『ボヘミアン・ラプソディ』はなぜ人々を魅了したのか >>

科学技術の進歩はコンピュータの進化やインターネットの拡大のようなもので時の流れとともに必然的に達成されるものであり、むしろ誰もその進歩発展を止めることはできないものと思います。
つまり科学技術の進歩は時の流れとともに言わば自動的に起こるものと考えます。
しかしながら最も完成された形の哲学、真に理念のある信仰などは時の流れとともに自動的には生まれない、これを生むのは神と呼べるほどの天才の出現が必要なのではないでしょうか。
思うに今日の世界にはキリスト教、ユダヤ教、イスラム教、仏教など既成宗教と呼ばれる巨大宗教は存在します。
しかしこれらのものは我々が現実に直面する人間精神の問題を何一つ解決できるものではないばかりか、世界の至る所で争いごとばかりを生みだすものであり、信仰とは程遠いものばかりではないでしょうか。
仏教は生命倫理の問題に対し何一つ答えを与えることが出来ません。
既に日本の仏教界は完全に葬式仏教化しており、一切の理念を失い人間精神の問題を扱うことはできなくなっています。
キリスト教もユダヤ教もイスラム教もただただ奇跡を説くカルトに成り下がっています。
はっきり言えることは今の人類には正しい信仰がないということです。
いま人類が必要としているものは科学技術の進歩でもなく、経済発展でもなく、真に理念ある哲学であり、正しい信仰ではないでしょうか。

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A 回答 (11件中1~10件)

>はっきり言ってオツムが硬い。



んにゃ、オツムが柔らかくないんじゃよ。英訳すると混乱が生じるから、ここは言葉をきちっとつかわにゃならん。あたしゃ、ヘーゲルおじさんの弁証法と分岐の理論は同じもんと思っていたが、違うんかね。

温度って、熱平衡の時の粒子の速度分布がガウス分布(マクスウェル分布)してるんで、その分布関数の幅のことだ。だから、温度は熱平衡か、それに限り無く近い場合にのみ意味がある量だ。んで、社会現象って高度に非平衡状態にあるんで、温度なる概念が全く意味をなさなくなっている現象なんじゃないの?(世の中、安定しているときなんか、定常状態に近い状態だが、これは非平衡定常状態なんで、平衡状態にいるわけじゃないんだから、そこを混乱しないように。)ミッちゃんミチミチの言う温度場って、カエルの目が顔から飛び出していて、カバの目も顔から飛び出しているから、カエルは哺乳類だって言っているように聞こえるんだが、やっぱあたしゃオツムが柔らかくないんかね。

前にも言ったが、カオスの理論を脳波に適用した結果、脳内世界の次元は距離空間として、果たして有限次元で収まるかどうかは疑問だと実証されておる。だからと言って、無限次元空間の中で距離が定義できないわけじゃない。ただし、この場合、有限次元だろうが無限次元だろうが、脳内世界でもある種のシュワルツの不等式が成り立っていると言う仮説が入っている。んで、その仮説が正しいと確認されたとは、オツムの柔らかくないあたしにゃ寡聞にして、聞いたことが無い。でも一旦距離が定義できたなら、あとは数の問題で、こっちの数には使えるが、あっちの数に使えないなんちゅうことは、数学にはないんじゃよ。

人間の事象は高度に非線形なんだが、未だに非線形数学はほとんど何も解っていない段階にいる。それに加えて、関数空間の距離の選び方は無限の可能性がある。それどころか、人間の事象は関数として表されるのか、関数の関数、すなわち汎関数として表されるのか、それとも、関数の関数の関数なのか、、、ってなところも、まだ数学が未熟過ぎて、良く判っていないってないのが現状だ。でも、何とか数学的な表現でこの複雑な事象を分析できないものかと科学者たちは地道な努力を重ねて来ており、それなりの信用できる成果を少しづつあげて来ているのが現状だ。ヘーゲルおじさんの弁証法って、分岐の理論で数学的に定式化できるじゃんかってな例も、その数少ない例の一つだと、あたしゃ思っているんだが、どんなもんかね。
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この回答へのお礼

