長吏大禮・・・」と倭皇(王ではない)と認めており、政治権力としては日本の文化的独立が6世紀には成立していた、と言えさらにその王朝が現在まで存続していることを考えれば天皇制と天皇の勅許で政権を開く権力構造は「日本文化」と認定しても良いと思います。

・政治制度 日本の王朝は6世紀に成立したとして、しかし遣隋使を派遣することで仏教や法律・建築学・天文学そしてその他の学問を吸収し始めたわけですから、この時点で日本の文化がすべて独立していたと見ることは無理があります。
 政治制度については、この時点から律令法を学び始め、平安時代に大宝律令として完成を見ます。この大宝律令には律令を支えるはずの科挙がなく、またそれ以外にも換骨奪胎したものが多くありましたので、中国の法律を学びながらも日本の風土に合う改良がくわえられていたと言えます。この程度では「文化」とはいえませんが、それから30年程度で「墾田永年私財法」ができ、律令の本筋から離れていきます。
これを「改良」というかはともかく、日本的な風土に合わせた変化とこの法律がやがて武士の発生を促したことを考え合わせれば、8世紀の中庸には日本的な法律文化が形成され始めていた、といえるでしょう。
なお、この墾田永年私財法の法的概念はその後の日本の法律に強く影響を与え、現在でも土地収用に時間と費用がかかる原因になっています。「文化」というのそれぐらいの影響があって初めて「独自の文化」といえるのではないでしょうか。

・宗教 7世紀の大化の改新については一定の疑問があるものの、嵩仏派の蘇我入鹿一派が勝利し、仏教受容に動いたことは間違いなさそうです。これにより日本は「国策」として仏教を輸入しついでに学問も輸入していきます。仏教の受容から1世紀経った8世紀ごろから、各地で神宮寺が建てられるようになっていきます。つまり神社に付随したお寺を建てると言う方法です。
 これには国策となった仏教と、各地の豪族がそれまで信仰していた地域の神とを習合させるものであり、この結果日本は神と仏が同列に並ぶ宗教体系を得ることになりました。この改良を「神仏習合」と呼ぶのですが、これ以降の日本の宗教観は世界のどことも似ていない独自の文化になっていきます。
 しかし、習合自体はそれほど珍しいことではなく、たとえば古代ローマは多神教で各地に道祖神の祠が立っていたものを、ローマがキリスト教を国教化した後、道祖神をキリスト教の聖人になぞらえて、祠を維持したという例もあります。これはキリスト教でもイタリアにしかない独特の文化でしょう。

・学問 まず文字については、万葉仮名からひらがな・かたなかが開発され日本語を表記する形式が整った時点で「日本文化」と言うべきでしょう。その後、源氏物語などの宮廷文学も生まれています。
 それ以外の学問に関しては平安時代までに大学寮が設置され、数学や天文学・薬学・法学などを学べるようになりましたが、基本的には大陸の書物を中心にしていたようです。
 それが武家政権の鎌倉幕府以降は、もともと庶民である武士階級を中心に学校が開かれるようになり(足利学校など)必要なことを教えるようになっていきました。しかし、江戸時代まで四書五経が中心でしたので、江戸時代の中庸、和算の発達などの例外を除けば、学問が独自の文化として定着したかについては、学問ごとに見るしかないのかも知れません。
 しかし、逆に面白いのは雅楽や宮廷作法などの平安時代までに大陸から輸入されたものが、大陸では長い間に消失し、日本にだけ古来の姿で残っている、ということです。(韓国にもありますが、遺産としてです)
これを日本文化とみるか、大陸の遺産と見るかは難しいところです。

これらをみてみると、どの国、地域でも文化が周辺の大国から流れてくるのは間違いの無い事実でしょう。しかし、それをそのまま受容している国家や民族というのはほとんどなく、いずれその地域の風土や生活スタイル・道徳観などと触れ合って、変容していくものです。
その変容が一定のスタイルとしてその民族に世代を超えて伝えられるようになったときが「文化」なのだと思います。

現代でもアニメーションなどは外国で開発された手法であるのに、すでに受容してから100年以上経ち、手塚治や富野 由悠季・宮崎駿などの天才たちを通して日本的なアニメになっています。これは明らかにディズニーアニメとは違いますし、他の国でまねしても同じものが作れるわけではありません。
アニメ自体が日本的な手法や考え方、そしてそれらを産業として支える仕組みによって、独自のものになっているからです。

