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満州国は日本の傀儡国家と言うより、関東軍の独立国家でしょうか? 関東軍は日本政府無視の独断行動で満州国を作ったとかなんとか。阿片密売の独自財源まで持ってたとか。

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A 回答 (6件)

内面指導といって満州国の内部機関に日本側のスタッフが入り、その日本側スタッフの決済印がなければ書類一切が進まないという状態でした。

ただこのスタッフが本国から派遣されてきます。関東軍がきっかけになったことは確かですが、国ができてみると、本国政府もどんどん介入してきます。また226事件以降は統制派が権力を掌握するので、関東軍の勝手行動にもある程度枠がはめられたと聞きます。
関東軍がすべてを支配していたかというと微妙です。影響力はとても強かったというのは言えますが。本国政府の意向をすべて無視することはできません。基本的には本国政府と話し合いで決める。ただ重要項目でワガママが通った。という感じでしょうか。軍事予算を考えると、アヘン密売の財源はお小遣い程度にしかならなかったと思います。

皮肉なことにこれはGHQが日本占領した時の構図とも同じです。マッカーサー始め軍人が権力があるように見えます。本国の命令を無視しがちなキング・マッカーサーでしたが、スタッフは米本土から送り込まれており、GHQがやりたい放題できるわけではありません。本国の意向を無視はできないのです。

同じ構図はフランス・アルジェリア戦争の時にもあります。あのときにもフランス軍がクーデターを起こす直前でした。満州事変と226事件が一片に来るような感じでしたが。ただその時のフランス政界にはドゴールがいたのです。

人間の行動は、条件が同じであれば似たようなものになるようです。
資料を読まずにうろ覚えでこれを書いているので、あんまり厳密ではないですが。
もっとちゃんと書いてくる人がいたら、そっちの意見を参照してください。
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満州国は、日本が清国の皇帝を(ラストエンペラー)の国を建てて満州国を救ったわけです。

日本人も住めるようにして栄えさせたわけで、中国人、日本からの日本人、朝鮮人が暮らしており比較的安定した治安がありましたが日本の敗戦で満州国がなくなりました。

戦後満州国に渡って働いていた日本人はロシア軍の進駐の中でロシア兵の流れ弾の中を命かがらがら帰国しました。日本では引揚者と呼ばれましたが当時の満州に残した彼らの資産は戻ることはありません。

中国共産党のやってきたことのほうがひどいものがあったと思っていますよ。
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読解力って大事ですよね。



私が言ったのは以下の事だけです。

1:GHQ≠マッカーサー
2:GHQは日本でやりたい放題をしていた。

1の根拠としては、
中国やオランダやソ連やオーストラリアの東京裁判での日本への私刑的判決や、日本国憲法の内容についてのマッカーサーと彼らの対立があります。
(分割統治されなかった理由も、日本国憲法が関係しています。 これらについては質問から外れる上に、長くなるのでここでは話しません)

それから、GHQは「連合国」であって、連合「軍」ではありません。
(これすら曖昧な方がいるようですが)
日本の占領はそれらの国家によるもので「軍」はその実行の為の組織に過ぎません。



2ですが、私は(現場レベルで)連合国が共同で日本を占領統治していたとは言っていません。

マッカーサーはGHQに任命されたアメリカ人の日本占領の司令官です。
そして「GHQの司令官」の肩書に拠らなければ、彼は日本では何もできません。
従って、行為者がマッカーサーでも、最終的にGHQの行為になります。
「満州国は日本の傀儡国家と言うより、関東軍」の回答画像5
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また礼儀を知らない回答者がついたもんだ。


GHQの中には確かにイギリス軍人もいたが、彼らがどんだけ割を食ってたか知らないな。
羽田にサンダーランド飛行艇の航空便を入れようとしたら、言下に却下されたほどだ。
日本占領はドイツ占領と違い、分割占領も行われなかった。
これを連合軍協同で、と表面だけを見て信じれる人間がいたら、実に脳天気な話だ。

イギリスの首相の話を調べると、そこら辺でぶつくさ不満が漏れてくるのが確かあった。
もっとも日本を敗北させるのにイギリスが大して活躍できなかったのも確か。

しかし国家の要件が曖昧なのは確かだ。

確かモンゴルも満州と似たような立場だったにもかかわらず、
こちらは主権国家としての独自の生命力を持つまで成長している。
実に対照的だ。ひとつの国家が独自の生命力を獲得するまでに、
時間が重要な要素のひとつなのだろう。

国の要件というのは思ってるより曖昧だ。
今でいうとアブハジア、南オセチア、ナゴルノカラバフ、沿ドニエステル、なんていう国がほとんど国際承認されてない。
コソヴォやクロアチアだってそうだった。クロアチアをドイツが承認した時は大騒ぎだった。
果てはテキサス共和国、ハワイ共和国、なんて例もある。ソマリランドはどうなるんだろう?

