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聖徳太子は、どのような国を目指したのだろうか❓

A 回答 (6件)

朝鮮みたいにイヤというほど額を地面にこすりつけてまで中国にこびを売らなくていい国。

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近年ではその存在自体が疑問視されている聖徳太子なんだから、そんな人が目指した国と言われても答えられないと思いますが。

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当時の東アジアは中国(隋)を中心とする世界でしたが、そこに聖徳太子はこの世界に伍さんと「日本ここにあり」とばかりに


遣隋使を送り日本を世界デビューさせました。
すなわち隋の煬帝宛の国書には、隋書倭国伝によれば「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々」と書き出されていました。
これを聞いた煬帝はたいそう立腹したそうです。立腹したのは隋が「日没する所」だからではなく日本が煬帝と同格の「天子」を名乗ったからです。
これが外交面です。

一方、内政面ではNo.3さんの回答にように、十七条憲法を発布し、仏教を基本とした秩序ある安定した国家建設を目指しました。

このころの日本はまだまだ貧しく、聖徳太子の200年近くのちに作られた奈良の大仏(東大寺盧舎那仏)の建立でも国家が傾くくらいの
規模でしたので、太子の時代は推測がつくでしょう。それでも太子は確固たる志を持ち、日本を太子の目指す理想の国家へと誘おうとしました。
この崇高な理念は、どこかの知事とは比べようもありません。
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十七条憲法を読めば分ります。



■十七条憲法
①和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。人皆党(たむら)有り、また達(さと)れる者は少なし。或いは君父(くんぷ)に順(したがわ)ず、乍(また)隣里(りんり)に違う。然れども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。

②篤く三宝を敬へ。三宝とは仏(ほとけ)・法(のり)・僧(ほうし)なり。則ち四生の終帰、万国の禁宗なり。はなはだ悪しきもの少なし。よく教えうるをもって従う。それ三宝に帰りまつらずば、何をもってか柱かる直さん。

③詔を承りては必ず謹(つつし)め、君をば天(あめ)とす、臣をば地(つち)とす。天覆い、地載せて、四の時順り行き、万気通ずるを得るなり。地天を覆わんと欲せば、則ち壊るることを致さんのみ。こころもって君言えば臣承(うけたま)わり、上行けば下…(略)

④群臣百寮(まえつきみたちつかさつかさ)、礼を以て本とせよ。其れ民を治むるが本、必ず礼にあり。上礼なきときは、下斉(ととのは)ず。下礼無きときは、必ず罪有り。ここをもって群臣礼あれば位次乱れず、百姓礼あれば、国家自(おのず)から治まる。

⑤饗を絶ち欲することを棄て、明に訴訟を弁(さだ)めよ。(略)

⑥悪しきを懲らし善(ほまれ)を勧むるは、古の良き典(のり)なり。(略)

⑦人各(おのおの)任(よさ)有り。(略)

⑧群卿百寮、早朝晏(おそく)退でよ。(略)

⑨信は是義の本なり。(略)

⑩忿(こころのいかり)を絶ちて、瞋(おもてのいかり)を棄(す)て、人の違うことを怒らざれ。人皆心あり。心おのおのの執れることあり。かれ是とすれば、われ非とす。われ是とすれば、かれ非とす。われ必ずしも聖にあらず。(略)

⑪功と過(あやまち)を明らかに察(み)て、賞罰を必ず当てよ。(略)

⑫国司(くにのみこともち)・国造(くにのみやつこ)、百姓(おおみたから)に収斂することなかれ。国に二君非(な)く、民に両主無し、率土(くにのうち)の兆民(おおみたから)、王(きみ)を以て主と為す。(略)

⑬諸の官に任せる者は、同じく職掌を知れ。(略)

⑭群臣百寮、嫉み妬むこと有ること無かれ。(略)

⑮私を背きて公に向くは、是臣が道なり。(略)

⑯民を使うに時を以てするは、古の良き典なり。(略)

⑰夫れ事独り断むべからず。必ず衆(もろもろ)とともに宜しく論(あげつら)ふべし。(略)
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日本書紀で、あやふやにされた人物像から推測することは出来ませんね。

実在していたのかさえ確実には判らないのに。
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