1. 孤独からの帰還か 孤独への還帰か?
2. 孤独地獄から生還するというよりは ひとは 孤独に立ち帰っておのが存在たる
ことが出来る。と見るべきか?
3. 孤独とは たぶん 他者とのあいだで ひとが独りであることが切り結びするこ
とである。
4. 孤独とは 孤独関係である。
5. この自己了解から われは いま・ここなるわれに立ち戻って来て 社会的な不
自由や不安やまた広く孤独関係に向き合ってあゆむものか。
6. それとも われが社会にあって孤独関係なるわれに立つとき むしろおのが孤独
なる固有の存在に立ち還っていると見るべきか。
7. 《わが固有なるとき》こそが われのわれたる所以である。か?
No.1
- 回答日時:
物質は多数の元素の集まりであるが 一個の原子は独立した孤独な状態であり それがくっつくと物質としての性質を帯びる。
人間も 人一人は孤独で独立した存在であるが これが集まって社会を作り 独自の性質を帯びる。
「全ては個であり 孤独である」は真実であるが これが性質を帯びるには「集団化しなければならない」のだ。
故に 他と切り離し関わらない個は 人間の性質を持てない。
よく人は「自我」と称して自らを認識するが この多くは他の環境から作られた「世界観」の集まりであり 厳密に「自我」といえるのは 実は楽しくおいしく嬉しければ良いという 単純な本能くらいしかないのが本当のところではある。
故に 孤独と向き合った時にもし 楽しくもおいしくも嬉しくもないのなら 自我と反する認識であって矛盾と誤解を抱えている。
今そこに在るものはかならずそこに在った理由があり それ以外のものにも別の時にも 在り得ないもの。
それを固有と呼ぶのも良いだろうが 流転の中 川の流れの1分子を見て 「それが所以」とこだわる事に そんなに意味は無いとは思う。
結果として人間の個の役割としては 「まあ少しは善く在ろうとすれば良い」程度だと思う。
ろかばうらさん ご回答をありがとうございます。
こちらの見解を勝手にぶつけてまいります。
★ 一個の原子は独立した孤独な状態
☆ こういう言い方をするかなぁ。するとしたら 文学的表現では?
モノ(質量)あるいはコト(エネルギー)は そもそも量子の場そのもの
ではないのですか?
その場が ユラギを起こし 中には個別のモノとして離れて行った状態に
なる。
それを
★ 孤独な状態
☆ と言うのでしょうか? でも
★ 独立した状態
☆ と見るかは 微妙なようにも思われます。相互の依存関係およびその
相互影響による因果関係のもとにある。とも思われますが?
あぁ 《原子が》ですか。でも どうなんでしょう。
★ 「全ては個であり 孤独である」は真実であるが これが性質を帯び
るには「集団化しなければならない」のだ。
☆ この点はですね。《孤独なる個》がそのまま・つまりその孤独性もし
くは〔相対的な〕独立性を帯びてさらにこれを保ったまま ほかの人たち
と相い交じわる。のではないかという趣旨ではあります。
独立した個であるゆえ 社会という集団をもかたちづくることが出来ると。
つまり 孤独が《孤独どうしの関係》であることにおいてすでに《社会的
動物》としての関係性は帯びており これを意識し自覚するかたちでも持
っている。のではないかと。
★ 今そこに在るものはかならずそこに在った理由があり それ以外のも
のにも別の時にも 在り得ないもの。それを固有と呼ぶのも良いだろうが
☆ この見方とはびみょうに違うという感覚を持ちます。
単純に《掛け替えのないそれぞれのわたし》が 固有という意味だと。
たとえば 孤独である状態は 人間として誰もに同じであるかも知れませ
ん。でもこれを味わう・あるいはおのれの元におさめるといったことは