こういうのを「オリジナルの文化」っていうんじゃないでしょうか。

>日本文化における中国文化の影響、
そして、日本文化とは一体何を指し、他の文化と区別する意味は一体何のためなのか、
教えていただければと思います


「文化」というのは、そもそもの元をたどればオリジナルは決して多くはありません。せいぜい古代の4台文明ぐらいが文化の発祥といえるぐらいでしょう。後は、アメリカ大陸のマヤ民族やネイティブ・アメリカンあたりが独自の文化でしょうか。

そうなると、中国の周辺である、日本や朝鮮半島・モンゴル・ベトナムは中国の文化圏ですし、タイやインドも影響を...続きを読む

Q日本語の社会言語学的な特徴と語彙論的特徴とは・・・

日本語の社会学から見た特徴、語彙論から見た特徴を教えて下さい!困りまくってます;;

Aベストアンサー

 今、私達が使用している日用語は約14万語。『大辞典』(復刻版全2巻・平凡社)は、日本語に関して一番語数の豊富な辞書だが、収容語数は、なんと72万語もある。こんな豊富な言語数を持った民族は他に例を見ない。

 言葉とは、人間の感情と生活を結び付け、人間関係を円滑にしていくための道具だから、この量が多いということは、それだけ人間関係にも注意を払ってきたという証拠である。

 日本語は文法構造がユニークで外国語に親しみにくいといった事情があって、日本人は、いかにも言葉を使うことが不得手だと思われがちである。しかし、日本語に限って見ると方言、古代語、帰化語、外来語、隠語、敬語、卑語等、これら実に多種多様な言葉を私達は、自分でそれと意識することなく、ほとんど習慣的に、見事に使い分けている。そう言う意味で、日本人ほど言葉を上手に使い分ける民族は稀有だといえるだろう。そして、これが、日本人の人間関係を非常に円滑にする役割を果たしてきた理由だと考えられる。

 中でも、珍しいのは、敬語に対する『卑語』である。卑語というのは相手に対して自分を“卑しめる”時に使う言葉である。

 今、私達が使用している日用語は約14万語。『大辞典』(復刻版全2巻・平凡社)は、日本語に関して一番語数の豊富な辞書だが、収容語数は、なんと72万語もある。こんな豊富な言語数を持った民族は他に例を見ない。

 言葉とは、人間の感情と生活を結び付け、人間関係を円滑にしていくための道具だから、この量が多いということは、それだけ人間関係にも注意を払ってきたという証拠である。

 日本語は文法構造がユニークで外国語に親しみにくいといった事情があって、日本人は、いかにも言葉を使うことが不...続きを読む

Q恣意性について教えてください★

学校でレポートが出たのですが
いまいちよくわかりません

どなたか、わかりやすく
ソシュールやメルロ・ポンティの言う
恣意性について教えてください!!

Aベストアンサー

 言語は通常<意味>をもって流通しているとみなされています。私が<赤>と発語することによって、聞いている相手は「あざやかであれ、にぶくあれ、赤い色を想定」します。ですから、言語にはもともと<意味>が付与されているから、私たちは混乱なく言語を使用している、と思っています。言語とは、おおまかな意味をしか伝えていませんね。
 しかし、「このつらい気持ちをわかって欲しい」という<意味>を伝えようとすると、私たちは10人の人に、その意味を語ってもらえば、何がなんだかわからなくなってしまうのではないでしょうか。どんな風につらいのか、喘息のような息苦しさなのか、ボーッとした不安が続いてつらいのか、次に、気持ちとは何なのか、こころなのか、意識なのか、心臓のあたりなのか、大脳新新皮質のあたりなのか。
 つまり、私たちは、言語は意味されることがしっかり定着しているから言語を使っている、と考えていますが、<意味>することを語るために使用している風に見えながら、その<意味>自体もあいまいで、<意味>されることまでは当然考えて使用していない、ということなのです。

 これらを象徴する例として、私は「鳥の鳴き声」をあげたい、と思います。鳥は何故鳴くのでしょうか?

