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【日本史・織田信長の死際の行動の謎】織田信長は本能寺に滞在中に家臣の明智光秀が攻めて来たという一報を受けて、自分が普段座る鎮座に影武者の家臣を置いてその影武者に短い手槍を渡した。

織田信長本人は奥の間に移動して、明智光秀が攻め込む前に自害することを決意してすぐに自害用に家臣を連れて奥の間に行き介錯(かいしゃく)=自ら切腹した織田信長の首を跳ねる役の家臣を同行させて奥の間で自害した。

明智光秀がまだ攻め込こんでいないのになぜ明智光秀が攻め込むという一報を聞いて、明智光秀が攻め込む前に奥の間で自害したのか。

自害する必要がどこにあった?

なぜ織田信長は明智光秀と戦うという選択ではなく、最初から自害の道を選んでいたのか不思議じゃないですか?

おかしな話ですよね。

何かひっかかりませんか?

A 回答 (4件)

光秀が攻めるときは、理詰めの確実な方法を取るはず。

信長が前に出て戦闘状態になったら光秀の注文通り。
信長自身がしばらく生死不明という状況にするのが、あの夜の最善手だったからでしょう。
 事実、秀吉が引き返して山崎の合戦になったとき、秀吉側は、信長は脱出に成功、自分は信長の指示で指揮を取るという噂を流して、精神的動揺を誘ってます。
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この回答へのお礼

みなさん回答ありがとうございます

明智光秀に天下を取らせないために自分の首をはねさせて家臣に持ち去るように指示した織田信長は凄い。

鳥肌がたった

お礼日時:2016/05/29 09:11

一般人の、私見です。



明智さんの目的は、何だったのかつうことですよ。
織田さんを殺して、天下を取ることではありませんよね。

つまり、織田さんを捕まえて、
踏みつけ、蹴とばし、笑いものにして、
うっ憤を晴らすことが目的だったと思います。

織田さんは、その目的を察知して、
それを回避すべく、不思議に見える行動をしたと思っています。
この事件後の明智さんへの、報復プログラムとして行動したと思います。
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明智光秀、細かなところまで抜けがなく計画し、実行していました。

明智光秀のすることだから逃げようがない、と判断したのではないでしょうか?
更に、本能寺の変では、信長の首が見つかっていません。これは非常に重要なことです。ぎりぎりまで戦ったのでは、信長は打ち取られ、首を取られたでしょう。もしそうなったら、歴史が変わっていた可能性があります。
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20人対5000人、戦ったけれども次々と護衛も倒されたのだから、奥に引っ込んで覚悟を決めるのは、当然だと思いますよ

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