わが固有の時である。と思われるのです。
われがいま・ここに在る理由があったとしても・なかっとしても そして
そのことが自分に分かったとしても分からなかったとしても われは我が
固有のときをそなえた他の誰でもない人であり存在だと思うのですが。
《自我》についてそれがマヤカシであるとおっしゃっているとしたら 我
が意を得たりと思います。
No.2
- 回答日時:
孤独は多くの人の心に恐怖としてありますね。
しかし、孤独は自らが招いた結果であることが少なくありません。
孤独でない人と孤独な人の差は、人生観においてとても大きいです。
ご回答をありがとうございます。
★ 孤独は多くの人の心に恐怖としてありますね。
☆ そうですかね。かすかに そういった心の状態にあった時期のこと
が 思い出されるような感じですが。
★ しかし、孤独は自らが招いた結果であることが少なくありません。
☆ ん? そうですかね。
つまり わたしの場合は ひとはもともと孤独である。です。
孤独を感じないでいる状態というのは ただ仕事や日常のことやに心が
紛れて 気づかないだけだとも思います。
★ 孤独でない人と孤独な人の差は、人生観においてとても大きいです。
☆ そうですかねぇ。
クリスマスツリーの樅の木本体は どっちの人にしても ひとの自然
本性としてまったく同じである。とは思っているのですが。
ぜんぶ反対してしまいました。
もっとも 逆にすれば ほとんど同じ内容の世界を見ているのかも分か
りません。
No.3
- 回答日時:
No.2です。
「★ しかし、孤独は自らが招いた結果であることが少なくありません
・・☆ ん? そうですかね。
つまり わたしの場合は ひとはもともと孤独である。です」
→もちろん、一人で生まれて一人で死んで行きますからね。
「孤独を感じないでいる状態というのは ただ仕事や日常のことやに心が
紛れて 気づかないだけだとも思います」
→そんなことはないと思います。
私の場合は、孤独の状況でも寂しくないような自分を普段から作っている。そんな人生観です。
「★ 孤独でない人と孤独な人の差は、人生観においてとても大きいです
☆ そうですかねぇ。
クリスマスツリーの樅の木本体は どっちの人にしても ひとの自然
本性としてまったく同じである。とは思っているのですが」
→すみません。その意図がよく分りませんでした。
ご回答をありがとうございます。
★ 私の場合は、孤独の状況でも寂しくないような自分を普段から作っている。
そんな人生観です。
☆ という同じ趣旨で この質問を問うています。よ。
ですから 生活日常にあっても ひとつの基礎は むしろ孤独なるわれという
ことに置いていることが 出来るのではないか。そういう行き方もあるのでは
と尋ねていたのです。
クリスマスツリーの樅の木は 基礎としての孤独なるわれであるという意味で
す。カザリは 極端に言えば どうでもよい。
カザリをつけても 基礎は 樅の木にあるといった感じです。どうでしょう。
No.4
- 回答日時:
No.3です。
「★ 私の場合は、孤独の状況でも寂しくないような自分を普段から作っている。そんな人生観です。☆ という同じ趣旨で この質問を問うています。よ」
→そうでしたか。
そう読み取れませんでした。
「ですから 生活日常にあっても ひとつの基礎は むしろ孤独なるわれということに置いていることが 出来るのではないか。そういう行き方もあるのでは
と尋ねていたのです」
→そうでしたか。それであれば、その通りでしょうね。
No.5
- 回答日時:
こんばんは、ぶらじゅろ~ぬさん。
クリスマスツリーの華美で豪華な飾りに目を奪われている人に、莫大な言葉と時間を使って【樅の木を見よ!】と切々と訴えたところで、果たしてどれぐらい伝わるのでせうか。というやうなことが先月plapotiさんから届いた手書きのお便りに書かれてゐました。