 それは、恣意なのです。つまり、意味もなくただ鳴きたいから鳴いているのです。自由勝手気ままに、意味もなく、聞かれることも予想せず、ただ鳴いているのです。これが言語は恣意である、という意味なのではないでしょうか。

 私たちは、言語といえば<意味>の上に成り立っている、と考えがちですが、アとカが重なって<アカ>と言い、これで<赤>という意味が成り立っているわけではないのです。たまたま、アオと発語されていないからアカ、と差別化出来るだけのことで、言語は、こうした音の差違に基づいた分別作用でしかないのです。この分別作用が<意味の根拠>になっていくわけですが、これすらも、鳥の鳴き声と同じで、その根幹では、<意味>なく、自分にとって発語することが楽しいから、遊んで鳴いているだけなのかも知れません。ただ、それが、チュンチュンとキーキーで<意味>が違っているな、と想像するだけのことです。

 こうしたことを、言語の恣意性、と言うのではないか、と記憶します。

 言語は通常<意味>をもって流通しているとみなされています。私が<赤>と発語することによって、聞いている相手は「あざやかであれ、にぶくあれ、赤い色を想定」します。ですから、言語にはもともと<意味>が付与されているから、私たちは混乱なく言語を使用している、と思っています。言語とは、おおまかな意味をしか伝えていませんね。
 しかし、「このつらい気持ちをわかって欲しい」という<意味>を伝えようとすると、私たちは10人の人に、その意味を語ってもらえば、何がなんだかわからなくなって...続きを読む

Q言語と文化のかかわり

言語が文化に与える影響、文化が言語に与える影響、ようするに相互に関わりあっていると思うのですが、どのような現象が前者にあたり、どのような現象が後者にあたるのか具体的な例が思い浮かびません。みなさんのお知恵を拝借したいと思います。
また、文化とは何かということについてもお考えをお聞かせいただければと思います。
もう一つ、サピア・ウルフの仮説とはどういうものなのでしょうか。漠然としょたことはわかるのですが、くわしいところまではわかりません。説明していただけるか、書いてある書物などをおしえてください。

Aベストアンサー

食べ物!

例えば、米文化を持つ日本には「米」「稲」「飯」…など様々な呼び名がありますが、比較的米文化が確立されていない欧米では「rice」のみです。

で、ビールは日本では「ビール」。欧州では「エール」「ラーガ」「ビター」など呼び名がいっぱいです。パブに行って「ビールください!」なんて言おうもんなら変人扱いです(笑)

Q日本語にはなぜ「漢字、平仮名、カタカナ」があるのですか

大学の授業の発表で、「日本語にはなぜ『漢字、平仮名、カタカナ』があるのか」という疑問を調べていますが、漢字、平仮名、カタカナの歴史はわかりました。
でも、なぜ今もその漢字などがなぜ使われているのかという疑問が浮かんできました。英語やその他の外国語が日本に入ってきたのに、なぜ、今も漢字、平仮名、カタカナが使われているんでしょうか。しかも、なぜ日本語には、漢字、平仮名、カタカナの3種類が今でも存在しているのでしょうか。よかったら参考文献も教えてください。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

まず、漢字については、中国の影響を受けて一番はじめに伝わったものとされる。その後、日本国内で独自の発展を遂げ、漢字と漢字の組み合わせにより、例えば、「峠」(とうげ)のような文字も付けられるようになった。
カタカナについては、諸説あるが、仏教の法典を訳すために、付すために使われることが多かった。当然仏教関係と言うことで、男性が使うことが多く「男言葉」と呼ばれていた。
ひらがなについては、平安時代女性貴族が、使い始め、「女言葉」あるいは「やまとことば」と呼ばれた。それが、紀貫之により、日記文に男性でも使うようになってきたのである。
と言う3つの主な流れがあり、漢字だけでは、微妙な表現が伝わらない事があるために、日本語と漢字はイコールでないため、また、漢字で表現することが大変難しいため、庶民には、ひらかなやかたかなが、江戸時代前期まで、通用した。(←表音なので、簡単単!!)
そのような流れの中で、漢字は(意味と音)かなは、漢字と漢字をつなぐ役割で使われるのである。
明治中期までは、カタカナ主流だったのが、現代仮名遣いの、樋口一葉らによって、現在の形に近くなり、
もとの、仏典を訳すために使われたことより、海外のものを訳す時には、カタカナを付すようになった。

と言う大まかな流れがあります。

※「日本文学史」の参考書と「日本教育史」でも見てみてはどうでしょうか?

