ここから質問投稿すると、最大4000ポイント当たる!!!! >>

源姓や平姓の武将とかはよく聞きますけど
橘姓の武将はいたのでしょうか.
有名な武将がいたら教えてください.

あと珍しい(というか源平藤橘以外の)姓を持つ武将を教えてください.
それと毛利が大江姓だったという記憶は正しいでしょうか.


質問がごちゃごちゃしていて申し訳ありませんが
教えてください.

A 回答 (8件)

戦国時代の頃には家系を捏造する事が多く、源姓や平姓だと称しても実際にどうかはわからない武将が殆どです。


ですから下に挙げる例も「今に残る家系の上で」という事で事実かどうかは解らないものもありますが。

> 橘姓の武将はいたのでしょうか
楠正成の楠家は橘姓です。
ですからその末裔は橘姓なのですが「有名な武将がいたら」となると思い浮かびません。
 (織田信長家臣の楠正虎は正成の裔と称し、朝廷へ祖正成の赦免を願い出ています。
  有名な武将ではないですけどね。)


> 毛利が大江姓だったという記憶は正しいでしょうか
これも事実がどうかは別にして、家系図では大江姓です。
他にも幾つかの家に広がっていますが「有名な武将」では思い浮かびません。


> 源平藤橘以外の)姓を持つ武将
これも同じ条件ですが「有名な武将」となると・・・
菅原姓
 前田利家
大内姓
 陶晴賢
くらいですかな?

他にも、例えば戦国ゲームなどに登場する武将達の中にも多く登場するのですが(例えば安東・秋月・一柳など)有名となると少ないですね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございました.

「有名な武将」で回答の幅を狭くしてしまったみたいですね.
「○○の家臣である●●」という表現ならば,
有名じゃなくても回答いただければありがたいと思っています.

>大内姓 陶晴賢くらいですかな?
陶氏は大内家の一門で重臣すよね.それよりも大内も「姓」だったのですか.これは初めて知りました.
たしか大内家は百済王族の末裔を称して多々良氏を,後に大内を名乗ったと記憶してましたが,
いつ「大内姓」を朝廷から賜ったのですか.


有名でなくてもかまいません
例えば「在原姓」や「和気姓」,「清原姓」,「大伴(伴)姓」を持つ
(これまでの回答の流れからいくと「買い取って名乗った」)
武将があれば引き続きお願いします.

お礼日時:2004/07/16 22:29

長曽我部の続き 元親は従五位下 土佐守・宮内少輔・羽柴土佐侍従 となっております 昭和3年に「贈正三位」を贈られております 姓につ

いては見当たらないですねぇ 
    • good
    • 0

ごめんなさい。


>大内家は百済王族の末裔を称して多々良氏を,
そうです。多々良氏です。
多々良姓→大内→陶ですね。
大内義隆とかは有名では無いかなと省いたらゴッチャになってました。
すみません。
自信ありにチェックしてしまい重々申わけないです。

先に挙げた
東北の安東家=安倍氏
九州の秋月家=渡来系
一柳家をはじめ四国の越智・河野は源平橘以外の皇族系統だったかと・・・(詳細失念)
山陽の宇喜田家も・・・(詳細失念)

ほかに北陸の神保家も惟宗氏を祖としていますから大神氏の末裔でしょう。

織田家臣の楠正虎の例を挙げましたが
織田家も信長は平姓を称していましたが藤原を称していた時期もあり不確実です。
織田家の祖は斎部氏忌部氏であろうと言われています。
複数の系統の家系図を持つ家も少なくないですね。
その辺りも含めて、機会があればきちんと調べてみましょう・・・(今は資料が何処に埋まってるか探さねばならぬので・・・)
    • good
    • 0

下記ページなどをぱらぱら見ていると、足利氏の執事の高氏は天武天皇系の高階氏となっていますね。

他にも色々あるようです。

毛利氏は大江広元の4男季光が相模国毛利庄を領して毛利氏となったというのは鎌倉も中期なので信用して良いかと思います。先年の大河ドラマでは高橋英樹が毛利季光をやってました。
大江氏は出雲臣族土師氏の子孫というのと、平城天皇の皇子阿保親王の子が大江音人だとか、阿保親王の落胤で土師氏系の大枝氏に育てられたのが大江音人だとか色々あるようです。

参考URL:http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/clan_index.ht …
    • good
    • 0

四国・土佐太守の長曽我部氏は「秦氏」で中国からの渡来人です 巨勢氏や物部氏も姓では? 

