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日本語と英語における詩の韻律の美的感覚の理解力について


私はシェイクスピアを専攻しているものです。シェイクスピアのソネット集は幾度も読み聴きしているので、詩の含蓄や韻律の表面的な美しさについて少しは理解しているつもりです。しかしやはり20年以上日本語を使用し口も耳も日本語で染み付いている日本人たる私にはどうも心の底から詩の素晴らしさを感じることができないと思います。しかし日本語で書かれた、例えば方丈記を音読してみると一息で読むべき句であったりその塊の節がとても感覚的ですが美しく感じます。
日本語の古文でも英語の詩であっても現代語訳にすると文の奥行きが失われてしまう、そういう感覚は両方の言語でも感じることができるのですが。やはり私は語学センスが低いのでしょうか?

A 回答 (1件)

私は学も無く、間違った事を書くかもしれませんが、その点は平にご容赦を。


日本の古典は正直さっぱりなので、英語の詩について私なりに思うところを述べます。

英語の詩は、紙に書かれている時点ではまだ全行程の半分ほどでしかなく、口に出して歌い上げることによって初めて完全な形になるのではないのだと思います。

シェークスピアが生きていた当時のイギリスは識字率は男性でも良くて50~60%程と言われており、文学はまだまだ一部の上流階級のものでした。
しかし、詩の良し悪しを感じるとるのに身分の貴賤は関係ありません。人々はお金を払い、誰かに読み聞かせてもらっていたのです。これは上流階級の人々でも例外ではありません。ですから声がよく通り、歌うように読み上げる吟遊詩人はとても人気が出ました。
そういった背景から、英語だけとは限りませんが、詩では韻を踏むという様式美が生まれたのだと私は考えています。

語学のセンスとは高いとか低いとか言うものではないと思います。磨くものです。
日本語で20年とかおっしゃられておりますが、私なんぞ50年近くでもこの程度ですよ。
即興で作ってみました。
詩とも言えないものですが。

美しい詩とは研ぎ澄まされた刃
より深く心をえぐり より長く傷痕を留める
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この回答へのお礼

とても納得できる回答をありがとうございます。勝手ながら最後の言葉に一言、私は刃ではなく美しい詩は人の精神の美しさを試すものだとも思います。詩を読む人に従ってそれは変化し何の意味も持たないものにもなり得ます。理解することが全てではないですけどね。だから私は
美しい詩とは心に潜む神秘を映す鏡
摂理の台に置かれし美の鏡
映る姿は者の梟かな
こんな感じですかね。

お礼日時:2016/05/13 10:44

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