相変はらず僕は【宇宙のみなしご】だから、こそ、ときどきどうしても友達と手を繋ぎたくなります。
勝手ながら場所をお借りします。
grass_rootsさん、この質問に回答してみてください。わたしはあなたの質問に次の回答を書こうとしていますが次は少し遅くなります。明日も仕事なのでもう寝ます。おやすみなさい。
こんばんは。ご回答をありがとうございます。
ぐらす_るーつさんの質問の関連ではあります。この質問です。
いくらかいぢわるな(へその曲がった)受け答えをしますが:
★ 【樅の木を見よ!】
☆ とは言っていません。飾りといっしょに樅の木をも見よです。
対立する二項について その対立を見よという言い方をしたくあ
りませんし 二項のうちの一方だけを見よというふうにも言いた
くありません。
そう言えば しかしながら この質問の趣旨説明でも その言い
たくない言い方をしていると受け取られても仕方がないようであ
るとは 思いました。
――そうだったんですねぇ。残念ながら。
No.6ベストアンサー
- 回答日時:
こんにちは、ぶらじゅろーぬさん。
そして瀬里香さん。二日ほどこちらを見ていませんでした。
今、先の「質問」に大方のお礼を投稿してきました。
すみません、肝心のお二方は、もう少しお待ちください。(心の中ではお礼済みではありますが)
わたしがらみの質問
>ぐらす_るーつさんの質問の関連ではあります。この質問です。
であり、瀬里香さんのご指名であれば自分の意見を簡単に述べようと思います。
(もっともわたしにはそれが限界で、ぶらじゅろーぬさんの「更なる深みへ」は、ついていけそうにないことを、予めご了承ください。)
◆
>1. 孤独からの帰還か 孤独への還帰か?
「孤独って?」
孤独とは、物理的に、肌寄せ合う人がいないことか?
或いは精神的な繋がりを誰とも持つことが出来ないという感覚か?
では「孤独」の対義語はなにか?「帰属」?「社会」?「集団」?
個人的には「孤独」と対の言葉は「友」
孤独からの帰還を切に願いますが、それは「誰それへ」或いは「どこそこ」への帰属ではなく、
自分が自分でいることを保証してくれる「Someone」との友好関係です。
『孤独はいいものだ。けれども、「孤独はいいものだ」と、語り合える誰かがいることはもっといいことだ』(バルザック)
これが理想です。
>2. 孤独地獄から生還するというよりは ひとは 孤独に立ち帰っておのが存在たることが出来る。と見るべきか?
帰属することによって、個が埋没してしまうことは避けなければならないと思います。
これは「孤独のパラドクス」ですが、「わたしが完全にわたしであることを容認してくれる相手」が友と呼びうる人であり、
わたしが殺人を犯していようと、ジャンキーであろうと、受け容れる人です。(わたしは「友」が犯罪者であっても一向に構いません)
>ひとは 孤独に立ち帰っておのが存在たることが出来る。
これは全く同意見ですが、その前提としては、孤独地獄からの帰還イコール「社会への帰属」ではない、ということかと思います。
>3. 孤独とは たぶん 他者とのあいだで ひとが独りであることが切り結びすることである。
>4. 孤独とは 孤独関係である。
無論そうでしょう。孤独の状態こそわたしが完全にわたしである状態だと思っています。(で、あるから「孤独」に陥るのですが)
その「わたしがわたしである」状態を認めてくれる相手との交流、それが「孤独」の交流ではないかと思います。
5.は解読不可能
6は7と同じように思うので
>7. 《わが固有なるとき》こそが われのわれたる所以である。か?
