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キリスト教にはなぜユダヤ教やイスラム教のような宗教法がないのでしょうか?

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A 回答 (5件)

キリスト教社会で、キリスト教を源泉とする法律はありましたし、現在もありますよ。



たとえば、
アナル・セックスをすると火炙りにされた――空文化されていたけれど、イギリスでは少なくとも20世紀までこの法律があった――。
オーラル・セックスをし、それを目撃した人が警察に通報すると、逮捕・禁錮に処せられたり、罰金刑に処せられる。
http://sex-happily.com/tisiki/zatugaku/se-oral.h …

カトリック・バチカンの教義によれば、中絶は殺人、セックスの際にコンドームを使用してはいけない、などなど。
つい最近の出来事ですが、カトリックの聖職者が自身がゲイであることを公表し、聖職者の資格、職を剥奪されるという出来事もありましたしね~。

ロシア正教のロシアでは、つい最近、同性愛宣伝禁止法というものができたりと、実は、結構、宗教法的なものがあったりします。
https://kotobank.jp/word/%E5%90%8C%E6%80%A7%E6%8 …

また、アメリカのある州では、20世紀に入っても、なお、キリスト教の教義に反するということで、長い間、公立学校でダーウィンの進化論を教えることが禁止されていた。

日本人は知らないだけです。

地動説を唱えていた、ガリレオとほぼ同時代のジョルダーノ・ブルーノは火炙りにされていますし、ガリレオも火炙りにされそうになった。
かつては、ヨーロッパでも、キリスト教の教義に反することを口にすると、異端審問にかけられ、厳罰に処せられた。
また、大勢の人を殺した魔女裁判もあった。
魔女の告発=火炙りですからね~。
魔女であることを自白させるために拷問をする。「自白すると、薪をたくさん使った火炙りにしてもらえ、長時間、苦しまなくても死ねる」という特権がつく。最後まで自白しないと、「こんなひどい拷問に耐えられるのは間違いなく悪魔の手先だからである。しかも、改悛の情が見られない」ということで、少量の薪でじわじわと焼き殺される・・・。

ヨーロッパでは、かつて、現代のイスラム教世界とは比較にならないほど、宗教の名のもとに恣意的で残虐な刑罰が課された。ですから、キリスト教(社会)に宗教法のようなものがなかったわけではありません。
そして、キリスト教社会からキリスト教の教義に基づく宗教法のようなものが消えていったことと世俗権力してのキリスト教勢力、特にバチカン、ローマカトリックの衰退と無関係ではなく、深い関係があります。
要するに、人々の生活や社会を支配するものとしてのキリスト教の力が衰えたから、宗教法的なものがキリスト教社会から消したということです。
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「ユダヤ教やイスラム教のような宗教法」がなにをさしているかにもよりますが、教会法があるとおもいます。


質問者がないといった根拠はなんでしょうか?

また、本来その3つは一神教ですので、同じ宗教ともいえます。
そもそも、キリストはユダヤ教徒といわれてもいます。
そもそも自分でキリスト教なんて発言してないでしょうね。
すべて後世のひと(まぁ弟子たち)が今のキリスト教にしたわけで、そのへんは、調べたらきりがない。
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ないというか、教会が決定することになってると思う。


教会が統治機関のようなもので公会議などでの決定を各地の教会に、こういう方向性で行くように、と指示してくるんじゃないかな。
教会法なんかはバチカンが決めてると思う。
カトリックと違い、プロテスタントとなると、各教会が勝手に決めてる場面が多いと思う。
それでも上層部で何らかの話し合いが行われ、意見が食い違いすぎると、分派するというのがプロテスタントだと思う。
あまりよく知らないので答えが中途半端ですが。
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キリスト教の神は、ユダヤ教、イスラム教と同じ神ですが、それぞれの宗教では、神への解釈が違うのです。


ユダヤの神は罰する神です。罰せられないように人は法を求めます。イスラムの神は、慈悲深い神です。善き人が、神の慈悲を賜わるのです。なので、善きイスラム教徒として生きる規範を法に求めます。つまり、神を信じるだけでは足りないのです。神の恩恵が欲しければ、善き行動をしなくてはならない。
キリスト教の神は、全てを予定する神です。その神の予定は神のみぞ知る、人は知る由もないのです。その神への絶対の信仰こそが、その教義なのです。
神への絶対の「信仰のみ」、神の予定を知る事もなく、それを「信ずる者だけが救われる」それこそが、キリスト教の真髄だからです。だから、法が必要ないのです。こうすれば救われるとか、ああすれば救われるというのは、神の予定を人の行為により変えられるという事になるでしょう?それでは、神の予定がないも同じなのですよ。なので、法は必要ないどころか、あってはならないものなのです。
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ユダヤ教の律法を批判して生まれたのがキリスト教ですから、批判したものがあったらユダヤ教から分派独立した存在意義がなくなってしまいます。

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