まず、漢字については、中国の影響を受けて一番はじめに伝わったものとされる。その後、日本国内で独自の発展を遂げ、漢字と漢字の組み合わせにより、例えば、「峠」(とうげ)のような文字も付けられるようになった。
カタカナについては、諸説あるが、仏教の法典を訳すために、付すために使われることが多かった。当然仏教関係と言うことで、男性が使うことが多く「男言葉」と呼ばれていた。
ひらがなについては、平安時代女性貴族が、使い始め、「女言葉」あるいは「やまとことば」と呼ばれた。それが、紀貫...続きを読む

Q語彙とはなんでしょうか?

語彙(ボキャブラリー)という言葉を耳にしたのですが、語彙とはいったいなんでしょうか?
ご存知の方いましたら、わかりやすく教えてください。
また、語彙を習得するということは、どういうことでしょうか?類義語を習得することとは違うのでしょうか?

Aベストアンサー

#2です。

先に語彙の習得について
一般の外国語学習を想定して回答しましたが,
単語の読み書きができるというのは
語彙の習得の副次的側面に過ぎません。

世界の言語の中には
表記する文字が存在しないものも多いのですが,
その言語の話者はまぎれもなく語彙を習得しています。
また読み書きができない子どもでも
話し言葉でコミュニケーションが取れるならば
ある程度の語彙を習得していると言えます。

Q日本語の欠点はありますか?言語として、英語に勝てないのですか?

日本語が公用語に(もしくは第二外国語に)なるのに、足りない部分はなんですか?
難しさはどこにありますか?

Aベストアンサー

通訳です。
日本語の欠点は文字が多いことです。
西洋の言語はアルファベットの組み合わせだけですから。
それと日本語は子音と母音の数が少ない。たとえば「こうせい」という単語はどういう字を書くのか聞かないとよくわかりません。中国語は母音が多いから発音で違いがわかるのです。
あと敬語とか数の数え方一本二個三匹とか・・・
もう少し簡単であれば良かったと思います。ただ、複雑な言語は複雑であるが故に美しくなります。たとえば「風と共に去りぬ」は「Gone with the wind」よりも美しく響きます。

Q身近な形容動詞について。どんなものがありますか?

身近な形容動詞について。どんなものがありますか?

現在外国人に日本語を教えています。
「きれい」が形容動詞ということで、活用が形容詞と違うことに気がつき、
他にどんな言葉が(できれば日常会話でよく使われる、例えば「大事」とか)
同じような活用をするかが知りたいです。

簡単な表を作れればと思っているので、沢山の言葉をお待ちしています。
また、そのような言葉が一覧になっているウェブサイト等があれば教えてください。

Aベストアンサー

形容動詞は日本語には800あると言われています。嘘八百?
え、そんなにと思うかもしれませんが、近代的、合理的のように「的」がつく言葉、漢語(漢字)の多くは同じように「的」か「な」をつければ形容動詞になります。そして外来語の形容詞はハンサム、ビューティフルのように「な」をつければほとんど形容動詞となります。

名詞を修飾する時「な」がつくのに特徴があります。形容動詞は外国人に教える日本語文法ではナ形容詞と呼ばれています。

基本的なナ形容詞はナを抜いた形で列記すると
きれい、静か、好き、嫌い、上手、下手、暇、いろいろ、有名、親切、元気、便利、不便、素敵、簡単、大変、大切、大丈夫、無理
などです。

広辞苑などの多くの辞典では名詞にして形容動詞を品詞として扱っていません。名詞を修飾する時に「な」でなく「の」がつくこと以外に活用が名詞と同じだからです。「~だ。」の形は名詞と同じです。
一方、
普通、赤色、昔、最高
などは形容詞のように見えて名詞に分類されます。これらはナ形容詞にはならないようです。
ところが、
普通、沢山
などは手元にある小学館の新国語辞典では形容動詞になっています。