>有限次元だろうが無限次元だろうが、脳内世界でもある種のシュワルツの不等式が成り立っていると言う仮説が入っている。

私もこれについては以前から思索していて、これは可能ではないかと考えているんです。
脳内世界の構造を科学的に解明する学問があるとするなら、現時点では心理学がこれに最も近いものではないかと思うのですが、心理学はこのような根本的な問題には全く取り合わないというスタンスでいますね。
それは極めて困難な問題だからかもしれないけど、このような根本的な問題を扱わないようでは学問とはいえない。
それ故に心理学は学問ではないと見なしています。


>人間の事象は高度に非線形なんだが、未だに非線形数学はほとんど何も解っていない段階にいる。それに加えて、関数空間の距離の選び方は無限の可能性がある。それどころか、人間の事象は関数として表されるのか、関数の関数、すなわち汎関数として表されるのか、それとも、関数の関数の関数なのか、、、ってなところも、まだ数学が未熟過ぎて、良く判っていないってないのが現状だ。

この問題に正面切って挑める学問はやはり哲学と数学を除いて他には存在しないと考えます。
おそらく数理哲学が最も近いのではないかな。
現代の数学と哲学が神のレベルに近づけばこれに対する答えは必ずや出ると思っています。
そこで表題の質問において、「いま人類が必要としているものは真に理念ある哲学であり、正しい信仰ではないでしょうか」と掲げたのであります。
私が宇宙の法則と呼んでいるのは、このような問題に対し理路整然とした答えを与えるような法則のことで、それは言わば神の領域とみなしてよいでしょう。
そして真に理念ある哲学を探求すれば、最終的には宇宙の法則、すなわちアルケーの神の領域にたどり着くということです。
ということでこの辺りで、↓を拝んでみてはどうでしょうか。

https://www.youtube.com/watch?v=O40j4PqRJWk

お礼日時:2016/04/21 18:33

>ヘーゲルおじさんは別に二者択一とは言っとらんがねもし。



どーも、あたしゃ頭が柔らかくないせいか、アンチって毛唐の言葉じゃ意味が解んなくって、アンチって、ああ、反対とか逆ちゅことかってな具合にしか考えられないんだよね。んで、反対ってのは、元のものとの反対側にあるちゅうことで、その反対側っちゅうものが沢山あるっちゅうのも、訳がわかんない。だから、アンチっていったら、二者択一のことだと頭の柔らかくないあたしなんざ、そう思うんだ。文系の連中は頭が柔らかいんで、反対って沢山あることなんか。道理で文系の奴らの言うことは訳がわからんわけだ。んで、 soft brain ってえのは英語じゃ頭が腐っているって言う意味だと聞いたことがある。

やっぱ、文系は理系の言う空間の意味が解っていないようだ。数学じゃ、空間とは距離の定義できる場合の集合のことを言う。んで、距離って言うのは、三角形の二辺の和は他の一辺より小さくない、ってことが言えることを言う。だから、シュワルツの不等式が成り立っていれば空間が定義できる。関数空間なんて言うのはユークリッドの距離以外に、いくらでも定義が出来る。そして、一旦距離という数値化ができれば、それが、時空の空間だろうが、関数空間だろうが、社会現象の空間だろうが、皆、数の間の関係なんで、あっちに使えて、こっちに使えないってことは無いんだ。だから、数学は一端数に直してから物を言うことになっている。だから数学って言うんだ。そして、だから数学には普遍的な威力があるんだ。あんたの言い分を聞いていると、多分数学のなんたるかや距離の意味や空間の意味が解っていないんかな、なんて印象を持っちまった。
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この回答へのお礼

>どーも、あたしゃ頭が柔らかくないせいか、アンチって毛唐の言葉じゃ意味が解んなくって、アンチって、ああ、反対とか逆ちゅことかってな具合にしか考えられないんだよね。

はっきり言ってオツムが硬い。
こんなんは簡単だ。
例えば一人の人間が日本国憲法は合憲だ何だとか言ったら、周り一面四方八方からいろんな奴らがやって来てコレコレが悪い、コレコレの理由で間違いとかいろんな事をいってくるだろーよ。
だから四方八方からやって来るいろんな人間相手に戦わねばならんのよ。
だからヘーゲルおじさんは別に二者択一とは言っとらんよ。
簡単なことだよ。

>だから、シュワルツの不等式が成り立っていれば空間が定義できる。


だからそれを突き詰めるとどうなるかって昔から考えてたんだ。
例えば人の間の考えの違いや、理解の程度、共感の程度の違いを表すのによく「温度差がある」言ったりするね。
ではこのときの温度って何なの、どのようにその温度は測るの、その温度の単位は何なの、ケルビンでしか温度は計量出来ないものなの、社会現象における温度場って考えられないの・・・等々いろいろ疑問が湧いてくるんではないのかい。そんな疑問は湧かない?
距離にしたって同じことで、心理的な隔たりって距離では有り得ないの、距離はメートルでしか測れないもんなの・・・等々いろいろ疑問が湧いてくるんではないのかい。そんな疑問は湧かない?