わたしがわたしである状態は「孤独」に立脚するとはいえ、それをサポートしてくれる存在=愛が必要です。
つまり「わたし」が「わたし」であるためにはそれを認め、支えてくれる存在が必要です。
無論これを一般化するつもりはありません。あくまでわたしの個人的な意見に過ぎません。
結論としては、先ほどのバルザックの言葉のように、「孤独を認め合える友」が理想です。
『寒いねと、いえば「寒いね」と、こたえる人のいるあたたかさ』 (俵 万智)
孤独を考えるなら、その片割れである「友」とは何かをも同時に考えなければならないのでしょう。
(孤独の対概念が友と考えているのはわたしですから、それを考えるのもわたしですね)
以上、完全なる「非哲学的」私見を述べさせていただきました。
つづく№7を読み合わせて ううーんとうなってしまいました。
ぐらす_るーつさん まづはご回答をありがとうございます。
こちらのスレッドであらためて こんにちは。
そうですね。まづ思い浮かぶのは
承認欲望
でしょうね。《わたしがわたしである》ことが 社会的でなくてはならない
ので 何らかのかたちで・われ以外の同じ人間という存在によって 確認さ
れる必要がある――といったひとつの理論ですよね。
《確認》だけなのだとわたしは理解しているのですが。
つまりは あぁ きみは孤独のうちにおのれ自身としてのあり方を築いて来
たんだねというような言葉がかけられること。これだけでよいとは思ってい
ます。
でもね。ぐらす_るーつさんは――つまり 《ううーんとうなった》ことに
ついてなのですが――すでに ほかの孤独に立つ人たちにその《他者による
確認》の声をかける側にある。のではないかと感じたのです。
われのもうける対話の場に来てくれるなら その《声掛け確認》をご用意し
ていますよとまで言っていそうな《文体》なんだなぁ。と思ったからです。
ご自覚はないのかも知れません。ひょっとすると。
ただし そのような庭が見える縁側の席に人びとをまねいておられる。
わづかに あれっ ちょっと・・・と思うことは ご自身がなおへりくだり
の蓑をつけているので その姿が凹みのかたちをしているかに見えることで
す。
じっさい:
▲ 『寒いねと、いえば「寒いね」と、こたえる人のいるあたたかさ』
(俵 万智)
☆ といった形だけのおもてなしだとすると ちょっと月並みである。それ
ゆえなのかどうなのか ご自分は一歩身を引いて話し合いを持とうとしてお
られる。
★ ~~~~~~~~~~
『孤独はいいものだ。けれども、「孤独はいいものだ」と、語り合える誰か
がいることはもっといいことだ』(バルザック)
これが理想です。
~~~~~~~~~~~~
☆ これをすでに実現してしまっている。つまり そのことの確認をたとえ
ばこういった質疑応答の場で しっかりと現実なのだと知ろうとしている。
文体を こう受け取りました。
これでやっとボールは打ち返し得たかなと。ふうーうです。
そちらからは テニスなどしていないと言われそうですが。
No.7
- 回答日時:
追加
つまり「孤独」は避けるべき状態ではなく、「孤独からの生還」でもなく、
「わたしの孤独を受け止めてくれる」誰かを。「孤独を保証」してくれる「誰か」を求めています。
わたしにとって孤独とは、「わたしが、まさにわたしであるが故に」生じる状態です。それは「わたしの本来の状態」です。
であれば、それを損なうことなく包み込んでくれる存在が必要なのです。
「我を孤独たらしめる愛(友情)(繋がり)」
№6のお礼欄で 《渾身の筆を揮いました》ので いましばらくは 言葉が
ありません。
あっ。ひとつ。かろうじて思い浮かびました。
★ 「誰か」
☆ はやっぱり 神しかいませんよ。ドン引きでしょうけれど。
No.8
- 回答日時:
こちらにも、ちょっと感想めいたことを。
>《わたしがわたしである》ことが 社会的でなくてはならないので 何らかのかたちで・われ以外の同じ人間という存在によって 確認される必要がある――といったひとつの理論ですよね。
そうですね。わたしがわたしであることが、社会性を持つことが出来るといいですね。
でもこれはぶらじゅろーぬさんの「クウキ」ではありませんが、「個」を排除しようとする社会ではなかなか難しいことだと感じています。
シューマンだったか、ベートーベンについてこんなことを言っています。
『彼は表と裏の顔を使い分けるということができなかった。だからいつでも孤独だった』と。
個性を、合わせようとしない人を、「疎外」するというのは、人間の性(さが)のようなものなのかもしれません。
>ぐらす_るーつさんは――つまり 《ううーんとうなった》ことについてなのですが――すでに ほかの孤独に立つ人たちにその《他者による確認》の声をかける側にある。のではないかと感じたのです。