形容詞か名詞の見分け方は副詞に修飾されるかどうかになります。たとえば「すごい」がつかく「すごく」が前につくかどうかです。

しかし
元気、健康、自由、特別、最高、親切、安全、不思議、厄介
などは主語にもなります。名詞を修飾する時には「な」の時も「の」時もあります。形容動詞と名詞の両方の品詞に分類されます。


深入りすればするほど何が何だか分からなくなります。外国人に教えるときは形容動詞ははじめにあげたような基本的な形容動詞だけに限って教えたほうがいいようです。


ナ形容詞か名詞かを見分ける方法があれば、ぜひ知りたいのですが。
名詞を修飾する文節にした時、結果としてナがついた時は、ナ形容詞と呼ぶしかないように思います。

形容動詞は日本語には800あると言われています。嘘八百?
え、そんなにと思うかもしれませんが、近代的、合理的のように「的」がつく言葉、漢語(漢字)の多くは同じように「的」か「な」をつければ形容動詞になります。そして外来語の形容詞はハンサム、ビューティフルのように「な」をつければほとんど形容動詞となります。

名詞を修飾する時「な」がつくのに特徴があります。形容動詞は外国人に教える日本語文法ではナ形容詞と呼ばれています。

基本的なナ形容詞はナを抜いた形で列記すると
きれい、静か...続きを読む

Q論述式の回答の書き方のご指南ください

もうそろそろ、定期試験の時期なのですが、
大学の試験ってけっこう論述問題が多いことに驚きました。高校のころは、まったくと言っていいほど論述問題がなかったので、どうやったらいいのか、ホトホト困ってます。
いろいろ検索サイトでHITさせたり、ここでも過去の質問を見たりして参考にしています。

そこで、今一度、皆様の論述式の回答の書き方を教えてほしいのです。どうかご指南よろしくお願いします。

Aベストアンサー

当方、大学生です。
書きやすく、いい評価になるのは、
1.一番最初に結論を書く。
2.それについて理由や説明を挙げる。述べる個数も宣言する。
3.最後に結論をもう一度書いて締める。

例えば、「キリスト教における愛について書け(テキト-な課題です。汗)」だとしたら、

「キリスト教における愛とは○○だと言える。
 それについて、3つの観点から述べる。
 まず第一に、~~。第二に、~~。最後に~~。
 以上の事由から、キリスト教における愛は○○だと言える」

…というかんじです。この形式で書ければ、まず悪い評価は取らないでしょう(形式の点では)。

できたら、授業中に先生がおっしゃったこと(本にはない具体例とか)や、参考図書から得た知識を交えたりすると、「ちゃんと授業聞いてますよ、ちゃんと本読んで勉強してますよ」とアピールできて、なおよしです☆

がんばっていきましょう(^^)

Q日本以外で日本語を公用語として利用して"いる"国は存在する?

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1044262
↑の質問で#8の解答として

> 日本以外でも日本語を公用語にしている国はあります。特別ですが。

とありました。
ちょっと気になって調べてみたのですが、それらしき国がどこか分かりませんでした。

大日本帝國時代に統治していた関係でパラオなど南の島で日本語を話せる人がいること、日本として現地で日本語を教育していた地域があることに関する情報は出てくるのですが、果たして現在も、特別であっても、日本以外で日本語を公用語として利用している国はあるのでしょうか?

Aベストアンサー

まず、公用語とは何か考えてみましょう。
意外なことに、アメリカでは英語が公用語とは法律で規定されていないのです。ですから、何語で教育を受けようと これは個人の自由です。つまり、義務教育で
これだけの英語は最低限習わなくてはならないという規則もありません。その一方で、インドやパキスタンでは英語が公用語の1つになっていますが、母語として使用している人は殆どいません。

さて、本題に入りますが、昔の満州などを除くと 日本語を公用語としている国はありませんが、公用語と一つとしている州のある国があります。パラオ共和国のアンガウル州です。州とは言っても、パラオ共和国自体、非常に小さな国ですし、その中の州ですから、人口は数百人程度だと考えられます。カナダのケベック州とは雲泥の差です。
一つ言えるのは パラオ共和国のアンガウル州よりも、
ハワイやブラジルのサンパウロの方が はるかに大きな日本語のコミュニティーがあり、そこでは 僅かながら
日本語の刊行物も存在します。


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