>そして、一旦距離という数値化ができれば、それが、時空の空間だろうが、関数空間だろうが、社会現象の空間だろうが、皆、数の間の関係なんで、あっちに使えて、こっちに使えないってことは無いんだ。

それで以前にこんな質問したんです。

脳内世界の次元
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9197311.html
これについて少なくとも心理学などは全く考えていないってことがはっきりしました。
しかし哲学的には解決の糸口は存在するんではないかって考えているんです。
数理哲学って何やってんだろーね。

お礼日時:2016/04/21 11:19

>これらのものがあといつまで持つかは分かりませんが、このような進歩発展のないものはいずれ腐敗し崩壊するとヘーゲルは説いている。



折角哲学欄で論じているんだから、少し勉強してみましょう。

先ず、ミミズの例ですが、ミミズは数億年形態も生態も変えずに安定して生き残っています。ヘーゲルおじさんが何と言おうが、この事実を変えるわけにはいかない。あんたが、

「これらのものあといつまで持つか分りませんが」

と疑問を持つ根拠はなんかね。もしかしたこのミミズと同じで、いつまでたっても滅びないでいられるかもしれんて思わんかね。あれとこれは別なんかね。んで、どこが別なんかね。哲学の良いテーマだと思わんか。

次に、ヘーゲルおじさんのお言葉を金科玉条に受け取っているようだが、なんで

「あるテーゼを実現しようとすると、必ずそれに対するアンチテーゼが巻き起こる」

なんちゅう、二者択一なんかね。なんで、三者択一や四者択一やN者択一じゃないんかね。

人間て頭良いから、その根拠の説明が出来なくても経験から的を射ることを何度も言って来たんだね。ヘーゲルおじさんのこの主張もその類いだ。だが、ここに文系の限界がある。その点、理系じゃ、そんな経験則を数学的に表現する努力を地道にして来て、文系の直感的経験則が正しい場合もあれば間違っていることもあることを突き止めて来ているんだ。だから、文系の思考法だけで物を言っていると危ないことも一杯あるんだ。だから、文系の主張は理系の主張ほど当てにならない。

結論を言ってしまうと、ヘーゲルおじさんの言ってることを数学的に正当化する根拠があるんだよ。それを次に説明しよう。何かが変化していくときには、それをある変数の関数として表される。でも、関数なんちゅう物は、人間が想像して考えているんだから、変数が変化するとその関数がどんなにでも異様に変化する物だって考えることができる。ところが、自然界を眺めていると、そんなに異様な物は滅多になく、大抵は変数の値が滑らかに変化すると、その関数の値も滑らかに変化するんだ。その滑らかさは、その関数の、その変数による微分の大きさで表される。そして、その微分された関数の滑らかさは、その微分の微分で表される。だから、途轍もなく異様な関数でない限り、元の関数のあり方は、その関数の微分(1階微分)と、微分の微分(2階微分)と、微分の微分の微分(3階微分)と、、、、順々に微分を繰り返した級数で表されるんだ。その級数のことを、関数のテーラー展開と言う。そして、ある安定した状態を表す関数は、必ず1階の微分はその安定点でゼロじゃなくちゃ行けない。なぜなら、それがゼロで無かったら、傾きがゼロじゃないから安定していられないからだ。だから、そのテーラ展開はほとんどの場合2階の微分項から始まって、高次の微分に成って行くんだ。ほら、ここだよ。ほとんどの場合の滑らかな関数は、安定点の周りでは、2階の微分から始まる。そう、2がマジックナンバーなんだよ。だから、二者択一なんだ。