また先の回答者のように東ドイツのような例もある。

また最初から国際承認などを必要としておらず我が道を行く国だってある。
ISなんかは明らかに統治できる政府機構を要しているが承認している国はもちろんどこにもない。
タリバンだってそうだ。

また統治機構があれば、長生きできるかというとそうでもない。
他国の言いなりになっていても、長い寿命を維持した国は少なくない。
覇権国家であっても短命に終わった国も少なくない。

フィンランドなんてのは、ソ連に牙を抜かれフィンランド化という用語まで作られたが、
ふたを開けてみれば生き残ったのはフィンランドの方で、ソ連ではない。
フィンランドは大戦冷戦を通じて、ついに国体(議会制民主主義)を維持して生き残ったと言える。
そのフィンランドはソ連の傀儡国家とも呼ばれた時代もある。ということだ。

そういう例を見ると、満州国は歴史的にはアノマリーではなく、一般的によく見られる現象だと言うことができる。
個人的には石原完爾は、テキサス併合の話をモデルにしたんじゃないかと考えたけど。
以上、特に調べた訳でなく記憶を元に書いているけど。
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GHQ=アメリカ=マッカーサー とか 誤解している方が多いようですね。


GHQは「連合国」の意味であって、アメリカはそのメンバーの一国でしかありません。
そして、「GHQ(≠アメリカ)」が日本にやりたい放題をしたのは事実です。
マッカーサーはアメリカ本国のチェックが緩い事や日本への無知を利用したのであって、命令を無視したのではありません。


質問の主旨は明確に表現しろ。
質問文からは、主旨は↓のAだけと判断できるが、それでよいのか。
私は、バカの駄文の行間など読みたいとは思わないし、そんなものをする事を親切とも思わない。



A:>満州国は日本の傀儡国家と言うより、関東軍の独立国家でしょうか?

回答A:違います。ただの「独立国家(≠傀儡国家)」

「満州国」は↓の国からの承認を得ています。

正式承認
日本、中華民国南京国民政府、ドイツ、イタリア、スペイン、
ヴァチカン、ポーランド、クロアチア、ハンガリー、スロバキア、
ルーマニア、ブルガリア、フィンランド、デンマーク、エル-サルバドル

戦時中に承認
タイ、ビルマ、フィリピン、蒙古自治邦(内モンゴル)、自由インド仮政府

準承認(国書交換)
エストニア、リトアニア、ドミニカ(中南米)


↑の評価ですが、当時の世界の「独立国」ですが、半数近い約30ヶ国が欧州にありました。
その内の半数が「満州国」を承認しています。

更に当時の支那(内戦状態)で南京国民政府(汪兆銘)が、『日満華共同宣言』に参加し、自国と「満州国」間で相互承認を交わして大使の相互交換も行っています。

↑については、当時の支那には他にも「重慶政府(蒋介石)」や「中華ソヴィエト臨時政府(毛沢東)」がありました。

しかし、蒋介石は1938年の武漢三鎮陥落により四川省重慶への遷都して終戦まで日本軍とまともに戦っていません。
毛沢東政権は、蒋介石以下の左翼共産ゲリラでしかありませんでした。
それらは終戦までシナ各地への統治権を行使できていません。



B:> 関東軍は日本政府無視の独断行動で満州国を作ったとかなんとか。

回答B:結果としてそうなる。
しかし、これの原因は現地情勢と現場の危機感に対する日本政府の理解不足があり、一方的に関東軍=悪とはできない。





C:>阿片密売の独自財源まで持ってたとか。

回答C:「密売」する理由がありません。(当時の満州では阿片は合法でした)
「~とか」という伝聞情報のソースは何でしょうか。

財源としてはいましたが、密売ではなく合法的なものです。(理由は後述)
「独自」の財源と判断する根拠は何でしょうか。


世間の一部の人達が、当時の日本による阿片の専売=悪 という主張をしているようです。
しかし、日本は阿片については以下の「漸禁政策」を行っています。

1879年:「阿片売買竝製造規則(阿片専売法)」を施行。
アヘンの製造販売を国家の専売制とする→購入者及び栽培農家は政府による登録制とする。
 ↓
税をかけることで歳入を増やし、流通量を管理して吸引者を徐々に減らす。
新規の販売許可は発行せず、段階的に税率を上げることで最終的に阿片患者をゼロにする。

この政策の理由は、一気に違法化すると、闇社会の資金源になってしまうからと、国家が供給する高純度で安価な阿片の方が、民間(密売)の粗悪品より安全であるからです。

これらの政策は、台湾と満州でも行われています。

台湾
アヘン吸引者は16万9千人(1897)→日本敗戦時にはほぼゼロ。



無知な方がCのような疑問を持つ理由は、東京裁判での東条英機(元総理)と板垣征四郎(元陸軍大臣)の起訴理由に「阿片を中国に蔓延させた事」を盲信しているからですが、それを証明する資料はありません。



満州国が日本の影響下にあったことは事実です。
しかし、これを「傀儡」と言うなら、当時から現在まで米国の強い影響下にある中南米諸国(パナマ等)や、冷戦時の旧ソ連の強い影響下にあった東欧諸国もそれに当たらないのでしょうか。

外交権をフランスに委ねているモナコ公国も傀儡なのでしょうか。

外交権や軍事権を預かっている事を理由に傀儡と言うのなら、過去のオーストラリアやニュージーランドも大英帝国の傀儡だったのではないでしょうか。



但し、かの国については認める。
「満州国は日本の傀儡国家と言うより、関東軍」の回答画像3
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それぞれの見方や呼び方があろうかと・・・


石原莞爾大佐の構想が始まりでしょうね。
朝鮮を併合して、莫大な投資をしたので、大日本帝国の経済は疲弊してました。
小作農から脱出出来ると、いち早く満州開拓に行った、私の祖父の話では
「帝国国民も望んでいた空気が有った」と言ってました。
やっと作物が取れる様になったと思ったら、敗戦で全部パ~になってしまった。
草しか生えない土地を、使える様にしたのは、我々だ!
日中国交回復で周恩来が賠償を求めなかったのは、当たり前の事で、おつりが
出るだろう、死ぬ間際まで言ってました。
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 傀儡の定義にも因ると思いますが、一般に国家が追求する「絶対利得」と「相対利得」の混同、並びに権力代替不可能性への配慮の欠如から「傀儡政権」という発想が出てくるように思われます。
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Q満州国建国の目的を教えて下さい。