    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます.
長曽我部氏は朝廷から何か官位を受けていたでしょうか.
そうすれば何姓であったか少しは分かるのですが,
その方法以外に誰か分かる方がいましたら
回答いただこうと思い,質問させていただいております.

まだ締め切らないので引き続き回答お願いします.

お礼日時:2004/07/16 22:40

#2です。


ちょっと思い出したので、補足します。
「源平藤橘姓」を得るということは、今風に言えば「ハクがつく」というようなもので、そのために系図の作り変えや、売買などもされました。

また、征夷大将軍には、源氏でなければなれないとなっていましたので、豊臣秀吉は、豊臣姓をもらう以前、足利義昭に養子にしてくれと頼んで断られた経緯があります。
    • good
    • 0

源平藤橘というのは「姓」であり、苗字とは違うものです。


「姓」とは、朝廷の臣であることの証であり、武将達はこぞって「源平藤橘姓」を欲しがりました。
織田信長も、平氏を名乗る以前、藤原氏を称していたことがあります。
橘氏を称した武将はちょっと私の記憶にありません。

ちなみに、「織田」とか「徳川」というのは苗字です。

毛利氏は確かに大江姓でした。
大江というのは、大江源氏です。
源氏には他に、武田源氏や、新田源氏などがいます。

徳川家に仕えて有名な服部半蔵は、平氏とされています。

今、私の記憶にあるだけのことを書きましたので、間違っていたらすいません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます.

毛利は大江広元の末裔と記憶していましたし,
元就の墓にも「大江」となっていたはずなので
このような確認の質問をしてみました.

>毛利氏は確かに大江姓でした。大江というのは、大江源氏です。
大江広元は「源姓」なのでしょうか.大江は「苗字」になるのですか.
これまで「おおえのひろもと」と記憶していたので「姓」だと思っていたのですが.
でもこれだと毛利氏は「大江姓」じゃなくて「源姓」になりますよね.

お礼日時:2004/07/16 22:14

橘姓に関しては下記のサイトを参考にしてください。


「源平藤橘以外の)姓を持つ武将」といっても、昔は今のような戸籍はありませんでしたので名乗りは自由です。
豊臣秀吉も、木下秀吉→羽柴秀吉と、苗字を変えています。
そして、苗字については我々が知っている苗字と、正式な?苗字が違うことのほうが多いです。
例えば徳川家康は源氏ですし、織田信長は平家ですので、朝廷に出すような公文書?には「源家康」「平信長」などと書いています。
また、ある程度の武将は家系図を借りています。徳川家康も、一応源氏であると自称していますが、実際はあまり関係ないようです。といっても、5代・10代さかのぼれば、親2人、祖父母4人、曽祖父母8人…と数が増えますので、どこかには源平藤橘に連なることも可能でしょう。
珍しい苗字といえば、上記の秀吉でしょうか。豊臣は源平藤橘と並ぶと新しく作られた苗字ですし、その前の羽柴という苗字は、当時の織田家の重鎮、丹羽長秀と柴田勝家の苗字を1文字づつもらって名乗ったそうです。

参考URL:http://www.harimaya.com/o_kamon1/hanasi/kamon_d. …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます

「苗字」と「姓」の違いは理解していたのですが,
源平藤橘というわりには「橘姓」を見かけないなと思って質問しました.

秀吉の場合,木下と羽柴を名乗っていたとき「姓」は持っておらず,
近衛家の養子で「藤原姓」をもらい,後に「豊臣姓」の賜で関白になったか,
「藤原姓」になって関白職に就き,のちに「豊臣姓」を賜ったかのどちらだったかと
記憶してましたが違いましたでしょうか.

お礼日時:2004/07/16 22:05

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q橘氏が繁栄しなかった理由は?

源平藤橘と言えば格式の高い4家を表します

源平は言うまでもなく天皇の末裔であり平清盛や源頼朝を輩出した武士の名門
藤原氏も摂関政治を独占し隆盛を極めた家柄です
しかし橘家はどうしたのでしょう?

橘諸兄や奈良麻呂と言うあたりの名前は歴史でも出てきますが
決してその後出世して名門の家系になったとは聞きません
格式高い4家の一角をなす家柄にもかかわらずです。

橘家に何があったのでしょうか?