>われのもうける対話の場に来てくれるなら その《声掛け確認》をご用意していますよとまで言っていそうな《文体》なんだなぁ。と思ったからです。
>ご自覚はないのかも知れません。ひょっとすると。
ただし そのような庭が見える縁側の席に人びとをまねいておられる。
ええ、自覚はありませんし、わたしが何かしらを「与える」側の人間になるということがあまり考えられません。
これは「与えようという気持ち」の有無ではなく、「与えるもの」の有無でしょう。
わたしは「無一物」だと思っていますので(苦笑)
ぶらじゅろーぬさんは、わたしの「文体」に、よそよそしさ、自己韜晦のようなものを感じられたのでしょうか。
だとするとそれは意図してそうしたのではなく、叩かれ続けてきた者の臆病さのようなものかもしれません。
>『寒いねと、いえば「寒いね」と、こたえる人のいるあたたかさ』
これは「寒いね!」
「じゃあおれがあっためてやるよ」
ではなく、
「寒いね」
「うん。寒いね」
の「あたたかさ」なんです。(笑)
『寒いねと、いえば、抱きしめてくれる人のいる暖かさ』とはちょっと違う。(こちらもいいですが(笑))
また考えがあれば書きますので、もう少し開けておいてください。
ぐらす_るーつさん お早うございます。
ご回答をありがとうございます。
積み残しからです。
★★(回答№6) 5.は解読不可能
☆☆(趣旨説明欄) ~~~~~~~~~~~
5. この自己了解から われは いま・ここなるわれに立ち戻って来て 社会的な不
自由や不安やまた広く孤独関係に向き合ってあゆむものか。
~~~~~~~~~~~~~~
☆☆ いま・ここなるわれに立ち戻って来て
☆ ここが しみったれた表現でした。《時間的空間的に・現象として 立ち戻る》と
いう意味でした。
《そこでは 孤独と孤独の関係が じっさいにそのことを口に出して人びとがうったえ
ていることにもなっている。それにも実際に向き合う》 でした。
《承認欲望》ですが これは おそらく無視することは出来ない相談だと見ていますが
けれども ほとんど要らないかのような要素ではないか。
また矛盾したことを言いましたが 一方で基本として 《孤独》と言ってしまえば そ
こには関係性・社会性がふくまれています。社会の中にいないなら・そして社会がない
なら その一人の人間は 《孤》とも《独》ともあるいは《個》とも言わないと思われ
るからです。
《無視し得ない要素》だと見るのは まさに社会としての人間関係の中におのれも存在
するゆえ その関係性の一部として自分の主観の中にも入りこんでいる。と思われるか
らです。
自分を見失っている人もいるということだと思います。
生まれつきの状態としての自然本性には 関係性がそなわっている。
だとしたら 社会性を確認する声掛け運動は 必然的に成るように成る。と。
★ 無一物
☆ は 孤独とほぼ同義ではないかと。
★ ~~~~~~~~~~~
「寒いね」
「うん。寒いね」
の「あたたかさ」なんです。(笑)
~~~~~~~~~~~~~
☆ つまりそれでしたら すでにそういった仲に成っている・すでに条件は満たされて
いるとも思われるのです。
《月並み》と言ったのは 隣近所の人とでも そういった会釈とあいさつはすると思っ
たからです。
★ 『寒いねと、いえば、抱きしめてくれる人のいる暖かさ』とはちょっと違う。(こ
ちらもいいですが(笑))
☆ 《抱擁》は 【Q:縁側】のほうで考えます。
《自己韜晦》も 保留です。
No.9
- 回答日時:
こんばんは、ぶらじゅろーぬさん。
>《承認欲望》ですが これは おそらく無視することは出来ない相談だと見ていますが
けれども ほとんど要らないかのような要素ではないか。
>また矛盾したことを言いましたが 一方で基本として 《孤独》と言ってしまえば そこには関係性・社会性がふくまれています。社会の中にいないなら・そして社会がないなら その一人の人間は 《孤》とも《独》ともあるいは《個》とも言わないと思われるからです。
>《無視し得ない要素》だと見るのは まさに社会としての人間関係の中におのれも存在するゆえ その関係性の一部として自分の主観の中にも入りこんでいる。と思われるからです。
>自分を見失っている人もいるということだと思います。
>生まれつきの状態としての自然本性には 関係性がそなわっている。だとしたら 社会性を確認する声掛け運動は 必然的に成るように成る。と。
最初の「積み残しの解説」もちょっとわかりませんでしたので、理解できる範囲で。
仰る通り、「孤独」は関係性です。では「何との」相関性なのでしょう?「社会」?「社会」ってなんだ?