なぜ日本は満州国という独立国を建国したのですか?当時の国際事情や国内事情などを踏まえながら、建国の目的を教えて下さい。

Aベストアンサー

当時、日本を含めた列強諸国は中国に数多くの利権を有していました。
これはアヘン戦争以来、一世紀近くに渡って列強諸国が鎬を削って中国での利権獲得競争を行った結果でした。
そして植民地獲得競争において出遅れた日本において、満州周辺で獲得した利権はほぼ唯一に近い「海外利権」でした。
このため当時の日本では「満蒙の特殊権益」は「明治以来、先人が苦労と犠牲と投資を重ねて獲得した利権」であり、また「国家の生存に必要不可欠」と認識されていました。
しかも当時は世界恐慌の結果、引き起こされたブロック経済化により日本製品は欧米やその植民地の市場では高額の関税を課せられる事となったために、その重要性がかなり誇大に意識されるようになっていたのです。
誤解を恐れず敢えて言えば「戦後の日本における一時期の憲法9条」のように、その是非を議論すら許されないという風潮があったのでした。
しかしながら第一次大戦以降の世界的なナショナリズムの高まりにより、中国においても列強に奪われた利権を奪い返す国民運動である「「国権回復運動」が起こりました。
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ただし満州事変当時の日本政府はまだ国際協調路線を取って、交渉で穏便な事態解決を望んでいました。
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そしてこの国民世論の後押しを受けて建国された満州国について、欧米との対決を望まなかった当時の犬養毅首相は承認を渋りますが、五・一五事件で暗殺され(犬養は統帥権干犯問題を引き起こしてこの事態を招いた張本人のひとりであるので、自業自得の一面もあります)、日本政府は軍の暴走と国民世論に引きずられる形で満州国を承認、欧米との全面対決、そして国際連盟脱退へと向かってしまいます。

このように満州国の建国は決して日本が国家意思として行ったものではなく、当時の日本人の「満蒙の特殊権益」に対する過剰な意識と中国側の反発、そして軍の統制問題などが絡み合ったために、一部の暴走を国家が追認するという非常に危ういものでした。
しかしそれが当時は「大成功」を収め、国民からも高く評価されてしまった事で、その成功体験が後の日中戦争、そして太平洋戦争の遠因となり、大日本帝国を滅ぼしてしまうのです。

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Qなぜ戦前の日本軍は暴走してしまったのですか?

なぜ戦前の日本軍は暴走してしまったのですか?

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真珠湾攻撃の前には既に南方で勝手に戦端が開かれていたとか。
それから、敗戦時にも玉音放送を中止させようと陸軍のクーデターが起こるなど、なぜ戦前の日本では、軍事がコントロール不能になってしまったのですか?

当時の米国や英国ではそうならかったということは、戦前の日本の政治体制や統治機構に何か根本的な誤りがあったのですか?

※これはド素人の質問ですので、質問文中に認識違いなどがあった場合は遠慮なく指摘して頂いて結構です。その際はどうぞお手柔らかに…

Aベストアンサー

>当時の米国や英国ではそうならかったということは、戦前の日本の政治体制や統治機構に何か根本的な誤りがあったのですか?
一言で言えば大日本憲法の条文にある「統帥権」でしょうね。
米国・英国の軍隊は文民統制(シビリアンコントロール)が為されていました。
大日本帝国軍の指揮系統は建前上、天皇の命令だけしか聞き入れない制度になっていました。
これを「統帥権」と呼びます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B1%E5%B8%A5%E6%A8%A9
明治天皇のように、自から指揮、命令していた時代はそれで良かったのでしょう。
内閣・国務大臣も戊辰戦争を戦ってきた人々でしたからね。

時代が進むにつれて、「統帥権」の変容したのが、軍部の暴走した要因だと思います。
大日本帝国陸海軍には行政組織の陸軍省と海軍省が有り、それぞれに大臣がおりました。
これらは内閣の一員の行政組織で、人事権、徴兵などを行政事務を行ないます。
それとは別に海軍には軍令部、陸軍には参謀部があり、軍令部総長・参謀総長がおりました。
実際の作戦立案、実行を一手に握っていました。

最初は海軍省>軍令部、陸軍省>参謀部の関係でした。
現役の軍人とはいえ、官僚ですのである程度の常識を持ちイケイケの軍人を抑えていたのですが
それに不満を持つ軍人が「天皇は陸海軍を統帥す」の文言を盾にとり、統帥権の独立を画策し始めました。
次第に省令等を改定し、海軍省<軍令部、陸軍省<参謀部の力関係になりました。
つまり、軍人の文が弱まり、武が強くなってきました。
国会議員が異議や反対意見を述べたりすると「統帥権干犯」を持ち出し、反対意見を封殺していきました。
つまり、建前上、天皇のみしか軍隊を指揮命令する事が許されない
神聖にしてだれも犯す事の出来ない武力集団に仕立て上げたのです。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/tousuikennnokannpann.htm

しかるに、昭和天皇は皇太子時代、大英帝国を訪問し、英国の立憲君主制に触れ、それを模範にするお考えが有りました。

国王・皇帝が独裁的に指揮・指示・命令をするのではなく、それを輔弼する内閣・国務大臣の政策を承認する形を取りました。
それで、天皇の名の下に、自分の都合よく相手国に武力行使を独断専行で行い、全て事後承諾で戦争へと進んだのです。
結局は、降伏か戦争継続かで意見が分かれ、収集が付かなくなり、昭和天皇のご聖断となった訳です。

