アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

カトリックの「ゆるしの秘蹟」(痛悔・告解・償い、そして司祭による許し)のうちの「償い」とは、具体的に何をするのですか。
司祭は償いとして具体的にはどんなことを課するのでしょうか。
今でも普通に行われることなんでしょうか。
償いが終わった時点で、「司祭による許し」にうつるんでしょうか。

A 回答 (2件)

「ゆるしの秘蹟」は「告解(或は「懺悔」)」そのもので「痛悔・告解・償い」という様なプロセスを踏む事ではないです。


罪を認め、罪を告白し、罪を悔い改めることを司祭に伝えて「そして司祭による許し」になります。
こちらが解り易いかと
http://www.pauline.or.jp/yamamoto/yamamoto_56.php

もちろん今でも普通に行われている事です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答とリンクありがとうございます。

貼っていただいたリンクのサイトを読むと、初代ローマ教会時代には告白と「長期の償い期間」を経ることが、大罪に対するゆるしの秘蹟の条件になったことが伺えます。

また現代のことについて書かれているサイト後半にもやはり、「悔い改め、犯した罪を悲しみ、忌みきらい、二度としないことを決心する(悔い改め)・・・このような準備を経て、告白の場に臨む・・・(司祭の前で)罪を告白し、司祭の勧めのことばと償いを聞く。」という、ゆるしの秘蹟のプロセスが書かれているように見えます。

私が特に知りたいことは、教えてくださったサイトでいえば初代ローマ教会時代に重要とされた「長期の償い期間」や、現代の「司祭の・・・償いを聞く」について、実際この「償い」とは何を指すのか?ということです。もし「償い」の具体的内容について(例でも構いませんので)ご存知でしたら、どうぞご教授ください。

お礼日時:2016/05/26 04:39

高校生の時受洗後半世紀近くになる中年男性で、ほぼ毎週教会に通っていますが、そこの所があいまいだったので、改めて調べてみました。


つまり、私も、「ゆるしの秘蹟」=「告解」(罪の「告白」、「懺悔」のこと)と考えており、その前後の「痛悔」と「償い」は意識していなかったのです。(恥ずかしい話ですが。)

「カトリック教会のカテキズム(要約)」(2010年発行)によると、次のような解説があります。
p.167 303 Q. 悔い改める者の行為はどのようなものですか。
A. 悔い改める者の行為としては次のようなものがあります。
まず入念な良心の糾明です。次に痛悔です。これは神への愛から生まれた場合は、完全な痛悔といわれ、他の動機に基づく場合は、不完全な痛悔といわれます。また痛悔は今後再び罪を犯さないという決心を伴います。
そして罪の告白です。これは司祭に対して罪を言い表すことです。
最後に、償いです。つまり、悔い改めの行為の完成です。聴罪司祭は、罪によって引き起こされた損害を償わせるために、悔い改める者にこの償いを科します。

つまり、カトリック信徒が、告解場に行って、神父と向き合って行うのは、通常(広義の)「告解」(誤解しそうなので、以下「ゆるしの秘蹟」と言います)と言われる一連の動作ですが、中身を分解すると、「痛悔」、「告解」(狭義)、「償い」の3つの部分から成っているということになりますね。

そこで、問題の「償い」ですが、上の「カテキズム」の説明では、司祭が償いの方法を具体的に示し、科すように読めますが、これまで、私が受けた「ゆるしの秘蹟」で、償いの方法を司祭から指示された記憶はありません(年2回、クリスマスとイースター前に受けていますが)。むしろ、私の「告解」(狭義)に対して、司祭が色々与えてくれる「勧めの言葉」(アドバイス)が、司祭の個人差にもよりますが、非常に的確で、大いに参考になったことは多いです。

それでは、償いの指定とは一体何か? 
以下のサイトにその答を見たように思われるので、引用します。
http://www001.upp.so-net.ne.jp/inorinogakko/yuru …

6.償いの指定
ここで「償い」という言葉が使われていますが、ここで指定されるのは通常の意味での損害の賠償ではありません。いかに軽い罪であっても、天使祝詞三回で賠償にはならないでしょう。

罪をゆるされた人は新しい人です。ここで指定されるのは、その新しい出発の第一歩を象徴的に表すものです。ですから、償いの内容は告白した罪の内容と響き合うようなものがいいのです。神学書にはそう書いてあります。たとえば、いさかいのあった人に年賀状を出すというようなことです。

しかし、司祭は信者の生活の状況をよく知らないことが多いので、それと深く関わる内容を持った償いを指定することはためらいます。司祭には簡単に思えても、本人には心理的に難しいということがあるからです。そこで、ほとんどの場合、司祭が指定するのは祈り(主の祈りとか、天使祝詞、ロザリオなど)です。本人の意志だけでできるからです。しかし、機械的にならないように、償いの気持ちをもって、新しい出発として心をこめて唱えてください。わたしは、少しでも実質的になるようにと思って、「とりなしの祈り」をよく指定します。

あなたが自分で考えて、実質的な内容のあることをプラスアルファの償いとして実行するのはとてもよいことです。親しい司祭なら相談することもできるでしょう。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答どうもありがとうございました。
カトリック信者の方に教えをいただけて光栄です。
償いは、司祭の「勧めの言葉」でアドバイスされるような生き方だったり、司祭に指定される「祈り」だったりなのですね。とてもよくわかりました!

お礼日時:2016/06/05 05:53

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す