「人間」?
「孤独でない」状態から考えてみると、例えば仕事を持ち、家庭を持つということは一応「孤独から免れた」状態のようですが、
どうも結婚したから、組織に属したからというような「社会性」を持つことが「孤独じゃない」かというとそうでもないようです。
そこで、自分をありのままに承認し受け容れてくれる「誰か」がいるか、いないかではないかと思います。
昔の歌にもありましたね " You are nobody till somebody loves you " って。
そういう人の不在が孤独の状態で、大きく「社会」とか「集合体」との関係性かどうかは疑問です。
またこのSomebody は必ずしも「人間」ではないかもしれない。「自然」かもしれないし、「動物」かもしれない。
「受け容れられる」対象は必ずしも「人間」とは限らないのかも。
>★ ~~~~~~~~~~~
「寒いね」
「うん。寒いね」
の「あたたかさ」なんです。(笑)
~~~~~~~~~~~~~
☆ つまりそれでしたら すでにそういった仲に成っている・すでに条件は満たされているとも思われるのです。
《月並み》と言ったのは 隣近所の人とでも そういった会釈とあいさつはすると思ったからです。
これは「寒いね」という「対話」を、どのレベルで捉えているかで随分見方が違ってくると思います。
確かに八百屋の親父さんともこういう対話は成立するでしょう。お隣と顔をあわせれば当たり前のように出てくる言葉でしょう。
でも、わたしの中で、「寒いねといえば、寒いねと、答える人のいる温かさ」という歌が表現しているのは、いまそこにいる、かけがえのない存在との交流です。ただ、これは一枚の絵をどう見るかが、人それぞれであるように、全く個々人の感受性に基づくものなので、
わたしはこの歌に「かけがえのない大切な存在」との交流を感じたという、わたしの感じ方を説明できるだけです。
「縁側哲学」のほうは、yy8さんや瀬里香さんとのやり取りを参考にまた発言させていただきます。
お早うございます るーつさん。ご回答をありがとうございます。
飛躍します。飛躍したところでも 飛んだ推理とトンデモない発想をして
みます。
こういうことを言った人がいましたね。:
▲(ヨハネによる福音書/ 15:18―19) ~~~~~~~
世があなたがたを憎むなら、あなたがたを憎む前にわたしを憎んでいたこ
とを覚えなさい。
あなたがたが世に属していたなら、世はあなたがたを身内として愛したは
ずである。だが、あなたがたは世に属していない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ したがって(!?):
▼ You are nobody till you love yourself and that you realize when
you love yourself, you are loving somebody or anybody, everybody
at the same time.