>当時の米国や英国ではそうならかったということは、戦前の日本の政治体制や統治機構に何か根本的な誤りがあったのですか?
一言で言えば大日本憲法の条文にある「統帥権」でしょうね。
米国・英国の軍隊は文民統制(シビリアンコントロール)が為されていました。
大日本帝国軍の指揮系統は建前上、天皇の命令だけしか聞き入れない制度になっていました。
これを「統帥権」と呼びます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B1%E5%B8%A5%E6%A8%A9
明治天皇のように、自から指揮、命令していた時代はそれで良か...続きを読む

Q満州国が崩壊した際の日本人の悲劇

大日本帝国は満州(中国東北部)の農民から、土地を安い金額で半強制的に同意させ買収しました。このため敗戦後現地の中国人から、残忍な仕返しを受けます。


日本の入植者の中には、半強制的に安い値段で取り上げた土地だという事を知らない人もいました。

また自力で荒地を開拓して入植した方々もおられた事を、日本人の名誉のために付け加えておきます。

しかし満州国崩壊後は、荒地を開拓した日本の入植者たちも、中国人たちに殺されています。

この辺の事情は左翼の作家・森村誠一さんの「夕映えの殺意」に描写されています。


「(だまして)武装解除させた裸の開拓民に(中国人の)暴徒は襲いかかった。石を投げ、木槍で渡り合う抵抗も束の間、押し寄せる暴徒の前にもみ潰(つぶ)された。

暴徒は無抵抗の女子供の区別なく、まるでニワトリでも絞めるように殺していった。

鎌が草でも刈るように子供の首を切り落とす。鉈(なた)が女の頭に振り下ろされる。あまりに突きまくったために先端が丸くなった木槍を、今度は棍棒(こんぼう)にして振り回している暴徒。

いずれも返り血に染まって、まさに悪鬼のようであった。虐殺の後には根こそぎの掠奪(りゃくだつ)が始まった。

(逃げ出した日本人たちは、中国人暴徒の執拗な追撃に)とても逃げ切れられないから、ここでみんな自決しようということに決まった。

せめて死体を辱(はずかし)められないように、女たちは川の中で死ぬことにした。家族に死ぬための時間を稼いでやるために、男たちは最後の力を振り絞って、暴徒に抵抗した。

その間、幼な児たちは母親によって首を絞められて川に投げ込まれた。子供たちも、泳げないように後ろ手に縛って次々に川へ放り込んだ。

子供の始末をつけた女や老人たちが、子供の後を追って川へ飛び込んだ。その女を追って、暴徒が川の中まで入り込み、陵辱(りょうじょく)するために岸に引きずり上げようとする。

彼らの流す血の色によって川水は赤く染まった。この世の眺めではなかった」

森村誠一著「夕映えの殺意」より抜粋


この日本人開拓民の悲劇を、どのように感じますか?

大日本帝国は満州(中国東北部)の農民から、土地を安い金額で半強制的に同意させ買収しました。このため敗戦後現地の中国人から、残忍な仕返しを受けます。


日本の入植者の中には、半強制的に安い値段で取り上げた土地だという事を知らない人もいました。

また自力で荒地を開拓して入植した方々もおられた事を、日本人の名誉のために付け加えておきます。

しかし満州国崩壊後は、荒地を開拓した日本の入植者たちも、中国人たちに殺されています。

この辺の事情は左翼の作家・森村誠一さんの「夕映えの殺...続きを読む

Aベストアンサー

中国人による日本人開拓民虐殺は遺憾の極みです。
しかし置き去りにされた日本人乳幼児を育てた心優しき中国人もいた
事は忘れないでください。
日中友好のためお互い過去は反省しなければなりません。
醜い行為は日中双方にあったと思います。
日本人開拓民の犠牲者の皆様に対しては本当にお詫びもうしあげます。

Q江戸末期の日本はなぜ列強の侵略を免れたか

他のアジア諸国がいとも容易く列強に植民地化されていた当時、日本も江戸幕府が脆弱になり内戦が起きていた頃です。 薩長対江戸幕府の争いに乗じてイギリスやフランス、アメリカ、ロシアはなぜ侵略行動を起こさなかったのか、又は起こせなかったのかを教えてください。 当時の列強の国内事情及び列強間の関係、日本の事情を重ねて教えていただけると幸いです。

Aベストアンサー

 当然ながら、侵略行動を起こしています。その方法は、今までインドなど人工の多い国の場合と同様の伝統的な方法で行っています。

 インドでは、敵対的な関係の藩王国に、イギリス・フランスなどがそれぞれ借款による資金提供・兵器輸出をして戦争をさせ、提供した資金の返済に「徴税権」などを担保にして、停戦後にその国の税収を差し押さえ、統治機構を徐々に乗っ取っていきました。(借金返済を拒否すれば、資金提供・武器輸出をしてもらえなくなり、敵対国に負けて自国が消滅してしまうので、欧米列強に対して、自国経済の切り売りをしてしまいました。)

 日本でも、薩摩・長州にはイギリスが、幕府にはフランスが支援し、内戦が長期化しても資金提供(後で返済を要求されますが)・武器供与を継続しますという申し入れを受けていました。

