人類としてしてると思いますか?

自分的には過去の過ちを繰り返さないとかそんな感じです
。 
ほかにあるならその意見も聞かせていただければ嬉しいです。

飢餓の問題でもそうですが,1000年前と変わりありません。
見えなければ自分たちのせいでもみようとしない。
発展途上国では環境を汚してでも成長しようとしてるし

表立った戦争とかぐらいで、それも建前みたいな物で
差別とかも明らかにしてるのに,自分が気付かなければ
差別反対と唱えながらも差別してる

社会は安定を求めてますね。
それを環境問題うんぬんとかいろんな問題に目を向ける事は出来てない。

自分も気付かないレベルなら何かしてると思い勝手ですが教えてください。

成長するものだと思いますか?同じ事を繰り返すと思いますか?
誰か個人じゃない社会に対しての意見を聞かせてください。

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A 回答 (4件)

かつてチンギス=ハーンの伝記を書いた、フランスの歴史家は、次のような意味のことを言っています。


「13世紀出現したこの未曾有の大帝国(モンゴル帝国)は、一人の男の剣によって地上に刻まれた。そしてその剣は正義の剣であった。しかし、その剣は、当時の、モンゴルの、正義である。」
(歴史というものを考える時、現在の自分たちの基準だけを物差しにしてはいけない、と言っているのだと、私は解釈するのですが・・。直接は、答えと関係ありません。)
少なくとも、現在では、ある一つの国の正義が、全地球を覆ってしまうことは無い、という合意だけは、(全体として見れば)あるのではないでしょうか。
その意味で、人類は、少しは進歩しているのではないかと思われます。
ただ、一つ強調しておきたいのですが、今、この瞬間、地球のどこかで、戦争が、現実に、ある、ということです。
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私は『心の安定』を『心の成長』として進めますが心の成長へ向かっている過度期だと思います。


見当違いかもしれませんがネズミをケ―ジに入れて或る一定量以上にネズミを入れてやるとストレスのせいで共食いを始めると言われていますが、動物ですから本能に忠実な種の保存を放棄。極端なのはイスラエルもかってドイツ・ナチから虐殺されたユダヤの民がパレスチナの民と殺し合い。まして心の安寧を願うマユダヤ教への信仰心が厚い国民。戦後、私達が求めてきたのは経済的な安定(経済発展)を求めてきたので決して心の安定(晴耕雨読とか自給自足)を求めてきたのではないと思います。経済発展が悪い事だとは思いませんが経済の理論は極端に言えば弱肉強食の理論で思いやりとか対価の伴わない奉仕等の入る余地のない世界です。しかし世の中面白いもので経済発展の振り子が
右へ大きく振(振り切れれば戦争及び飢餓・・犠牲になるのは弱者の老人と子供)れると心の安定を求めて振り子は大きく左へ振れます。それが極端に現れるのは若い人達で心の安定を求めて私達には理解できない新興宗教に入信したり犯罪に走る場合もあります。私は四国ですが以前は見られなかった若い人達が最近八十八箇所遍路参りを徒歩、自転車で御参りする姿が非常に多く見られます。
国は道徳教育とか色々頭を悩ましている様ですが心の成長は人から与えられるものではなく自分自身が体得するものだと思います。私の独断と偏見ですが社会は経済発展の時代から心の成長への時代を繰り返しながらより高度な未来へ進んでいくと思います。因みに現在の最高の贅沢は晴耕雨読で自給自足。
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 心の内実(=ないじつ)(質)は総じて成長していないが、心の形態は成長している、と思います。



 心の成長を、恣意的に区分して、時系列(大昔に比べ、現在の日本では)で評定すると、次のようになりました。なお、外国および宗教は、対象外にさせて下さい。

欲求=範囲が飛躍的に拡大し、期待度も増加。市場経済の発展には寄与。
   成長度:プラス10。
理性=トータルでは微増。自己規制への息吹は高まり、法令精密化や言論自由化
   は進んだ。ただし、昨今の性欲・物欲への古典的理性は、激減。
   成長度:差し引き・プラス2。
耐性=激減・脆弱化。自殺・殺人・家庭内暴力・心の病・離婚、、、の増加は、
   その一端を物語っている。
   成長度:マイナス10。
優しさ=トータルでは、微減。マクロ(巨視・社会)の啓蒙や活動は増大したが、        ミクロ(微視・個人)の思いやりや無償の個別支援は激減。
   成長度:マイナス2。
能動性=トータルでは、微増。男性のそれは激減したが、女性のは激増。社会の
   仕組み変化及び女性の累積怨念の爆発が主因。
   成長度:プラス1。

 以上の5項目の比重(ウエイト)を同じと考えると、合計はプラス1。退化はしていないが、成長したといえるほどのことは無い、となります。(冒頭の内実・質)。
 ただ、評定の中にも垣間見えるように、バリエーションは広がったし、みんなで考えたり・提案したり・指摘したり・という心の広がりみたいなものは、感じます。(冒頭の形態)

備考
 我が家には、飼い犬が2匹(15歳と7歳、どちらも雑種オス)いて、小生と妻はいつも心を癒されています。動物は本能で動くといわれていますが、言い換えますと、とても正直です。
 本題の、心の成長を正直さの尺度で測ると、、、今の若者は、(小生の如き、昔の若者に比べ)より正直になった、と思います。世間体や他人からの評価を、あまり気にしなくなったみたいですし。
 反面、公衆マナーの尺度で測ると、、、悲しくなります。(親その他、小生と同世代のひとの連帯責任)

 長くなりましたが、小生の意見です。久しぶりに自分自身で、心のことを考える
ことができました。難しいですが、大切な命題ですね!! (^O^) 以上
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 私は反対に成長している、と答えたい、と思います。

その理由は、人類の数の増大です。
 昔、人は、何十年かに1度、戦争を起こし、人間を整理していきました(勿論無自覚に、ですよ。意識的に人口整理を出来るものではありません)。しかし、今、人は、どのような観点からであれ、差別のない社会を望むと言うことを一つの揺るぎのないルール(=規範)とし、あえて自然に逆らって人間一般の寿命を延ばしてきました。このままいけば窒息しそうな勢いで人口が増えていると、言う人もいるくらいに。
 そして、このようなルールが一般化することにより、高齢化、ノーマライゼーション(平準化、もしくは身体的不都合を持つ人への配慮)などが浸透し、実は<差別>が顕在化する社会になっています。
 これは、人口が増えれば、それに反比例するのではなく、比例して多くなるものなのです(敢えて、そういう不躾な発言をお許し下さい)。高齢者、あるいは植物化された方にあっても、個性としっかりした人格を尊重される社会は、或る意味で
成長です。私たちは、そう言う社会の実現のために、教養の集積を求めてきたのかも知れません。

 しかし、それは、肯定されるべきものではないのでしょう。これは進歩ではなく、実は、不完全な歩みなのだ、と捉え直し、もっとより重層的で、高度な成長を望むべきで、現実はあまりに不十分だ、何も差別は改善されていない、と「怒れる若者」たるべき視点も社会は常に必要とします。

 そのように社会は動いてきたし、今後もそのように動くのだろう、と私は思っています。それが心の成長か否かは、確定できません。私は、もっと別な、人間以外の方法はないものか、という嘆息だけ持っています。

 人間は、個人として見ると、実に多くの尊厳に値すべき意識を持っています。しかし、人類とか人間という大きな枠で囲ってしまうと、やがて滅ぶべき生物の1種です。樹木は百年を超え、1000年の単位で生きています。1000年の認識に立ち会うべきものとは、「人間の心」ではないでしょう。
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