もちろん、滑らかな関数の中にはテイラー展開が2階の微分項がゼロで3階の微分項から始まる関数だってある。この場合には、三者択一になる。3階の微分項がゼロで4階の微分項から始まる関数だったら四者択一だ。結局、ヘーゲルおじさんの言っていることは、人間の事象を関数で表すと、テーラー展開が2階の微分項から始まる場合が典型的な例だと、言っていることになる。

どうだ、文系のお前らがお偉い先生方の言っている事を金科玉条として崇め奉って、無批判に解った気になって、俺ってこんな難しいことが判るんだぜと、悦に入っているとき、理系の連中は、一寸待った、ヘーゲルおじさんよぅ、なんで二者択一で、三者択一じゃないんだよ、ってなことを考えて、それを説明しちまうんだぜ。

有瑠慶を布教したいんなら、このくらいの理系の勉強もしておかないと、説得力がないよ。あんた、若い頃数学の勉強しなかったことが悔やまれるだろう。まっ、数学を勉強して理系からの正当かもしてみせて、そして、死んでみせる。これだけやれば、有瑠慶の信者も増えるかもしれん。
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この回答へのお礼

ヘーゲルおじさんは別に二者択一とは言っとらんがねもし。
そりゃ三者択一や四者択一も有りだがねもし。
それから自然現象ってのはグラフで表すと折れ線グラフのようなものではなく、大概は滑らかなカーブを描くもので、関数で表すと無限に微分可能な正則関数になるってのはおよそ直感でも理解できるもんだ。
それから大概の自然現象は2階の偏微分方程式程度で表現されているね。
問題は人間の脳内現象やそのマクロとしての社会現象が自然現象と同じ性質のものといえるかどうか、自然現象と同じ数学が使えるかどうかってことであり、まずこれが哲学の問題として我々の前に立ちはだかっているのではないのかい。
それは空間のことだ。
空間の構造だ。
我々が考察対象とする空間は自然現象の空間と社会現象の空間は同じ構造のものが適用可能かってことだ。
哲学するのならまずそこから出発しなければなるまい。

お礼日時:2016/04/21 09:53

>それで良いってんなら、まあそれでも良いだろうよ。



それで良いんだと思うよ。背伸びしたってしょうがない。あたしゃ人間て、そして市井の人の意見て、そう捨てたもんじゃないと思っている。成り行きに任せて成るように成っていればそれで良いんじゃないかって。

どういう訳か、科学の技術も社会構造も成り行きに任せてきたらここまで来たんだよね。そして哲学もね。まっ、成り行き任せで色んな種が出来上がって来て今の多様な世界を創って来たんだ。そして、ミミズのように数億年形も生態も変わらず安定して生き残って来た連中もいれば、生態をどんどん変えて、だから安定ではなく、不安定であることをフルに享受して、ここまで高度に進化して来たヒトなんてな種も同居しているのがこの世界だ。

んで、あんたは変化のない安定した、だから進化のないミミズのような世界と、不安定故にどんどん進化を続けて変化しているヒトのような世界と、どちらが好きなんかね。
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この回答へのお礼

>んで、あんたは変化のない安定した、だから進化のないミミズのような世界と、不安定故にどんどん進化を続けて変化しているヒトのような世界と、どちらが好きなんかね。

ヘーゲルによると文明の進化発展は弁証法的に成されると説いています。
即ちあるテーゼを実現しようとすると、必ずそれに対するアンチテーゼが巻き起こる。
そしてテーゼとアンチテーゼが揉み合い格闘する過程において、ジンテーゼが生まれることにより調和融合が実現し一段階の進歩が達成される。
しかしこの段階で留まっていては進歩は続かないので、新たなテーゼが生まれ、これに対するアンチテーゼが巻き起こり、再びテーゼとアンチテーゼが揉み合い格闘する過程において、新たなジンテーゼが生まれることにより調和融合が実現し二段階の進歩が達成される。
以下このようなプロセスを繰り返して文明は進化発展を続けるのであると。
イスラム教もヒンズー教もキリスト教も、およそ大衆に受け入れられた既成宗教は皆この弁証法的進化発展を真っ向から拒絶するものであるから、進化のないミミズのような状態に留まり続けなければならない。
このような進歩発展のない状態に留まり続けると必ず腐敗するとも教えています。
イスラム教もヒンズー教もキリスト教も皆ミミズなのである。
これらのものがあといつまで持つかは分かりませんが、このような進歩発展のないものはいずれ腐敗し崩壊するとヘーゲルは説いている。
人間はミミズであってはならないのである。