 それに対して、徳川慶喜は、鳥羽伏見の戦いで幕府内の主戦派に「鳥羽伏見の戦い」を戦わせて、幕府の自力では内戦に勝てない実態を体験させた後、戦闘行為を放棄し内戦を事実上終結させてしまいました。

 幕府内主戦派には、幕府の必勝作戦として、薩摩・長州軍が江戸に進軍した時点で、当時東洋一といわれた幕府海軍によって、東海道を遠江・駿河で上陸作戦を行い、物資輸送を遮断し、江戸に入場した朝廷軍を干し上げる戦略が提唱されていました。

 これが実行されていた場合、江戸に侵攻した朝廷軍が壊滅し、フランス兵器で武装した関東の幕府軍とイギリス兵器で戦う薩摩・長州などを主体とした名古屋以西の朝廷軍が対峙し続ける長期戦となり、イギリス・フランスに対する借金がどんどん増えて行き、戦争に勝とうとすれば、日本の国家主権にかかわる領土・権利を担保に、お金を借り続けることになっていたでしょう。

 明治維新時に、日本が植民地化されなかった背景には、欧米列強のアジア侵略のパターンを知っていた人々が、『如何に内乱を短期・小規模化して、政権交代をするか。』という点について、努力を重ねたからです。
 戦力を持ちながら、ほとんど戦わずに政権を移譲した「徳川慶喜」は、日本の植民地化を防いだ、隠れた功労者と言えます。(朝廷側が政権を確立するまでに幕府兵力とまともに戦ったのは、鳥羽伏見と上野の彰義隊程度で、合計二日しかありません。)

 当然ながら、侵略行動を起こしています。その方法は、今までインドなど人工の多い国の場合と同様の伝統的な方法で行っています。

 インドでは、敵対的な関係の藩王国に、イギリス・フランスなどがそれぞれ借款による資金提供・兵器輸出をして戦争をさせ、提供した資金の返済に「徴税権」などを担保にして、停戦後にその国の税収を差し押さえ、統治機構を徐々に乗っ取っていきました。(借金返済を拒否すれば、資金提供・武器輸出をしてもらえなくなり、敵対国に負けて自国が消滅してしまうので、欧米列強に対...続きを読む

Q空母のカタパルトは、米国でしか造れない?

ここしかないのでお訊きします。だいぶ前なので、現在は状況が違うかもしれないですが何度か空母のカタパルトについて、イギリスやフランス・ロシア等が開発しようとしたけど無理で米国だけだと本で見たような。これ自体は軍事や戦略等から見ると大した話ではないでしょうが、事実ですか?単に、米国以外は大型のジェット戦闘機を空母から飛ばそうとしなかったり目的・戦略が違っただけとか。それに何年か前に、フランスの今までの原・水爆実験で得た情報と米国の情報を交換するとニュースで見たり、エシュロンという世界規模の盗聴網で米・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド・イギリスの白人クラブがあるとEUの議会で取り上げられたのを見るとカタパルトの技術くらい教えそうですが。
それに現在は、先進国間で留学等の知の交流があるし物質工学や工作機械や設計・加工技術等の差がそんなにあるのか疑問ですが。

Aベストアンサー

シャルル・ドゴールのカタパルトはアメリカ製のようですね。

というか、アメリカ以外の最近の空母でカタパルトで離艦するのってってシャルル・ドゴールだけじゃないでしょうか。
なお、フランスの旧艦ですが、クレマンソー級の蒸気カタパルトはイギリス製のようですから、アメリカでしか作れないと言うことではないようです。

ただ、現在、イギリスやロシアの空母はカタパルトではなく、スキージャンプを使った離艦です、おそらく、今後のアメリカ以外の空母はSTOL能力の高い機材で運用というのが世界的な流れでしょう。アメリカにしても、強襲揚陸艦などにはSTOL+スキージャンプというのが登場するかもしれません。

アメリカ以外で蒸気カタパルトを作らないのは、空母の思想が変わってアメリカ以外での需要がないからだと思いますよ。外国で作ったとしても売れなきゃどうしようもないですから。

Q日本は社会主義国家なのになぜ発展できたのでしょう?

かつてソ連のゴルバチョフ大統領が‘日本は世界で一番成功した社会主義国だ‘と発言したそうですが、確かに日本は表向きは資本主義国家ですが社会主義的要素が強いように思います。税金の累進性は欧米より強く高額所得者は税金をたくさんとられます。貧困層は福祉や公的補助、医療制度など優遇され高額所得者から巻き上げた税金が還元されます。サラリーマンは年功序列で能力で関係なく昇給しました。(以前は)
経済格差は‘悪‘と公言する政治家までいます。ソ連、旧東ドイツ、北朝鮮など社会主義国家はどこも貧困に喘ぎ崩壊しました。日本だけなぜこんなに発展できたのでしょう?またこれからも発展できますか?自分は経済学、政治学には疎いのでどなたかお教えください。