☆ つまり 神を愛するなら 神などはいないと思って行動することにす
るのだ。
わづかに それでも神が普遍神であるなら 人間はおのおのただ独り独り
なのではなく互いにカカハリを持つ。
神が無根拠であるなら――義無きを以って義とするなら―― 人と人との
関係性は 絶対である。
(義があると思ったら その人間の考える義によってその範囲内で人びと
は互いにつながっている・・・ことになる)。
孤独と孤独との互いの承認 これは 言わば自然史過程にあって必然的に
成ると思ってよいのではないかとも。
俳句の世界は 一瞬ごとの感性のうごきに――また その感性のウゴキの
対象を模写したその表現の中から――世界を見るというのでしょうか。
わたしの場合は そのことをものごとの超越論的な思惟をとおしておこな
っているのかなと思いました。
俳句哲学は 縁側も然ることながら 茶室哲学であるようですね。
ピッチでの世界選手権との兼ね合いでは 道遠しだなぁと思わざるを得ま
せん。
ですからわたしは これまで神学という場で試合をして来ました。
でもですね。音楽では 法螺貝や尺八のブオーッというひと吹きで世界を
見るとも言います。これを哲学にできればいいのでしょうけれど。
生活体験とその歴史で 世界とあい対するしかないのかという問題にもな
るかも分かりません。
No.10
- 回答日時:
追記
「孤立」というのは、帰属する集団・社会との関係性でしょう。
「会社内での孤立」「家庭での孤立」「クラスでの孤立」
でも「孤独」は単に存在の状態/形態ではなく、「こころの状態」「内面の在り様」だと思います。
ですから単に社会との関係性の中で、「属する」「属さない」のみではとらえられないものではないかと。
ぶらじゅろーぬさんが、そういう捉え方をしている、というのではありません。
なあんだ。るーつさんは 哲学専攻だったんぢゃないですか。
いつかどこかで聞いたような感じもするんですが このところは そういう
こととは知らずに相対していました。
ご回答をありがとうございます。ツッコミありません。
言わずもがな:
▲ (アウグスティヌス:精神は むしろ自己に付加したものを取り去らな
くてはならない) ~~~~~
それでは 精神はどのように自己を問い求め見出すのであろうか という不
思議な問いがある。
しかし 精神は愛をもって思惟する感覚的なものすなわち 物体的な
ものに愛によって慣らされているゆえに それらの〔* 感覚的なもの・物
体的なものの〕似像(にずがた)なくしては自分自身のうちに存在し得ない
のである。その点で精神の恥ずべき誤謬が発生する。
精神は知覚された事物の似像〔* または視像〕を 自己だけを見つめるた
めに自己から見分け得ないからである。それらの似像は愛の膠(にかわ)に
よって不思議な仕方で精神にへばりついている。これが精神の不純である。
というのは 精神は自己のみを思惟しようと努めるとき それなくしては自
己を思惟し得ないものを自己であると思いなすからである。
したがって 精神は自己自身を認識するように命じられるとき あたかも自
己から取り去られたもののように 自己を問い求めてはならない。むしろ自
己に付加したものを取り去らなくてはならない。
そこで 精神はより内的であるから その愛の情念を感覚的なものへ向ける
とき 自己自身から或る仕方で外に出る。
感覚的なものは多くの意志の志向の跡として精神の中に残る。
この跡は 外側に存在する物体的なものが知覚されるとき いわば記憶に刻
印されて たといその事物が不在のときでも その似像は思惟する人々〔の
内〕に現在するのである。
だから精神は自己自身を認識せよ 不在なもののように問い求めないで 他
のものの上にさ迷っていた意志の注視を自己自身へ固着し 自己自身を思惟
せよ。
しかし 精神は他のものを自己と共に愛することによってそれを自
己と混同し 或る仕方でそれと癒着したのである。かくて 精神は異なるも
のを一つのもののように抱懐することによって 異なるものを一つのもので
あると思いなしたのである。(『三位一体論』 10・8-9 中沢宣夫訳)
~~~~~~~
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★ つまり 「あなたが現にあるがままのあなたであるがゆえに、全人類が唾を
吐きかけてきた」ら・・・?
☆ まづ《唾を吐きかけられるほどの存在》である われは。と思うでしょうね。
何もしない・現にあるがままのわたしにして それくらいの存在ではある。
自殺は関係ないでしょうね。するとしたら むしろ人びととつながったという喜び
のあまりそうするかも分かりません。
そしてその《気づき》をわたしが得たなら 人びとは目聡い者だと思うのですが
おそらくわたしの傍に寄って来るのではないでしょうか。おまえは 人間が出来て
いると思うのでしょうね。
これで めでたし めでたし! ――てなもんや ですね。
シオランは あいにく知りませんで勘弁を。