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裁判員裁判は 市民感情が反映された、なかなか良い制度だと思います。

神戸女児殺害の犯人にも死刑判決が出されましたね。
人を殺めたら、自分の命で責任を取る、、、。
そういう、当たり前の国にようやく日本もなり始めました。

弁護側は、すぐに控訴などしないで、「被害者側」の

立場を重視すべきです。

ただ、これも状況によります。

パワハラでいつも夫から暴力を受けていた妻とか、

子どもから虐待されていた親、また、その反対。

など、その暴力から逃れようとして殺害してしまった場合などは

考慮すべきです。

みなさんは、裁判員裁判についてどう思いますか?

質問者からの補足コメント

  • うーん・・・

    裁判員制度はプロが居なくなったから導入した訳では無いので、根本的に制度を理解してないんですね。理解してないのに文句を言ってることの方がよっぽど変です。

    国民の我儘が生んだ不必要な制度の典型であり、導入されたらされたで文句言ってる大衆がもっとも非難されるべき『恥』です。

    大岡裁きなんて人治主義の典型みたいなもんですから、あんな司法で裁かれるなどもってのほか。従来通りの裁判で何ら問題など無かったんです。

    No.8の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/03/30 18:46

A 回答 (8件)

本来は例え法であれ 人に人を裁く権利など無い。


だから裁判官は その責任を前例や判例に委ね 自分の心を守る。

裁判員制度は そういった前例主義が世論と離れ 時代に則さない結果を少しでも良くするために導入されたが
時に感情論が大きくなって公正性を失ったり 大多数の意見に流されると 法に則さない結論にもなりかねない問題がある。
そしてもう一つの問題は 例えば死刑判決を下すならば 多くの裁判員は自分の人生観と世界観で判断するしかなく それはすなわち 判決を下す者の命を奪う決断を自分が下したと 永遠にその記憶を背負ってしまうことだ。
もし冤罪であれば その重みは耐え難く大きくなるかもしれない。

自分は裁判員の意見を参考としてまとめ それに対してプライバシー侵害などがないよう司法が回答と現状における見解 そして今後の裁判に対する指針を示し 世間に公表することで折り合いをつけてはと思う。

例え法が裁こうと もし死刑を自分が決めたなら 自分でその者の首を絞めるのと同じ覚悟が必要だ。
だから裁判官は「法が決めた」とするのだから 裁判員もそうしてあげないと可哀想だと思う。
むろん「自分は喜んでその者の首を絞めてやる」という犯罪者と裁判員なら 少なくとも精神的には全く問題はないが・・それだとその裁判員に問題があるかもしれない。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/03/30 11:04

情けないにもほどがある。


と思っています。

堂々と人を裁けるプロフェッショナルがいなくなった。

結果、ド素人である一般人の意見を求める・・・
それでも、自信がないもんだから、死刑を取り消す。

悲しくて、悔しくて、情けなくて・・・


赤穂の人たちでさえ、死をもって償ったのに

私に言わせれば、今回の犯人も、中学生殺人の犯人も、みんな死刑ですよ。
明日の空気を吸わせたくないですね。


私が呼ばれたら、有無を言わさず死刑を主張する人間ですから。と、面接のときに言います。
多分、その段階でおとされるでしょうね。

早く、大岡越前みたいなプロを育てるべきだと思っています。

金メダル候補の育成は、子供の時からやるのに、政治家や司法をつかさどる人材は育成しようとしない。
日本って、変です。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/03/30 11:56

裁判員裁判は、いわゆる市民感覚を忘れた法曹の、“法律バカ的な思考”を基にした判決に対する反省から始まったものだと認識していますが、裁判員裁判が機能するのは地裁までであって、被告が控訴すれば法曹の上級審の判断を仰ぐことになるので、結局は「ガス抜き」的な意味合いでしかないような気がします。


しかも裁判員裁判においても、裁判官が予め敷いたレール、シナリオに沿って行われ、裁判官の思考から外れた意見は、たとえまともであっても排除されてしまう傾向があります。
1審で死刑というのは市民感情や感覚としては妥当と思っても、上級審で覆されてそれが確定したならば、裁判員裁判は「予定調和的な演出」と言われても仕方がないと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

やはり、求刑を超える判決っていうのが好ましくないんでしょうね。

お礼日時:2016/03/30 11:58

「死人に口なし」と言いますよね。


被害者側が精神的虐待を受けていたと主張することで、物的証拠が無くても市民感情をある程度誘導できる半端な制度だと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/03/30 11:04

>パワハラでいつも夫から暴力を受けていた妻とか、


>子どもから虐待されていた親、また、その反対。
>など、その暴力から逃れようとして殺害してしまった場合などは
>考慮すべきです。
他にも考慮すべきケースはたくさんあります。
それを斟酌するのが裁判なんです。

>神戸女児殺害の犯人にも死刑判決が出されましたね。
>人を殺めたら、自分の命で責任を取る、、、。
そういう意味ではありません。
今回は殺し方が残虐だったこと、殺されたのが幼児であったこと、
が考慮されて1人の殺人で死刑判決が出ました。
命で責任を取らせた訳ではありません。
逆に言うと、命で責任が取れるならば1人は殺してもいいことになります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/03/30 10:10

裁判員裁判の判決は尊重すると良いながら上級審で覆す。


判例がないとか判例に基づいてとか言うが、あまりに判例に縋り過ぎなので裁判員の意味が薄れてしまうだけ。
判例がなければ今を判例にすれば良いだけ。
結局裁判員裁判って裁判員に選ばれた人へ精神的苦痛を与えるだけであって、表向きに出して居る裁判員と言う制度は
結局視点ずらしでしかない。
それならば、看護師に准看護師と言う資格が有るように裁判官にも准裁判官と言う資格を新設して、国家試験を通った者達に
今の裁判員と同じ役割を持たせればいい。
ワザワザ仕事を休んで時間を無理矢理作ってまで裁判へ参加し、精神的苦痛だけ残してしまう負担を一派市民へ課さずに
済むでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>裁判員裁判の判決は尊重すると良いながら上級審で覆す。
判例は やはり刑の相場の目安でしょう。だから、判例を重視しながら 修正するのが目的であり、根本から覆すものではないからでしょう。
物の値段にも相場があるように、刑罰にも相場があるってことでしょうね。
これを度外視すると、刑罰も骨董品の値段みたいになるのを危惧しているんでしょうね。
同じような事件を起こしても 犯人のルックスでや、タイミングとか希少性などで刑罰が左右されるのも好ましくないのでしょう。

お礼日時:2016/03/30 10:09

現在の日本に終身刑が無いいじょう、死刑判決は妥当もしくは当然と言わざるケースが多いと思われます。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/03/30 10:10

裁判員裁判で決まった量刑を、上級審で覆す。


其れも、量刑が重すぎるとか前例が無いとかで。
何の為の裁判員裁判か。
裁判官に世間並みの良識が無ければ、
絵に描いた餅に過ぎない。
どうも、日本の裁判官には世間並みの良識は、
期待出来そうに無い。
前例、判例に固執するのは、
上から睨まれず出世に響かない様にの思いだろう。
そんな人間に裁かれては、浮かぶ瀬も無い。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/03/30 09:26

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