Aベストアンサー

戦後復興政策 ヨーロッパ西も東も社会主義
 「資本主義経済では、政府はなるべく経済に介入せず、市場のメカニズムに委ねるべきだ。それなのに日本では政府がマネーゲームのプレーヤーになっている。これでは社会主義のようだ」との見方もあるでしょう。
 でも同時代の欧州先進国、フランス、イギリス、ドイツと比べると日本は「市場原理主義」とも言えるほど、政府の介入の少ない自由経済であった。
 フランス──戦後のフランスはジャン・モネの考えによる「フランスは未だ十分に市場が成熟していないので、市場に任せず、政府が責任をもって経済を運営すべきだ」との、社会主義と資本主義の折衷政策「混合経済」政策をとった。このため多くの企業が国有化された。フランス石炭公社、フランス電力会社、フランスガス会社、鉄道部門、エール・フランス、フランス銀行 と四大預金銀行 クレディ・リヨネ、ソシエテ・ジェネラル、全国割引銀行+全国商工銀行⇒パリ国立銀行、保険会社、ルノー公社、航空機エンジン開発製造公社が国有企業として活動し始めた。
 石炭・鉄鋼に関してはドイツとの国境周辺地域に「欧州石炭鉄鋼共同体」を設立し、ドイツなど欧州6ヶ国で、アメリカ政府の援助資金であるマーシャル資金によって運営された。これは一国社会主義ではなくインターナショナル社会主義であった。1983年、フランス企業の売り上げ上位20社の内13社が国有企業であった。
 政治を見れば、ドゴール派の保守政権と社会党とが政権交代を繰り返した。日本に置き換えてみれば、石炭・鉄鋼がアメリカ政府資金による韓国との合弁、トヨタ自動車が国有、自民党と社会党が政権交代を繰り返す、といった状況だ。フランスから見れば日本は「市場原理主義」「自由放任主義」であった。
 イギリス──労働党の「ベヴァリッジ報告」による「ゆりかごから墓場まで」の社会主義政策を戦後の経済方針としていた。鉄鋼は、国有⇒民営⇒国有⇒民営と政権交代毎に弄ばれた。石炭はアーサー・スカーギルが率いる全国鉱山労組が仕切っていた。つまりアナルコ・サンディカリズムをやっていた。戦前アメリカに次ぐ自動車産業国であったが、中小企業が多く、このため国有企業に集約したが成果が上がらずホンダの支援を受けたがダメだった。政権は保守党と労働党が競い合い、その勢力は均衡していた。イギリスから見れば日本は「自由奔放経済」で「保守党独裁の反社会主義国家」であった。
 西ドイツ──アメリカ政府のマーシャル・プランによる援助資金をもとに戦後復興政策を進めた。戦後復興の基幹産業である石炭・鉄鋼は「欧州石炭鉄鋼共同体」という多国家管理による非民間企業に頼った。エアハルトは社会主義と資本主義の良いところをとった「社会的市場経済」を目指した。フォルクスワーゲンは戦後再出発にあたり、その株式20%を連邦政府が、さらに20%を地方政府が保有した。こうした石炭・鉄鋼・自動車産業を日本に当てはめるとどうなるか?それに比べれば日本経済は民間主導の自由経済であった。
 仏・英・独とも戦後何度も左翼政党が政権を担当した。現在英・独が保守政党を破っている。それに比べいかに日本の左翼・社会主義が信頼されていないか、よくわかる。

 日本では行政指導という政府の関与が話題になる。しかしそれ以上に「官に逆らった経営者」がいた。
 (1)天皇とまで言われた日銀一万田総裁に「川崎製鉄が千葉工場建設を強行するならば、ペンペン草を生やしてみせる」とまで言われた、西山弥太郎の大胆な設備投資、それに刺激され他社も追従した。戦争で古い設備が使えなくなったのは仏・英・独も同じ。しかし欧州の官僚にはあれほど大胆な発想は出来なかった。
 (2)「井深さんはトランジスタを使って補聴器を作るのですか?」と皮肉られ、特許導入を1年間遅らされた東京通信工業(後のソニー)。その1年の間に世界初のトランジスタ・ラジオはアメリカにやられた。大宅壮一に「ソニー・モルモット論」と皮肉られたが、今日の電子産業、官に逆らってトランジスタ特許を導入したソニーに始まると言って良い。
 (3)政府が成長産業を育成しようとした特定産業振興法、それに逆らって通産省で大型政務次官と言われた佐橋滋と喧嘩した、本田宗一郎は1983年のテレビインタビューで、佐橋滋と会った時を振り返り、次のように語っている。 「どうにも納得できないということで、僕は暴れたわけで、特振法とは何事だ。おれはやる(自動車を作る)権利がある。既存のメーカーだけが自動車を作って、われわれがやってはいけないという法律をつくるとは何事だ。自由である。大きな物を、永久に大きいとだれが断言できる。歴史を見なさい。新興勢力が伸びるにに決まっている。そんなに合同(合併)させたかったら、通産省が株主になって、株主総会でものを言え!と怒ったのです。うちは株式会社であり、政府の命令で、おれは動かない」(1995年2月5日、NHKテレビ「戦後経済を築いた男たち」から)
 (4)「官と闘った経営者」ヤマト運輸社長・小倉昌男が始めた「宅急便」、この普及は日本の流通業を大きく変えた。郵政民営化が問題になるのも宅急便の普及があったからだ。
 日本が「官民一体」ならば、仏・英・独は「民なしの、官のみ」だ。官に逆らった経営者たちのハイリスクな事業計画、前例を尊ぶ官僚にはとてもできない。戦後の荒廃はどの国も同じ、日本は度胸のある経営者が力を発揮できる自由な経済体制だった。進化論に例えれば、突然変異が出やすく、育ちやすい環境だったと言える。
 はしょって書きました。「官に逆らった経営者たち」「戦後復興政策 ヨーロッパ西も東も社会主義」をキーワードに検索してください。詳しく書かれたサイトがあります。

戦後復興政策 ヨーロッパ西も東も社会主義
 「資本主義経済では、政府はなるべく経済に介入せず、市場のメカニズムに委ねるべきだ。それなのに日本では政府がマネーゲームのプレーヤーになっている。これでは社会主義のようだ」との見方もあるでしょう。
 でも同時代の欧州先進国、フランス、イギリス、ドイツと比べると日本は「市場原理主義」とも言えるほど、政府の介入の少ない自由経済であった。
 フランス──戦後のフランスはジャン・モネの考えによる「フランスは未だ十分に市場が成熟していないの...続きを読む

Qなぜ日本は植民地にされなかったのですか?