お礼日時:2016/04/20 22:49

モンテーニュの『エセー』に、こんなことが書いてあった。



ある男が、彼の所に来て、自分は素晴しい宗教を創り出したと滔々と素晴しい教義を述べた。んで、モンテーニュがその男に言った。

「素晴しい教義をもった素晴しい宗教ですね。是非世間に布教して人々を救って欲しい。でも、どんなに素晴しく正しい教義であろうとも、世間の人たちは貴方の創り出した宗教をそう簡単に受け入れないことを心配します。人々に受け入れられないのでは、どんなに素晴しく正しい教義であったとしても、宗教とは言えない。この宗教を完成させれには、どうしてももう一つやらなくちゃ行けないことだある。ここで今貴方が死んで見せなさい。それで宗教が完成する」

その男は、気まずい顔して彼のもとを去ったそうだ。
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この回答へのお礼

>人々に受け入れられないのでは、どんなに素晴しく正しい教義であったとしても、宗教とは言えない。

宗教人口だけで考えれば、イスラム教やヒンズー教あたりが大衆に受け入れられた宗教ってことで世界でもダントツの巨大宗教であることは間違いないでしょう。
でも大衆に受け入れられた宗教が立派な宗教と言えるかってことになると全然別の話ではありませんか。
現にイスラム教は全世界でテロを繰り返してるし、ヒンズーはカーストでがんじがらめになってる。
こんなもんが立派な宗教ですかい。
日本に原爆落としたキリスト教だって大差はない。
とにかくモンテーニュ式発想でもって大衆に受け入れられた宗教が立派な宗教であるとみなしたのでは、思想も哲学も全て無意味になると思っておるよ。
それで良いってんなら、まあそれでも良いだろうよ。

お礼日時:2016/04/20 08:52

>非生産的って何を生産すんのさ。



ふ〜ん、あんた生産的な行為に興味がないどころか、生産的ってなんだか判んないのか。これじゃ、有瑠慶の布教も覚束ないと思うよ。

あたしが神と崇める南方熊楠神が英国にいた明治の頃の20代後半に、パリに留学していた30代後半の仏教の僧侶、土岐法龍と知り合いになった。法龍は後に真言宗高野派の管長になった男だ。その管長に熊楠神が宗教を講義して曰く、

「仁者、宗教のことを知りたしという。これ仁者仏に信厚ければ到底能わざるかもしれぬ」

だった。

宗教は修行じゃ。そして生産をすんのじゃ。人肉を喰っても良い、竹やぶで裸で寝て蚊に刺されても良い、念仏を唱えても良い、その修行をして生産をするんじゃ。何を生産するのかって言ってる段階でお主は修行が足りん。もっと修行せい。
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この回答へのお礼

>人肉を喰っても良い、竹やぶで裸で寝て蚊に刺されても良い、念仏を唱えても良い、その修行をして生産をするんじゃ。

で、竹やぶで裸で寝て蚊に刺されとして何を生産すんのさ。
またそんなことして何が生産されるのさ。
とりあえず答えにはなってないね。
とにかく辻褄が合っておらんよ。
チョトツちゃんよ、あんた自分でも何を申しておるのか分かっとらんのではないかな。
まあどーせ分からんのだろーから答えんでもえーけど。

お礼日時:2016/04/19 13:03

世界をすくう哲学として



 信仰としての《梵我一如》類型::一般および個別絶対性理論

を提示します。


1. 《絶対》とは 経験事象としての有る無しを超え因果関係から自由な場ないしチカ
ラである。《非経験の場》とよび そのように想定する。

2. 非経験の場は 認識のあり方として 《非知》である。

   経験事象
     可知
       既知
       未知(いづれ既知になるであろうと推察されている)
     不可知(未知でしかも知り得ないと証明し得たものごと)

   非経験の場
     非知(知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ。未知や不可知と一線を画す)

3. 非知なる非経験の場 これを――《神 またはその一定の名》において――心に受け
容れたとき(つまり 信じたとき) わが心には《非思考の庭》が成る。身と心とから成る
自然本性に ぷらす α としてやどる何ものかの自覚が起きる。