Aベストアンサー

>格式高い4家の一角をなす家柄にもかかわらず

その通りで、一時は「藤原一族よりも、繁栄」していました。

>橘家に何があったのでしょうか?

政敵である藤原一族の陰謀で、「地方役人として飛ばされた」のです。
飛ばされた橘一族は、土着。都に残った一族は「下級とまでは言わないまでも、中級公家」として生き残ります。
もう、藤原家に対抗する力はありませんね。
唯一記録に残るのは、土着した一族ですかね。
楠木正成は、橘一族の末裔だと伝わっています。
親鸞上人・橘逸勢・和泉式部・清少納も、橘一族の流れをくむ様です。
歴史は、勝者が作ります。
日本書紀は、藤原一族の物語。^^;
本当の事は、誰にも分かりません・・・。

Q織田「上総介」信長について

「上総介」は正式に得たものですか、それとも自称ですか。
また、いつ頃から使い出したのでしょうか。
また、上野や常陸ではなく上総としたのには理由があるのでしょうか。

どの点でも結構ですからご存知のところを教えてください。

Aベストアンサー

 永禄十一年の従五位下弾正少忠、元亀元年の正四位下弾正大弼、天正二年の従三位参議は、系図纂要に記事があり、位がきちんとついているので正式の叙官です。また天正三年の権大納言以降は公卿補任で確認できますので、これも同様。
 それ以前に信長は上総介(天文十八年)、尾張守(永禄九年) を名乗っていましたがこれは両者とも自称であろうといわれています。なぜ上総なのかはよくわからない。特に近親や先祖で上総介を用いた人もいず(織田家ではだいたい当主になってからは弾正忠、ついで備後守を称する)、根拠は不明です。弾正忠、備後守までの中継ぎということ、本家筋の織田家(守護代)は大和守、伊勢守を通称していること、などから、(1)受領系統の名前が穏当(当時の風潮としても受領名のほうが人気が高かった)、(2)備後、大和、伊勢クラスの国とつりあいをとった(上総、大和、伊勢は上国で守が従五位上、介が正六位下――ただし信長は最初知らずに守を名乗っていたので宗家並みのつもりだったのかもしれない――、備後は大国で守が従五位上)、などの理由によるものではないでしょうか。ちなみに上野、常陸も上国です。

 永禄十一年の従五位下弾正少忠、元亀元年の正四位下弾正大弼、天正二年の従三位参議は、系図纂要に記事があり、位がきちんとついているので正式の叙官です。また天正三年の権大納言以降は公卿補任で確認できますので、これも同様。
 それ以前に信長は上総介(天文十八年)、尾張守(永禄九年) を名乗っていましたがこれは両者とも自称であろうといわれています。なぜ上総なのかはよくわからない。特に近親や先祖で上総介を用いた人もいず(織田家ではだいたい当主になってからは弾正忠、ついで備後守を称する...続きを読む

Qタブレットで通話ができるのでしょうか

どなたか詳しい方教えてください。
タブレットで通話ができるのでしょうか?
http://item.rakuten.co.jp/avic-online/momo3gs/
このアドレスにある画像を見ると
何やら電話ができそうなのですが、実際はどうなんでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

出来る機種と出来ない機種がありますね。
後、SIMが入れられる機種と入れられない=Wifiのみの機種。

SIMが使えないが、電話機能があるタブレットなら、
Wifiのみで、通話系のアプリで通話可能です。
SIMありの通話可能タブレットは、当然普通の電話番号で
着信&発信が出来ますし。

どちらもない場合は、
アプリをいれて、別途ヘッドセットを使ってアプリでの通話のみでしょう。

が、タブレットを耳に当てると、結構、ダサいかも(w)
私のタブは、一応SIMが2枚入り、実際に通話してみましたが、
かっこ悪すぎで、テストだけでやめましたけどね。
もっぱら、Wifi端末になってます。

が、通話機能があるタブレットはSMSが使える点が便利
SMSは、通話側の回線を使うので、通話用SIMが必要でして。
ただのテキストメッセージ送るだけでも、タブレットは
それなりに使えるアイテムですね。

ということで、
回答ですが、
日本国内では、タブレットは、補助情報デバイスとして、
通話目的では買わないほうがいいかもしれないかな~
と私は感じました。


人気Q&Aランキング