19世紀、他のアジア諸国は欧米列強の植民地にされたのに
なぜ日本は植民地にされなかったのですか?
日本の教育水準が高かったからですか?
それとも単に運がよかったからですか?

Aベストアンサー

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。今もそう呼ばれてます。伊豆代官江川が引き継いで、青銅砲でない鋼鉄砲をつくる高熱の製鉄炉(反射炉)をつくろうとしたり(大砲、兵学などはなんとかヨーロッパの技術においつこうというカンジ)、日本人は形式・格式でガチガチのバカな武士社会の中でも一部の有能な、志ある人たちに助けられてなんとか西洋とわたりあえる学術・軍事・文化・行政制度をもっていたのです。
(ほとんどの藩はド貧乏、借金まみれ。一部の外様大名とかだけです。意識あったのは)

ペリーが来航した時も(一年前くるっていったのに来ないと思って内緒にしちゃったバカな幕府上層部のせいで大慌てしたが)、一年後返事をもらいにくる、といったあと年明け10ヶ月にきた時には、無防備だった江戸湾に砲台島を築かせて防衛体制つくった(江川が指揮)
これが砲台場、今の「お台場」です。
これにはペリーも驚いた。
あと吉田松陰みたいに単身(2人だったけど)黒船に乗り込んで
「我アメリカに行かんと欲す」と叫びまくって返ってきた若者とか。
こんな人他のアジアの国にはいなかった。

日本は天文、数学、測量でもヨーロッパの文献研究したり、和算でも微分積分できたらしい。水準高かったンですよ。富豪商人は学問する人たちが多いとか、そういうこともあったらしいし、町民文化も小説、演劇、レベル高かったです。

アメリカと国土交渉する際もペリーが小笠原はアメリカ人住んでる、国際的に通じる文書で証明しない限りアメリカ国土だ、といった時、フランス語版・林子平著三国通覧図説をだして、出版年からも日本領土だと証明。
松平定信が迫害した林子平の著作が、大黒屋光太夫一行のうちロシア日本語学校教師にのこった一人とドイツ人言語学者の手で訳されて、小笠原諸島をまもったわけですね^^

ま、そんなこんなで、日本は他のアジアの国より運がよかった。
・一応、統一国家でまとまってた。いくつか勢力が争ってるとかじゃなかった
・文化水準がヨーロッパと同程度だった(これは不思議なものである)
・一部の蘭学者のおかげで、外国の情勢なども在る程度はつかんでいた?!ジョン万次郎がいたといなかったじゃ、また違ったろうなぁ
江川さんがいなかったら大変だったと思うよ
・穏健バランス派の阿部が老中(筆頭?)だったのもよかった。水野忠邦だったらボロボロだったんじゃないかなぁ
最後は大分大胆に物事運んだけど。
・武士階級、常時帯刀武装してる階級が行政してる、というのはなかなかすごいかも^^
・シーボルトが日本の文化レベルを紹介する書物を発表してくれていた
(ペリーもちゃんと読んでた)→日本は交渉するレベルの国だと思ってもらえた。おそらく礼砲をちゃんと返せる国なんてアジアで日本ぐらいだったでしょう。

兵力でいえば、この前NHKでもやってましたが薩摩とイギリスの争い、中国のイギリス艦隊きた時は薩摩ボロ負けですよ。海戦は特に。
最初、不平等条約だったのもしゃーない。
しかし、交渉のテーブルがある、というのは在る程度、相手を認めてのことだし、全面開戦しなかった、というのはお互いのメリット、リスクも含めて必然だったのかも。
まぁ頑張りましたね、当時の日本^^

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。...続きを読む

Q中国共産党が国民党に勝利した要因は?

第二次世界大戦終了後、中国では毛沢東率いる共産党と
蒋介石率いる国民党とが内戦をしていたそうです。
どうして共産党が勝利することができたのでしょうか?
貧弱な兵器しかない印象がありますが。
また、ソ連が一時支配していた旧満州地域はどうやって折り合いをつけたのでしょうか?
ソ連が引き下がったのが不思議です。
一悶着なかったのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>第二次世界大戦終了後、中国では毛沢東率いる共産党と蒋介石率いる国民党とが内戦をしていたそうです。

正確には、日中戦争以前から内戦がありました。
日中戦争・第二次世界大戦中は、国民党・共産党は「抗日」目的のため停戦していたのです。大同小異・呉越同舟です。
この戦時下、国民党・共産党軍が作成した「抗日プロパガンダ写真」(TIME雑誌等の写真を歪曲修整し、反日意識を高めた)が、現在の抗日資料館に展示している写真です。
(実物写真と歪曲写真を比べると、興味深いですよ)
日本敗戦後、停戦状態が終わり再び内戦になりました。

>どうして共産党が勝利することができたのでしょうか?