   【 α : 霊我】:信じる:非思考の庭:ヒラメキ・良心
   -------------------------
   【心:精神】:考える:思考の緑野:コギト 
   【身:身体】:感じる:感性の原野:センスス・コムニス

4. 非思考の庭は 受け容れる器(ミクロコスモス)とその対象(非対象:マクロコスモス)
との一体性として示される。類型として《梵我一如》とよぶとよい。

  A. ブラフマニズム:梵我一如
   梵:ブラフマン・・・・・マクロコスモス。神
   我:アートマン・・・・・ミクロコスモス。霊我

  B. ゴータマ・ブッダ:無梵無我一如(=無神論)
   無梵:空(シューニャター)・ゼロ
   無我:アン‐アートマン;ニルワーナ

  C. ブディズム:仏仏一如(=有神論)
   仏:アミターバ・ブッダ(阿弥陀如来)
      / マハーワイローチャナ(大日如来)
   仏:タターガタ・ガルバ(如来蔵)・ブッダター(仏性)

  D. クリスチアニズム:霊霊一如
   霊:神・聖霊
   霊:《神の宮なるわれ》

  E. (プラトン?):霊霊一如
   霊:宇宙霊魂(プシュケー・コスムー) / 世界霊魂(アニマ・ムンディ)
   霊:《われ》

  F. 《もののあはれを知る》
   霊:かみ(自然および超自然)
   霊:われ(自然本性)

  G. ユダヤイズム:霊霊一如
   霊:ヤハヱ―;(エローホ=神)
   霊:われ

  H. イスラーム:霊霊一如
   霊:アッラーフ(イラーハ=神)
   霊:われ


 ☆ けれども ひとがこの哲学を受け留めるならば 世界はすくわれましょう。
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この回答へのお礼

>信仰としての《梵我一如》類型::一般および個別絶対性理論

脳内には脳内の力学があるのです。
そしてこの脳内力学に従い人間の脳内には、脳内原理(=人間精神)が宿るようになるのです。
つまり脳内原理(=人間精神)も宇宙の法則の具現なのであり、宇宙の法則の結果として現れるものなのである。
何故なら脳内原理は脳内力学に従うものであり、その脳内力学は厳然として宇宙の法則に支配されるからである。
結局、脳内世界は宇宙の中ではミクロな世界であるが、宇宙の一部には違いないのである。
このような状況を指して昔の人は「梵我一如」と呼んだのである。

お礼日時:2016/04/19 10:51

ミッちゃんミチミチは相変わらず、非生産的だね。

美辞麗句を並べているが、中身が空っぽだ。批判は中学生どころか、この間までの民主党や民進党や、「私たちは怒っています」のマスコミの年寄りコメンテーターでも出来る。人を説得するには生産的じゃなくちゃならん。

漢字のお経なんか書いて悦に入っている有瑠慶なんか出しても駄目だよ。外国かぶれじゃ説得力がない。
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この回答へのお礼

>相変わらず、非生産的だね。

非生産的って何を生産すんのさ。
最近の世の中にはまとめサイトってのがあって、大概のことはまとめられてるらしいね。
ちょっとばかしキーをたたけばまとめられたページが返ってくるわな。
坊さんらが詠んでるお経も昔々のまとめの結果出来上がったもんなんだろーね。
そんなのは生産的なんかね。
質問文の美辞麗句は今日の既成宗教とか信仰について、わしなりにまとめるとこのよーに書く以外ないんです。
ほんとに中身が空っぽなんだよね。
有瑠慶本願のほーがまだマシってもんだ。
ところで有限要素法ってのは確かにうまく出来てるね。
いまこれにハマって研究してんだけど、確かにうまく出来てる。
うまく出来てるっていう意味は、多くの科学技術がこれの中にうまくまとめられてるっていう意味で。
それに比べれば今日の既成宗教とか信仰なんてまったく中身が空っぽにしか見えない。
だからわしは自らの信仰をまとめあげようとして有瑠慶本願を創ったんじゃよ。

お礼日時:2016/04/19 09:09

現実論で、いいでしょう。

それで、現実は、動いているのですから、どう隠しても現実に戻ります。貴方だけの生き方になるのです。多様な考え方の時代ですから。
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国民無視の安倍さんの支持率が下がるだけの、


まともな見識と参政意識。
哲学や科学以前の問題だ。
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