先ず、国民の大多数を占める農民・労働者の支持を得る事が出来なかった事でしよう。
中国歴代王朝も、彼らの支持が無くなると滅亡しています。
(歴代王朝滅亡から新王朝樹立間に、各時代1000万人前後が犠牲になっています)
それと、解放軍(八路軍)兵士に農民出身者が多く「思想統一を行った」事です。
貴族・資本家・地主などから搾取された彼らは、共産思想に夢を見た訳ですね。
今までの辛酸を「仕返し」の力と変えたのでしよう。
反対に、自由主義者(有識者)は、「反革命」の下に大量虐殺を行っています。
旧満州国の首都・新京では「八路軍が30万人住民全員を殺害」していますよ。(当時のアメリカの新聞記事及び生存者談)
(現中国の教科書には「無血入城」となっていますが)
「思想的に一致団結した一枚岩の軍隊」と「自由な思想・意見を持った軍隊」では、戦う前に結果が見えてます。
それと、経済的な強烈なインフレでしよう。
戦費調達で、大量に紙幣を発行したので「紙幣は紙屑」になったのです。

>貧弱な兵器しかない印象がありますが。

八路軍は、ゲリラ戦が得意なんです。
ゲリラ戦には、近代兵器は必要ありません。
また、人海戦術が可能でした。
ベトナム解放戦線(ベトコン)もゲリラ戦が得意で、米国・韓国軍を破って(ベトナム戦争に)勝利しましとよね。
※ベトナム人従軍慰安婦と韓国軍人との混血児が、約15000人存在しています(ベトナム政府調査)。
※韓国政府は認めていないので、金大中・ノムヒョンがベトナムを訪問した時に謝罪・賠償を拒否しました。

>ソ連が一時支配していた旧満州地域はどうやって折り合いをつけたのでしょうか?ソ連が引き下がったのが不思議です。

旧満州地区(中国東北部)は、もともと清王朝の領土でした。
ソ連としては、分捕った領土を渡す気持ちは一切ありませんでしたが、米ソ対立の下で中国共産党と争いを避けたかったようです。
同じ共産党政権同士、アメリカに対抗する必要があったのです。

>第二次世界大戦終了後、中国では毛沢東率いる共産党と蒋介石率いる国民党とが内戦をしていたそうです。

正確には、日中戦争以前から内戦がありました。
日中戦争・第二次世界大戦中は、国民党・共産党は「抗日」目的のため停戦していたのです。大同小異・呉越同舟です。
この戦時下、国民党・共産党軍が作成した「抗日プロパガンダ写真」(TIME雑誌等の写真を歪曲修整し、反日意識を高めた)が、現在の抗日資料館に展示している写真です。
(実物写真と歪曲写真を比べると、興味深いですよ)
日本敗...続きを読む

Q昭和天皇はなぜ軍部の暴走を止められなかったのでしょうか?

軍幹部や閣僚、枢密院の事実上の強制である「助言」に逆らえなかったのはなぜなのでしょうか?
天皇は、軍部を最終的に指揮・統括する統帥権を持っていたのですよね。
様々な事由で軍や政治家の意見を聞き入れなければならない状況もあったと思います。しかしミッドウェー以後の戦況を正確に知っていたなら、最早戦況は絶望的で、このまま戦いを続けたなら軍人のみならず、多くの国民の命が失われることは火を見るより明らかであったことは知っていたはずです。
軍・政治家の「助言」は飽くまで助言であり、例えそれに反したものであっても、最終の決断を下す権限を当時の天皇は持っていたのですよね。そしてそれは、何人たりとも妨げることはできなかったのですよね?
にもかわらず「本当の」統帥権を発動できなかったのは一体なぜなのでしょうか?

Aベストアンサー

>昭和天皇はなぜ軍部の暴走を止められなかったのでしょうか?

大日本帝国憲法の第4条には、「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ」とありますが、続いて「此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」とあり、55条に、「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責任ニ任ス」、同2には「凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス」とされています。天皇は憲法上「統治権の総攬者」ではありますが、輔弼と副署と言う制限された存在でもありました。これが「天皇機関説」の根拠ともなりますし、NO7の方が回答されていらっしゃるように、昭和天皇が自身を「立憲君主」として律していた根拠でもあります。
つまり、統帥権を含め国務は輔弼の臣の輔弼行為に依拠し、天皇は積極的な国政への関与を控えていたと言うことです。皆さんがおっしゃているように田中首相への叱責、二二六事件、終戦の決断以外には判断を下していません。終戦についても最高戦争指導会議構成員会議および閣議が意見の一致をみないために、最高戦争指導会議に枢密院議長を入れ、御前会議の形式をとり、天皇の判断を仰いだために天皇が決断したのであって、昭和天皇も決断を求められるのは本来の形でないと思っていらしたようです。
ですから、戦争がいかに不利になろうとも、国務・統帥の輔弼がない限り停戦・休戦・終戦にならなかったのではないでしょうか。また、統帥部の輔弼がない限り、終戦への統帥権の発動もなかったと思います。
このように輔弼を受けることにより、責任は輔弼の臣が取るべきもので、天皇自身には及ばない体制が成立しています。西園寺が天皇に田中首相叱責で注意したのはこの点であり、長い伝統を持つ公家社会(天皇を含め)の伝統的方策(生き残るための知恵)にも合致していたからです。

以上、参考まで。

>昭和天皇はなぜ軍部の暴走を止められなかったのでしょうか?

大日本帝国憲法の第4条には、「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ」とありますが、続いて「此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」とあり、55条に、「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責任ニ任ス」、同2には「凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス」とされています。天皇は憲法上「統治権の総攬者」ではありますが、輔弼と副署と言う制限された存在でもありました。これが「天皇機関説」の根拠ともなりますし、NO7の方が回答さ...続きを読む


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